「超走り屋理論」 

夜明けまでまだ一時はある時間帯、このさびれた峠を走ろうという車は一台しかいない。
 藤原豆腐店の自家用車、日産製品でその昔一世を風靡したという10年前のポンコツ車である。
 拓海は配達の帰り、一人の男に気がついた。
 「この時間に来ればお前に会えるような・・・そんな確信があったんだ。初めて会ったのがこの時間帯だったからな」
 男の名は高橋啓介、
 先日拓海と秋名の峠でバトルして惨敗した男である。
 拓海はといえばまだ寝惚けた頭で啓介の真赤なパ−カ−をじっと見つめていた。



(よかったぁ、この人蛍光色の服来ててくれて、こんな暗闇に黒い服とか来てられて
 道路の真中に突っ立ってられたら気がつかなくて引いちゃうとこだったよ、
 でも黄色い頭だから気がつくかな、その時は頭だけ浮かび上がってみえるのかなぁ、うわっなんか恐いかも)
 黙っている拓海に啓介は用件を伝える。
「ナイトキッズの中里とやるそうじゃないか、噂になってるぜ。お前の事は」
 拓海は驚いてしまった。
 この人はこんな夜中にわざわざこんな所に来て何を言っているのだろうか。
 世の中暇人もいたものだ。
「いっとくけど俺はGTRとやるなんて言った覚えはないっ」
 拓海が呆れながら事情を説明した。
「俺がいない間に申し込まれたみたいだけどやる気はまったくないね」
 誤解のためにこんな峠に夜遅く来てしまった啓介を拓海はちょっと不憫に思った。
 可哀想だからおみやげに豆腐でも持たせてあげようかななどと考えている拓海に啓介が戸惑いの質問を向けた。
「なんだってぇっやる気ねえってどういう事だ?」
 啓介が言葉を続ける、
「ナイトキッズの中里がお前を名指しで挑戦してきたんだろ、受けてたちゃあいいじゃねえか、別に」
 GTRなんざぶっちぎってみろ、お前になら出来るはずだぜっと啓介は鼻息荒く拓海をけしかけてくる。
「あんたには関係ないことなのに・・・なんでそこまで言うんだ?」 拓海にしたらもっともな質問である。
 先日自己紹介をしたばかりの男になんでこんなに買いかぶられなければいけないのか。
「理由は二つある」
 拓海が緊張に身をかたくした
 、一体どんな理由なのか。
「俺はGTRが大嫌いなんだ」 拓海は一瞬何を言われているのか解からなくて間抜け面をしてしまった。  
 まあいつも間抜け面なのだが。
「だからこそ余計にお前に負けて欲しくねえんだよ わかんね−か、走り屋のこの微妙な心理が」
 全然解からない・・・
「俺が勝てなかった相手には他の奴に負けてほしくねえにきまってんだろ、お前を負かすのはレッドサンズの高橋兄弟しか
いねえってことさ、っっっ絶対負けんなよ、GTRに」
 どうやら拓海は啓介の中で宿命のライバルにされてしまったらしい。
 矢吹ジョ−と力石徹、星飛雄馬と花形満、お蝶婦人と緑川蘭子であろうか。 
 そんなのまっぴらごめんと拓海は必死に抵抗した。 
「俺はやらないっていってんだろ。第一やる理由がない」
「理由?なんだそりゃ、走り屋がバトルするのに理由なんかないだろ」
「俺は別に走り屋じゃない」
「ふざけるなよ、そりゃ嫌みでいっているのか」
 ふざけているつもりは拓海には全然ない、
 ただ宿命のライバルにされるのが嫌なだけである。
「あれだけのテクニックを身に付けるためには相当の走り込みをしているはずだ、
走り屋じゃない奴がなんで走り込みなんかやるもんか、よほど好きでなきゃ−出来ねえことだぜ」
 それは一般市民の話であって朝の早い豆腐店の配達に走り込みは必要不可欠なだけなのだが。
「好きで走り込んでいるわけじゃない、家の手伝いで仕方なしにやっているだけだ」
「嘘つくなよ、イヤイヤ走っていてあんな凄い技が身に付くわけねえだろ」
 拓海は段々いらいらしてきた。
 楽しみにしている「おはようナイスデイ」(民放5時放送)の時間が迫っている。
「わかってないよ」
「わかってねえのはお前の方だろ、世の中車を走らせることほどワクワクすることは他にねえと俺は思っている、
走ること嫌いな奴がドリフトなんかマスタ−するか、好きじゃなきゃ絶対身に付かない技だぜ、あんなの」
 世の中には色々な人がいるものだ、拓海にはよく解からなかった。
 どんなに啓介が力説しても拓海には配達より朝寝の方が魅力的なのだ。
 価値観の違いはどうしようもない。
「お前は自分で気がついてないかも知れねえけど本心は車の運転が好きに決まっているだろ」
 啓介がここが見せ場とばかりに吠える。
「これを機会に自覚しといた方がいいぜ、一つだけ教えておいてやる、車を走らせることが好きならそれだけで十分走り屋なんだよ、
走り屋なら自分が走り込んで身に付けた技術にプライドを持てよな、挑戦されたら受けるのが走り屋のプライドってもんだぜ」
 啓介の言うことはある意味正しい。
 自分に対する過小評価は屈折された虚栄心に他ならない。
 本人が努力して身に付けた技術ならばそれに誇りを持つことが更なる向上に繋がるのだ。
 しかし拓海は車を走らせることがそれほど好きでなかった。 
 最初の時点で間違ってる。 それよりも早く帰らないと「おはようナイスデイ」に間に合わないではないか。
 拓海がそうそうに話を切り上げようとしたその時藪の中から拍手が鳴り響いた。



