耳を持つ者は聞け
捕えられることになっている者は
捕えられて行く
剣で殺されることになっている者は
剣で殺される
[ヨハンネスへの黙示13:9]
夜の戸張が山膚に落ちていく。
この全寮制の学園の上にも闇が降りかかってきた。
鐘の音が厳かに,どこか物悲しく響いている。
それは夜の訪れの合図であった。
聖クレセント学園
この学園は戦後すぐに立てられたカトリック系の神学校である。
修道院をモチ−フに作られた学園はここが日本では無いような印象を見るものに与える。
昔は信者の令息のみの学園であった。
だがそれも時代と共に変化し,今では良家の子息御用達の学校となっている。
群馬の山奥にある全寮制のこの学園は問題のあるお金持ちのぼっちゃまの隔離場所には持ってこいである。
問題を起こす盛り場から遠すぎて通えないし問題を引き起こす女もいない。
ここにあるのは静かな生活と祈りだけ。
入学した当初はここでの生活を嫌がった子供もいつしかこの穏やかさに順応していく。
学園はある種隔離された空間であった。
世間の禍から隔離された楽園。
その中で小羊達は幸せに過ごしていた。
飼い慣らされ従順な人の子達。
彼等はそれで十分幸福であった。
「最近噂があるのです」
そろそろ白髪が交じり初めている髪を後ろに撫でつかせた神父は苦悩の表情を浮かべている。
神父はこの学園の園長であった。
学園の一角に設けられた園長室。
建物自体が戦後すぐに建築されたため古くさく,それが妙な威厳を醸し出している。
だがそれだけでは無い。
この部屋に招かれた二人の客。
園長の来客であるこの若い二人の男から感じる威圧感が部屋を更に重苦しいものとしていた。
「本当に困ったことです」
季節は夏
だというのにこの寒気はなんなのだろうか?
ここは山の上なのだ。
夜になれば底冷えするのは当たり前だ。
神父は自分にそう言い聞かせながら言葉を続けた。
「困ったことです,あれが出るなどという噂がたつのは」
男の一人がつむっていた瞳を薄く開いた。
漆黒の髪と同じ漆黒の瞳
恐ろしいまでの美貌を持つ美青年であった。
美しいといっても女々しさは微塵もない。
鍛えられた鋼のような硬質さと銀の輝きを持つ男。
年齢は,ひどく若いようにも老人のようにも見える。
得体の知れない男であった
男が口を開いた。
「あれとはバンパイヤの事か」
解かりきっている事である。
神父はそのおぞましい言葉に身を竦ませた。
「21世紀のこの世の中にあれが出るとは,そんな馬鹿な事があるのでしょうか」
「時代は関係ない,黙示録の予言通り,第七の封印が解かれるその日まであれは存在し続けるだろう」
男の言葉が部屋に響く。
「あれは何時から出没するようになった?」
「解かりません,随分昔のような気もするし最近の事のようにも思える」
この土地には昔からその手の話が多かった。
神父の若い頃から噂は耐えなかった。
おぞましい陰を見た。
家畜が襲われた。
そして小羊が狙われたと。
どれも曖昧であり,肯定出来ないながらも否定することも出来ない。
最近,この一カ月程であろうか。
梅雨が終わり初夏が始めるころ,夏の気配と共に噂は濃厚なものとなった。
今までの曖昧なものに肉付けがされて具体的になっていく。
1年生が美術室で中年の男を見た。
神父の一人が食い殺された鶏を発見した。
確かに誰かが学園にいる。
神父でも生徒でも無い異端者が。
闇が濃くなり学園を覆っていく。
噂が噂を呼びどれが真実なのか見えなくなっていく。
「だからあなた達をお呼びしたのです」
神父はすがるような視線を男達に向けた。
黒髪の男ともう一人,黄金の髪をもつ野性的でありながらストイックな雰囲気を持つ男に。
金髪の男はその髪を短く刈り上げている。
それは彼の魅力を倍増させていた。
だが目立つ髪の色よりも人が心奪われるのはその残忍な瞳だ。
見竦まれて動けなくなる。
神父は喘ぐように声を発した。
