「人でなしの恋」


 あれは何年前の事だったのだろうか
確か息子は小学校の高学年だった筈だ
あれさえなければ普通の親子関係のまま終わっていたのかも知れない
今はもうそんな事はどうでもいいことだが

 藤原文太は妻を12年前に亡くした男やもめだ
妻の忘れ形見の息子,拓海と二人,豆腐屋を営んでいた


「藤原君のお父さんですか,すいませんがすぐに学校の方へ来ていただけないでしょうか」
 夕方に一本の電話が入った
拓海の通う小学校の担任からであった
こういう電話にいいことがあったためしがない
 喧嘩でもしたのだろうか
文太は前掛けを外すと車に乗り込んだ
 息子はどちらかといえばひっこみ思案で喧嘩などするタイプではない
片親だけだったのが原因なのか無口で存在感の薄いタイプだ
その息子がもめ事に巻き込まれ,担任からの電話があったという
 嫌な予感がする
文太はハチロクを運転する手に力を込めた

 担任は酷く恐縮していた
「私の力不足のせいでこんな結果に・・・」
謝られたとしても困る
担任のせいではない
子供のいたずらだったのだ
たまたまその標的に拓海が選ばれただけの事
子供は好奇心から残酷なことをする
非力な子供がそのタ−ゲットに選ばれる
何故,拓海がという怒りはあるが忘れなければいけないあれは事故だったのだ

 拓海は休学をして家にいる
家で手伝いをしている
俺は口が達者ではなかったから,拓海も口数の多い方ではなかったから,もくもくと豆腐を作る
 物を作ることで,身体を動かすことで,拓海の傷が癒えればいいのだが
俺は無器用だから上手く言葉にすることが出来ない

 8時に拓海は寝床に入る
2階の部屋で寝ている
俺は1階でビ−ルをちびちびやりながらテレビを見る
チビチビッチビチビとやりながら
二階の拓海が声を殺して泣いているのを知っている
知っているけれどどう接していいのか解からない

「親父っ助けて」
息子の悲鳴が聞こえる
「いやだっやめろっいや」
哀れだと同情するには辛すぎた

 このままではいけない
拓海はどんどん無気力になっている
親として話し合う必要がある
出来るだろうか
親として何を今までしてきてやれたのか
母親が死んでから,上手にかまってやることも出来なかった,
甘えたい年頃の息子をほっておいた
自覚があるだけにどうしたらいいのか解からない
だが話し合わなければ 拓海の将来のために

 11時頃であろうか,
拓海の部屋の前にいくと泣き声が聞こえた
扉を叩いて声をかける
「拓海,はいるぞ」
返事は無い
開けると窓を開けたままで拓海はうずくまっていた
 窓からは月が見える
「拓海,あのな,もう忘れちまえ,あれは事故だったんだ,犬にでもかまれたと思って」
拓海がきょとんとした顔で文太を見る
「親父は.犬に噛まれた事を忘れられるの?」
「ああ,忘れるな,俺は」
拓海は顔を伏せて肩を震わした
「俺は,忘れられない,恐いよ,親父」
「そのうち忘れる,時が立てば」
「そうなのかな,でも今はすごく恐い,思い出すと恐くて叫びそうになる」
 息子の恐怖が感じられて文太は霧消に煙草が吸いたくなった
「あいつ,言ったんだ,俺のこと好きだからこういうことするんだって,そうなのかな,好きならああいう事してもいいのかな」
文太は言葉を詰まらせる
「俺,親父の事好きだ,すごく,一番好き,あれからずっと考えていた,あいつが言っていた事」
息子の瞳が文太を捕える
「あいつが言っていた事が本当なら,なんで親父は俺にしてくれないんだろうって」
「・・・拓海」
 拓海は俺に愛されていないと思っている
母親がいなくなって,息子にどう接していいのか解からなかった
かまってやらなかった
愛していたけれど,どう表現したらいいのか解からなかったのだ
今となっては言い訳にしかならない
息子は親の愛情を疑っている
どうすれば息子を救えるのだろうか
「親父,好きだよ,大好き,だから親父も俺のことを見て,お願い」
拓海が,たった一人の息子が俺に選択を強いてくる
 拓海を救うためならば俺は地獄に落ちよう

「なんでこんなことするの?親父」
拓海の素朴な疑問に文太は答える
「おまえのためだよ」
文太はそういいながら拓海の両手を縛る
「なんで?」
あどけない顔で文太に問いかける息子にそっと微笑みかけてやる
そういえば息子に笑ってやった記憶など無かった
いつも皮肉気に笑うだけで,向き合っていなかった
 今からでも遅くない
「親父っ好き」
拓海のために,文太は拓海の抵抗を塞ぐ
いつか拓海がこの行為を後悔した時に,あれは縛られての無理矢理の行為だったと言い訳が出来るように
 決して人間として侵してはいけない領域がある
しかし,そんなことはどうでもいい
俺は息子を救わなければいけない
この世で一番大切な,たった一人の拓海のために
 文太はゆっくりと身体を進めた

 拓海がハチロクを運転するようになったのはそれから一年後のことである

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