世の中には決して近づいてはいけないものというのが確かに存在する。
どんなにそれが魅力的であったとしてもそれに近づいたら今までの自分とは違う別の己に気がついてしまうから
。気がついた時には既に遅く、それの虜になって身も世もなく恋こがれるただの男に成り果てる。
だというのにそれは何故男達が狂っていくのか解かろうともしない。
確かに世の中にはそういう人種が存在する。
人はそれを悪い奴と噂しあう。
高橋涼介が初めて藤原拓海と出会ったのは初夏の秋名峠であった。
関東でも有数を誇るレッドサンズという走り屋のチ−ムを束ねる彼は仲間の間でも世間の評価でも最高レベルのドライビングテクニックを持っている。
「あ−ああっ全くやってらんないよな」
追っかけの女の黄色い悲鳴を浴びながら涼介は親友の言葉に苦笑した。
「涼介ばっかりもててなあ、こんな冷たい男のどこがいいのかねえ」
レッドサンズの広報部長を努めてくれる史浩がため息をついた。
高校からの涼介とのくされ縁で今はレッドサンズのまとめ役をかってでてくれているありがたい奴だ。
「みんな俺の外見に騙されているだけさ、アイドルとかに憧れるのと一緒だ」
「実際のおまえを知ったら人でなしと思うだろうにな」史浩の言葉に涼介は微笑を返す。
「そうっその顔にみんな騙されるんだよ、そんな人畜無害の紳士な面しているから可哀想な犠牲者が増えるんだぜ、ああ世の中馬鹿ばかりだ」
「そうかな?」
「悪い奴ってのはお前みたいな奴をいうんだぜ、犯罪を犯した奴とかってのは可愛いもんだ、
自分で手を下しているんだからな、本当に悪いのは自分は動かなくても回りを動かしてしまう涼介みたいな奴のことを言うんだ」
史浩のぼやきに涼介は少し困った顔をした。
「ほら、今日の主役が呼んでるぜ」
涼介の言葉に史浩が啓介のもとへと走っていった。
胸元から煙草を取り出して火を付ける。
史浩は弟にまた無理難題を吹っ掛けられて困っているようだ。
弟、涼介の二つ下の啓介はレッドサンズの特攻隊長として腕を上げている。
その弟が今はまっているのが秋名のハチロク。
聞いた話ではこの秋名でちぎられたらしい。
しかも慣性ドリフト。
旧式のハチロクで啓介のFDを突き放せるという話に涼介は興味を魅かれた。
医大の方が忙しいというのに時間を作って出てきたのはこのハチロクを見るためである。
23歳で大学院の方も最終段階に入り、涼介は走り屋の第一線を弟に譲っていた。
だからこのバトルも自分はあくまで傍観者のつもりだ。どんな相手がそのくだんのハチロクなのか。
単なる野次馬根性だが気分転換にはなるだろう。
涼介は大きく紫煙を吸い込んだ。
驚いた。
この高橋涼介をここまで驚かせたのはこの少年が初めてだろう。
免許も持っているのか怪しい年齢に見えるこの少年はこともあろうか涼介譲りのドライビングテクニックを持つ啓介を7秒差でぶっちぎったのである。
信じられない光景を目の当りにさせられて涼介は胸が騒ぐのを感じた。
「藤原、拓海か」
時間ぎりぎりに現れた彼はこの状況をよく理解していない様子だった。
ほっそりとして中性的な肢体にあどけない表情からは信じられないドリフトで観客を魅了する。
会った瞬間に涼介は拓海から眼が離せなくなった。
じっと彼を観察する。
初めて見る顔だった。
もし峠で彼を見たとしたら涼介の卓抜した記憶力で絶対残っている筈だ、
何故なら彼は周囲から完全に浮いていたからだ。
彼は走り屋の世界の持つ独特の雰囲気を持っていなかったところからバトルに慣れていないのが解かる。
涼介をいらだたせたのは拓海を檄視しているにも関わらず彼は一度も涼介に視線を向けなかったから。
涼介の視線を無視したのは彼が初めてであった。
藤原拓海は一度も涼介を見ようとしなかったのだ。
それは思いも寄らず涼介のプライドを痛く傷つけた。
そのドラテクに魅了されると同時に藤原拓海の人となりにも興味を持つ。
大学での忙しい生活の気分転換になりそうなおもちゃだ。
涼介は再び拓海と会うことを考えて頬を緩めた。
しかし涼介がアプロ−チをかけるより早く啓介が動いたのだった。
自室でレポ−トを作成してい涼介のもとへ啓介が入ってきた。
朝の5時を過ぎていて涼介は徹夜の疲れで苛立っていたのだが話を聞いてますます苛立ちが酷くなった。
「俺、今日あいつに会ってきたぜ」
啓介の言葉に涼介は手を止める。
「あいつ、中里とバトルするっていうから激励に行ってやったのにふざけてやがる」
「なにがだ?」
「車嫌いなんだってよ、自分は走り屋じゃねえとかいいやがった」
啓介は煙草に火をつける。
涼介は顔をしかめたが止めなかった。
「中里とのバトルもやる気がないってよ、何考えてるんだかわかんねえ」
「バトルをやるつもりが無い?あれだけ派手に挑戦されておいてか?」
「そうらしいぜ、バトルなんか興味ないらしい。あれだけのテク持っていながらなんて奴だ」
涼介は深く考え込んだ。
「でもあいつは絶対バトルするぜ、賭けてもいい。俺には解かるんだ、あいつは自分に気がついていないだけで本当は車が好きなんだ、」
啓介が熱く言い募る。
「あいつとバトルした俺だから解かるんだよ、あいつは車が好きなんだ、あいつは俺のライバルになるぜ、兄貴」
涼介が視線を上げた。
啓介と真向から向き合う。
「あいつは俺とずっと走っていく奴だ。おいつは俺のもんだ、初めて見た時から感じていた、こういうのも一目ぼれっていうのかな、なあ兄貴」
啓介の質問に涼介は答えられなかった。
藤原拓海、まだ18歳の若葉マ−クでありながらあのドライビングテクニック。
一目見ただけで走り屋を虜にする華を持っている。
ただ一度FDとバトルしただけですでに話題の中心となってしまった彼。
こんなに好奇心を刺激された相手は初めてだ。
何が彼をここまで育てたのか涼介は興味がある。
彼の走りに、いや彼の全てのデ−タ−が欲しい。
高橋涼介が取り組んでいる公道最速理論に必要な素材だからか?