「お二人の噂は聞いています,そしてそれが噂では無く真実だという事も」
決して表には出ることのない,しかし裏で関係者のみに語り継がれていく。
この兄弟こそが最高の使徒であると。
神に選ばれし刺客。
小羊を魔物から守るために天が使わした存在。
神父は兄弟に視線を向けた。
正面から見るなど恐れ多い。
そっと視線の端から盗み見るのがせいぜいである。
この兄弟,本当に血の繋がりはあるのだろうか。
神父はふと疑問に思う。
確かに神の子である我々は皆兄弟であるが。
兄弟はあまりに見た目が違う。
兄はオリエンタルな顔立ちをしている。
弟は彫りが深い遊牧民のようであった。
だがそうだと言い切れない。
これほど強い印象を持ちながら彼等の容姿を例えるのはとても難しい。
似ていない,ル−ツが違うとすら感じる。
なのによく似ている。
彼等は全く違う個性を持ちながら醸し出す雰囲気は同質のものであった。
彼等のデ−タ−を握っているのはヴァチカンのみ
彼等の情報は法王庁の最高機密なのだ。
この兄弟を含めたある特殊な任務につく集団。
ヴァチカンは彼等を使徒と呼んだ。
バンパイヤに対抗するために選ばれた使徒。
そのメンバ−はイエススの12人の弟子,イスラエルの12部族になぞられて12人とされているらしい。
己の考えに耽っていた神父に向かって金髪の男が初めて言葉を発した。
「俺達の部屋はどこだ?」
「ああ,すいません,今案内させますので」
神父はあわてて呼び鈴を鳴らした。
「あなた達はヴァチカンから使わされた新しい神父という身分にしておきます,皆にはそう説明しておきますので」
神父が説明している最中にドアをノックする音がした。
「入りなさい」
神父の許可を得て一人の少年が入ってくる。
「拓海,紹介しよう,高橋神父だ,今度からこの学園で勉強を教えてくださる」
少年は大きな目を好奇心でいっぱいに見開いた。
「高橋神父?」
二人いる,どちらが高橋神父なのだろうか?
「ああ,御兄弟なのだよ,だからお二人とも高橋神父なのだ」
その言葉に少年は納得したようだが
「では,どう呼び分けたらいいのでしょうか?」
困った顔の少年に涼介は初めて言葉をかけた。
「俺は涼介だ,こちらは弟の啓介,下の名前で呼んでくれればいいから」
「涼介様と啓介様?」
金髪の男が苦虫をつぶしたような顔になる。
「様はやめてくれ,気色悪い」
「啓介さん?」
「それでいい,ファ−ザ−もいらない」
拓海はこくりとうなずくと二人を寝室へと案内した。
ここには100人近い少年が暮らしている。
だというのに学園は静まりかえり物音一つしない。
宿舎の廊下を歩きながら涼介は眉を潜めた。
峠の獣の泣き声がやけに近くに響いた。
「静かだな」
啓介が言葉にすると拓海は悲しそうな顔をして俯いた。
「みんな,怯えているんです」
恐い噂があるのだと拓海は言った。
「夜,部屋から出ると餌にされてしまうって」
拓海は小さな声で話を続ける。
「でも,もうすぐ夏期休暇だからそれまでの我慢です」
夏になると皆帰省する。
秋に戻ってくる頃には噂は過去のものとなっているだろう。
「拓海も戻るのか?」
涼介が問いかける。
拓海は名前を覚えられていた事に驚いた顔をして次に寂しそうな表情を浮かべた。
「俺は,ここにいます,ここ以外に帰るところもないし」
どういう事だと啓介が怪訝な顔をした。
「俺,捨子なんです,この学園の前に捨てられていたんです」
18年前,冬が終わり春の到来を感じさせる季節。
拓海は学園の門の前に捨てられていた。
「だからここが我が家なんです」
無理をして明るく笑う拓海は可憐で痛ましかった。
「涼介さんと啓介さんは?」
「俺達は夏の間ここに滞在する,仕事があるからな」
「生徒がいなくても先生は大変なんですね」
拓海は二人をただの神父だと教えられている。
「じゃあ,きっとこの学園に残るのは俺と,一部の先生くらいなものですね」
拓海はそう言って微笑んだ。
やけに果敢なげでそれでいて人をそそる微笑であった。