 パンパンパンッ 暗闇に白い影が浮かび上がる。
「見事な口上だったよ、啓介、成長したな」
「あっ兄貴っどうしてここに?」
 秋名に来ることは内緒でこっそりと家を出てきたというのに兄にはばれてしまっていたらしい。
 それにしても気配を全く感じなかった。 おそるべし高橋涼介。
「高橋さんのお兄さん、こんばんわ」 拓海が挨拶をする。
 挨拶は人間の基本的なコミュニケ−ションであるからどんなに怪しげな人であっても拓海は一応挨拶をかかさなかった。
「涼介でいいよ、拓海、今日も可愛いね、ところで先程の話、聞くともなしに耳に入ってしまったのだが」
嘘を吐け、と啓介は思った。
もちろん心の中でだが。
「拓海は中里とのバトルを嫌がっているようだがこれは避けて通れない道なのだよ、何故なら拓海は走り屋なんだからね」
拓海が一気に脱力した。
「説明しましたけど俺は走り屋じゃないんですって」
「拓海はそう思い込みたいのだろうがもう立派に走り屋なのだよ、その証拠に啓介とバトルしているじゃないか」
「あれは事情があって」
「不可抗力だったと思いたい気持ちは解かるよ、まだ走り屋に成り立てで戸惑っているんだね」
「だから俺は走り屋じゃないんですって」
頑固に走り屋を否定する拓海に涼介は苦笑を返した。
「何故自分が走り屋じゃないと思うのかな」
「だから俺は車好きじゃないし、バトルなんかしたくないし」
 涼介がふっと笑った。
「だから拓海は自分の事を解かっていないというのだよ、教えてあげよう、拓海が走り屋の訳を」
 涼介は華麗に微笑んだ。



