「DOUBT」


  宇宙暦797年3月20日

 長い、建国以来あまりにも長い戦いに自由惑星同盟は疲弊していた。
 それも急速に加速している。。
 先のアムリッツァ大戦の大敗北により劇的に困窮し社会は麻痺しかかっている。
 状況は悪化の一途を辿っていた。
 政府は己の無策を棚に挙げ軍に全ての責任をなすりつけ糾弾していた。
 シトレ本部長はアムリッツァの敗北責任を取って退役しておりクブルスキー大将が軍最高責任者となったが政府の軍干渉を阻止することは出来ない。
 トリューニヒト派が往行し命令系統は寸断され軍の政府に対する発言権は日に日に下がっていく一方だ。
 見識ある軍関係者と一部少数派の政治家はこの事態を憂慮したが対抗策は見つからない。
 このままでは同盟軍は政府の傀儡と成り下がる事は明白であった。
 すでに議会はトリューニヒト派で占められ公平な報道をすべきマスメディアですら政治の道具となっている。
 民主主義とは名ばかりのトリューニヒトによる独裁政権に向かって進んでいる自由惑星同盟。
 ヨブトリューニヒト一人に国家の行く末を任せることはあまりにも危険である。
 仮にどれだけ優れた指導者であったとしても。
 そして悲しむべきことにヨブトリューニヒトは聖人とは言いがたい利己主義な扇動政治家であった。
 美辞麗句を唱え人々に愛国主義を吹き込み戦場へ送り込む。
 自分は安全なハイネセンにいながら兵士を死地へ向かわせる事になんの躊躇いも無い。
 分かっていながら彼を止める術が無いのは選挙で選ばれた指導者だからだ。
 もはや軍は対抗出来るだけの発言力を持っていない。
 市民に支持されていない。
 口先だけの国家元首に惑わされひたすら帝国打倒を叫び続けている。
 そんな時期であった。
 この事態を政治家の中で尤も危惧している2人にある手紙が舞い込んできたのは。

「変な手紙を貰ったのだ」
 統合作戦本部のロビーで男は同僚に声をかけた。
「奇遇だな。私もだ」
 話しかけられた男も胸元から手紙を取り出す。
 周囲に気を配りながら二人はお互いの手紙を交換した。
「手紙とは古風な事だ・・・あの御仁らしいといえばそれまでだが」
「確かに、生き字引とまで言われる軍の長老らしい。だが内容が問題だ」
「奥方の誕生日にささやかなパーティーを開く。身内だけの催しだと書かれているが」
「何故私達に声がかかったかだ」
 2人は手紙の差出人にもましてや奥方にも親交は無い。
「身内だけの催し、ということは他言無用という事だ」
「単なるパーティーでは無かろう。我々は政治家だ。軍関係者と個人的に連絡を取り合うのはまずい」
「非公式にという所が気になるな」
「だが相手はあの提督だ。彼が手紙を出すという事は余程の内容だろう」
「清廉潔白、軍の良心と言われる御仁だからな。私は軍人を軽蔑しているが彼だけは別だ」
「私もだ。彼には礼を持って接する必要がある。態々我々に手紙を出してくる所を見るとトリューニヒト派に知られたらまずい事態なのだろう」
「我々以外に手紙を受け取っている政治家がいると思うか?」
「否、悲しい現実だが今の政府は奴によって牛耳られている」
「という事はこのパーティーを知っている政治家は我々だけだという事だ」
「何が言いたい?レベロ」
「我々さえ黙っていれば他に漏れる心配は無い。なに、手紙を見れば分かるとおり単なる老婦人の誕生パーティーに出席するだけだ。問題は無かろう」
 口髭を蓄えた口元に皮肉な笑みを浮かべた同僚に頭髪の薄い一見気弱そうな男はため息を付いた。
「お前のそういう所がトリューニヒトと相容れないんだろうな」
「そういうルイだって行くつもりなのだろう」
「ああ、滅多に無いビュコック提督からのお誘いだ。乗っておいて損は無かろう」
 情報は多いほうが有利だからな。
 人的資源委員長ホアンルイの言葉に財政委員長ジョアンレベロは大きく頷いた。

