[EAST OF EDEN]

 

 小さい頃,兄と俺は近所の教会に通っていた
確か児童会がそこで開かれていたからだ
その時,聖書の話をいっぱい聞いたのだがあまり覚えてはいない
だがたった一つだけ,やけに覚えているカ所がある
 カインとアベルの話だ
人類初めての殺人が兄弟同士だったというのに俺は驚いた覚えがある

 

 アベルは羊を飼うものとなりカインは地を耕ものとなった,
日がたってカインは地の農産物を持ってきて主に捧げ物をした,
アベルもまたういごと肥えたものを持ってきて神に捧げた

 

 話は難しくよく解からなかったが酷く理不尽に思えた「なんでアベルのものは神様はよろこんでカインのは怒るのかな?」
俺の質問に兄は答えを困ったようだ
「ユダヤの民族の比喩なんだけどね,まだ啓介には解からないだろう,」
兄はその後ちょっと黙って言葉を続けた
「啓介にはまだ理解できないだろうが,一番近い人間だからこそ,許せないことというのがあるんだよ,
この世で一番愛するものを奪われた場合,しかもそれが近い人間に奪われた時に人はその相手を憎むものだ,
それは遠い人に奪われた時よりも憎しみが深くなる」
兄の言葉は難しくて解からなかった
 今もまだ,解からない

 

 

 


[藤原 拓海]


 藤原拓海がプロジェクトDに誘われたのは冬の最中
一度だけバトルしたことのある男,高橋涼介はそれまで拓海にとって遠い存在であった
その涼介が拓海のバイト先までわざわざやってきて告げたことは拓海を驚かせた
「お前のテクニックが欲しい」
涼介はそう言った
白い彗星と呼ばれ天才と名高い涼介が拓海に対してそこまで言ってくれたことを拓海は感謝している
「一緒にやろう」
次の日,秋名の峠で啓介は待ち伏せしていた
弟はそう告げる
すごくびっくりした
同時に嬉しかった
俺に走ることの楽しさを教えてくれた二人が一緒にやろうといってくれる
 それまで,自分はなにかを積極的にやるというアクションを起こさない人間であった
ぼんやりとしていると親友はいつも言っていた
自分ではぼんやりなんてしているつもりはなかったけれど今考えるとやはりぼんやりとしていたのであろう
 チ−ムに参加したことは変化をもたらした
白黒だった世界が突然極彩色に変わる
プロジェクトは今までの自分のペ−スとは全然違う
皆が覇気を持っていて,プライドをかけている
中でもあの兄弟はすごい

 高橋涼介は俺を導いてくれる
 高橋啓介と競い合うことで俺は速くなる

走り屋として,車を操るものにとって一番の状況を涼介さんは与えてくれた
俺はとてもそれに感謝している
与えられた状況に満足しているだけでなく自分から高みに上る努力をしなければいけない
それがみんなに対する恩返しなんだ
前の自分ならばこんなポシティブな考え方はしなかっただろうけれど,これも涼介さんから学んだのだろう
兄弟からは車だけでなく色々な事を教わった
前の自分がどんなに感情の乏しい人間だったか今ならば解かる
 努力する事,前向きになる事,諦めないこと
貪欲なまでに求める大切さを兄弟は教えてくれた

 本当に感謝している
 あの兄弟と一緒に高みを目指したい
 いつもその事を考えている

 

 

 


[高橋 啓介]


 限界が近づいているのを感じる
初めて会った時から魅かれていた
 藤原拓海,
不思議な少年であった
誰よりも速いくせに車は嫌いだと言う
アンバランスな存在
目が離せなくなる
捕われたと自覚したのはいつの頃であろうか
「俺は藤原が好きなんだ」
ずっと,好きだった
初めて峠で慣性ドリフトをかけられた時から
恋は始まっていたのかもしれない
男同士なんて問題では無かった
「俺は最初に見つけたんだ」
啓介は呟く
啓介にとって拓海は絶対必要な存在だ

 拓海と啓介は競い合うことで更に速くなる

「負けるかよ」
兄も拓海に魅かれていることは気がついていた
それに気がついたのは何時だったのだろうか
否,初めから予感はあったのだ
いつも兄の瞳が拓海を捕えていた