「・・・・なんですか?それは」
「まず啓介と初めて会った時の事を思い出してご覧。確かこの辺りだったよね」
 啓介と拓海はうんうんと頷いた。
「拓海は配達の帰り道に見慣れぬ黄色いFDに出会った、そうだね」
確かにその通りだ。 あれもこんな夜だった。
あの時FDを追い抜かしたばかりにこんなややこしいことになっているのだ。
「その時の状況を思い出して見よう。こんな時間帯にこんな峠で車が走っている、この時間帯に他の車と会う事はよくあるのかな?」
「いえ、そんなにはないです」
 時々すれ違っても自分と同じ配達の車か朝帰りのサラリ−マンの車とかだ。
「いつもはいないはずの車、しかも派手な黄色いFDに赤いペイント入り、運転しているのは黄色く髪を染めたヤンキ−青年、
さて普通の人ならどう対処するか。 その一、関り合いになるのを恐れて後ろに距離をとりゆっくり走る。
その二、一度車を止めてFDと距離をとる。
その三、帰りを急いでいるのでその車を追い抜かす。 拓海はどれを選んだかな?」
「・・・3です」
 涼介は意を得たりと微笑んだ。
「そう、普通の人間ならばこの車と関り合いになることを恐れる筈だ、ヤンキ−やチ−マ−だったら因縁をつけられるかもしれないからね、 
しかし拓海は追い抜かしあろうことか慣性ドリフトまで仕掛けてきたというではないか」
 拓海が小声で言い訳をした。
「だって、その日は『おはようナイスデイ』でモ−ニング娘がゲストに出演するから、急いでて」
「だからといって強引に慣性ドリフトに持っていった理由にはならない、それは拓海の中に秘められた走り屋の本能がドリフトをさせたからなのだよ」
「・・・・?」
「自分の磨き上げたテクニックを他の走り屋に見せたいというのは走り屋の基本パタ−ンの一つだからね、拓海も無意識に行動してしまったんだろう」
「・・・・いや、モ−ニング娘が」
拓海の声が弱々しくなっていく。
「まだ自分は走り屋ではないというのか、困った子だね、では次の啓介とのバトルを思い出してみよう、
拓海は止む終えぬ事情があったというがそれは何なのかな?」
「親父が勝ったらガソリン満タンにしてくれるっていうんでつい・・・」
「そこだよ、それこそ拓海が走り屋の証拠だ、ガソリン満タンは走り屋にとって麻薬みたいなものだからね。
バトルをしてしまうのも無理はない。 大体車を好きでない人にとってガソリン満タンなどは単なる石油の塊にしかすぎないのだから」
確かにもっともな理由だ。
「それは次の日に出かけるんで、それで」
「わざわざ車で出かけなくても電車があるじゃないか。それを休日まで車で出かけたいというのは車好きな証拠ではないのかな?」
「・・・それは、車で出かけるって約束しちゃったんで」
「走り屋の基本パタ−ン2に車で出かけて自分のテクニックを相手に見せたいというのがあるんだよ」
 啓介は横でしきりに頷いている。
「そうだよな、俺も免許取り立ての頃は助手席に乗せて自慢したくてしょうがなかったぜ」
いかん、相手のペ−スに飲まれている、
拓海は必死に言葉を探した。
「でもそれだけじゃ俺が走り屋って事にはならないでしょ単なる車好きってこともありえるじゃないですか」
ふふふっと涼介が笑ってきた。
「そう、しかし拓海が単なる車好きではないというれっきとしたデ−タ−があるのだよ」
「なっなんですか、それは?」
「拓海の御尊父は藤原文太さんだね」
突然父の話になり戸惑いを隠せない拓海。
「拓海はお父上が走り屋だったという事実を知っているかな」
「少しだけ聞いた事がありますけど」
「文太氏は群馬でも有数の走り屋だったのだよ、秋名のブラックパンサ−という通り名で知られていたくらいにね、知っていたかな」
親父が走り屋だったのは知っていたけれどそんな恥ずかしい名までつけられていたとは、今すぐ縁を切ろうと拓海はちょっと考えてしまった。
「拓海にはそのお父上の熱い走り屋の血が受け継がれているのだよ、生まれながらのサラブレッドそれが藤原拓海なのだ」
「ちょっと待ってくださいよ、親父が走り屋だったからって俺が走り屋になる訳ないじゃないですか」
「蛙の子は蛙だよ、拓海」
「走り屋ってのは世襲制なんですかっ違うでしょ」
「確かに違う、走り屋というのは遺伝なんだよ」
仰天する拓海、そんな話聞いたことない。
「ここにデ−タ−がある、全国の走り屋の家系図だ、 これを見てもらえば解かる通り今現存する走り屋の75%は親も走り屋だったと
いう事実が記されている」
「・・・残りの25%は?」
「隔世遺伝と先祖返りだ」
うんうんと啓介は頷いた。
「そういや俺んとこの親父は車からっきしだけどじいちゃんはすげえもんな、昔ゼロ戦ならしてただけのことはあるぜ」
 なにかが根本的に間違っている気がする。
「そっそんなの、親が走り屋だから子供もってのは自由意志に反するんじゃないんですか」
「そうだね、だが拓海、拓海には気の毒だがこれは拓海が生まれてきた時からの定めなのだよ」
「定めって走り屋遺伝説のことですか?そんなの俺は認めないっ運命に立ち向かってみせる」
「拓海がそう思うのも無理はない、しかし拓海が走り屋を否定するという事は自分の今までの人生を全て否定するという事に他ならない」
 なんか話が大きくなってきたような・・・
「拓海の家は豆腐店を営業しているそうだね」
 いきなり話をふられてついていけない拓海。
「はい、小さい店ですけど」
「お父上が脱サラをして店を構えられたと聞くが」
 文太は昔商社で営業をやっていたが肌にあわないと拓海が生まれた直後にこの秋名で豆腐屋を始めたのであった。
「お父上が何故この秋名の地を選んだのか解かるかな」
 そういわれてみればっと拓海も首をかしげた。
 秋名に親戚もいないしこの土地に来たのはなんでだったのだろうか。
「それはこの峠に秘密が隠されている。 秋名はコ−スの難易度はスペシャルAクラスの全国でも有数のダウンヒルなのだよ」
 そうだったのかと感心する拓海。 走り屋だった親父はそれで第二の人生の土地を秋名に選んだのか。