 その日の晩。
 2人は地味な背広に身をつつみ周囲を警戒しながら郊外へと向かった。
「まさか我々に尾行が付いているとも思えんが念には念を入れねばいかん」
 二度車を乗り換え目的地へと急ぐ。
「トリューニヒトは我々など雑魚としか思っていない。だが今から会う相手には尾行が付いているかもしれんな」
「あちらさんはプロなのだから尾行の二つや三つまいてくるだろう」
 ハイネセンから北へ150キロ
 名も無い小さな街の安ホテル。
 誕生パーティーには地味すぎるその場所に着き車から降りた二人は丁度車から降り立った人物に目を見張った。
「ドワイドグリーンヒル大将?どうしてこちらへ?」
 軍の良識派として知られる男は二人を見て驚いた様子だ。
「あなた方こそ何故こちらへ?ビュコック提督から呼ばれたのですか?」
「そうです。誕生パーティーの招待状を受け取りました」
「私もです。ビュコック婦人とは面識が無いので不思議には思っていたのですが」
「何かあるとお考えで来られたのですね。グリーンヒル大将も」
「私はもう大将ではありません。今の役職は査閲部長です」
 アムリッツァの責任を取り左遷させられたのだ。
 この人事により軍はますます発言権を弱める結果となっていた。
「とにかく中へ入りましょう。尾行は無いと思いますが誰かに見られてはまずい」
 三人は連れ立ってホテルへと入る。
 フロントは年老いた女性一人であった。
 従業員の姿も無い。
 女性の夫と見られる老人が荷物を運ぼうとしたが三人はそれを断った。
 どう見ても家族経営の廃れたホテル。
 確かに密会には相応しい。
 指定されたのは302号室。
 一応周囲を警戒しながらドアをノックするとのんびりした老人の声が聞こえた。
「時間通りじゃな。入ってくれ」
 ビュコックの声を確認し入室した三人は驚きに声を失った。
 提督と共に椅子に座っているのはクブルスキー大将。
 しかし三人を更に驚かせたのはここにいる筈も無い人物の存在であった。
「何故?貴官がここに?」
 確かに彼はハイネセンに来ていた。
 しかしイゼルローンへと帰還したのでは無いか?
 前線の最重要拠点である要塞の司令官は今頃宇宙にいる筈では無かったのか?
 軍人であるグリーンヒルも寝耳に水だったらしく戸惑っている。
 レベロは険しい口調で叱責した。
「イゼルローン要塞をほっておいて貴官はこんなところで何をしているっすぐに帰還し任務を全うすべきではないのか」
「彼の滞在は私が許可した。要塞へ向かうにあたり護衛艦の準備が手間取ってな。明日にならないと発艦出来ないのだ」
 クブルスキーが説明をしたがそれが嘘なのは分かっている。
 彼はパーティーに参加するため業と出発を遅らせたのだ。
「これは貴官の企てか?ヤンウェンリー大将」
 苛立ちを隠しきれないレベロの糾弾をビュコックが諌める。
「まあ落ち着きたまえ。パーティーの参加者が揃ったのだ。まずは乾杯と行こう」
 飄々とした口振りでティーカップを渡す。
「奥方はいかがされたのですか?今日の主役でしょう」
 レベロの嫌味にもビュコックは動じなかった。
「あれはもう年でな。関節痛が酷いといって部屋で休んでいる」
 着席を促され渋々三人はそれに従う。
「で?軍の重鎮がお揃いで一介の政治家である私達に何の話ですかな」
 ホアンルイは気弱な顔に似合わぬ意思の強さで切り出した。
「我々は政治家です。非公式な会談は密室会議と非難されかねません。それはお分かりでしょう」
 危険に見合うだけの情報とは何か?
 ホアンルイの言葉にビュコックは好々爺の笑みを浮かべる。
「若いものはせっかちでいかん。だがその情熱は羨ましい」
 そう言った後ふいに真顔となる。
「ここに集まってもらったのは他でも無い。自由惑星同盟にとって重大な危機が迫っているからじゃ」
「重大な危機・・・とは?」
 グリーンヒルの問いかけにビュコックは一言で答えた。
「クーデターじゃ」
「・・・・まさか」
 真っ先に反応したのはレベロとホアンルイであった。
「誰によるクーデターですか?証拠はあるのですか?そんな情報こちらには入っていない」
「帝国軍による情報操作により近日中にハイネセンでクーデターが起こる」
 老提督は言い切った。
 力強いその発言に皆息を飲む。
 一番驚愕していたのはドワイドグリーンヒルであった。
 何故ビュコック提督が計画を知っている?
 どこから漏れたのか?
 計画は綿密に練られ10日後には発動される予定だ。
 ここに呼ばれたのは自分がクーデターの責任者だと知られているからなのか?
 それならそれで仕方ない。
 だが聞き逃せない事がある。
「帝国軍による情報操作とはどういう事ですか。説明願いたい」
 グリーンヒルの言葉にビュコックは頷くと語り始めた。
「全ては捕虜交換式から始まった。わしがこの報告を受けたのはハイネセンで行なわれた捕虜帰還式典の後。ここにいるヤンウェンリーから話を聞いたのだ」
 皆の視線がヤンに集中する。
 疑惑と不審の眼差しが交差する。
 ビュコックは淡々と事実のみを話し続けた。
「彼が言うには捕虜交換の中に帝国からのスパイが紛れ込んでいるというのだ。スパイの任務は同盟の霍乱。クーデターによる内紛」
「何故帝国が同盟に干渉すると断言するのですか?」
「それは帝国でも内紛、否革命が起こるからじゃ」
 驚愕の情報に皆息継ぎすら忘れる。
「わしもこの話を聞いた時には半信半疑であった。だがここにいるヤンたっての頼みだから内密に捜査をしたのだ」
「それで・・・結果は?」
 グリーンヒルは声が震えないため最大限の努力を要しながら聞く。
「事実であった。軍の一部が独断専行しようとしている。彼等はトリューニヒト派の横行を阻止するにはクーデターしか手段は無いと思いつめておる」
 そこまで言いビュコックはため息を付いた。
「それが帝国軍の思惑だと知らずに・・・だ」
「まさか・・・そんな事が」
「帝国軍は内紛の間同盟にちょっかいを出されては困るのだ。だからこんな小細工を打ってきよった」
 そこまで聞いたグリーンヒルは拳を震わせながらヤンに視線を向けた。
「ヤン大将。貴官がビュコック提督にこの話を持ちかけたのは確たる証拠があっての事か?」
 ヤンは頭を掻きながらぼそぼそと答える。
「証拠はありません」
「ならば何故不確定な情報をどこで掴んだ?」
「情報も得ていません。唯私が帝国軍・・・ラインハルトフォンローエングラムならばそうするだろうと推理しただけです」
「その推理が間違っているとは思わないのか?」
「貴官は探偵気取りだろうが証拠無く推論だけで行動するのは危険極まりない」
「預言者でもあるまいに自分の考えが正しいと思い込むのは極端すぎるのではないかな」
 グリーンヒルだけで無くレベロ ホアンルイも疑心の目を向けてくる。
 仲裁に入ったのはクブルスキーであった。
「私もビュコック提督に聞かされるまで容易に信じられなかった。だがヤン大将の推理は当たった。帝国では昨日門閥貴族によるリップシュタット盟約が交わされローエングラム派との交戦が確実となったとフェザーンから連絡が入っているそして同盟軍内部のクーデター計画が進められている事も確認された」
 クブルスキーの言葉には重みがあった。
 誰も、一言も発する事が出来ず重苦しい沈黙が部屋を覆う。
 数分、否10分以上経った時、グリーンヒルが苦痛の面持ちでクブルスキーとビュコックに向き直った。
「ではお分かりなのでしょう。だから私をここに呼んだ。私は逮捕されるのですね」
「どういう事ですかな?グリーンヒル査閲部長」
 戸惑ったホアンルイの問いかけにグリーンヒルは力なく笑った。
「私がクーデターの責任者なのだ。10日後にはクーデターは発動される予定であった」
「なんですとっグリーンヒル査閲部長っあなたともあろう方が何故?」
 問いただすレベロは驚きのため声が震えていた。
 グリーンヒルは彼らしくも無い皮肉な表情を浮かべる。
「ならばどうすればいいのです?今の状況を変えるには何をすればいい?軍は発言力を失い政府は主戦派のトリューニヒトによって牛耳られている。確かに私は軍人ですが無意味な帝国との戦争は国を疲弊させるだけだという事くらい分かっています。分かっていながら安易な扇動政治家に国を任せるわけにはいかない。方法はクーデターしか残されていないのだ」
 血を吐くようなグリーンヒルの告白、その時静観していたヤンが始めて口を開いた。
「それが帝国の思惑だとしても?」
「まだそうだと決まった訳では無い。全ては貴官の想像に過ぎない。証拠が無い」
 往生際が悪いとヤンは言わなかった。
 唯自分の推理を語る。
「クーデターはまず地方の惑星で起こるでしょう。ハイネセンから離れた同盟領の惑星で反乱が勃発する。しかも一箇所で無く最低でも4箇所。鎮圧のため艦隊が遠征し首都の兵力が手薄になった所をクーデター派が占拠する。予測される反乱地域は惑星ネプティス、惑星カッファー、惑星パルメレンド、惑星シャンプール これらの惑星はハイネセンとは距離があり、なおかつ無視する訳にはいかない人口数と勢力を持っている。特にイゼルローン駐留艦隊の兵力を首都に向かわせないためには距離の離れたこの4惑星の同時反乱が尤も効果的です」
 ヤンの言葉にグリーンヒルは呻くことしか出来なかった。
「・・・その通りだ。計画書の内容と一致している」
「客観的に見てこれが一番効果的な手段ですからその結論に達するのは当然です。しかも一見成功率が高く見えます」
 微妙な言い回しだ。
「これならハイネセンを制圧することは可能でしょう。問題はその後です。帝国はクーデターの成功は計画出来てもクーデター政権を維持することには興味が無い」
「・・・しかし政権を奪取すれば改革が可能となる。主戦派の市民も目を覚ますだろう」
「それは公正な選挙の元で政権交代が行なわれた場合です。軍事力によるクーデターに反発した市民による暴動が起こった場合、クーデター派はいかなる手段を用いるかという事です」
「一時的だが情報統制をかけ、マスメディアを通しクーデターの真意を啓蒙するしかあるまい」
 反論するグリーンヒルの言葉には力が無い。
 彼も気がついたのだ。
 反抗した市民のデモに対するには武力以外無いという事を。
「それに何の意味があるのです。力による支配は民主主義とは真逆に位置する事くらい市民にも分かるでしょう。民衆から指示されなかった場合はどうするのです。永遠に情報統制を続けますか。銀河帝国の様に」
「我らは独裁者とは違う、自由惑星同盟を救うという使命を持っている」
「その使命とは誰が与えたのですか。自由惑星同盟の指導権は市民による選挙によって選ばれる、これが大原則です」
 ヤンの追撃は容赦なかった。
 温和な表情で、声を荒げること無くクーデターの意義を打ち崩していく。
「では貴官ならどうする?トリューニヒトの独壇場となったこの国は滅亡に向かっている。勝てもしない戦にのめり込み国力も財力も尽きようとしている。軍事力もそうだ。トリューニヒトに対抗出来るだけの力のある内に行動しないと自由惑星同盟の未来は無い」
「それに対しては私も同感です。今、同盟にとって最大のチャンスであるこの時期に行動しなければ将来帝国の属領となるのは明らかでしょう」
 ヤンは視線をレベロとホアンルイに向けた。
「だから彼等をここに招待したのです」
 意味が分からず戸惑う二人にビュコックが助け舟を出した。
「軍によるクーデターはいかん、先例を許すと国家の根本が崩れる。じゃから政治家によるクーデターを起こしてもらいたいのじゃ」
 老大将の言葉にグリーンヒルとレベロ、ホアンルイは驚愕の眼を見開く。
「それこそ無茶な話です。現政権への不服を唱え総選挙を訴える、方法としては間違っていないでしょう。しかしそれに必要な材料が不足している」
 さすが政治家、ショックから逸早く立ち直るとホアンルイが異を唱えた。
「トリューニヒトの美辞麗句に心酔している国民に目を覚まさせるだけのネタが無い。単に反戦なら我々とてずっと唱えてきたが無視され続けてきた。市民の反戦団体もそうだ。人々は帝国打倒という夢に酔いしれて現実を見ようとしない」
「それは和平があまりにも市民にとって遠い世界、絵空事に思えるからでしょう。ならば現実に可能だと示して見せればよいのです」
 ヤンは淡々と言葉を紡ぐ。
「このタイミングでなければ和平への道は閉ざされます。これは自由惑星同盟が帝国に対し同格の交渉が出来る最大にして最後のチャンスなのですから」
「・・・どういう事だ・・・それは」
 問う声が震える。
 豪胆な性格のレベロですら上擦るのを抑えられない。
 ホアンルイも小さい眼を最大限に見開き耳を研ぎ澄ましヤンの一言を聞き漏らすまいとしている。
「帝国は今二つに分かれて内戦状態となっています。勝敗は火を見るよりも明らか。ですから我々は勝敗が決するよりも早くラインハルトフォンローエングラム陣営を支持すると表明する必要があります」
「・・・なっなんだとっ」
「帝国に味方するというのか、気でも狂ったのか、ヤンウェンリー」
 グリーンヒルの怒声にもヤンは怯まない。
「我々が戦ってきたのはゴールデンバウム王朝と貴族社会に対してです。ローエングラム候ラインハルトは腐敗した貴族社会に反旗を翻し内乱を起こしている。それは我らと同じなのではないのですか」
「だが・・・しかし」
「確かにローエングラム陣営はゴールデンバウム王朝の幼帝を奉っている。しかし6歳の幼帝など所詮飾り物です。もしローエングラム候が私の思うとおりの人物ならば内乱後、帝位を譲り受けるという形を取りゴールデンバウム王朝は終幕するでしょう、そして新たに現れるのがローエングラム王朝」
「それでは同じ事の繰り返しではないか」
「これは推測ですが、ローエングラム候の真意は皇帝になることでは無く皇帝という権力を用い帝国を改革することにあると考えます。それは一部特権階級のための政治でなく公正な法に定められた国家」
「何故そう言い切れる?」
「ローエングラム候は旧帝国で地位にも権力にも恵まれています。20歳という若さで元帥、帝国軍三長官を兼任、帝国軍最高司令官、そのままいけば近い将来彼は帝国を実質上支配出来たでしょう。しかしその将来には門閥貴族がついている。だから彼は内乱を誘発し貴族社会の一掃を図ったと考えます」
「貴族を廃した後自分が独裁者となるためでは無いのか」
「そうかもしれません。しかしだから何だというのですか。今のゴールデンバウム王朝は独裁者の成れの果てではありませんか。才気溢れる独裁者候補とルドルフの末裔と、どちらを選んだ所で変わらないというのなら少しでも和解の可能性があるローエングラム王朝を選ぶのが得策ではないでしょうか」 
 ヤンの言葉にレベロは反論しようとしたが出来なかった。
 異議を唱えるだけの材料を見つけ出せなかったからである。
「クーデター、というよりも解散総選挙要求の名目は帝国との和平を現政権が行なわないから、確かに通常の政府では内閣不信任を提出し国会三分の二以上の可決が無ければ内閣総辞職はさせられません。しかし今の政権は暫定政権でありこれらの規定は当てはまらない筈です。暫定政権は民意によって選出された政権では無い。だから総選挙で確認する。これでは市民を動かせませんか?」
 ヤンは淡々と語る。
「実現可能な和平案を目の前に突き出せば市民の目も覚めると思うのですが」
「今の失業率、労働者平均年齢のバランス、国家財力の疲弊、治安の悪化のデーターを公表すれば停戦に民衆は流れるかもしれない」
 今までトリューニヒト派によって握りつぶされていたデーターを開示すればどうなるか。
 人々に知らされていた表向きの発表との差に市民は愕然とするだろう。
 ホアンルイの呟きにレベロは難しそうな顔を向けた。
「本気か?ルイ、下手をすれば政治生命を抹殺されるぞ」
「それだけの価値があると思う。この機会を逃せば帝国との和平など二度とありえない」
「軍部は政府によって婉曲されてきた戦死者と被害の正確な数を公表する準備がある」
 クブルスキーがすかさず提案する。
「確かに政府は認めないだろうが軍が貴殿等の後押しをしよう」
「政府に発言力を持つため軍の工作だと誤解されかねない」
 それの道具にされるのはまっぴらだとレベロは顔を顰める。
「ではどうする?一世一代のチャンスを棒に振るか。それとも政治生命をかけて帝国との和平を築くか。決めるのは貴殿達じゃ。強制は出来ん」
 ビュコックは2人に決断を委ねる。
「我らとて軍人生命をかけよう。失敗すれば左遷どころか軍から追い出される。いや軍法会議が先じゃ」
 老提督の言葉には重みがあった。
 40年以上軍に命を捧げてきた男が己の実績全てを賭けると言っているのだ。
 クブルスキーも同様であった。
 聞いていたグリーンヒルも背筋を正す。
「我ら救国軍事会議が描いていたクーデターとは手法が違うが国を憂い改革を為そうとする志は同じ。私も軍人生命を賭け貴殿達の後押しをする」
 皆の視線が自然にヤンへと集まる。
「私は正直言うと軍が嫌いです。軍人になどなりたくなかったから私の軍人生命など価値はありませんから賭ける値打ちも無いでしょう。ですが言いだしっぺは私ですから責任は取ります」
「責任・・・とは?」
「ラインハルト フォン ローエングラムの説得あたりですかね」
「それは政府の役人が行なう事だろう」
「一筋縄ではいかない相手です。大博打というよりペテンで言いくるめるしかないでしょう」
「ペテンは貴官の十八番じゃったな」
 ビュコックが面白そうに笑う。
 ヤンは苦笑しながら頭を掻くしかなかった。
 