 愛しそうに
 包み込むように
 優しく見守っている

拓海も涼介になついていた
尊敬している,憧れているというのが一目で解かる
涼介と話すとき.拓海の瞳は輝いていた
頬をうっすらと染めて兄と話す拓海を苦々しく思う
啓介と話すときには攻撃的と言ってもいいくらいぞんざいなのに,兄の時とはえらい違いだ
別に俺に対してうっすらと頬を染めてもらいたいというのではないけれど
あれを見せつけられると焦りが出てくる
兄に対する拓海の態度があまりにも可憐で,まるで恋する乙女のようであったから
涼介もまるで宝物のように拓海を大切にしていて,周囲の悪意から守っていたから
二人だけで世界を作っている
俺はそれからはみだしている
変な疎外感を感じていた
拓海は俺に対して反抗的で,兄に対して憧れていて,兄は拓海を守っていて.俺は拓海が好きだ

 奇妙な関係
 いらいらする
 ぶっつぶしてやりたい
 兄にだけは負けられない

 何が切っ掛けだったのだろうか
あの日,チャイムが鳴って玄関を開けてみると藤原拓海が立っていた
「あの,すいません,連絡しなくて」
「どうしたんだよ」
「この前借りたビデオ返しにきたんですけど,涼介さんはいますか?」
拓海のその言葉に俺はむかついた
「兄貴は大学だぜ,お前も来るならちゃんと確認くらいしろよ」
「すいません」
「俺もいなかったらお前どうするんだよ,ビデオ,ポストにいれて帰るわけにもいかねえだろ」
妙にからんでしまうのはこいつがすぐに帰りそうだったからだ
 ビデオを渡してはい,さようなら
 涼介さんによろしく伝えてください
 それでは俺がむなしすぎる
拓海が啓介の息が臭いのに気がつく
「啓介さん,飲んでいるんですか」
昼から,という無言の非難
「ビ−ルだけだぜ,いいじゃんか,俺はお前と違って健康な成人男子なんだぜ」
 暗に未成年のことをからかわれて拓海の機嫌が急降下する
「まあ待てよ,兄貴ならもう帰ってくるから上がってまっていりゃあいい」
俺は藤原拓海の腕を掴んだ
その俺の態度に拓海はちょっと驚いた顔をする
「俺がしかられるんだよ,なんで帰したってな」
める
俺は腕を掴む指先に力を込めた
「帰るなよ,さっきのビデオ,みてようぜ」
拓海はため息をつく
「解かりました」
拓海がスニ−カ−を脱いで居間に上がった


 嬉しい
 拓海と二人きりになれる機会など滅多に或るものではない
拓海の事を知るチャンスだ
拓海に俺のことを知ってもらうチャンスでもある
知り合えば,解かり会えば拓海は俺に対して笑いかけてくれるだろうか
兄に対するあの微笑みみたいに
少し顔を赤くして
俺だけを見てくれるだろうか


 俺は多分この時,酒に少し酔っていたのだろう
昼酒というのは回りやすい
 それに拓海が来てくれたから浮かれていたのかもしれない
「啓介さん,ビデオまわしますね」
ジジジッという音と共に画面が現れる
もう何十回となく見た映像,次のバトルのコ−スは頭に入っている
 俺は画面に見入っている拓海をこっそりと横目で見ていた
「涼介さん,何時頃帰ってくるんですか」
ブシュッ俺は缶ビ−ルを開ける
「さあな,大学にはちょっと寄るだけみたいだからすぐに戻るんじゃねえのか」
俺は画面に集中しているふりをした
会話が続かない
拓海は居心地が悪そうだった
「でも本当に涼介さんってすごいですね,プロジェクトDをやっているのに大学の方もちゃんとこなしていて」
兄の話題をするとき拓海はいつも頬を染めていた
「そうか?」
ぞんざいな返事をしながら俺は煙草をふかす
「涼介さんの指示に従って走ると新しい世界が見えてくるんです,俺,今まで自己流でしか走ったことなかったからすごい新鮮で」
そんな話しは聞きたくない
「うるせえな,ビデオに集中しろよ」
ちょっと言い方がきつかったかもしれない
苛立ちが言葉にでてしまった
拓海はむっとしたように口をつぐんで,そのまま二人は画面に見入る