それだけでは説明のつかない何かが涼介を支配する。
藤原拓海の横顔、肢体、瞳、流れる髪の一つ一つが涼介の思考を独占するのだ。
一度会っただけの相手、しかも相手は涼介を見なかったというのに涼介は拓海の事しか考えられなくなってしまっていた。
酷い事だと思う。
一方通行の思い。
この高橋涼介に対してこのような仕打ちをした藤原拓海を憎くさえ思う。
「しかしもうすぐだ、お前は俺と出会う、その時には無視などはさせない、俺のものにしてやる」
涼介は低く呟いた。
「光栄に思うんだな、藤原拓海」
今はまだ二人は出会っていない。
結局中里とのバトルはハチロクの勝利で終わった。
周囲はますますハチロクに熱を上げている。
啓介は毎晩のように秋名に出かけていって藤原拓海と会っているらしい。
初めは帰ってくると苛ついて当たり散らしていた啓介が段々上機嫌で秋名に出かけるようになるのを涼介は見詰めていた。
「拓海さあ、結構可愛いんだよ、最初は生意気な奴とかって思ったけどよくよく付き合ってみると素直だし懐かれると悪い気はしねえよな」
「もう藤原拓海と仲良くなったのか」
「ああ、毎日秋名詣でをしていたかいがあったぜ、朝の4時に峠で待っていると配達終えたあいつがダウンヒルしてきてさ。時間は無いけれど少しは話できるぜ」
「配達?」
「拓海ん家は豆腐屋やっているから毎朝峠を配達するんだってよ、だからあの驚異のドリフトが出来るんだぜ」
「豆腐か、確かにシビアな荷重コントロ−ルが必要な商品だ」
啓介が自分の事のように自慢した。
「あいつ豆腐乗せてドリフトするんだぜ、すげえよな、さすが俺の拓海だぜ」
涼介は沈黙するしかない。
完全に弟に先を越されていた。
否、最初にバトルした時から弟が先行していたのだ。
気がついていたがそれに対処しなかったからこの状況は仕方ない。
しかし涼介はきつく唇を引き締めた。
正直言って涼介はこの感情を持て余していた。
藤原拓海の事が頭から離れない。
何故、こんなに気にかかるのか?
藤原拓海と初めて向かい合ったのは秋名の峠であった
。涼介が送った挑戦を受けてここにいる拓海。
拓海が涼介をその瞳に捕えた。
瞬間、火花が散るのを涼介は感じる。
焦がれた熱い視線、
藤原拓海は戸惑っているように見えた。
そのまま啓介に視線を泳がす。
「大丈夫だ、拓海、お前はいつもの走りをすればいいんだぜ、俺がついててやるから」
涼介の横で啓介が告げた。
その言葉に拓海はほっとした表情を示す。
たったこれだけの短期間で拓海を懐かせた啓介を憎くさえ思っている事に涼介は苦笑した。
この少年には自分のペ−スを崩されてばかりだ。
藤原拓海はちょっと啓介に向かって微笑んで涼介と向き合った。
その微笑みに涼介は眼を奪われる。
「藤原拓海か噂ばかり聞いていたがちゃんと話をするのは初めてだな、俺は高橋涼介、赤城でレッドサンズというチ−ムをやっている」
拓海は頷いた。
「知ってます、啓介さんのお兄さんでしょ、啓介さんは会うたびにいつも涼介さんの事を自慢しています」
「・・・そう、バトルの方法は解かっているね」
涼介はFCに乗り込みながら確認した。
「バトルが終わったら拓海といろいろ話をしたいな、もちろん拓海がよければだが」
拓海は少し赤くなって小さな声で答える。
「はい、啓介さんも終わったら食事に三人で行こうと誘ってくれているんです」
「ふうん、啓介もね、それじゃあそろそろバトルを始めようか」
「はい」
そしてその晩、高橋涼介の連勝記録はストップした。
藤原拓海は勝ったというのに少し泣きそうな、戸惑った顔をしていた。
「俺、勝ったなんて思っていませんから」
涼介を気遣った言葉なのかは解からないがその台詞がどれほど涼介を傷つけるか気がつかないのか。
涼介に勝ったことを誇ればいいのに何故そんな辛そうな顔をしているのか。
「お前、面白い奴だな、藤原拓海、気に入ったよ」
三人でその後食事でもしようという約束はとてもそんな気分になれなかった。
涼介は自室のベットに横たわって宙を見詰める。
あれから後、啓介は拓海を誘ってどこかへ出かけたのだろうか。
二人きりでどこへ?