部屋に二人を案内すると拓海は自室へと戻っていった。 涼介達は神父用の宿舎,
拓海達生徒は別棟である。
「なあ,兄貴,気が付いたか」
ベットに腰を下ろし持参のビ−ルを飲みながら啓介は兄に問いかけた。
「ああ,解かっている」
涼介は荷物を整理しながら答えた。
「あれは吸血鬼が好む匂いをしている,それに容貌も」 元来,バンパイヤは美しい者を愛する。
それも無垢で汚れない者を。
「格好の標的だな」
ここまで案内してくれた少年。
あれは確かにうまそうな匂いがした。
まだ純潔で,それゆえに男をそそる香りを醸し出している。
それにあれは肉親もいない孤児だ。
騒ぎ立てる人間はどこにもいない。
例え変死してもここの墓地に埋められるだけであろう。 数人の友人と神父が若すぎる死を悼むだろうがそれだけだ。
「啓介,今回の獲物は大きい」
涼介はヴァチカンから送られてきた資料に目を通している。
「相当の大物だ」
「そうなんか?でも平気だぜ,俺と兄貴がいれば」
弟は気楽にビ−ルを飲んでいる。
この涼介と啓介は今まで一度も魔物相手に遅れをとったことは無かった。
どんな手強い相手でも必ず仕留めてきた自信がある。」「今までの相手とは比べものにならない,ここにバンパイヤの伝説か出来てから100年たつのだから」
つまり100年の間,そのバンパイヤはこの土地に君臨してきたのだ。
ヴァチカンが何度使徒を寄越したかしれない。
それらの全ては破れ去ってきた。
「化物だな,そいつは」
啓介の金色の目が獰猛に光る。
100年も同じ土地にいるバンパイヤなど信じられない。
大抵のバンパイヤは居場所を知られないように移動を繰り返すものだ。
「余程の馬鹿か,自信家か?」
弟のつぶやきに兄の言葉が続く。
「それともこの秋名に何かあって離れられないのか」
それを調べるのが兄弟の仕事だ。
バンパイヤはこの世にあってはならない存在。
排除するのに何の支障も躊躇いも無い。
「全ては神の思し召しのままに」
闇の中,祈りを捧げる声だけがやけに大きく聞こえた。
二人の新任神父は授業を持たなかった。
もうすぐ夏期休暇だからその後から正式に授業を受け持ってもらうという園長の説明に皆納得する。
涼介と啓介は学園を見て回った。
その姿は普通の神父と一緒で違和感が無い。
あれ程に秀でた美貌を持ちながら兄弟は目立たない術を知っていた。
新任の教師に興味はあるが何か触れてはいけない存在だと生徒は感じたのだろうか。
涼介と啓介は驚くほど噂には成らなかった。
そうして一週間が過ぎた。
期末の試験も順調に終わり生徒は束の間の休暇を楽しむために下界に戻っていく。
残ったのは数人の教師と数人の生徒
その中には拓海の親友の姿もあった。
「拓海一人じゃ危ないからな,どうせ家に戻ってもやることないし」
武内いつきは拓海の側についているからと言い張ってこの宿舎に残った。
何故か胸騒ぎがする。
今年に入ってからいつきは常にそれを感じていた。
いつもと同じ日常
変わらない平凡な日々
だが何かが違う。
拓海の回りで目に見えない何かが蠢いている。
いつきはそう直感していた。
もうすぐいつきと拓海は18歳になる。
そうしたら二人で免許をとろうと約束していた。
夏休み,二人は峠を降りて教習所の合宿に通う予定であった。
だが,その約束も果たされない。
拓海が断ってきたのだ。
「俺,金無いから」
親も頼れる親戚もいない拓海には教習所に通う金を工面することが出来なかったのだ。
「そんなの,俺が親に頼んで金借りてやるよ」
いつきはこう見えても県内に支店をいくつも持つ中古車ショップの社長令息だ。
「いいよ,返せるあて無いし」
拓海はこういうところではプライドが高い。
どんなにいつきが説得しようとしても無駄だった。
だが,本当に理由はそれだけだろうか?
金が無いだけ?
いつきを心配させるのはそこである。
拓海はこの学園を離れたくないのではないか?