 全部終わりビデオが巻き戻しを始めたが,兄はまだ帰ってこない
「涼介さん,遅いですね」

拓海がそわそわしている
居心地が悪いのだ
俺と二人でいると,

「やっぱ大学が忙しいのかな」

拓海を見ていると苛々する
兄の事を話すとき拓海はいつもはにかんだ顔をする
くやしい

「お前さ,なんで兄貴のこと話すとき顔赤くするんだよ」啓介の突然の問いかけに拓海はこれ以上ないくらいに真赤になった
「えっみんなにもよく言われるんですけど,その,だって涼介さんすごいし,尊敬してるし,憧れているし」

拓海の口から涼介への賛辞が飛び出す
すげえむかつく

「だからって普通男が男相手に頬赤らめちゃったりしねえだろ,お前ホモなんじゃねえの」
「・・・え?」
「兄貴に惚れる男ってのよくいるんだよ,バレンタインに男からチョコ貰ったりとかしてたぜ」
かあっと拓海の頬が染まる
奇麗な桜色に染まった頬が俺を苛立たせる
「そんなんじゃなくて,本当に憧れているだけで」
可哀想なくらい拓海は動揺していて,それがかえって俺の言葉を肯定しているようだった

渡したくない,兄貴には
兄貴だけじゃない,誰にも

「へえ,憧れてんのか,やっぱお前男に惚れているんだぜ,今顔真赤だぜ」
からかいながら拓海の顔を覗き込む
大きな鳶色の瞳が俺を写していて.俺だけを写していて,俺は少し嬉しくなった
「なあ,キスしてみよっか」
拓海の返事を待たずに口づける

やわらかい
ぞくぞくする

「何すんだよっ」
どんっと力いっぱい拓海に突き飛ばされた
目許に涙がにじんでいて色っぽい
キスは初めてなのかもっと思うとすげえ嬉しくなった
拓海が非難の視線をむける
そしてこう言った
「もうすぐ涼介さん帰ってくるんですよ」


拓海の言葉は俺を傷つける
そのことに拓海は気がつかない

 

 


[藤原 拓海]

 遠くから声が聞こえる
悲しくなるような,切なくなるような泣き声のような
胸を締め付けられる声が聞こえる
目を開けようとして開かなかった
体をよじろうとして激痛が走った
顔が強ばる
何故?俺はこんな泣いた後のように辛いのだろうか

 急激に記憶が蘇ってくる
「あっあああ−っ」
声が枯れるかというぐらいに叫んだが誰も助けてくれなかったのだ
啓介さんはなんと言った?
 お前が悪いんだ
それで俺に何をした?
 教えてやるよ,男とのやり方を
「ひいっあああっあっ」
抵抗したのに
いやだと言ったのに
聞いてくれなかった
抵抗したら殴られた
足をむりやり開かされて啓介が入り込んでくる
「やだっやめろっひいっ」
酒くさい息が気持ち悪い
 お前が悪い
何度も何度も繰り返し言われた
何故?どこがいけなかったんだろうか

 そんなに俺が憎かったんだろうか
 壊れていく 全てが

 

 


[高橋 啓介]

 藤原拓海を強姦した
どうしてこんな最低な事が出来たのだろうか
行為が終わって,気絶している拓海の傍らで啓介は呆然としていた
 拓海の体中に残る跡
口もとが切れている
泣き叫んだのがわかる目許
全てが愛しかった
 最初は冗談だったのだ
偶然キスができて浮かれてしまった
冗談のキスでもすげえ嬉しかったから
そうしたらあいつなんて言った?
「もうすぐ涼介さんが帰ってくるんですよ」
あいつの一言が俺を狂わせた
 兄貴には渡さない
拓海は兄貴に魅かれている
それならその前に先手を打つまでだ
俺は拓海を引き摺り倒した


 何度もやめようと思ったのだ
行為の最中,あまりにも泣き叫ぶ拓海が痛々しくて,だが分かっていたから止められなかった
これはもう冗談の範囲を超えてしまった
拓海は俺を許さない
ここで止めたとしても,拓海は俺を振り向かない
だったら,最後までやったとしても同じだ
心の中で叫ぶ
 好きだと
俺にとっては最高のことでも拓海にとってこれは暴力なのだ
泣き叫ぶ拓海の中はとても気持ち良かった