 

 密談から3日後。
 ハイネセンでも人気の高いニュース番組にゲスト出演したレベロとホアンルイは爆弾発言してのけた。
 現在の国家データーをグラフで分かりやすく説明した後帝国との和平案を提示する。
 そして宣言した。
「今の状況で主戦を唱える政府に対し解散総選挙によりし民意を確認する事を要求する」
 このニュースは同盟全土に流れ一時テレビ局の回線はパニック状態に陥った。
 発表から一時間後、軍最高責任者のクブルスキーが解散総選挙を支持すると発表した。
 クブルスキーはここ3年の戦死者と被害状況を提示し今は戦争では無く国力の回復に全力を尽くすべきだと断言したのだ。
 軍人によるこの発表は人々に賛否両論を巻き起こした。
 翌日にはビュコック提督、グリーンヒル査閲部長、エベンス ブロンズ ルグランシュなど艦隊司令官が指示に名を連ねる。
「我らは軍人だが無意味な戦いを肯定する者では無い。同盟軍の存在意義は自由惑星同盟を守る事にあり帝国軍と戦うためにあるのでは無い」
 救国軍事会議のメンバーはグリーンヒルの決断に同意したのだ。
 アーサーリンチは更迭されクーデターが帝国軍による工作だったことを自供させられた。
 だがそれは公表されなかった。
 これから和平を結ぼうという相手の陰謀など市民は知らなくて良いことだ。
 陰謀はあったにしても実行されなかったのだから良しとするべきだろう。
 そしてイゼルローン要塞のヤンウェンリーもメディアを使いレベロ ホアンルイ陣営への支持を明らかにした。
 これは尤も効果的であった。
 帝国打倒を唱え続ける政府と和平という妥協案を掲げる解散総選挙派の間で揺れていた民衆を一気に停戦派へと傾けたのだ。
 正直な話、突然解散総選挙を持ち出したレベロとホアンルイは政治家としての知名度が低く市民は今まで親しんできたトリューニヒトの美辞麗句に偏り勝ちであった。
 和平の実現案を提示されてもレベロやホアンルイレベルの政治家にそれだけの能力と実行力があるのか懐疑的であった。
 軍の主要人物が支持に回ったとしてもトリューニヒト派を崩せるほどに影響力は無い。
 と言うのも軍人は基本的にマスメディアに露出していなかったためトリューニヒト程知名度が無かったためである。
 しかしヤンウェンリーは違った。
 英雄としてメディアで頻繁に取り扱われ人々にカリスマ的信望を持つミラクルヤンがレベロ達を支持した。
「貴族社会などという限られた特権階級のみが恩恵を受け弱者は虐待される、そんな帝国をラインハルト フォン ローエングラム候は改革しようとしています。それはかつてアーレハイネセンが実行しようとした目的と共通するのでは無いのでしょうか。遠い宇宙の果て帝国で今改革が行なわれようとしています。我らは微力ながらこの革命を支持し、帝国が改革された時こそ手を取り合い平和を実現するべきだと私は考えます。ゴールデンバウム王朝は滅びるべくして滅びます。帝国人自身の手によって。それは同盟が帝国を滅ぼす事よりも遙かに意味のある事でしょう。私ヤンウェンリーは帝国との和平を実現しようと行動するレベロ議員とホアンルイ議員に賛同します」
 民意は加速度を付け解散総選挙へと流れた。
 それに一番敏感な反応を示したのは日和見政治家、トリューニヒトの取り巻きであった。
 彼等はトリューニヒトから恩恵を受けていたがそれがこれからも受けられる補償が無いと見限ると一気に解散総選挙に向け準備を始めた。
 彼等の目的は再選である。
 今まで主戦を叫んできた政治家はこぞってマスコミに声明を発表した。
「和平を指示する」・・・と
 中にはアイスランドの様に和平案に感銘を受け真剣に改革を考える者も出たがまれであった。
 あれ程までに主戦主戦といい続けた連中が一夜明けると和平派に寝返ったのである。
 機運はレベロ達へと向いていた。
 そして急遽国会が召集されたのはニュースから一週間後、トリューニヒト暫定元首による発令であった。

 宇宙暦797年3月20日
 その日の国会中継は異例の視聴率を記録した。
 国家元首であるヨブトリューニヒトは声高らかに宣言する。
「私、ヨブトリューニヒトは誓おう。不毛な帝国との長き戦いに終止符を打ち和平への道を築くと」
 内閣不信任案の決議で召集された筈の国会はトリューニヒトの独壇場となった。
「現在帝国内部で起こっているのは我ら祖先の悲願、ゴールデンバウム王朝の滅亡のための革命である。何故彼等は革命を起こしたのか。それは帝国市民が民主主義に目覚めた故だ。
 何故盲目であった帝国人が啓蒙したのか、私は答えを知っている。我らが長い年月独裁者に対し戦い続けた姿勢を見て帝国人は悟ったのだ。民主主義の素晴らしさを。我らの戦いは無駄では無かった。多くの犠牲を払いながら国家のため、民主主義のため、人類の未来のために帝国に戦いを挑み続けてきた成果が今、銀河の彼方帝国で華開こうとしている。国民よ。立ち上がれ。帝国で革命を起こしている我らの同胞を救うのだ。そして共に平和を築こう。帝国市民は民主主義に目覚めようとしている。素晴らしき自由惑星同盟の様な国家を帝国は作ろうとしている。先輩である我らは帝国を導く義務があるのだ」
 そして見事な笑みを浮かべレベロとホアンルイに声をかける。
「君達は本当に良くやってくれた。私の本意を忠実に実行してくれた。民意を和平へ導くのに国家元首である私が自ら行動しては扇動と非難されるからね」
 この一言でテレビを見ていた市民は勘違いする。
 レベロとホアンルイはトリューニヒトの手駒だと。
「何を言うのです。元首、あなたは何もしていなかったではないか」
 レベロの反論は故意にカメラを向けられなかった。
「私は主戦派だが戦争を肯定している訳では無い。それは前のアムリッツァ会戦で反対票を投じた事でも分かっていただけるだろう。私の望むのは自由惑星同盟の繁栄と国民の幸福だけなのだ。今回ローエングラムの革命に共感を覚えたがそれは個人の感情に過ぎない。国家元首である私が一言いえば簡単に民意は得ることが出来ただろう。しかしそれでは駄目なのだ。国民一人一人が真剣に考え結論を出さなければ意味が無い。私は皆さんに詫びなければいけない。この様な茶番を演じ皆さんの意思を確認したことを。そして私は今喜びに打ち震えている。自由惑星同盟の国民は私の期待に答えてくれた。帝国、同盟という国の枠を越え人間として革命者を助けようとしている。なんと尊い精神、なんという博愛主義。これこそが民主主義。戦争という悲劇が我らを強くしたのだ。
戦いは無駄では無かった。我らに不屈の精神をもたらし、それこそが帝国人の目を覚まさせ革命へと導いたのだ。素晴らしき国民、素晴らしき国家、自由惑星同盟万歳、民主主義よ永遠なれ」
 レベロ、ホアンルイ両議員の反論は無視された。
 中継すらされなかった。
 議会は拍手と歓声に包まれ内閣不信任案は2名を除く満場一致で否決されたのだ。