それをいつきは危惧していた。
それに加えて新しい教師二人も不安の材料だ。
やけに拓海に接近している兄弟。
拓海は昔からそういう人間に目をつけられやすかった。
少年愛好家である神父に狙われたことも何度かある。
大事にはいたらなかったがこれからもそうだとは限らない。
「拓海,俺不安だよ」
夏休みの間に何かが変わってしまう予感にいつきはおびえていた。
おびえながらも親友を守ろうと心に誓っていた。
夏の盛り,小羊達は薄着となりその肌を露にする。
「奇麗な喉だな」
遠目から開襟シャツで涼しげな拓海を見つめながら啓介はつぶやいた。
「目の保養だぜ」
拓海の喉元には傷一つ無い。
なめらかな白い肌がやけにそそられる。
「俺がバンパイヤなら即効狙うね」
「馬鹿な事を言っていないで仕事をしろ」
涼介の言葉に啓介は嫌な顔をした。
「仕事って言ってもさ,肝心の相手が出てこないんじゃどうしようもないぜ」
姿形どころか気配も見せやしない。
「もうどっかにいっちまったんじゃねえか?」
啓介の指摘ももっともだった。
普通バンパイヤは使徒が現れると先手を打つか逃げるかのどちらかである。
この場合逃げたの考えるのが順当であった。
「そんな生易しい相手だったらいいのだが」
涼介の表情が何故か暗い。
その視線はじっと拓海を見つめていた。
「今週末はなんの日だか解かるか?啓介」
「週末って?あっ」
週末は月齢14
魔物が一番力を貯える時期である。
そしてその日は奇しくも拓海の18歳の誕生日であった。
「俺の思い過ごしならば良いが,多分バンパイヤはその日を狙っているのだろう」
「拓海の誕生日を?ロマンチストだね」
言葉は軽いが啓介の顔は緊張で強ばっていた。
「俺達がいることなど問題にしていない,奴の狙いは拓海に間違いない」
ヴァチカンから送られてきたデ−タ−,そしてこの18年間の資料をもとに涼介はそう結論づけた。
「昔,拓海が子供の頃に堕落した神父が手をつけようとしたことが何度かあった」
だがそれは一度たりとて成功していない。
拓海を狙った神父は不慮の死を遂げるか,狂気に走るかの選択を強いられた。
「バンパイヤが拓海の純潔を守っているとでも?」
今時のハ−レンクイ−ンでも使い古されたネタである。
「彼は待っていたのだろう,拓海が18になるのを」
涼介は確信をもって言い切った。
「18まで待って?花嫁にでもするつもりかよ」
冗談のつもりで言った啓介の言葉
だがそれは笑い飛ばすには妙にリアリティがありすぎた。
「悪趣味だぜ,ったくよぉ」
涼介は啓介の様子がいつもと違うことに気が付いた。
「やけに気にしているな,そんなに心を魅かれるのか」
あの子供に。
啓介は目を細めた。
「兄貴もだろ,あいつ妙にそそる」
まだ幼いくせに男を誘っている。
無垢で汚れの知らない存在。
だからこそ汚したくなる。
残忍な性癖はバンパイヤも人間も変わりはない。
「ようはさ,純潔じゃ無くしちまえばいいんだろう」
啓介はそう言って笑った。
夏の日差しが白く眩しい。
涼介は目を細めたが何も言わなかった。
「涼介さん,啓介さん,夕食ですよ」
二人の食事を用意するのは拓海の仕事だった。
普段ならば食堂で食事をするのだが夏期休暇の間は自室でも許される。
兄弟は決して人前で食事を取ろうとはしなかった。
だがそれを知ると拓海もここで食べたいと言った。
「だって,寂しくないですか?」
何時も二人だけの食事なんて。
「俺,小さい頃いつも一人でご飯食べていたんです,神父様達はよくしてくださったれどお仕事があるから」