 目が覚めてからの拓海はぼんやりとしていた
「水飲むか?」
俺の声に反応はない
「体,大丈夫か」
拓海が体を動かそうとした
そして動かないのに不思議そうな顔をする
「まだ無理だ,寝てろよ」
段々と拓海の瞳が大きく開かれて,からからに乾いた悲鳴を拓海はあげた
さきほどの行為で喉がつぶれているのに,鳥のように乾いた泣き声を上げる
「ひいっひいっ」
あれだけ泣いたというのにまだ泣いている
「拓海,落ち着けよ」
俺の声は聞こえない
わかっている
 俺はそれだけの事をした
断罪の声が聞こえる

 もう二度と手に入らない
いや,初めから手に入れたことなどなかったのだ
好きだったのに,初めて与えられたおもちゃのように,遊び方がわからなくて,いじくっているうちに壊してしまった
おもちゃと違うのは,もう二度と直らないということだ

 

 

 

 

[高橋 涼介]

 大学から帰ってきた涼介は家のガレ−ジにハチロクがきていることに驚いた
「拓海,来ているのか」
声が弾むのを押さえられない
早足で玄関にむかった
「ただいま」
声をかけるが応答はない
玄関先にコンバ−スのオ−ルスタ−シュ−ズがきちんと並んでいた
こういうところに拓海のしつけのよさが伺われて涼介は嬉しくなる
「啓介,拓海が来ているんだろう」
涼介は居間に向かった
 居間には誰もいない
テレビがつけっぱなしだ
ビデオが巻戻ったサイン
「啓介?拓海?」
どこかで鳥のなくような声がした
「啓介?どこにいる」
鳥の声は二階から聞こえた
靴下が冷たいことに気がついた涼介が下を見るとビ−ルがじゅうたんに零れていた
 嫌な感触
 嫌な予感がする
鞄をおいてゆっくり二階にあがる
声は啓介の部屋かららしい
がらにもなく心臓の鼓動が早くなった
「啓介,拓海とそこにいるのか?」
毎日使用している階段がやけに長く感じる
この階段はこんなに上りにくかっただろうか
啓介の部屋が遠く感じた
 見てはいけない罪が隠されている

 キイッ
鍵はされていなかったので押しただけですぐにいやな音をたてて扉は開いた
「啓介,なにをしている」
一番最初にうずくまっている弟が目に入る
弟は答えない
 ひいっ
また鳥の声が聞こえた
ゆっくりとそちらの方へ向くとそれはいた
ベットの中で,目を見開いたまま,悲鳴をあげている
「た,くみ」
どうして拓海は啓介のベットの中にいるのだろうか
こんなに泣きはらした顔をして,焦点のあっていない瞳で,こんなかすれた声で泣いているのだろうか
嫌な予感はよく当たる
涼介は拓海に近寄ると包まっている毛布のすそをあげた 全身のあざが痛々しい
啓介が残した跡
足の間には血が流れている
シ−ツにも大量に血がついていた
何があったのか一目瞭然だった
「啓介,お前なんてことを」
呆然として啓介に問いかける
「好きだったんだ,止められなかった」
それで弟はこんなに酷いことをしたのだろうか
好きという言葉だけで全てが許される程,この世の中は甘くない
弟だってそれぐらいは分かっている筈だ
分かっていて行動したのだ

 拓海に自分を刻みつけるために
 自分を忘れさせないために

涼介はぎゅっと拳を握り締めた
今は弟を責めている場合ではない
弟が拓海に魅かれていることには気がついていた
気がついていながら対策をこうじなかった涼介にも責任がある
大切なのは拓海の体と心だ
男に犯された事でショック状態に陥っている
弟をなじる暇などない
「拓海の手当をする,お前は外に出ていろ」
兄の言葉は命令だった
弟は唇を噛み締めて耐える
啓介はのろのろと立ち上がって部屋を出ていった
涼介が救急箱から薬を取り出す
拓海の体を包むシ−ツを剥がそうとするとおびえた視線があった
「やだっやあぁっいやあぁ」
「大丈夫,拓海,酷いことはしないから」
「やあっやあぁ」
「痛くなんてない,手当をするだけだ」
泣き叫ぶ拓海を抱きしめて涼介は囁いた
落ち着くまでずっと抱きしめて,子供に対するように背中や髪を撫でてやる
自分は弟とは違う
拓海を傷つけたりしない
二度とこんな目にはあわせない
「大丈夫,もう大丈夫からね,俺がついている」
 何度も耳元で繰り返す
「守るから,俺が拓海を守るから,許して欲しい」
涼介の言葉の意味は拓海には届かない
 今の拓海は信じていた相手に裏切られたというショックで何も信じられなくなっている
「大丈夫だよ,俺がいる」
涼介は根気強く拓海に囁いた