 ホテルでテレビを見ていたヤンは鳥肌が立つのを抑えられなかった。
 ヨブトリューニヒトの手腕は見事であった。
 情勢が悪いと判断するや人の功績を横取りした。
 しかも今までの戦争まで肯定してのけた。
 おまけに帝国の革命まで自分の手柄に仕立て上げたのだ。
 口先一つで。
 並の政治家では出来ない芸当だ。
 レベロやホアンルイとはレベルが違う。
 強い嫌悪感がヤンを襲う。
 同時に言い知れぬ恐怖を感じた。
 得体の知れない怖気がヤンを押し包む。
 ずっとトリューニヒトを単なる扇動政治家だと軽蔑してきたがそれは誤りではないのか。
 自分は奴を過小評価しすぎていたのではないか。
 画面に映るトリューニヒトは完璧な笑みを浮かべている。
 ぞっとした。
 この男は自由惑星同盟の寄生虫だ。
 だが小さい虫と侮っていたら何時の間にか宿主を食いつぶしてしまうのではないか。
 宿主を乗っ取ってしまうのでは無いか。
 そんな気味悪さすら感じる。
 耐え切れずヤンはテレビを消した。
 電話が鳴る。
 ビュコックからであった。
「すまんな、一番の害虫を駆除することは叶わなかったようじゃ。だが結果はどうあれ戦争は終わる。これで良しとしなければならんだろう、どうだ?今晩食事でもして一杯飲まんかな。わしのおごりじゃ」
 覇気の無い老提督と少し話をして通信を切る。
 戦争は終わる。
 和平の方向へ民意は動いている。
 目的は達成した筈なのにヤンの心には敗北感が重く圧し掛かっていた。
 
 その日の夜。
 ホテルで出かける準備をしていたヤンの元に三人の軍人が訪問してきた。
「お休み中失礼いたします。命令によりヤン中将をお迎えにあがりました」
 慇懃無礼なほど丁重に敬礼をしているがその目は厳しい。
 皆、銃を携帯している。
 三人の内高位と見られる大佐がベイと名乗る。
「誰からの命令だ?」
「それはお越し頂ければお分かりになります」
「納得出来ないな。正式な召喚状を用意してもらおう」
「それではヤン中将がお困りになるのではないのですか」
「どういう意味だ?」
「正式なルートを通すという事はグリーンヒル査閲部長にも同行していただくこととなります。救国軍事会議の責任者として」
「・・・内密に話をしたいという事か」
「もちろん中将の安全は保障いたします。あなたは我が同盟軍の英雄なのですから」
 ベイの言い方は皮肉でしかなかった。
 彼の口振りには嫉妬が混じっている。
 自分より若いヤンが中将である事への妬みが溢れ出ている。
 それを押し隠すこともせず慇懃無礼な態度を取り威圧してくる。
 若造の英雄を引っ立てる事に暗い喜びを見出しているようだ。
「では知人に電話を入れてもいいかな」
「許可されておりません」
「夕食を一緒に食べようと約束していた相手に断りも入れられないのか」
「許可されておりません」
 ここで言い争っても仕方ない。
 抵抗しても取り押さえられ連行されるだろうから争うだけ体力の無駄だ。
 電話はおろかメモの一つ残すことも許されないだろう。
 これでは拉致も同然だが今ヤンは丸腰だ。
 従うしか無い。
 大きくため息を付くとヤンは上着を羽織った。
 三人に連行され黒塗りの車に乗り込む。
 窓は外が見えないように加工されていた。
 到着場所を特定されないためか。中の人物を外部に見せないためか。
 多分両方だろう。
 大人しく腰を下ろしながらヤンは頭の中で素早く計算する。
 とりあえず今の情勢で殺されることは無いだろう。
 和平の方向に向かっていると言っても停戦になった訳ではない。
 まだヤンの力は必要な筈だ。
 自分を招集するには軍の許可がいる。
 それを無視出来るのは唯一人。
 奴は今回の茶番劇の情報を的確に入手したのだ。
 救国軍事会議によるクーデター未遂、レベロ、ホアンルイによる内閣不信任案要求、帝国との和平。
 それらにヤンが深く絡んでいる事を知り呼び出した。
 向かう先に待っている相手を想像し眩暈がするほどの嫌悪感に襲われる。
 吐き気すらしたが我慢してヤンは弾力のある後部座席のソファに深く座りなおした。
 ベレー帽を顔の上に載せる。
「不謹慎ですぞ。寝るなどと」
 ベイの叱責を無視してヤンは寝た振りをしながらこれからの対面に向けて思考を整理し直した。


「よく来てくれたね。ヤンウェンリー」
 着いた先、豪奢な館の一室で想像通りの相手が満面の笑みを浮かべヤンを出迎える。
 ベイ達はヤンを送り届けると敬礼をして部屋から出て行った。
「さあかけたまえ、確かヤン中将はブランデーがお好みだったな。年代物の良い品があるのだよ。私の支援者が贈ってきたのだ」
 美しいバカラのグラスに琥珀色の液体を注ぐ。
 ヤンはそれを受け取らず席にも座らなかった。
「簡潔にお話頂けますか。この後ビュコック提督との食事が控えておりますので」
「私との食事の方が有意義だと思うがね」
 含み笑いを浮かべながらトリューニヒトはグラスを掲げる。
「民主主義に乾杯」
 ヤンの顔が歪んだのを見逃さず苦笑しながらトリューニヒトはブランデーを飲み干した。
「さて、今日呼び出したのは他でも無い。お礼を言おうと思ってね」
「なんの話ですか?」
「君が見事な計画を仕立ててくれたから私の地位はますます強固なものとなった。礼を言うのは当然だろう」
 恥知らずな言葉にヤンは全身総毛だったがトリューニヒトは構わず続ける。
「さっきのベイ大佐、あれは救国軍事会議のメンバーなのだよ。そして私の忠実な信望者でね。逐一情報は貰っていた」
 最初からクーデターが起こることを知っていたのだ。
「まさか君がしゃしゃり出てくるとは思わなかった。しかし事態は良い方向へと動いた。戦争は終わり私は同盟史上初めて帝国との和平を築いた元首となる」
 満足そうな笑みを浮かべトリューニヒトは語る。
「君のおかげだよ。ヤンウェンリー」
 恐縮です、とでも言えばこの場から解放されるのだろうか。
 だとしてもヤンには到底言えなかった。
 口を聞くのはおろか見るのも、同じ空気を吸うのも苦痛だ。
「お話はそれだけですか。では失礼します」
 席に着く事もせず帰ろうとするヤンにトリューニヒトが声をかける。
「座りたまえ。目上の者に対して失礼だろう」
「私は軍属でありあなたの部下ではありません」
「つれないな。君は何時もそうだ。エルファシルから帰還した君をパーティーに招待したが断られたね」
「見世物になる趣味はありませんので」
「アスターテの時もそうだ。私からの誘いを断ったのは君だけなのだよ」
 暗に自分の権力をひけらかす。
 確かにトリューニヒトに招待されるというのは将来を約束されたも同然だ。
 政治家だけでなく軍人も競って彼に媚を売る。
「私の職務は軍人であり政治家のパーティーに出席することではありません」
 何度となく派閥に誘われたが断り続けた。
 トリューニヒトの腰ぎんちゃくになるなどごめんだ。
「だがこれからは違う。君は私のために働いてもらわなければならない」
「お断りします。私は同盟のために働いているのです」
「同盟イコール国家元首である私だよ」
「国家は国民のために存在します」
「綺麗事がお好きだな。アスターテの英雄は」
「気に入らないなら更迭でも辞任でもしてください。せいせいする」
 くすりっとトリューニヒトが笑った。
 気味の悪い笑みだ。
 女性なら見惚れてしまう微笑だがヤンは嫌悪以外感じない。
「辛辣だな。私にそんな口を叩けるのは君くらいだよ。ウェンリー」
「名前で呼ばないで頂きたい。親しい者にしか呼ばせていませんので」
「これから親密になろうじゃないか」
「お断りします」
「つれない事を言うが君は私のファンなのだろう」
 恐ろしく不快な事を言われヤンの眦が上がる。
「それはあなたの勘違いでしょう」
「知っているよ。君は私のファンだった。今から15年前、君は私の舞台を見に来ていたね」
 どこで知ったのか。
 チケット販売の時住所と名前を書いたから名簿を調べたのだろう。
 と言うよりもヤンの調査をして古い記録に行き当たったというところか。
「三度舞台を拝見しました。そして確信しました。私はあなたの演技が大嫌いだと」
「正直に言うね」
「役者としての演技も最低でしたが今、政治家としての演技は輪をかけて最悪ですね。見るに耐えない」
「私は自分自身を最高の政治家だと自負しているよ」
「それが謝りなのです。私はあなたを民主主義の指導者と認めていない」
「市民は認めている。それが全てだ。ここは民主主義国家なのだから」
 ヤンとしては限界だった。
 これ以上トリューニヒトの顔を見ていたくない。
 更迭するならすればいい。
 不敬罪にでもなんでもしてくれ。
 やけを起こして本音を言ったのにトリューニヒトは笑うだけで怒りはしなかった。
「エルファシルの英雄、ヤンウェンリー、君をこんなに怒らせる事が出来るのは私くらいな物だろうね」
「一種の才能でしょう。とにかく私はあなたに協力するつもりはありません。あなたの派閥に入る気も無い」
「それは私が決める事だ」
 ふいにトリューニヒトが立ち上がった。
 政治家だというのにトリューニヒトは背も高く鍛えた体を持っている。
 女性の支持率が高いのもその見た目故だ。
 そしてトリューニヒトはただ鍛えているだけでは無かった。
 役者時代に作り上げた体はまだ衰えていない。
 対してヤンは武人というにはあまりにも貧弱であった。
 東洋系という体格のハンデもあるが元々線の細い身体つきで筋肉が付き難い。
 トリューニヒトは覆いかぶさるようにヤンに近づいた。
 何故か威圧感を感じヤンは後ずさる。
「どうした?英雄殿は怖いのかな」
「あなたなど・・・言っておきますが暴力に訴えても無駄です。私は決してあなたの取り巻きには入らない」
「頑なだな。ヤンウェンリー。その矜持がどれ位持つか」
 トリューニヒトの手がヤンの顎に伸びる。
 振り落とそうとしたが反対に腕を捩じ上げられた。
「何をするっ」
「古今東西よく使われている手法だよ。知っているだろう。屈服しない相手を組み伏せるにはどうしたらいいか、それは相手にダメージを与えることだ。どれ程強い精神の持ち主でも肉体を責めれば陥落する」
「拷問にでもかけようと言うのですか。国家元首自ら」
「君は私を元首と認めていないだろう」
 息がかかる程顔を近づけられる。
 ムスクの嫌な香水の匂いが鼻につく。
「君を従わせるにはどうしたらいいか。簡単だ。プライドを奪えばいい。男として最大の屈辱と快楽を与えてやろう」
 その一言でようやくヤンは気が付いた。
 トリューニヒトの目的を。
「離せっ私に障るな」
 渾身の力を振り絞り捩じ上げられた手を振り上げる。
 そしてトリューニヒトの横面を殴りつけた。
「私を殴るとはいい度胸だ。始末に終えないじゃじゃ馬だな」
 トリューニヒトが合図をするとドアの外に待機していたベイ大佐達が現れた。
「英雄殿が大人しくなるように躾けてやれ」
「かしこまりました」
 2人の兵が両脇からヤンを押さえつける。
 ベイは荒い息を隠そうともせず懐から箱を取り出した。
「最高純度のサイオキシンだ。ありがたく味わうんだな」
「いやだっやめろっ」
 抵抗もむなしく二の腕を捲り上げられ注射針が突き刺さる。
 体内に注入される麻薬にヤンは絶望の悲鳴を上げ続けた。
 


