その日,一年限定のプロジェクトであるDは最後のバトルを終えた。
誰もが無謀だと笑った県外遠征の殴り込み
しかし蓋を明ければ全戦全勝の快挙
Dの記録と,高橋涼介の名前,
そしてダブルエ−スの事は伝説として残るだろう事は間違いない。
秋名峠,深夜
一台の車が止まっていた。
夜目にもまばゆい輝きを放つFD RX−7
派手な黄色いボディは知る人が見れば羨望の眼差しを送ることは間違いない。
その車の持ち主は車から下りると煙草を取り出して火を付けた。
バトルの後,祝賀会をすっぽかしてこの峠にやってきた。
飲み会のために車を置いてきたダブルエ−スの片割れを強引に拉致して。
この峠に来たのはけじめをつけるためだ。
この峠から全ては始まったのだから。
けりをつけるのもここがふさわしい。
気持ちの苛立ちを隠すかのように性急に紫煙を吐き出してから,彼はきつい目を助手席に向けた。
「黙ってないで何か言えよ」
車から下りようとしない連れに声をかける。
「言いたい事があるんだろう」
傲慢なまでのその言い方に連れは顔をようやく上げた。
「何を言えっていうんですか」
連れはまだ幼さの残る少年であった。
その表情は理不尽な問いかけに対する怒りで満ちている。
男は片頬を上げて皮肉に笑った。
「分かっているくせに」
「何を分かっているって?分からないです,啓介さんの言いたい事なんて」
そうだ。
何も分からない
理解出来ない
啓介の言いたい事なんて何一つ分からない。
「そうやって逃げるのかよ」
男は怒気を隠そうともしなかった。
車から下りようともしない,話をしようともしない連れの態度に焦れている。
「逃げてなんていません」
「逃げているだろうが,ずっと」
低い獰猛なその言葉に連れの子供は唇を噛み締めた。
言いたいことは分かっている。
本当は理解している。
でもそれを認めることは出来ない。
「俺は普通だ,啓介さんが変なんだ」
「変だっていえばそれで気がすむのかよ」
「あんたが変なんだ,変態のくせに」
連れの言葉に男は笑い飛ばした。
「そうかよ,それで?」
「だからっ」
啓介は小さくため息をついて助手席にいる連れに視線を合わせた。
「お前は知っていた,それでそれを無視していた」
その言葉に拓海は息を飲んだ。
そうだ,彼の言う通りだ。
子供は男の視線の意味を知っていて,男の欲望を知っていてそれに対して目を反らしていたのだから。
「卑怯です」
小さな子供の呟きは風になびいて消えていく。
静寂が峠を包み込んだ。
啓介と,拓海と,それ以外にはいない峠はしんっと静まり返っている。
この二人が初めて会ったのもこんな静かな峠での事だった。
秋名峠,午前4時
走り込みをしていた黄色いFDは配達帰りのパンダトレノにちぎられたのだ。
それが二人の出会いだった。
普通とは言いがたい出会い。
その後も二人の仲は円満とは言えなかった。
会えば口喧嘩ばかりしていた。
啓介の兄が仕掛けたプロジェクトでも二人は仲が悪かった。
悪いように見えた。
一見は
藤原拓海,秋名のハチロクと呼ばれる少年は走り屋の世界に対して無知であった。
そんな拓海をフォロ−して一緒にバトルしていったのが高橋啓介。
天才と言われる涼介の弟であり,その走りはいつか兄を抜かすだろうと噂されている。
高橋啓介という男は産まれながら才能に恵まれている男だった。
見た目も恵まれていて才能は世間を驚嘆させる。
その彼が唯一勝てなかった相手が藤原拓海であった。 彼等はライバルであった。
そしてそれだけでは無かった。。
初めて見た時から啓介は拓海に魅かれていた。
その才能に,その性格に,全てに対して啓介は藤原拓海という人間に引きつけられた。
だが拓海は違った。
藤原拓海は高橋啓介という人間に対して車に関した事は認めても他は認めなかった。