誰も拓海と共に食事をしてくれなかったのだ。
「いいですか?っここで食べても」
遠慮しながら拓海は毎回許可を取ってくる。
「いいよ,一緒に食べよう」
そう涼介に許可されると拓海は嬉しそうにほころびながら料理の支度をした。
「啓介さん達は色々な国にいっていたんでしょう」
食事をしながら拓海は楽しげに聞いてくる。
「おうよっアメリカ,ヨ−ロッパは当然,変換前の香港やアジア,世界各国を渡り歩いているんだ」
啓介の言葉に拓海はころころと笑った。
「いいなぁ,俺は生まれてからここを出たことないから憧れます」
「なんで?っ旅行とかいかないのか?」
拓海は少し悲しそうな顔をした。
「どこに行くんですか?」
どこにも行く場所など無い。
自分の居場所はここだけなのだ。
「俺達が連れてってやるぜ」
唐突に啓介が言った。
妙に明るい声で。
「連れ出してくれるんですか?」
啓介の言葉に顔を輝かせた拓海の表情があまりにも儚げで兄弟は目を奪われた。
食事の後,啓介が自室まで拓海を送り届け部屋に戻ると兄は闇を見つめながら酒を飲んでいた。
「お前も飲むか?」
渡されたのは真紅のワイン
バンパイヤが好む色だ。
「なあ,この仕事片づいたらさ,拓海連れていってもいいよな」
弟は兄に確認するように問いかけた。
「連れていってどうする?面倒をみるのか」
涼介は啓介に確認を取った。
「ああ,そうするつもりだ」
「ここから連れ出すという事は一生世話をするという事だぞ」
「かまわねえよ」
兄は弟の瞳に真剣さを見つけた。
「兄貴が反対しても俺は拓海を連れ出す」
「反対はしないさ,俺とて拓海を手に入れたいと思っているのだから」
あ−あ,やっぱりな
啓介はワインをがぶ飲みした。
涼介も笑いながらグラスを傾けて,ふと真剣な顔をする。
「その前に始末をつけなければな」
3日後は月齢14
魔物が横行する夜が待ち構えていた。
次の日は晴天であった。
太陽がぎらぎらと輝き肌を焼く。
残された子供達は外で水遊びに夢中になっていた。
小麦色の少年にまじって白い拓海の姿は妙に目立つ。
「拓海,最近元気ないんだな」
いつきが心配して声をかけてくる。
ありがたいけれど今は静かに休んでいたい。
「熱射病みたいだ,部屋で休んでいる」
拓海はよろよろと部屋に戻った。
シンっとした宿舎
蝉の泣き声が遠くから聞こえる。
外はうだるような暑さだが建物の中はひんやりとしている。
まるで水槽の底のような薄暗さであった。
拓海は部屋に戻るとカ−テンを閉めて横になった。
気持ちがいい。
先程までのだるさが嘘のようだ。
ゆらゆらと水槽の底で漂っている藻になったような奇妙な感覚。
すぐに拓海は眠りの底へ落ちていった。
そして夢を見た。
誰かが拓海をここから連れ出してくれる夢だった。
一時間程たっただろうか?
拓海の様子が気になったいつきは遊びの輪から外れて宿舎へと戻った。
何故だろう。
いつも通っている廊下がやけに長く感じる。
まだ昼間だというのに薄暗い。
いつきは胸騒ぎを押さえながら拓海の部屋へと向かった。
「ひいいっ誰だっ」
部屋を開けた瞬間,いつきは悲鳴を上げた。
何か人間か?生き物が寝ている拓海の上に伸しかかっていたのだ。
いつきが悲鳴を上げるとその生き物はゆらりと蠢いた。
「ひいっ」
あまりの恐怖にいつきは一瞬目を瞑った。
そして次に目を開けた時,その生き物はいなくなっていた。
「あれ?夢」
部屋に変わったところは何もない。
昼下がりの気配がカ−テン越しに伝わってくる。
拓海は熟睡していた。
いつきは白昼夢でも見たのだろうか?