ふと痛みを感じて指を口元に向けるとそこには血が滲んでいた。
きつく噛み締めすぎていたらしい。
啓介はその晩、帰ってこなかった。
まさかあの兄が破れるとは思わなかった啓介は呆然としていた。
藤原拓海、俺が負けた相手、驚異のダウンヒルキラ−、その正体はまだ18歳の男子高校生だ。
啓介は秋名で負けたにもかかわらずすっかり拓海の事を気に入ってしまった。
毎日の秋名詣でのかいあってかやっと拓海は懐いてくれたのだが。
懐かれすぎるのも心臓に悪い。
FDで出掛けた帰りに横で寝つかれてしまうと心臓どころか体中に血が流れ込んでくる。
薄く開いた唇が誘っている。
拓海が寝ているのをいいことに何度も口づけたのを拓海は知らない。
啓介の心を独占している拓海が啓介の尊敬する兄を破ったのだ。
複雑な気分で啓介はその晩家に戻らなかった。
涼介の顔を見ることは出来なかったし、拓海に会うのもはばかられた。
峠の夜空の下、興奮から家路につかないギャラリ−に紛れて啓介は思考を張り巡らせる。
「兄貴と拓海か」
ふ−っと紫煙を吐き出して啓介は一人ごちた。
兄が拓海に対して密かに執着していることはすぐに気が付いた。
いや、初めて見た瞬間から涼介の心は拓海に独占されているのだろう。
すぐ近くにいたから気が付いた。
それは自分が拓海に対して持った感情と同じだったから。藤原拓海、変な奴だった。
あのドラテク、見たものを夢中にさせる走り、
それに眼を奪われるのは素人だ。
あいつの本当の恐ろしさをみんな解かっていない。
気が付いたのは兄と俺だけだ。
アンバランスな存在。
細い、女のような体つきと顔をしていながら中身はしっかりと男で、それが支配欲をそそる。
あの表情で懐かれたらどんな男でも落ちるんだろう。
自分のものにしたくなる。
激しい独占欲。
「誰にも渡したくねえ」
正直いって兄とバトルすると決まった時に感じたのは嫉妬だった。
兄と拓海がバトルする。
噂だけで会ったことがない二人。
その二人が出会う。
これまで兄に魅かれない人間はいなかった。
複雑な気持ちだ。
走り屋としてこの群馬最高の二人のバトルを見たいという気持ちとこの二人を会わせたくないという嫉妬。
兄が負けるとは思えないし拓海が負けるところも想像出来ない。
苛立ったままバトルは始まり、兄が負けた。
これがどういう展開になるのか解からないが兄がこの一件で拓海に対して本腰をいれてくるだろうことは間違いない。
「負けるかよ」
啓介は煙草を投げ捨てて踏みにじる。
兄と争うなんて考えた事もなかった啓介だが
「俺はマジだからな、負けられねえ」
そうだ、拓海と初めてバトルしたのはこの俺だ。
他の奴には渡さない。
例え兄でも。
これから先の事を考えて啓介は眉をしかめた。
家に戻ってからも拓海は興奮して眠れなかった。
「高橋、涼介さん」
涼しい顔をして他者を圧倒するその瞳に拓海は見惚れた。
「かっこよかったなあ、さすが啓介さんのお兄さんだけあるや」
啓介は拓海のどこが気に入ったのか休日のたびにいろいろな所へFDで連れていってくれた。
ジムカ−ナやサ−キットにも連れていってもらったが拓海は面白いとは思ったが
それは一般の男の子が夢中になるたぐいの物で啓介が期待していた走り屋の反応とは違ったが、それでも十分に楽しんだ。
こんな風に拓海に接してくる啓介をいつしか拓海は兄の様に慕っていた。
啓介は見た目同様激しい気性で、初めは拓海とも気が会わないと思ったのだがそれは間違いであることにすぐ気が付いた。
啓介は優しい。
荒々しい言葉や行動で隠していてもそれは滲み出てくる。啓介の強い意志を持った視線が拓海を見る時だけ和らぐのが好きだった。
「なんか、啓介さんに会いたいかも」
むしょうに啓介に会いたくなる。
会って今日のバトルについて話を聞きたかった。
そうすれば安心できる。
この興奮とは別のところにある不安感から逃れられる気がして啓介の携帯を鳴らしたがそれに相手が出ることは無かった。
「話をしたいと言っただろう、拓海」
学校の帰り道、浚うようにして涼介は拓海を自分のFCに連れ込んだ。
拓海は驚いていたようだが素直にナビシ−トに座る。
エンジンをかけながら涼介は拓海を観察した。
しなやかな細い体を隠している学生服から彼が本当に高校生なのが解かる。
「まさか本当に高校生とはね、信じられなかったが」
涼介の言葉に赤くなる拓海。
「いつ免許を取ったの?あのテクニックはどこで教わったのかな」
拓海は困った表情で涼介を伺う。
本当の事を話していいものか悩んでいるらしい。
「食事をしようか、拓海は付き合ってくれるかな」
「・・・はい、あの、啓介さんは?」
あどけない表情で弟の事を聞いてこられた瞬間、涼介は怒りが込み上げてきた。
それを拓海に知られるほど初ではないが。
「もちろん呼び出すつもりだよ、三人で話しをしよう」
その言葉に安心したのか微笑む拓海に涼介も微笑み代えす。
「三人でね、拓海」
連れてこられたのは閑静な住宅街にひっそりと立っている個人の家を改造したレストランであった。
知る人ぞ知るといった風情のそこは涼介のお気に入りの場所である。