 弟は愛するものを壊す罪を背負った
 兄は愛するものを守れなかった罪を負っている

 

 

 


[高橋 啓介]

 あの日,俺は責任をとるためにプロジェクトDを抜けると兄に告げた
その時の兄の表情を忘れられない
兄が俺に怒りを見せたのは最初で最後である

 拓海の手当をしてから部屋を出てきた涼介は居間にいる弟に声をかけた
「コ−ヒ−でも飲むか?」
兄は何も聞かない
全てお見通しなのだろう
俺の気持ちも,拓海の気持ちも
「兄貴,俺,プロジェクト抜けさせてくれ」
啓介がぼそりと呟いた
兄と一緒にどこまでも高みにいきたい
走りで頂点を極めたい
それは啓介の野望であり,いきがいであった
 だが,啓介と一緒では拓海が走れない
あんな事をしてしまってからもダブルエ−スとして走ることなど拓海には無理だろう
エ−ス同士の確執のあるチ−ムなど,問題が多すぎる
必ずそれは走りに影響する
「俺は,どこかで走る,だから」
「啓介っ」
兄の声に啓介は全身総毛だった
冷たい,感情のこもっていない声
顔をあげると兄と視線があう
ぞっとした
兄は一度だってこんな目で俺を見たことがなかったのに怒りを内に秘めた強い視線に俺は動くことが出来ない
「拓海に対して謝罪をしたいというのなら,お前は走るんだ,多分拓海はしばらく走れなくなるだろう,ショックが強すぎた.だが必ず俺がプロジェクトに復帰させてみせる,一カ月以内に,必ずな,だから啓介,お前はその間拓海の分まで走って勝ち続けなければいけない,
ダブルエ−スの片割れの分も,ダウンヒルもヒルクライムも全てだ」
兄は俺に走れという,拓海の分も
「遠征先の予定は変えない,拓海の下りとお前の上りがあっても勝つのは難しい相手ばかりだ」
勝ち続けて拓海の帰りを待て,それから謝罪しても遅くない と兄は言う
「・・・わかった」
啓介が了解すると兄は弟にコ−ヒ−を差し出した
「今日はもう寝ろ,拓海も薬が利いて今は客室で眠っている」
「兄貴,拓海の顔みてもいいかな」
兄は首をふった
「止めておけ,見ればお前は自分を責めるだろうから」それでもいい,会いたい,という言葉を啓介は飲み込んで自室へと戻った
[藤原 拓海]

 うとうととしながら拓海はずっと考えていた
「どうして?」
どうして啓介さんはあんな事をしたんだろうか
同じ男同士でおかしい,
「そんなに俺のことが」
憎かったのだろうか
 ダブルエ−スの片割れとしてライバルだと思っていたのに
啓介さんはぶっきらぼうで口が悪くて恐いけれど,俺に対して本質では嫌っていないと思っていた
啓介さんの気遣いを感じていたしいつもライバルとして意識されているというのも肌で感じていた
ずっと啓介さんは俺を見ていてくれたのに
そう信じていたのに
 何故?ずっとその疑問が離れない

 嫌われているなんて信じたくない
あの人が俺を嫌うなんて
「啓介さん」
どうして嫌われてしまったのだろう
あんな事をあの人にさせるくらいに俺は憎まれていた
その事実が俺を苦しめる
「どうして?」
憎まれていたのにに気がつかないでいた
いつきが言うには俺は鈍感らしいから
「啓介さん」
涙が止まらない

 薬でぼんやりとした頭で啓介さんの事ばかり考えている ずっとずっと考えた
それで気がついたことがある
「俺は,啓介さんの事が必要なんだ」
とても大切な存在
お互いにお互いを高めあえる大切な人
啓介を失うことなんて考えられない

 ガタンッ
小さく音がして涼介が部屋に入ってきた
「拓海,起きている?」
こくりと頷くと涼介が薬を取り出した
「夜になると熱があがるからね,これを飲んでおこうか」涼介が薬を飲ませてくれる
「あっ啓介さんは?」
「もう寝たよ,拓海,あいつを許してやってくれ」
悲痛な表情の涼介を拓海はぼんやりと見つめた
 涼介は何を許せと言っているのだろうか
[高橋 啓介]