首を傾げながら寝ている拓海を残して部屋の外に出るとそこに金髪の男が立っていた。
「聞きたいことがある」
引き摺られるようにしていつきは兄弟の部屋へ連れていかれて全てを白状させられた。
「拓海変なんです,いつもよりもずっとぼんやりしていて,心ここにあらずっていうか,夢みてる見たいっていうか,とにかく変ですよ」
小さい頃からの幼なじみだという少年は拓海の事を本気で心配していた。
「それに,あいつ18になるし」
「18に何か意味があるのか?」
啓介の詰問にいつきはおずおずと答えた。
「拓海昔から18になったらこの学園を出ていくって口癖みたいに言っていたんです,今年俺達18になるし,それで不安で」
拓海はここ以外いく所が無いと言っていた。
どこへ行くと言うのだろうか
「18っていえばもう大人でしょ,拓海は大人になりたがっていたんです,それでここから抜け出したがっていたんです」
いつきは泣きそうな顔でぼそぼそと言った。
「大丈夫ですよね,拓海どこにも言ったりしませんよね,ずっとこのままここにいられるんですよね」
この閉鎖された楽園で。
いつきは何度も啓介に確認をとっていた。
しつこい位に,不安を降り払おうとするかの様に。
その晩,いつきの家から連絡が入った。
いつきの母親が急病で倒れたというのだ。
次の日,いつきは親友を案じながらも帰省することとなった。
週末がやってくる。
学園に残っている生徒の多くが町へ遊びに出かける。 夏の間,そういう無礼講が許されていた。
兄弟にとってもこれは都合が良い。
一般の人間がいては動きにくかった。
出来るだけ目立たぬように異端を排除する。
それが使徒の役目なのだ。
兄弟は拓海を自分達の部屋に招いた。
いつきがいない今,拓海は生徒の宿舎に一人きりだ。 だから今晩から明日にかけて兄弟の部屋に泊まるように手配したのだった。
空にはまがまがしいまでに月が大きく輝いていた。
月齢14 満月である
拓海は兄弟と同じ部屋で一晩を過ごす事にはしゃいでいた。
「なんか楽しいです,こういうのって」
遠足にいく子供のようなはしゃぎぶりだ。
「涼介さんと啓介ってかっこいいですね」
まるで兄を慕う子供のようだ。
見ていて微笑ましい。
だがどこか艶めいていた。
子供なりの婀娜っぽさがある。
夕食の際,一杯だけ飲ませてあげたワインに酔ったらしい。
頬を赤らめて少し大きめのシャツから覗く肢体も薔薇色に染まっていた。
何故だろうか。
抵抗できないような魅力を持っている少年。
誘うような視線を男に向けている。
無邪気な子供の視線の裏側に隠されている媚態
どんな女にもこんな欲望を感じたことは無い。
兄も,そして弟も抗うことの出来ない熱を感じていた。
奇妙な沈黙の中,最初に動いたのは涼介であった。
「拓海は可愛いな」
酔っている拓海は涼介に顎をとられてうっとりと見つめている。
「俺達と一緒に行くか?」
囁かれて拓海は小さくうなずいた。
「涼介さんと啓介さんにならいいよ」
意味が解かっているのだろうか。
この子供は。
拓海が目蓋を閉じたのが合図であった。
涼介の唇が拓海に寄せられる。
背後から啓介が抱きしめてきた。
「俺達のものになれよ,大切にするから」
兄弟のものにする。
バンパイヤに純潔を奪われる前に兄弟が証を刻みつける。
そうすればもう拓海は狙われる事は無いだろう。
その無垢な体を汚されてしまえばもう標的には成りえない。
兄も,そして弟もこの少年を守りたいと思った。
それは初めての感情
使徒として幾多のバンパイヤを葬ってきた兄弟だが何かを守りたいと感じたのは初めてであった。
涼介がゆっくりと拓海をベットに横たえる。
啓介が拓海の喉元に跡を残す。
まるで血のように赤く欝血した跡を。
「好きだぜ,拓海」
二人の男が優しく拓海の衣服を脱がせていく。
恥ずかしさのあまり全身を朱に染めた拓海の肢体。
日に焼けない白い肌が染まっていく。
「いい子だ,俺達に任せて」
「ああっああんっはぁ」
涼介の唇が拓海の体を這っていく。
拓海は抵抗しなかった。
未知の快楽に体を強ばらせながら耐えている。
涼介の唇は徐々に位置を変え,拓海の性感帯を探るようにまさぐっていった。