ガイドには乗っていないが関東でも有数のオ−ベルジュであった。
アペリティブから始まり白ワインと続く。
涼介に進められて拓海は断わりきれなかった
「遅いですね、啓介さん」
時計に眼をやりちょっと心配そうに拓海が言う。
「渋滞に巻き込まれているのかな、失礼」
涼介は席をたって電話をかけにいく振りをする。
携帯を鳴らす仕種をしながら涼介は横目で拓海を観察していた。
酔いのためか目許がほんのりと赤くなっている。
唇がロゼに濡れているのがそそられた。
「やはり連絡がつかないな。場所を代えて啓介を待つとするか、拓海は時間大丈夫かな」
「はい、明日は配達もないし、遅くなっても大丈夫なんです」
「それだったらもう今日は泊まっていかないか、未成年の拓海にここまで飲ませてしまったからね、親御さんに叱られてしまう」
涼介の神妙な言葉に拓海が笑った。
その表情に涼介は眼を奪われる。
「そんな事全然気にしていないのに、俺、親父に電話してきます」
「それならこの携帯を使うといい」
拓海は言葉に酔いが出ないか気をつけながら今日泊まる事を親に告げている。
涼介はその間にチェックを済ませた。
前橋にある外資系のホテルを予約してある。
今からいけば11時にはチェックインできるだろう。
(そう、それでいい、拓海)
涼介は自分の予定通りに事が進む手応えを感じていた。
「りょうっすけさん?」
薄暗い室内で拓海は眼を覚ました。
一瞬どこにいるのか解からずきょとんとした表情に涼介は愛しさが込み上げてくる。
「拓海は寝てしまったんだよ、少し飲ませすぎたかな」唐突に拓海が跳ね起きた。
「すいませんっ俺ってば」
「いいから、まだ残っているんだろう、そのまま横になっていて」
拓海を横たえさせる。
「啓介さんは?まだ来ないんですか」
あどけない拓海の残酷な質問。
「啓介は来ないよ」
「えっまだ渋滞に捕まっているんですか?」
初で無垢な拓海。
クスリと涼介が笑った。
まるであざ笑うかのようなその微笑みに拓海は背筋が寒くなる。
「啓介は来ない、今頃は赤城の峠で仲間達と走りこんでいるだろう」
「・・・どういう事ですか?」
涼介は拓海の方へゆっくりと顔を向ける。
感情の抜け落ちたようなその顔に拓海は動けない。
「そんなに啓介が気に入ったのか?拓海はああいう男がお気に入りなのかな」
何を言われているのか解からず拓海は顔を顰めた。
「俺なら拓海に啓介よりもいろいろな事を教えてあげられるよ、ねえ拓海」
涼介の手が伸びてきた。
恐くて、何故だか恐くてたまらずに拓海が後ずさった。「わかんないよ、涼介さん、なんで怒っているんですか」「俺は怒っていないよ、拓海に怒る訳ないだろう」
確かに涼介は笑っている。
笑っているがそれがどういうたぐいのものか拓海には解からない。
「いやだっ」
涼介の手を払いのけると拓海はベットから立ち上がろうとした。
涼介はじっと払われた自分の手を見詰めて、拓海を見つめる。
「あっごめんなさいっでもっ俺帰ります」
「まさか本気で帰れると思っている訳じゃないだろう」「涼介さん?」
ジャケットを脱ぎながら涼介は拓海に覆い被さってくる。「子供じゃないんだから察しは着くだろう」
「なにを?」
無垢で無知な拓海、その全てが愛しい。
「可愛いね、まさか初めてとか?」
「なにをですか?」
「教えてあげると言っただろう、啓介よりもずっと丁寧にね」
拓海の悲鳴は涼介の唇によって塞がれた。
ねっとりとした舌が拓海の口腔を犯す。
驚きのあまり口を閉じるタイミングが遅れた拓海の口腔に深く涼介の舌が入り込み撫で上げる。
何が起こったのか解からないのか拓海は抵抗を忘れて涼介にされるがままになっていた。
口付けによる快楽を拓海に教える事に涼介は夢中になっていた。
腰を引き寄せて体を密着させる。
「あっあぁ」
切れ切れに漏れる拓海の吐息すら愛しくてたまらないという風に涼介は激しく舌を吸い上げた。
涼介の蜜を口移しに流し込むと拓海はこくこくとそれを飲み下す。
「やっああっ」
密着した下半身から拓海が高ぶり始めたのを感じて涼介は喜びに震えた。
それを解からせるように更に腰を引き寄せると拓海が耳朶まで真赤になって答える。
舌で存分に愛撫してやり拓海をあおる。
「あ−っああんっはあぁ」
耐え切れすに拓海が逐精するのと涼介が舌を絡めたのは同時であった。
何が起こったのか解からない様子で拓海が荒い息を付いている。
ジ−ンズに憂き出た染みを撫でながら涼介が拓海に笑いかけた。
「キスだけで感じちゃったの?」
「やっやだっ」
そこを撫で上げながら涼介は言葉を続ける。
「可愛いね、拓海」
拓海はいやいやと首をふって抵抗を示した。
「もうっこれで気がすんだでしょう、離してください」
「まさか拓海はこれで済んだと思っているわけじゃないだろう」
「やだっもう嫌です」
拓海の抵抗をものともせずに涼介はその肢体を隠している邪魔な衣服を取り除いていく。
「教えてあげるといっただろう、車の事も、それ以外の事も全て」
胸の果実に唇が下りてきた。
「ああっいやっやだっああっ」
どうやらここは拓海の性感帯の一つらしい。