 拓海はとりあえず気持ちが落ち着くまでプロジェクトを休むこととなった
拓海が大丈夫なつもりでも,不安定な気持ちで運転すると事故の原因にもなりかねない
涼介がいい,と判断するまで拓海は峠にでてくることを禁止された

 啓介は勝ち続ける
勝つことが唯一の償いだから,負けるわけにはいかない拓海に会いたかった
もうすぐ一カ月が過ぎようとしている
兄の約束は一カ月だった
啓介は兄との約束の通り勝っている
拓海はどうしているだろうか
 兄は毎日拓海と会っている
そしてその事を啓介に報告してくれた
だから我慢しろ,がんばれと兄は言う
もうすぐ拓海は立ち直るからと
「会いたいな」
さけずまれるのは当然だと覚悟していた
あの気の強い少年はきっと啓介のことを罵倒するだろうそれでもいい
会いたかった
あの鳶色の瞳が憎しみであったとしても啓介を映してくれるのを今は望んでいる
「拓海,あいてえよ」
胸が痛い
あんなことをしてしまったのに気持ちが拓海に向かってしまう
もう無理だということは分かっているのに気持ちが暴走してしまう
 毎晩拓海の夢を見た
 最初で最後のあの時の夢
泣き叫ぶ拓海が愛しくて愛しくて涙が出てくる
強姦だとしても一つになれた事が嬉しくて堪らなかった俺は最低な男だ

 秋名のハチロクが帰ってきた
その噂は走り屋中を駆け回る
涼介に付き添われるようにして,拓海はひっそりとたっていた
少し痩せたかもしれない
「心配したんだぜ」
「もう大丈夫なんだろ」
メンバ−が口々に声をかける
拓海ははにかんで答えていた
 メンバ−には拓海が体を崩して休んでいることになっている
ありがちな病名を涼介がさもありなんと語ったので誰も疑わなかった
 胸が高鳴る,拓海がいる
啓介はすっと拓海の前にでた
「拓海」
声をかけるのが精一杯だ,胸が痛い
「すいません,ずっと休んでいて」
 拓海はずっと下を向いたままそう答えた
拓海の指先は涼介の腕を掴んでいる

 プロジェクトの次の遠征先の説明を涼介から聞きながら啓介は傍らの拓海に意識がいってしまうのを押さえられなかった
拓海はじっと顔をふせて何かメモをとっている
啓介と拓海はダブルエ−スだから当然席も隣同士で,拓海の動作がよく見えた
指先が震えている?
啓介がその事に気がついたのは説明の中程のことであるペンを持つ指先が震えていた
密かに汗をかいている
「拓海,調子悪いのか?」
小声で話す啓介に拓海は大丈夫だと言った
 だが顔はふせられたまま,
一度も啓介の方を向こうとはしなかった
 何故拓海が震えていたのか
それに思いついて啓介は呆然となる
拓海は怯えていたのだ
 啓介に対して
拓海は一度も啓介の方を見なかった
怯えているから

 プロジェクトのミ−ティングが終わり,各自が家へ帰っていく
結局一度も視線をあわせることのないままであった
話しをしたい,と思ったのだがそれは兄に止められる
夜,俺の部屋にきた兄はどこか辛そうに見えた
 兄は言いにくそうに残酷な拓海の言葉を伝えてくる
「拓海な,お前のことが恐いんだ,まああれだけの事があったのだからある程度は仕方ないんだろうが,
お前の視線が恐いと言っていた 恐くて堪らないと」
言っている意味がわかるな,兄はそれだけを言うと部屋を出ていった
 ベットにうずくまって俺は慟哭に耐えた

 拓海を見るな,と兄は言う

拓海が怯えるから,拓海のために見ないでっやってくれ 辛い,見ることすら許されないのだろうか
これが罰なのだろうか
いったいどれくらいつぐなえば許されるだろうか


 カインいいけるは我が罪はおおいにして負うことあたわず,みよ,汝今日この地の面より我を追い出したもう我汝の顔を見ることなきにいたらん
我,地にさまようさすらい人とならん,およそ我にあう者我を殺さん