啓介の唇が胸の果実に吸い付く。
「やあぁっあっ涼介さんっあっけいっ」
びくびくと体を痙攣させる拓海。
驚くほど感じやすい肉体であった。
初めてだというのに胸と体への愛撫だけでもう蜜を垂らし初めている。
まだ下肢には触れてもいないというのに。
「可愛いね,拓海」
涼介の舌が蜜を嘗め取った。
「あっああぁっやあぁ」
丹念に先端から蜜の詰まった袋まで舌を這わす。
そしてその奥の禁断の蕾にまで。
「ひいぃっいいっあっ」
くぷっという音と共に涼介の舌が蕾に入り込んできた。
「やあぁっそこ汚い」
「拓海は奇麗だよ,どこも汚くなんて無い」
淫猥な音が響き渡る。
啓介は拓海の唇を蹂躙する事に専念していた。
唇で感じる快楽を教え込んでいく。
指先は赤くしこった果実を弄っていた。
「拓海,息を吐いて」
涼介が前をくつろげ己を取り出すと丹念にほぐした蕾に押し当てた。
涼介の怒張した雄が強引に蕾を押し開いていく。
「やああぁっ」
拓海の絶叫が部屋に響いた。
「啓介,拓海を押さえていろ」
無意識に逃げようとする拓海の体を啓介が押さえ込む。
「すぐに慣れるから,力を抜くんだ」
ぐいぐいと腰を推し進められる
「あああぁっ」
最奥まで一気に貫かれて拓海は痛みと未知の恐怖に体を強ばらせた。
「キついな」
このままでは傷つけてしまう。
兄は啓介に視線を向ける。
啓介は兄の意図を読み取り拓海の下肢に頭を寄せた。
ねろりとした口内に拓海の幼い果実は包まれ,吸い上げられる。
背後ではゆっくりと涼介が動き出した。
前立腺を探るように緩慢だが容赦の無い動き。
「あんっああぁ,いいっそこぉ」
ある一点を突いた瞬間拓海の蕾が収縮した。
奥に埋め込まれた涼介の雄に絡みつき締め付ける内壁。
「これは,すごいな」
涼介が呻いた。
数え切れない程女を抱いたがこれほどの体は初めてであった。
純潔であったというのにもう腰を振っている。
涼介が激しく腰を動かし奥に精液を注ぐとその刺激で拓海は弾けた。
「次は俺だぜ」
啓介は待ちわびたかのようにいちもつを突き入れる。
「あっああぁっ気持ちいいっいいよぉ」
今度は前を弄られていないというのに拓海は啓介の雄によって絶頂を極めた。
何度抱いただろうか?
繰り返し兄弟は争うようにして拓海の奥を蹂躙した。
拓海の体は極上の麻薬だった。
抱けば抱くほど離れられなくなる。
何度も悦楽を極めた。
だが足りない。
もっと体が拓海を求めている。
狂ったように,獣のように兄弟は拓海を犯した。
失神している拓海の体を清めた啓介がふと時計を見ると時刻は深夜の2時。
丑三つ時であった。
窓から漏れてくる月の光りは満月である。
シャワ−を浴びた涼介が目を細めた。
「中々現れないな,奴は」
てっきり獲物の純潔を汚された事に怒り正体を見せるだろうと思ったのだが。
「もうここいらにはいないんじゃねえのか?」
弟の言葉に涼介はうなずいた。
「明日,ここを発つ,用意をしておけ」
ここに来たときは兄弟二人だった。
だが出ていく時には拓海を連れているだろう。
「そういやぁ今日は拓海の誕生日だったな」
時刻は12時を過ぎている。
拓海は18になったのだ。
「何かお祝いをしなきゃな」
啓介がそう言ったとき,眠っていた拓海が目を覚ました。
「拓海,誕生日の贈り物は何がいい?」
啓介はベットに腰掛けると拓海を抱きしめて問いかけた。
「もうプレゼントは貰いました」
拓海はそう言って嬉しそうに笑う。
その微笑みは男を知り快楽を覚えた淫靡なものであった。
不意に思いついたというそぶりで拓海は問いかけた。
「涼介さんと啓介さん,使徒なんでしょう」
唇は微笑みの形のまま言う
「何故それを?」
拓海を抱きしめる啓介の動きが止まった。
「知っています,有名だから」
拓海は無邪気に笑った。
だがその微笑みは妙に禍々しい。
兄弟が使徒であること。
それはヴァチカンの最高機密であった。
普通の人間は使徒という言葉すら知らないで一生を過ごす。
いくら神学校だといっても一介の少年が知っていていい事柄では無かった。
「お前は誰だ?」
涼介の目がすっと細められた。
先程までこの腕に抱いていた少年が別の生き物に変化していく。
まさか?