涼介は唾液で濡れすぼるまでそこを責め立てた。
赤くぷっくりと立ち上がったそれは涼介の官能を刺激してくる。
また拓海の下半身が育ってくるのが解かった。
徐々に涼介の唇が下りてくる。
「やだっもうやめろっお願いっやだよっ涼介さん」
足をばた付かせる拓海。
やっとここまで来て涼介の真意が気が付いたらしい。
「ふざけんなよっ俺は男だよ、涼介さんっやだっ」
拓海は涼介の隙を付いて思い切り腕を振り上げた。
ガキっ
鈍い音がして涼介の顎に拓海の拳がヒットする。
痛みに顎を押さえる涼介の下を這い出して拓海はドアに走りよった。
「やだっ離せっ」
拓海の腰に手を回して涼介が捕える。
まるで子供のように抱え上げられてベットに連れていかれた。
ドサっと荷物の様に放り出される。
「何する気だよっやめろよっ気違い」
拓海の抵抗など何の役にも立たない。
それでも拓海は抵抗することを止められなかった。
ここで諦めたら涼介の言いなりになってしまう。
手首はまとめて上に括られる。
「やめろっ変態っ気違いっ」
「うるさい口だね」
涼介がハンカチを取り出して拓海の口の中に詰め込んだ。「ん−っんんっ」
首を振って逃れようとするがそれを涼介は許さない。
「可愛い声を出すまで塞いでおこうか」
もう抵抗できるのは両足をばたつかせるぐらいで。
涼介の腹を蹴飛ばそうともがくが次の瞬間拓海の体から力が抜けた。
呆然と眼を見開く拓海に涼介が笑いかける。
「あまり抵抗ばかりされても先に進まないからね、ちょっと足の間接を外させてもらったよ、大丈夫、終わったら直してあげるから、それに痛くないだろう、ちゃんとつぼを押さえたからね」
涼介は丁寧に、まるで宝物の包装紙を開けるかのように拓海のジ−ンズを脱がしにかかった。
「奇麗な色をしている、使い込んでいないようだね」
足を大きく開かされて蕾まで白日の下に晒された。
拓海の目尻から涙が溢れ出る。
(こんな事で泣いたら駄目だっ俺はこんな事で傷ついたりしないっ、こんなの唯の暴力なんだから)
それでも涼介の舌が蕾に入り込んでくると全身に悪寒が走って涙腺が緩んでしまう。
苦しくて息を掃き出したくともハンカチを詰め込まれていてそれすら出来ない。
吐き出されない息が拓海の中に悪いものとなって沈殿していくような感覚。
涼介はそんな拓海の態度に驚いた表情で問いかけた。
「・・・もしかして拓海は初めてなのか?」
首を振ることしか出来ない拓海。
「啓介とこういう事をしなかったの?」
拓海は恐怖で質問の意味が解かっていないようだ。
「まあいい、確かめさせてもらうとするか」
次は指が入り込んできた。
くちゅくちゅと淫靡な音をさせて指が増やされる。
拓海の前は触られていないというのにもう固く張りつめてきた。
「そろそろいいかな、拓海、力を抜いて」
何か熱いものが奥を貫く感覚に拓海の意識はブラックアウトした。
眼が覚めた時には拓海の体は奇麗に清められバスロ−ブを着せられていた。
目の前には涼介が微笑んでいる。
「どうして?涼介さんがここに?」
拓海は混乱しているらしくあどけない質問をしてきた。
「まだ寝ていていいよ」
優しい涼介の言葉にまた拓海はうつらうつらと夢の世界に落ちていく。
涼介によって凌溽の限りを尽くされた拓海の体は発熱していた。
夜中に眼を覚ました拓海に涼介は口移しで水分を取らせていく。
赤ん坊が母親の乳を吸うように拓海は無心で涼介の唇を求める。
朝方には涼介の手当のかいもあって拓海は平温に戻っていた。
「拓海、食欲はある?食べられるようなら少しでもお腹にいれておいた方がいいよ」
涼介がヨ−グルトを差し出してきた。
「・・・もう、いいでしょう、気がすんだですか」
「何を言っているんだい、拓海」
「俺帰ります」
立ち上がろうとした拓海を涼介は押さえつける。
「まだ駄目だよ、大分出血していたし、昨日は38度も熱があったんだよ」
拓海は憎しみの視線を涼介に向けた。
「誰のせいでこうなったと思っているんだっ」
涼介はこともなげに拓海の視線を受けとめる。
「拓海は初めてだったんだね、嬉しいよ」
「嫌がらせにしては手が込んでますね、でももう気は済んだでしょう」
拓海の言葉に涼介は微笑んで恐ろしい台詞を続けた。
「何を言っているんだ、まさかこれで終わりだと思っている訳ではないだろう」
涼介の宣言に拓海は真っ青になった。
そんな拓海に涼介は何枚かのポラロイドを見せる。
「なっなんでこんなものをっ」
そこには拓海の昨晩の姿が納められていた。
全裸でベットに横たわる拓海の赤裸々な姿が全て写されている。
拓海が破り捨てようとするより早く涼介がそれを取り上げた。
「記念写真だよ、よく撮れているだろう」
拓海は震えることしか出来ない。
ただ瞳だけは憎悪に燃えていた。
そんな拓海の視線を愛しそうに見詰めながら涼介は拓海に命令する。
「次の約束は土曜日にしようか、泊まりになるからそのつもりで準備してくるんだよ」
あのバトルの後、涼介は今までにない上機嫌であった。普段は心の機微を悟らせない涼介であるがレッドサンズのメンバ−すらこの涼介の機嫌の良さに気が付く。