 饗宴という名の地獄が終わった後、ヤンは這うように立ち上がった。
 腰は焼けるように熱く足元は定まらないがそれでもこの場にこれ以上いたら気が狂ってしまう。
 太股を伝う精液と血が気持ち悪いが拭う余裕も無い。
 おこりの様に震える手で脱がされたシャツを身につけようとした時、背後から声がかかった。
「風呂に入れてやろうか。ウェンリー」
 ソファに腰掛けブランデーに舌鼓を打ちながらトリューニヒトが声をかけてくる。
 何時の間にかベイと部下、カメラも消えていた。
「辛いのだろう、休んでいきたまえ」
 優しげに聞こえる声は呪縛のごとくヤンの体に絡み付いてくる。
 無視してジャケットを手にすると崩れかける足を叱咤してドアへと向かった。
「今日は満足したよ。君も楽しんだだろう。また連絡をさせてもらおう」
 絡み付いてくる視線から逃れるようにしてヤンは館から出る。
 外は太陽の光が眩しい。
 一晩も過ぎていたのだ。
 麻薬のせいで時間の感覚が狂っていたヤンはまぶしすぎるその光に目を細めた。
 後ろを振り返る勇気は無い。
 館の窓からトリューニヒトが自分を見詰めているのが分かるから。
 通りかかったタクシーを止めるとヤンは振り切るように車を発進させた。
 

 帝国暦488年3月19日


 門閥貴族によるリップシュタット盟約。これが全ての始まりであった。
 門閥貴族連合対ローエングラム候、リヒテンラーデ侯爵陣営との内乱。
 と一見見えるが真実は違う。
 貴族社会、長く続いたゴールデンバウム王朝に若き英雄ラインハルト フォンローエングラムが反旗を翻したのだ。
 一応名目上エルウィンョーゼフ二世という幼帝を奉っているが飾りであることは明白だ。
 ラインハルトの目的は唯一つ。
 腐敗しきったゴールデンバウム王朝の滅亡。
 一部の特権貴族のみが優遇されるのでは無い健全な法と秩序の社会を築き上げることにある。
 それはラインハルトが過去、唯一の姉を先の皇帝フリードリヒ4世に略奪されたことにある。
 アンネローゼは寵愛を受けたと言われているがラインハルトにとって皇帝の愛妾による権力など腐敗の象徴にしか受け取れなかった。
 愛する姉を奪われた憎しみは力を生み、フリードリヒ4世の死をきっかけに一気に覚醒した。
 若き英雄に禁忌は無い。
 栄華を極めた門閥貴族ですら粛清の対象となる。
 彼らこそこの腐敗しきった独裁政権を支えた犯罪者なのだ。
 ラインハルトに賛同した才能ある若き幕僚が彼を支えた。
 ジークフリード キルヒアイス。
 オスカー フォン ロイエンタール 
 ウオルフガング ミッターマイヤー
 パウル フォン オーベルシュタイン
 ラインハルトは幕僚を選ぶのに貴族の称号を必要としなかった。
 市民であったとしても能力があれば取り立てる。
 親友であり腹心の部下であるキルヒアイスはもちろんの事、ミッターマイヤーも園芸家の出であり爵位はおろかライヒリッターの位すら持っていない。
 ラインハルトの選出方法は貴族社会に汚染された軍ではまれであり一般兵の信望を集めた。
 我こそはローエングラム陣営で働きたいと続々志願兵が集まる。
 反して貴族陣営は老害としか呼べないような貴族と馬鹿息子しか残っていない。
 それと義理と脅迫に固められ無理矢理組み入れられた軍人と配下の者達。
 勝敗は火を見るよりも明らかであった。
 オーディンでの戦局が不利と悟るや貴族は拠点をガイエスブルグ要塞へと移した。
 盟主はブラウンシュバイク公 副盟主はリッテンハイム候
 3月19日 リップシュタット盟約と同時にラインハルトが発令した貴族連合への討伐命令は即座に開始された。
 一ヵ月後、ミッターマイヤー率いる艦隊とシュターデン艦隊のアルテナ星域での衝突が戦闘の皮切りとなる。
 ミッターマイヤー艦隊は圧勝し続くレンテンブルグ要塞攻略でラインハルト本隊は快勝。キファイザー星域ではキルヒアイス艦隊が副盟主リッテンハイム候を撃沈した。
 勝利の女神は確実にラインハルト陣営にのみ微笑んでいた。
 そんな勝利に沸き立つ時期、フェザーン経由から送られてきた一本の電報にラインハルトの機嫌は損なわれた。
「叛徒共から何の用件だ?」
 オーベルシュタインが差し出したそれを読み、ラインハルトは限りなく不機嫌になった。
「リンチは失敗したか。使えない屑だな」
「申し訳ありません。私の人選ミスでした」
「まあいい、それより問題はこれだ」
 電報を手にラインハルトが失笑を浮かべた。
「叛徒共の中にも情勢を読める奴がいるらしい。我が陣営を支持するとぬかしてきた」
 冷え切った表情でラインハルトは書状を踏みにじる。
「自由惑星同盟の国家元首とやらからだそうだ。読んだか?」
「一応危険が無いかどうか確認いたしました」
「では皆に読み聞かせてやれ。叛徒共の言い分を」
 オーベルシュタインは床でゴミ屑と化した書状を拾い幕僚達に聞こえるよう声大きく読み上げる。
「我が自由惑星同盟は今回の反乱に対しローエングラム陣営を支持する事をここに表明する。長きに渡り敵対してきたが遺恨を水に流し有効な関係を築き上げることを自由惑星同盟は宣言するものなり」
 失笑が幕僚に広がる。
「叛徒などに支持してもらわなくても結構」
 ロイエンタールの言葉にミッターマイヤーが頷く。
「支持だけされてもな。戦力にはならない」
「勝手に支持して勝手に宣言されても困るというものだ」
「様は我らに勝機ありと見て勝ち馬に乗ろうと言うのだろう。意地汚い叛徒共だ」
「フェザーンよりも達が悪い」
 口々に思いを吐き出す幕僚に混じりキルヒアイスが進言してきた。
「しかしこれを受け入れれば戦争が終結します。所詮自由惑星同盟など辺境の一惑星にしか過ぎません。が無視するには厄介な相手、この際停戦した方が良いのではないですか」
「卿のいう事も一理ある。しかしフェザーンは面白くないのだろう。一緒にこれを贈ってきた」
 オーベルシュタインがディスクをセットすると先程の国会中継、トリューニヒトの演説が映し出される。
「現在帝国内部で起こっているのは我ら祖先の悲願、ゴールデンバウム王朝の滅亡のための革命である。何故彼等は革命を起こしたのか。それは帝国市民が民主主義に目覚めた故だ。
 何故盲目であった帝国人が啓蒙したのか、私は答えを知っている。我らが長い年月独裁者に対し戦い続けた姿勢を見て帝国人は悟ったのだ。民主主義の素晴らしさを。我らの戦いは無駄では無かった。多くの犠牲を払いながら国家のため、民主主義のため、人類の未来のために帝国に戦いを挑み続けてきた成果が今、銀河の彼方帝国で華開こうとしている。市民よ。立ち上がれ。帝国で革命を起こしている我らの同胞を救うのだ。そして共に平和を築こう。帝国市民は民主主義に目覚めようとしている。素晴らしき自由惑星同盟の様な国家を帝国は作ろうとしている。先輩である我らは帝国を導く義務があるのだ」
 終わった時、幕僚には嫌悪と憤怒が噴出していた。
「厚顔無恥で恥知らずな叛徒共め。我らを愚弄するか」
 猪突猛進で知られるビッテンフェルトの怒声を皮切りに怒りが広間を埋め尽くす。
「思いあがった叛徒、我らを同列に考えているぞ」
「同列では無い。自分達が上だとぬかしてきた」
「これはローエングラム候に対する明らかな侮辱である。敬意を払わない同盟国など用は無い」
「否、奴等は危険な存在だ。思いあがった馬鹿共が帝国領に侵略してきた事は歴史上明らかだ」
「先のアムリッツアが愚策の最たる例だな」
「これで決まった。和平などありえない。奴等は滅ぼすに値する罪を負った」
 温和で名高いメックリンガーですら眦を吊り上げている。
 自由惑星同盟は幕僚が信望するローエングラム候を愚弄したのだ。
 万死に値するといきり立つのは当然だろう。
 だがそこをあえてキルヒアイスが進言してきた。
「自由惑星同盟と帝国が手を結んだら一番困るのはフェザーンでしょう。だからあえてこのディスクを寄越したのです」
「ではキルヒアイス。同盟と和平を結べというのか」
「短慮はお控えくださいと申し上げているのです。確かにこの国家元首を擁する叛徒との同盟は危険だと考えます。ですか今ここで結論を出すのは早計かと存じます」
 ふむ、しばらく考えた後ラインハルトは頷いた。
「キルヒアイスのいう事も尤もだ。だが予は一度受けた屈辱を絶対に忘れない。それだけは覚えておくのだな」
「分かっております。ラインハルト様」
 自由惑星同盟の書状はラインハルトのプライドを傷つけるだけの効果はあったのだ。
 それは長年親友と腹心の部下を務めてきたキルヒアイスにも分かっている。
 幕僚達も同様だ。
 許しはしない。
 だがどういう相手がどういう出方をするか見てからでも結論は遅くない。
「いかがいたしますか。この書状に対する返答は」
「無視しておけ。今はやることが山程ある」
 生き残りの貴族の討伐が先だ。
 それが終わったらその時こそ。
 遠く宇宙に浮かぶ自由惑星同盟を思い描きラインハルトは秀麗な美貌に冷たい微笑を浮かべた。