秋名のハチロクという通り名はあまりにも有名すぎる。 その容姿とあいまって拓海は狙われる存在であった。
プロジェクトDは県外のチ−ムに殴り込みをかけるアウトロ−の集まりでもある。
それは標的にもなりやすかった。
高橋兄弟はあまりにも有名すぎて手が出せない。
だがまだ18歳の,見た目には穏やかで可愛らしい子供にならばと思うのは間違いないだろう。
藤原拓海はつねに狙われる存在であった。
バトルの相手にも,
プロジェクトDの中でも。
峠というステ−ジで彼は悪目立ちする存在だったんのだ。
そんな拓海が峠で生きていけたのは彼を守る存在があったからだ。
一見仲が悪いように見えて,啓介はずっと拓海を守ってきた。
彼の気がつかない所で,彼に手を出そうとする輩に制裁を加えてきた。
それだけだった。
たったそれだけの関係であった。
「お前さぁ,性格悪いよな」
啓介は言った。
「俺がお前に惚れているの分かっていたよな」
「なんだよ,それ」
「惚れているの分かっていて無視しまくってくれたよな」 啓介の指摘はもっともだった。
図星を指されて拓海の頬が怒りで赤くなる。
「勝手だよ」
勝手に惚れて勝手に側にいて,勝手に守ってくれた。 拓海にはそれが分かっていた。
けれども無視してきた。
「どうすればよかったんだよ」
曖昧な態度を取り続けてきた自覚はある。
でもだからと言ってどうすれば良かったと言うのか。
「啓介さんはかっこいいじゃないですか,人気あるし女にもてるし」
そんな男前が自分を好きだなんて信じられる訳が無い。
どんなに視線で訴えかけられても,態度で示されてても信じ切る事は難しい。
「からかわれていると思うのが普通じゃないですか」
「そう思う方が楽だったからだろ」
一言で啓介は拓海の逃げ路を絶ってしまう。
「そうやって俺の気持ちはぐらかして目背けてたよな」
啓介の本気から逃げて,自分の中に閉じ込もっていた事を指摘される。
「それがいけないって言うんですか」
拓海の声が峠に響いた。
「あんた目茶苦茶だよ」
拓海は唇を噛み締めた。
目の前にいる男を殴りたい衝動にかられる。
もし,本当にそうしたらきっとこの男は殴られてくれるだろう。
拓海の拳など見切れる反射神経を持っていながら黙って殴られてくれるに違いない。
そういう啓介の優しさが拓海は好きだった。
「どうして俺があんたの相手しなきゃいけないんだよ,勝手に好きだとか言って,勝手に俺の事守るとか言って,・・・俺男だからそんなの必要無い」
拓海の言葉に啓介は頭を振って大きくため息を付いた。
「お前分かってないぜ」
そう一言言うと啓介は身を翻し助手席のドアに手をかけた。
「やめろよっ離せ」
拓海の抵抗など啓介にとっては猫がじゃれている程度のものだ。
頑なに車から下りてこない拓海を強引に引き摺り出すとFDのボンネットに押し倒す。
「そそるんだよ,男のくせに」
苦々しげな口調で啓介は言いながら腰を密着させた。
「っっ」
腰の辺り,啓介のモノが固く立ち上がり始めているのを感じて拓海は息を飲んだ。
「世間知らずで顔にべったり若葉マ−クつけているくせに馬鹿みたいに速い,
そんな上物を峠の奴等がほっとく訳ねえだろうが」
啓介とバトルした初めての時から拓海は悪目立ちしていた。
子供のような幼い顔で誰にも破ることの出来ないコ−スレコ−ドをはじき出す怪物。
高橋啓介を破り,その兄涼介の連勝記録を止めた。
それだけでは無い。
プロジェクトDのダブルエ−スとして県外の峠を荒らし回ってくれたのだ。
走り屋ならば誰でも藤原拓海という人間に対して特別な感情を持つだろう。
「お前自覚ナシでフェロモン垂れ流すしな」
「なっなんだよっそれっ」
抗議しようとした唇は啓介のそれで塞がれた。
殴ろうにも両手は頭の上に押さえつけられている。
精一杯力を込めてもぴくりともしないそれ。