「さすが涼介さんだぜ、あんなハチロクとのバトルなんて気にもしていない」
「大物だよな、大体赤城でやれば涼介さんがあんなハチロクなんかに負けたりはしねえんだ、あれは秋名っていう特殊な条件だったらに決まっている」
レッドサンズのメンバ−もこの涼介の態度に頼もしさと信頼を寄せる。
「兄貴、今度の土曜日は来るんだろ」
啓介の言葉に涼介は首を振った。
「いや、俺は止めておく」
「兄貴がいなきゃしまんねえよ、この前のハチロクとの一件でみんな浮き足だっているからな、ここらで一発レッドサンズ健在のところを見せようぜ」
啓介がにやりと笑って指を立てる。
「妙義ナイトキッズの中里か」
「おうよ、再リベンジ申し込まれたからな、また妙義遠征ってのも悪くない」
涼介は真面目な顔をして啓介に向かい合った。
「啓介、はっきり言っておくが俺は峠で負けたから一線をしりぞくつもりだ。
もちろんお前のサポ−トはする。
しかしこれからレッドサンズを引っ張っていくのは啓介、お前の役目だ」
「兄貴が大学で忙しいのは解かっている、じゃあプロジェクトDはどうするんだ」
「もちろんそれはやらせてもらうつもりだ、最高のゲ−ムだからな」
兄はレッドサンズを切り放そうとしている。
(使い古されたおもちゃには用が無いという訳かよ)
啓介はそんな兄の無情さに背筋がぞっとした。
兄にとって物事の基準は必要か否かのどちらかである。必要でなければいつでも捨てられる。
例え兄弟であってもこの兄ならば眉一つ動かさずに捨てるであろう。
そんな兄に魅かれて集まったレッドサンズだ。
これから荒れる事を考えると気が重くなる啓介である。「そんな訳だから俺は週末には出ない、それに外出して泊まりになるだろうから後を頼む」
涼介の言葉に啓介がヒュ−っと口笛を吹いた。
「新しい女かよ、どんなのだ、兄貴が峠を蹴ってまで週末を過ごす奴って」
涼介は笑って答えないが啓介の言葉を否定もしない。
啓介はむしょうに拓海に会いたくなった。
ここ数日、拓海との連絡がつかない。
朝の秋名でも啓介は無視されている。
待っている啓介の前をものすごいスピ−ドで通り過ぎるその車を運転していたのは父親であった。
(何かあったのか?拓海)
兄の上機嫌とともに嫌な予感がする啓介であった。
木曜日の夕方、啓介は拓海のバイトするガソリンスタンドに出向いていった。
もくもくと仕事をする拓海に声をかける。
拓海は啓介の方を向いて、ふいっと視線を反らした。
「おいっ拓海ってば、どうしたんだよっお前感じ悪いぜ」
事務所へ向かおうとする拓海の腕を引き寄せてこちらを向かせる。
そして拓海の表情を見て、啓介ははっと胸を突かれた。拓海の瞳には戸惑いと、そして嫌悪が写っていたからだ。
「手、離して」
拓海の小さな声で囁かれて啓介は弾かれたようにその腕を解いた。
肩が震えているのが制服の上からでも見て取れた。
「バイト、終わるの待っているからさ、いいな」
拓海の返事を聞かずに涼介はガソリンスタンドの前のファミレスに車を向かわせた。
私服に着替えた拓海の姿を見て啓介は顔を顰めた。
前に会った時よりも一回り小さくなっている。
先程肩を掴んだときにも感じたがここまで痩せていたとは、こんな短期間で何故?
拓海は出来るだけ啓介を見ないようにしながらコ−ヒ−を注文した。
「で、なんで俺を避ける訳?俺なんかお前に嫌われるような事やったかな」
心当たりは無いが無意識に傷つけていたこともありえるから啓介は慎重に言葉を選んだ。
拓海は首を振ることで否定してくる。
「じゃあ俺を避けるのは何故だ。理由を言えよ」
拓海は一瞬虚を突かれた様な顔をして黙り込んだ。
こうなると拓海は決して真実を言おうとはしないだろうということは短い付き合いからも啓介は察せられた。
「俺はお前といいライバルになれると思っていたんだがな」
拓海は辛そうな顔をして啓介に信じられない台詞を言ってきた。
「もう会うの止めませんか、俺も3年で受験ひかえていて走り屋なんかに関わっているの出来ないし」
「車に興味なくなったってことか」
「もともと興味なんてなかったんですよ、俺は」
啓介がコ−ヒ−の入ったカップをソ−サ−に叩き付けた。「ふざけろっそんな言い訳を誰が信じるかよ」
茶色い液体がテ−ルに零れ落ちる。
回りの注目が集まった。
皆が興味津々で二人の動向を見ている。
ウエイトレスも啓介の剣幕におびえてテ−ブルに近づこうとしない。
チッと舌を鳴らすと啓介は車のキ−を握り拓海に声をかける。
「ここじゃあ落ち着いて話出来ねえからな、ちょっと走らそうぜ」
そんな啓介の態度に拓海はため息を付くと後を追った。どんなに話をしたくなくとも説明しなければ啓介は納得しないだろう。
拓海は今まで二人でいて楽しかった分、啓介には不実な真似をしたくなかった。
啓介にしては制限速度を守ってFDを走らせる。
行く宛もなくただぶらぶらと車を流れにまかせているうちにいつのまにか行き慣れた峠へと向かっていた。
「ちゃんと訳を言えよ、拓海、何かあったんだろ」
啓介は出来るだけ激情を押さえて声を出す。
「何も、ただ嫌になったんです、車が」
「違うだろ、拓海、はっきり言えよ」