 帝国暦488年8月
 銀河帝国、ローエングラム候へ書状を送って三ヶ月。
 何の返信も無い事にヨブトリューニヒトは苛立っていた。
 同盟市民に大々的に報じ宣伝して送りつけた書状に何の返答も無いという事は元首の才覚に傷が付く。
 国民も動きの無い事を疑問に思い始めていた。
 本当に和平が行なわれるのか。
 平和は訪れるのか。
 それと別にトリューニヒトの判断に疑問を投げかける論評も出始めてきた。
 帝国との和平などありえない。国家元首は道を誤り帝国に同盟を売ろうとしている。
 言論規制しているので表面上は無いがハイネセンの街角にビラが撒かれることも少なくない。
 憲兵によってそのつど回収し首謀者は逮捕しているがそろそろ人の口に戸は立てられなくなってきた。
 結果を出さなければならない時期にきている。
 フェザーン経由の情報によればローエングラム陣営は貴族連合の最後の砦、ガイエスブルグ要塞を完膚なきまでに陥落させたそうだ。
 勝敗はローエングラム候の勝利で決した。
 この後行なわれるであろう帝国での勝利を祝う式典。
 これに同盟も参加すれば国民も納得するだろう。
 だが帝国からは無視されている。
 このままでは同盟の・・・国家元首の沽券にかかわる。
「さて、どうしたものか」
 トリューニヒトは思案した。
 帝国の一番興味ある人物を使者として差し出せば彼等の態度も変わるのではないかと。
 帝国にとって最重要人物。
 それは同盟にとっても有益な存在で自分にとって目障りだが利用価値のある人間だ。
 トリューニヒトはベイを通じ連絡を取った。
 ヤンウェンリーへと。