兄弟はその変化に目を見開いた。
拓海から発せられる禍が,闇が部屋を支配する。
「俺達の間では有名人です,高橋兄弟さん」
拓海は淫靡に微笑んだ。
「すごく興味があった」
凄腕だって聞いていたから
「だから俺達に近づいたのか?」
涼介の言葉を拓海はあざ笑う。
「近づいたのはそっちです,涼介さん,何も知らない無垢な小羊に快楽の証を埋めこんだのはそっちでしょう」
上手でしたよ,二人とも。
拓海は身に纏っていたシ−ツをはらりと落とす。
白い肌には兄弟の残した情欲の跡が刻み込まれていた。
「バンパイヤなのか?だが噛み跡が無い」
吸血鬼である証の喉元の傷が拓海は無かった。
「そんなものある訳が無い」
拓海は高慢な仕種で言い切った。
「そんな下賤な家畜とは違う」
バンパイヤには二種類ある。
喉元を噛まれ,契約を果たしバンパイヤになるもの。 そしてもう一つ。
生まれつきの純潔種のバンパイヤ
選ばれし存在。
バンパイヤの頂点に立つべき定められた蠅の王。
「・・・拓海」
涼介が苦々しくその愛しい名を呼んだとき,拓海がふいに窓辺に視線を向けた。
「迎えが来た」
恍惚の表情を浮かべ拓海はシ−ツを羽織ったままの裸体で窓辺に近寄った。
そこにはあるはずのない物
今まで存在しなかった黒い陰があった。
「親父,ずっと待っていた」
まるで最愛の人を待ちこがれた乙女のように拓海はうっとりと陰に身を任せる。
華奢な拓海を陰が覆った。
陰は拓海の腰に手を回し,ちらりと兄弟に視線を向ける。
それだけで兄弟は凍りつくような戦慄を覚えた。
このバンパイヤはただものでは無い。
大物などというレべルでは無かった。
これは,多分,否 間違いない。
「拓海が世話になったな」
にやりと笑う男の顔には余裕が見える。
拓海を抱いた兄弟を面白がっているようだ。
「全く悪趣味だな,あんた達も使徒のくせにバンパイヤを抱くとは」
あざ笑うような響きは無かった。
純粋に楽しんでいる。
「親父,連れていって」
拓海は恋人にする仕種のように男の肩に手を回した。
いくなっと叫びたいのに,戦って引き留めたいのに兄弟の体は床に縫い止められたかのように動くことが出来ない。
術をかけられているのは一目瞭然であった。
男に抱きしめられた拓海。
もうその瞳には兄弟は映っていない。
目の前の,自分をこの世界から連れ出してくれる存在のみに心を奪われている。
それは兄弟の心に引き裂くような痛みを与えた。
雲が出てきている。
辺りを照らしていた月が隠れ,闇の支配が訪れる。
そして次に月の光が照らされた時,男と拓海は闇と共に消え去っていた。
ようやく体の自由が取り戻せるようになった兄弟は怒りに体を奮わせた。
遊ばれたのだ。
あの無垢なふりをした淫乱なバンパイヤに。
その正体を見抜けなかった自分達が不甲斐ない。
その手管に翻弄され籠絡された己の未熟さに腹が立つ。 怒りが体の奥から沸き上がってくる
「必ず,俺達に関わった事を後悔させてやる」
藤原拓海,純潔のバンパイヤ
どこに隠れていようとも見つけだし杭を打ち込みその肉体も精神も滅ぼしてやろう。
高橋兄弟に関わった事を泣いて後悔させてやる。
「啓介,ヴァチカンに戻るぞ」
ここにいても仕方がない。
法王庁に戻り対策を打たなければ。
涼介の目が残忍に輝いていた。
あの子供,どうやって追いつめてやろうか。
啓介も血が沸き上がるような興奮を覚えている。
拓海を見つけだし殺す。
それ以外にこの屈辱から逃れる術は無い。
二人の使徒が秋名を後にしたのは翌朝早く。
そして学園からは一人の少年が行方不明となり,人々は少年が餌になったのだと噂するのであった。