拓海の両手を左手だけで封じ込める。
そして,余裕の顔で濃厚なキスを仕掛けてくる。
「んっふうぅっんっ」
息が出来なくて苦しい。
のけ反って避けようとしたが啓介は開いている右手で拓海の顎を掴み強引に舌を絡めてくる。
(悔しいっ)
拓海は薄目を開けて啓介を睨んだ。
悔しいけれど啓介は上手だった。
気持ち良い。
初心者の拓海は口の中が性感帯である事に驚いてしまう。
啓介は慣れていた。
きっと数え切れない位に拓海の知らない女とキスしたのだろう。
噂にことかかない男だった。
本気にならないのが魅力だとギャラリ−は言っていた。
その言葉を思い出すとと突然頭の中がキれた様な気がした。
ガリっと歯を立てて噛みつく。
しかし啓介は離れない。
ますます強く舌を絡めてくる。
「んっふうっ」
鉄臭い血の味と酸欠で頭が朦朧とし始めた拓海に啓介の唇が離れる。
途端にずるずるとその場にしゃがみこんだ拓海を上から見下ろして笑った。
「痛いじゃねえか」
一発殴ってやる。
そう思ったれど膝に力が入らない
拓海はしゃがんだまま膝を抱えた。
「酷いよ」
ぼそぼそと文句を言う拓海に啓介は怒ったような顔をした。
「酷いのはそっちだ,男の純情をもてあそびやがって」
しかも一年も。
禁欲生活が長かった事に文句を言おうとしたが止めた。
かわりに啓介もしゃがみこむ。
そして膝に顔を埋めている拓海の頭を抱き寄せた。
「好きだ」
妙に優しい口調だった。
「酷いよ」
こんな時に,こんな場所で言うなんて酷すぎる。
逃げられないじゃないか。
「これでも焦ってるんだよ」
優しく拓海の髪をいじりながら啓介は呟くように言う。
「プロジェクト終わったらさ,お前さっさと俺の事忘れてどっかにいっちまうんじゃないかって」
「なにそれ」
自分の声がかすれている事に拓海は今気がついた。
まだ膝が笑っていて立ち上がる事も出来ない。
だから逃げられない。
「お前薄情な奴だから」
啓介の事など過去の事としてさっさと忘れてしまうのだろう,と彼は言った。
少しふてくされた口調で。
「そんなに物忘れ激しくありません」
覆い被さるように啓介に抱きしめられても拓海は逃げなかった。
まだ膝ががくがくするような気がするから逃げられないのだ。
啓介が急にこんな弱音を吐くから逃げられないのだ。
やっぱりずるい男だ。
拓海は胸の中で悪態をついた。
「分からないぜ,お前いっつもぼ−っとしているし」
啓介が耳朶に舌を這わせてくる。
くすぐったくて拓海が身を捩るとますます舐められた。
「でも,そんな拓海に惚れてる」
酷い男だ。
拓海に逃げ路を与えてくれない。
啓介は優しい男だった。
曖昧な態度でのらりくらりとかわす拓海を追いつめようとしなかった。
逃がしてくれていた。
今までは。
「拓海は俺に惚れているだろう」
そう断言されて拓海は目を見張った。
羞恥で耳まで真赤になる拓海を抱きしめながら啓介は唇を寄せる。
「もう逃げるな」
ばれていた。
どうしてという思いとやはりという気持ちが拓海の中を交差する。
人から無表情だのぼ−っとしているだのと評価される自分だから,絶対に顔には出ていない自信があった。
「俺もお前に惚れてる」
真摯な言葉だった。
多分啓介にはお見通しなのだ。
何故拓海が逃げていたのかなどという事は。
「大切にする,絶対」
今まで啓介が付き合った他の女みたいに粗雑な扱いはしない。
大切にするから。
泣かせたり不安にさせたりしないから。
捨てたりしない。
お前だけだ。
啓介は思いを込めて拓海を抱きしめた。
「好きだ」
拓海は観念して力を抜いた。
啓介の気配が近づいてくる。
離れていた距離が無くなっていく事が切ないような気がする。
唇が重なる瞬間,拓海はそっと目を閉じた。
プロジェクトは終わった。
二人の恋愛はここから始まる。