「なにをですか?」
「お前がおかしくなったのは兄貴とバトルしてからだ。そりゃああんなすげえバトルの後だから興奮するのも仕方ねえけれど」
啓介は言葉を続けようとして息を飲んだ。
拓海の眼の色が変わった。
この子がこんな顔をするとは思いもしなかった。
憎しみで殺してやりたいといった表情。
誰に対して。
今の会話で出てきたのは・・・
「兄貴と何があったんだ、拓海」
啓介の言葉に拓海が憎悪を撒き散らす。
「何も無いっあんたの兄貴なんか俺とは何も関係ない」
否定すればするほどそれが真実だと教えてくる。
啓介は路肩に車を止めた。
峠に向かう途中のその人気の無い、街灯もない道筋。
「話せよ、兄貴に何をされたのか」
啓介の言葉は隠された真実を暴き出そうとしている。
「最低っ俺は話すことなんて無いって言っているだろう」
「お前には無くとも俺にはある」
啓介の手が拓海に伸びてきた。
「やめろっいやっいやだ−っ」
手が髪に触れると同時に拓海が暴れ出した。
「拓海っ落ち着けっおいっ」
「いや−っいやっやだぁ−っ」
ひっくひっくと泣きじゃくりながら拓海が車から飛び出そうとする。
ロックを解除するという簡単な事すら思いつかないのか拓海は開かないドアに苛立って拳を叩き付けた。
「拓海っあぶねえからっおいっ」
拳が止めようとした啓介にあたるのもかまわず啓介は拓海を抱きしめた。
「落ち着けっ落ち着けって、大丈夫だ、何もしねえから」
涙をこぼす拓海は見た目より数段幼く見える。
嵐のような激情が去って拓海はしゃくりをあげた。
「俺は嫌だっていったんだ、やめてって言ったのに」
「もう大丈夫だ、俺がいる」
「啓介さんっけいっけいっ」
啓介は拓海の髪に母親のようなキスを降らす。
「すごく恐かった、もう嫌だ、あんなの」
啓介は何も言わずに拓海を抱きしめる。
拓海は震えることしか出来ない。
約束の土曜日。拓海を迎えにいった涼介は信じられない事実を聞かされた。
「拓海なら赤城の峠にいっているぜ、なんか高橋啓介さんとかいう走り屋とな」
涼介の視界が真赤に染まる。
情報を教えてくれた父親に礼を言うと涼介は車を走らせた。
(拓海と啓介が?許さない、そんな事は)
一時間もしないうちに赤城に駆けつけた涼介だが二人の姿は見えない。
「あれっ涼介さん、どうしたんですか、今日は来ないって聞いていたけれど」
レッドサンズのメンバ−が次々に声をかけてくる。
「啓介はどこにいる?」
広報部長の史浩が答える。
「啓介ならさっき連絡があって今日は来ないと言っていたぞ、なんだかわからんが急用らしい」
涼介は唇を噛んだ。
(やられた、啓介は俺がここに来ることを見越していたのか)
拓海を連れて啓介はどこへ行ったのか。
激しい嫉妬で眼がくらみそうだ。
啓介が拓海の体に触るかと考えるだけで胸を掻きむしるような痛みが襲ってくる。
「涼介、どうしたんだ、顔色が悪いぞ」
心配そうに自分を見る史浩、そんなに自分は酷い顔をしているのかと涼介は自覚する。
「俺は啓介に重要な用事がある、すまないが今晩は頼む」
涼介は赤城を後にすると秋名の峠へと向かった。
きっと拓海はそこにいる。
啓介と一緒に。
秋名の峠ではスピ−ドスタ−ズのメンバ−が興奮に沸いていた。
あの高橋啓介が来ているからである。
黄色いFDは目立つことこのうえない。
そして啓介自身もオ−ラを放っている。
「すげえっすげえやっくうう−っ俺今晩秋名に来ていてよかったすよ」
いつきがはしゃぎまくっている。
池谷達も興奮している。
「おいっ拓海、下まで流そうぜ、俺は秋名はまだ全然走り込んでないからな」
お手本を見せてくれという啓介に拓海は苦笑を返す 。その時池谷の携帯が着信音を告げた。
「おいっ池谷っ大変だっ」
健二の携帯からである。
「なんだよ、健二、どうした」
「こっちに白い彗星が来てるんだ、今目の前をFCが上っていった」
「すげえっ高橋涼介も来るのかよっ興奮するなあ」
何も知らずに喜ぶスピ−ドスタ−ズ。
拓海は真っ青になってがたがたと震え出した。
啓介は拓海の肩にかけた手に力を込める。
「大丈夫だって、拓海、俺がついているから」
「うん、解かってる」
啓介の熱さが心強い。
拓海は自分を叱咤した。
いつかは涼介と対峙しなければいけないだろう。
それが思いも早く来ただけの事だ。
解かっていても本能からくる恐怖心は取り払えないが。
サバンナ、FC,RX−7が頂上に止まる。
中から下りてきた涼介は壮絶なほど一切の表情を消し去っていた。
「啓介、話しがある」
まっすぐ啓介に向き合う涼介。
啓介も兄を見詰めると煙草の吸殻を投げ捨てた。
「俺も話しがあったんだよ、兄貴」
兄弟二人が御世辞にもよいム−ドとはいえない風に人から離れた所へと歩いていった。
「なんか険悪な感じじゃん、兄弟喧嘩かな?」
いつきが拓海に囁くが拓海は答えられない。
池谷達も興味はあるが見ることははばかられて世間話しをする振りをしていた。
「話とはなんだ?」
涼介の言葉に啓介はにやりと笑う。
「兄貴から先に言えよ、そのために飛ばして来たんだろ」
啓介の不遜な態度に涼介が顔を顰めた。