「やあ、ヤン小将。よく来てくれたね」
 統合作戦本部の元首室。
 正式な召喚状で無理矢理呼び出されたヤンは無表情にデスクの前で敬礼した。
 トリューニヒト立ち上がり握手をしようとしたが無視され仕方なく椅子に座りなおす。
「何度も連絡を入れたのに会ってくれなくてさびしかったのだよ」
 色を含ませ微笑んだがヤンは無表情のまま切り出した。
「お話は手短にお願いします。外で部下が待っておりますので」
 今回、召喚状に応じるのにヤンは条件をつけた。
 部下の同行である。
 そうでなければ決してトリューニヒトの前に姿を出さないと宣言するヤンにしぶしぶ許可したのだ。
 同行させたのはローゼンリッター隊長ワルター フォン シェーンコップであった。
 筋肉隆々、白兵戦の勇者。
 彼は部屋の隅に控えヤンを守っている。
 トリューニヒトは不機嫌を押し隠して笑顔を見せた。
「実は事前に耳に入れておきたい事があってね。明日には軍より正式な辞令が出るだろうが君には今度行なわれる帝国での戦勝式典へ我が国の親善大使として出向いてもらいたい」
 トリューニヒトの言葉にシェーンコップが真っ先に反応した。
「貴様っ何を馬鹿なことをっ閣下をなんだとっ」
 ヤンは首を振ってシェーンコップを制す。
 目で黙っていてくれと合図すると渋々シェーンコップが口を閉ざした。
「部下の教育には気をつけたほうがいい。君の才覚を疑われる」
 トリューニヒトの嫌味をヤンは無視する。
「私は軍人であり政府高官ではありません 任務の範囲を超えております」
 きっぱりとした拒絶である。
「君は英雄だ。様々な任務に対し臨機応変に対応する能力が必要だよ」
「私の任務は軍事行動に限られております。帝国との交渉は政府の勤めです」
 暗に人へ責任を擦り付けるなと言う。
「政府高官ではこの任務は重すぎる。帝国にも軽んじられてしまう。その点君なら大丈夫だ。ヤンウェンリーと言えばその名は帝国にも広く知れ渡っているだろうからね」
「ならば国家元首が式典に参加すればよろしいのです。作り物の英雄などより余程効果的です」
「私は無理だよ。もし私に何かあれば同盟はどうする」
「あなたが死んでも国は滅びません。代わりの少しはましな政治家が元首になるだけです」
 くっくっくっとトリューニヒトは喉を鳴らして笑った。
「相変わらず辛辣だね、ウェンリー」
「名前を呼ばないでください。吐き気がする」
 トリューニヒトは意味深にシェーンコップへ視線を向けた。
「彼を退室させてくれないか。重要な話がある」
 どうせあの晩の事を盾にして脅すつもりなのだろう。
「お断りします。彼の任務は上司である私の警備にあります」
「ここに危険は無いだろう」
「それは私と彼が判断します」
「ここで話してもいいのかい、彼に聞かれるよ」
「何の話ですか。聞かれて困ることを話そうと言うのですか。国家元首がイゼルローン要塞総司令官を脅迫するとか?」
 ヤンの切り替えしにトリューニヒトは苦虫を潰した様な顔をした。
 デスクに載せた指先をこつこつと叩きながら囁く。
「君がそういう態度だとこちらも出方を考えなければいけない。出来るだけ穏便にすませたいのだが」
「用件のみお願いします」
「用件は先程話しただろう。親善大使として帝国へ出向いてもらいたい」
「イゼルローンはどうするのですか?」
「君の優秀な部下が後を引き受けてくれるよ」
「帝国との和平はまだ終結しておりません。その状態でイゼルローン総司令官が任地を離れる訳にはいきません」
「国家元首が許可するのだ。これは命令だ」
「ではその様にマスコミに報道させてもよろしいのですね」
 もしそんな事になれば市民の批判は一気にトリューニヒトへと集中する。
 国民的英雄を人身御供、人質になど許されはしない。
「君から自主的に名乗り出てもらいたいのだが」
「都合の良い話を作り上げても無駄です。あなたを義務で報じるニュースは多いが私を報じたいと願い出る番組は幾多もありますので」
 つまりトリューニヒトよりもヤンの方が支持されているという事だ。
 これにはトリューニヒトも鼻白んだ。
「英雄と呼ばれいい気になっているんじゃないかな。少しは謙虚になった方がいい。この前のように」
「おっしゃる意味がわかりません。話がこれだけなら退室いたします」
 トリューニヒトとヤンの応酬を背後で見物しながらシェーンコップは疑惑を抱いていた。
 ヤンは普段穏やかな人柄だ。
 戦闘中でも滅多に声を荒げないし怒鳴ったりもしない。
 子供っぽいところはあるが部下に対しても丁寧に応対する。
 マスコミには辛辣だがここまで酷くは無い。
 確かにヤンのトリューニヒト嫌いは有名だ。
 だが仮にも国家元首に対してこの態度は不敬罪に処される可能性すらある。
 そしてもう一つ気になる事。
 ヤンは同行するシェーンコップに小型の録音機を携帯させたのだ。
 つまりトリューニヒトとの会話を全て記録しておくという事だ。
 鷹揚で細かいところには拘らない人が何故?
 命令通り黙って見ているがシェーンコップの疑惑は大きく膨らんでいった。
 目の前の2人には何か秘密がある。
 何か・・・何がこの2人の間に起こった?
 何を閣下はされたのだ。
 シェーンコップの嫌な予感は的中した。
「確かウェンリーには養子がいたね、ユリアンミンツ君といったかな。優秀だという話は聞いている」
 一瞬、ヤンの視線が揺れる。
 それをトリューニヒトは見逃さない。
「彼はまだ15歳、思春期の真っ盛りだろう。彼が君の事を知ったら傷つくだろうね」
 トリューニヒトの微笑から腐敗の匂いがする。
「英雄と君を崇めている部下が知ったらどう思うかね」
 そのニュアンスだけでシェーンコップは全てを悟った。
「貴様っ殺してやるっ」
 ローゼンリッター隊長の殺意にトリューニヒトは動揺したが狼狽はしなかった。
 それは立派だと言えるだろう。
 全身から殺気を漂わせブラスターを引き抜こうとしたシェーンコップをヤンが制止する。
「勝手な行動は許さない。命令だ」
「何故です。こいつは屑だっあなたが殺せないというのなら私がやりましょう」
「黙っていてくれないか。話が先に進まない」
 ヤンは淡々と言いトリューニヒトに向き直った。
「あなたがおっしゃりたいのは国家元首がイゼルローン総司令官を暴行したという事ですか」
「暴行とは心外だな。君も楽しんでいたじゃないか。ディスクに残っているよ」
 切り札を持ち出したつもりだったがヤンの態度は予想とは違った。
「私の方にも証拠は残っております。あの日、私は宿舎に帰らず病院に行きました。そして警察にも」
 ビュコックに連絡を取り信頼置ける病院で治療と強姦の証拠を、そしてクブルスキーの元部下である警察官に頼み調書を作成したのだ。
「私の体内に残っていたDNAのデーターは保存してあります。お分かりですね。この意味が」
 ディスクを公表するなら訴えトリューニヒトのDNAと照合すると言っているのだ。
 国家元首は唸りながら睨み付けた。
「あの朝、シャワーも浴びず帰ったのはそのためか」
「危機管理の基本です。軍人として当然の事をしたまでです」
「食えん男だな。君は」
「おほめにあずかり光栄です」
 トリューニヒトは憎々しげに片手を上げた。
「帰りたまえ。これ以上話しても無駄なようだ」
「失礼します」
 ヤンは形式だけの敬礼を返す。
 部屋を退出する時、背後から声が聞こえた。
「しかし君はいかねばならない。君がいかなければこの和平は決裂するのだから」
 返事をせずヤンは扉を閉めた。

「何故ですっ何故あいつを生かしておくのです。一言許してくだされば奴を撃ち殺してやったものを」
 宿舎に帰ると同時にシェーンコップはヤンに詰め寄った。
「それは出来ない。彼は国民に選ばれた国家元首だ。私情で抹殺するのは民主主義の意に反している」
「国家元首ならどんな犯罪を犯しても良いというのですか」
「市民に対してなら許さない。しかし私個人になら話は違う」
「何が違うというのです」
「今状況は非常に不安定だということは分かるだろう。帝国との和平が決まるか否かの瀬戸際にイゼルローン要塞総司令官と国家元首のスキャンダルなど同盟にとって不利益だ」
「自分が我慢すればすむと思っているのですかっ」
「そうだよ、私は被害者なんだ。被害者の意思を尊重してくれ」
「認められませんな。閣下の事は決して公にいたしません。私が個人の意思で奴を殺す」
「それも駄目だ。君は私の部下でイゼルローン要塞防御指揮官なのだから」
「閣下は何を考えておいでですっ」
 シェーンコップは掴みかからん勢いでヤンを壁際に追い詰めた。
「あんな下種をかばって何の得があるというのです。奴を殺す事は同盟にとっても有益な事だと何故分からないのです」
「彼は国民に選ばれた国家元首だからだ」
 無表情にヤンは言い切った。
「大義名分のためなら自分はどれだけ傷ついても構わないと?悲劇のヒロインぶるのも大概にしてくださいっ」
 シェーンコップは激怒していた。
 トリューニヒトに対して。
 ヤンに対して。
 そしてヤンのために
 ヤンに変わって彼は憤怒を隠さない。
 それが分かるからヤンは小さくため息を付いて微笑んだ。
「すまない。シェーンコップ、私のために嫌な思いをさせたね」
「何故そこで閣下が謝るのですか。そう言われたら私が折れるしかないじゃないですか」
「ごめん。私のためにと言うなら奴に関わるのはやめてくれ」
「閣下は何を考えておいでです、あれは寄生虫だ。いずれ同盟を利用しつくし食いつぶすっそれが分からないあなたでは無いでしょう」
「私が考えているのは平和だけだよ」
 他の人が言えば偽善に聞こえたかもしれない。
 しかしシェーンコップは知っていた。
 ヤンがどの様な思いでイゼルローンを攻略したのかを。
 呻くシュエーンコップにヤンは語りかける。
「イゼルローン攻略の後、事態は私の思惑とは別の方向へと進んだ。要塞を無傷で落とした事でいい気になった同盟は帝国領侵攻という最大の愚を侵した」
「・・・それは閣下のせいではありません」
「そう、確かにそうだね。でも私はあの時本当に絶望してしまったんだ」
 何に、とシェーンコップは聞けなかった。
 軍に対して?
 政府に対して?
 国民に対して?
 国家・・・民主主義に対して?
 どれも当てはまるため口に出せない。
「何十万、何百万という命が犠牲となった。くだらないこの戦争のために」
 ヤンは目の前のシェーンコップではなく遠くを見て呟く。
「切っ掛けを作ったのは私だ。私は奢っていた。自分の考えに自信を持っていた。和平に?がると信じ要塞を陥落させた。帝国領侵攻という可能性がありながらそれを無視した」
「それがなんだと言うのです。人間は神じゃない。未来を見通すことなど出来はしない」
「そうだね、君の言う通りだ。あの時私は最善の策を取ったつもりだ。しかし現実イゼルローン攻略によりアスターテで幾多の死者が出ている」
「責任を負うと?思い上がりですっ閣下、あなたは何様のつもりですか」
「君ならそう言うと思った。しかしあの時私は絶望の中で決心したんだ。やってもやらなくても未来が思うとおりにならないのなら思う存分あがいてみようと」
 だからクーデターの際、レベロとホアンルイを動かし和平へと世論を誘導したのだ。
 以前のヤンなら絶対にやらなかっただろう。
 自分の夢は歴史学者になることだった。
 時代を静観し記録することが願いだった。
 歴史を作りたくなど無かった。
「だがやらないで後悔など二度としたくない」
 イゼルローン攻略の後、ヤンは積極的に和平を唱えなかった。
 それは政治家の仕事だと逃げた。
 つけは何百万の命となって返って来た。
「私の願いは唯一つ。和平だ。それのためなら暴行にあった事など忘れてしまえる」
「本当に・・・忘れられる物なのですか」
 シェーンコップはヤンの瞳を覗き見る。
 遠くを見詰めていたヤンの視線が戻ってきた。
 たったそれだけの事なのに泣きたくなる位シェーンコップは暗渠した。
 ヤンが自分を見ている。
 過去では無く、未来でも無く、今目の前にいる自分を。
「君は鋭いね、実際あれはショッキングな体験だった。今でもうなされるよ」
 その一言は秘密を共有したからこそ漏らせるヤンの本音だった。
「眠れない・・・のですか」
「そんなに繊細じゃないつもりだったのだけど・・・トラウマにはなりそうだ」
 瞼を震わせ少し辛そうにヤンは苦笑する。
「時が忘れさせてくれるだろう。今は無理だけど」
 弱々しげに本音を吐くヤン、これは今シェーンコップに与えられた特権だ。
 それを自覚した時、シェーンコップの中に何か芽生えた。
 否、芽生えたのでは無い。
 初めて出合った時から植えつけられた思いが開花したのだ。
 目の前の男を守りたい。
 守ってやりたい。
 彼の行く末を見届けたい。
 一緒に歩みたい。
 彼の盾になりたい。
 女への恋愛感情など比べ物にならない強い想い。
 誰にも譲れない、渡さない絶対の存在を見つけたからこそシェーンコップはヤンに従ったのだ。
 誰にも忠誠を誓わなかった自分が始めて屈した相手。
 そのヤンがトリューニヒトごとき相手でトラウマになるというのが許せない。
 目の前にいるのは建国史上最年少の英雄であり巨大なイゼルローン要塞の総司令官。
 だが目に映るのは暴行に傷つき震えている青年だ。
 華奢な体を震わせ辛さを隠したった一人で運命と立ち向かおうとしている。
 ごくりっと喉が鳴った。
 細い首筋が、陰を作る睫毛の長さが、漆黒の黒髪が、僅かに触れる細い体躯がシェーンコップを煽る。
 この体を奴は抱いたのか。
 怒りと同時に嫉妬を自覚した。
 自分ならば辛い目にあわせたりしない。
 大切に、宝物の様に扱いトラウマなど消し去ってやれる。
 シェーンコップから滲み出る気配が変わったのにヤンも気が付いたのだろう。
「話はそれだけだよ、シェーンコップ」
 離れてくれと言いたげに身を捩るが百戦錬磨の勇者は引かなかった。
 更に距離を縮めて上官を抱きしめるように腕へと囲う。
「小官に傷を癒させてもらえませんか」
 この男にしては控えめな誘いだった。
 声が僅かに上擦っていたのをヤンは気が付いただろうか。
「同情なら止めてくれ、ますます惨めになる」
「そんな軽い気持ちではありません。唯許せないのです。あなたの中に奴との記憶が残っているのが」
 真摯な物言いにヤンは視線を避け苦笑する。
「私とセックスしたら後悔するよ」
「どういう意味ですか?」
 ヤンは自嘲的な笑みを浮かべた。
「一度寝れば上官として私を尊敬出来なくなるだろう。今ですらあまり立派な上司では無いのにこれ以上軽蔑されるのは辛い」
「何があろうとも私はあなたの僕です」
「夜・・・眠れないと言ったよね」
 ヤンは俯いたまま打ち明ける。
「君には色々と知られてしまったから白状しよう。眠れないのは記憶のせいじゃない」
「どういう事ですか?」
「トリューニヒトは私に強要する時サイオキシンを蒸留させた薬を使った。世間一般に言われる媚薬という代物だ。相当強烈な物だったらしい。常用性は無かったのが救いだがね」
「・・・閣下」
 ヤンを取り巻く空気が色を増すのにシェーンコップの喉が鳴った。
「忘れられないんだ。あの快楽を。夜眠れないのは体が疼くからさ。嫌悪する奴に抱かれたのに感じたというのに最低な話だ。多分セックスをすれば私は狂うだろう。我を忘れて快感だけを追い求める。そういう体になってしまった。男としてのプライドなど無い。動物以下だ。そんな姿を君には見せたくない。分かってくれ」
 ヤンはシェーンコップの気が削がれる様にわざと露悪的な言葉を使った。
 だが彼は離れるどころか体を密着させてくる。
「お分かりでしょう、閣下。私が興奮しているのが」
 スラックス越しに触れ合う下肢から伝わってくる熱。
 シェーンコップのイチモツはすでに立ち上がって男を誇っている。
「閣下が小官の手で乱れてくださるというのなら本望ですな。
そんないい訳で私は引いたりしません。暴行による快感など忘れるくらい気持ち良くさせてあげますよ」
 揶揄を感じさせる言葉はシェーンコップ流のジョークだ。
 少しでもヤンの気持ちを軽くさせようと、業と軽薄に誘いかける。
「本当のセックスというものを教えて差し上げます。本来セックスとは相手を労わり、分かり合うための手段なのですから」
 背中に回した手がヤンの体を撫で上げる。
「君は・・・女性専門だと思ったけど」
「閣下は別格です。今私は猛烈に興奮している。早くあなたを抱きたくて堪らない」
「はっきり言うね。期待はずれだと思うけど」
「確かめさせてください。あなたの中で」
 返事を待たず、シェーンコップはヤンに口付けた。
 今まで培ったテクニックを全て駆使し口内を蹂躙する。
 一つのキスで総司令官を陥落してみせるとでも言いたげにシェーンコップの舌は動いた。
 何十秒、否数分はたったかもしれない。
 お互いの唾液が絡む音だけが室内に響く。
 解放された時、ヤンの足は奮え歩くことさえ出来なかった。
「さすがだね。プレイボーイの名は伊達じゃない」
「それだけ口をきけるのなら次のステップに進んでも大丈夫ですな」
 細身とはいえ男の体をやすやすと抱きかかえベットへと向かう。
「優しくしますよ。全てを忘れ私で埋め尽くされるように」
 その一言が饗宴の合図であった。