 
 今初めて親父の気持ちを知った気がする。
「拓海が生まれた時、英才教育をするにはこの秋名しかないとお父上は思われたのだろうね 、
そのために一流商社の営業係長の座を擲ってまでして秋名に来られたのだから」
 拓海は愛されているね、と兄弟は言う。
 しかし拓海には親父の趣味で越してきたとしか思えない。
「お父上が豆腐屋を第二の職業に選んだ、その本意は拓海の英才教育を確実な物にするためだったのだろう」
「・・・はい?」
「微妙な荷重コントロ−ルは豆腐を配達しないと身に付かないだろう、お父上はそのことまで計算して職業を選んだに違いない、
見事な先見の明だ、おそれいる」
 そう言えば親父は豆腐が嫌いなのに何故豆腐屋をやっているのか拓海はずっと疑問に思っていたのだった。
「これが他の商品だったら、例えばパン屋だったり和菓子屋だったりしたら配達にここまで気をつかわない筈だろう。
そこへいくとお父上はすばらしい、日本の伝統的食材、食べ物の中でもっともデリケ−トといわれる豆腐を選ばれたのだから」
 そうだったのか、知らなかった、拓海は今初めて知る衝撃の事実に愕然とした。
「拓海が走り屋を否定するという事は自分の中に流れる血、本能、そして今までの人生全てを否定するという事なのだよ」
ががが−んっあまりのショックにその場にへたり込む拓海に涼介は優しく語りかけた。
「大丈夫、恐がる事はないよ、まだ走り屋に成り立てで戸惑っているのだから、そんな拓海のために今日はいい話を持ってきたんだ」
拓海は目をうるうるさせながら問いかけた。
「いい話?」
「まだ走り屋のノウハウを知らない拓海は他の走り屋の餌食になってしまう、そんな事は俺達は耐えられない
、そこで拓海は関東最速プロジェクトに参加してゆっくり走り屋のこつを掴めばいいんだよ」
「関東最速プロジェクトってなに?」
「関東の有名な峠を見学して、時には実習もかねて回ることで走り屋の実体を捕えることが出来るというまあいわば走り屋ツア−みたいなものだね」
 本当はそんなものでは無いのだが。
「走り屋ツア−?」
「初心者の拓海が恐くないようにいろいろな走り屋さん達を見学するんだよ、それで段々拓海が慣れていってくれれば俺達は満足だ」
「そのツア−に俺も入れてくれるんですか?」
「もちろんだよ、拓海が恐くないように手取り足とり教えてあげるからね」
 こくこくと頷く拓海、瞳はもう涼介を信じ切ってしまっている。
「やったぁっ拓海もプロジェクトの仲間入りかよっう−りゃ燃えるぜ」
 啓介が横で奇声を上げている。 そんな弟を微笑ましく見守る涼介、
 拓海はすっかり涼介の暗示にかかっている。



こうして拓海は走り屋への仲間入りを果たした?のであった。
拓海が騙されたと気がつくのはいつになるかはまた次回。

 

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