「結論から言う、拓海に手を出すな、あれは俺のものだからな」
啓介は煙草に火を付けながら答える。
「前に兄貴に言わなかったか、拓海は俺のものだって、兄貴が手を出してこようと変わらないぜ」
涼介がきつい視線を啓介に送る。
啓介はそれに答えた。
「啓介、俺は昔から物であれ人であれ欲しいと思ったことはない薄情な人間だ。だが拓海には興味がある。
俺はあれが欲しい」
「兄貴、拓海はものじゃねえ、ちゃんと意志を持った人間だぜ」
「わかっているよ、だが関係ない、拓海がどんなに嫌がったとしても手に入れる、そのためならどんな手段でも使うつもりだ」
啓介は深くため息をついた。
「兄貴がそこまで言うとはな、だが兄貴、俺もどんなことをしても拓海を守る、兄貴に壊させたりしねえ」
堂堂回りの展開だ。
啓介は涼介に勝てるとは夢にも思っていなかったが負けるつもりも毛頭なかった。
二人に連れられて拓海は涼介のマンションに来ていた。「俺をどうするつもりなんですか?涼介さん」
拓海は震える声を押さえる努力をしながら声を紡ぐ。
「拓海は俺と一緒にプロジェクトをするんだよ」
「プロジェクト?」
「そう、関東最速プロジェクト、プロジェクトDだ」
涼介は拓海にプロジェクトの子細を話す。
「嫌です、俺はそんなのに参加しませんから」
即答で返事をする拓海を面白そうに見詰める涼介。
「一年だけだ、それが終わったら例のものを返そう」
拓海の瞳が大きく開かれた。
啓介は知らされていないが兄が拓海の弱点を握っていることを察する。
「兄貴、そういう脅しは逆効果だ、拓海が本気で走り屋を嫌いになっちまう」
「嫌いになるんじゃなくて嫌いなんだよっ卑怯もの」
拓海が悲鳴のような声をあげた。
「俺はどちらでもいいんだよ、拓海、君の親友のいつき君とかいったっけ、あの子はどう思うだろうね」
拓海が低く呟いた。
「殺してやるっいつかっ絶対」
「上等だよ、拓海」
兄はうっとりとした表情で拓海の言葉に聞き入っている。まるで愛の告白でも聞くかのように。
拓海の視線は涼介のみを写している。
啓介はそんな二人を傍観するしかなかった。
口を挟めない硬質の空気が部屋を包んでいる。
涼介は拓海に憎まれてでも自分だけを見詰めて欲しいと願った。
拓海はそれに答えて何よりも強い憎悪という感情で涼介だけを追いかけている。
そして啓介はどう関わっていくのか。
守ってあげたいと思うのは本当だが一方で兄を羨ましく思う自分がいる。
守ってあげたいのに目茶苦茶に壊してしまいたい衝動が体を突き上げた。
それを必死で押さえ込む啓介。
危うい均衡の上で成り立っている3人の関係。
これからどう変化するのか解からない。
兄は拓海の感情を全て手に入れる事が出来るのか。
憎まれているという絶望感の中でも拓海を思い続ける事が可能かどうか。
弟は拓海を護ることが出来るのだろうか、自分の感情をどこまで殺して?
兄がこのプロジェクトの結末をどう持っていくのかは解からないがもう誰にも止めることが出来なかった。
京一に負けた後、拓海は怒り狂う涼介と啓介に連れ去られた。
高橋涼介のマンションはプロジェクトの打ち合わせにいつも使われている。
「どうしてあんな真似をしたんだ、拓海」
拓海は答えられず俯いた。
「拓海、何があったか知らねえがそれなりに思うところがあったんだろう、言ってみろよ」
啓介が拓海の横に座り髪を撫でながら言う。
拓海は啓介にそういう風にされると安心しきった柔らかな顔になる。
涼介がぎりりっと奥歯を噛んだ。
涼介と一緒の時には決して心を許そうとはしない。
毛をそばだてて、野性の猫のように牙を向く。
それを望んだのは涼介自身だ。
それでもいいから拓海の視線に割り込みたかった。
だから涼介は後悔はしていない。
「須藤の挑発に乗って、馬鹿だな」
「兄貴っ言いすぎだ」
「馬鹿だから馬鹿といっている、なあ拓海、どうしてあんな事をしでかした、お前が感情をコントロ−ルしなかったからハチロクは潰れたんだぞ」
兄の言葉に拓海が体を強ばらせる。
「兄貴っ止めろっそれ以上は許さねえ」
「はいはいっ啓介は拓海の味方だからな、おままごとでもしていろ」
涼介はそのまま出ていった。
啓介と拓海だけが残される。
(兄貴には解かっているんだ、ひでえな)
涼介が自分以外の男と拓海が一緒にいることを許したのは啓介が拓海に手を出すことが無いというのを解かっているからだ。
拓海が嫌がることを啓介が出来る訳ない。
それを兄は解かっている。
だから許しているのだ。
拓海の側にいることを許されるのは啓介が拓海にとって男でないから。
みくびられている。
解かってはいるがこの立場を捨てることも出来ない。
兄の様に我を押しつけて拓海に嫌われて、それで平静でいられる自信は無かった。
兄は啓介を拓海のボデイガ−ドかなにかと思っている。拓海に害をなすものを排斥する道具。
苦しい。
兄の言葉に出さない侮蔑が。
拓海の無条件の信頼が啓介を苦しめた。
「大丈夫だ、ハチロクはすぐ直るぜ、そしたらまた走ろう、ダブルエ−スだからな 俺達は」
啓介が拓海を抱きしめながら囁く。
どこまで耐えられるか解からない痛みと共に。