「閣下。お体の具合は大丈夫ですか」
 数時間にも及ぶ情交の後、精液で汚れた肢体を丁寧にタオルで拭いながらシェーンコップは問いかけた。
「・・・死にそうだ」
 素直な返事に苦笑してしまう。
「私もです。こんなに夢中になったのは初めて女を抱いた時以来ですよ」
 これは嘘だ。
 女など比べ物にならない。
「そうかい。良かったよ。君も満足してくれて」
 満腹しきった猫の様に怠惰にヤンは伸びをする。
 性欲と睡眠欲が満たされご機嫌の様だ。
「私も良かったでしょう」
 率直に聞くとヤンはくすくすと笑った。
「ああ、とても良かった。あいつなんかとは比べ物にならないよ」
「あんなのと比較されて褒められてもうれしくありませんな」
「仕方ないよ、私には他に比べる相手がいないのだから」
 つまり初めての相手に強姦されたということだ。
 しかもこの世で一番嫌っている相手に。
 微妙な表情をしたシェーンコップにヤンが微笑みかける。
「気にしなくていいよ。私はもう忘れたから」
 セックスした後もヤンは変わらなかった。
 乱れ喘ぎ男を欲し見せた嬌態に酔いしれた。
 どんな美酒でも叶わぬ極上の味わい。
 だというのに事が終わった後は何時もの司令官に戻る。
 今までの行為など単なる道楽だと言わんばかりに。
 女は全て寝た後シェーンコップを独占したがった。
 ヤンは男なのだからこの方式に当てはまる訳では無い。
 分かっているがどこか悔しい。
 そう感じるのは自分が願っているからだ。
 ヤンが自分に溺れ、自分を独占したがってくれればいいと思っているからだ。
 気持ちを振り切る様にシェーンコップは平静なふりをした。
「それで、奴の要求をどうかわすおつもりですか」
 返答は意外な物だった。
「仕方ないだろうね。私が帝国に行くのは」
「・・・閣下?」
 あれ程までに体を繋げ交わりあったというのに今は気持ちが読めない。
「帝国が認めるなら・・・だけど、今の帝国で私以上に重要人物はいないだろう」
 驕りでは無い。
 帝国にとって尤も危険なのはイゼルローンを落としたミラクルヤン。
 誇張であっても名声は届いている。
「市民が鼓舞されたトリューニヒトの国会演説は最悪だった。多分ローエングラム候はもう聞いているだろう。そして激昂しているだろう。今更奴が出向いても無駄さ。火に油を注ぐようなものだ」
「だからご自分で行かれると?」
「仕方ないと言っただろう。私の目的は和平にある。そのためなら幾分の努力は必要となる」
 大人しく聞いていたシェーンコップの胸に疑念が過ぎる。
「まさか、閣下は見捨てる気では無いでしょうね」
「人聞きが悪いな。そんな薄情なことはしないよ」
 ヤンはシェーンコップの問いかけの意味を正確に把握して返答した。
 まさか・・・そのまま帝国に亡命するつもりでは無いでしょうね。
 とシェーンコップは言いたかったのだ。
 腐敗しきった自由惑星同盟に見切りをつけ、未来明るい帝国に活路を見出したとしても不思議ではない。
 そもそもヤンを同盟軍に縛り付けてきたのは無料で歴史を学べる見返りの軍役のみ。
 学費の返還要求は何時の間にか英雄への過大な期待へと変わった。
 ヤンが負担に想い逃げ出したとしても無理は無い。
 足枷になるのは精々仲間・・・いやユリアンくらいか。
 だがヤンはリアリストだ。
 ユリアンを愛していたとしても彼のために自分の未来を捨てる事はしない。
 そしてユリアンがヤンのために人生を捧げる事も認めない。
 実際ユリアンはその兆候が出ている。
 確定する前に姿を消し、本来の道を歩んでもらいたいとヤンが考えたのなら亡命の障害は無くなる。
 薄ら寒い考えにシェーンコップは眉を潜めた。
「大丈夫、帰ってくるよ。私は見届けたいんだ」
「見届けたい・・・何を」
「自由惑星同盟の行く末。というと膨大すぎるね。私は民主主義のあり方を見届けたいんだ」
 そちらの方が余程膨大だろうにヤンはしれっと言い切った。
「だから亡命しない。今はね」
 意味深な言葉はシェーンコップをからかったのか、それとも本音なのか。
 問い返しても答えてくれないことは分かっているからシェーンコップは意趣返しも兼ねて押し倒す。
「では私もお供させてください。閣下と供に小官も見届けたいのです」
「君も酔狂だね」
 ヤンは笑いながらゆっくりと足を開いた。
 部屋は再度濃密な空気に支配されていった。