宇宙暦797年 帝国暦488年 4月13日

 自由惑星同盟の首都、ハイネセンでクーデターが勃発した。
 首謀者は同盟軍の改革派。
 そしてクーデターの長は軍の良識派として名高いドワイト グリーンヒルであった。
 グリーンヒルは先の帝国侵攻作戦の総参謀長として敗戦の責任を取り国防委員会事務局査閲部長へと左遷させられていた。
 その事を怨みに思って、とはこの報を聞いた誰も思わなかった。
 良識派として人望があるグリーンヒルですらクーデターを起こさなければならない程ハイネセンは腐敗している。
 その事実を改めて確認しただけだ。
 クーデターはその日の内に首都を制圧する。
 グリーンヒルは救国軍事会議議長に就任した。
 スポークスマンにはエベンス大佐。
 他にブロンズ中将 第11艦隊司令官のルグランジュ中将も参加している。
 ハイネセンにいた有能な若手、中堅の兵士は救国軍事会議に傾倒している。
 見事な手腕だ。
 イゼルローンで報告を受け取ったヤンは大きくため息を付いた。
 ハイネセンでクーデターが起こるのは分かっていた。
 だがまさかこれ程早いとは思わなかった。
 捕虜交換から僅か二ヶ月。
 捕虜の中に工作者を紛れ込ませていたとはいえ、あまりにも迅速すぎる。
 最低でも半年はかかるだろうと考えていたヤンの予想は外れた。
 恐ろしいのはクーデターの事実では無い。
 二ヶ月という短期間で成し遂げた事だ。
 捕虜あがりの工作者がどういう手段を使ってグリーンヒルに近づいたのかは分からない。
 だが聡明なグリーンヒルですら引っ掛かる見事な案を用意したのだ。
 グリーンヒル程の人物が容易に帝国の元捕虜を信用したとは思えない。
 つまり捕虜個人の信用に目を瞑ってもありあまる完璧なクーデター案を提示されたということだ。
 裏で手を引いているのはラインハルト フォン ローエングラム。
 これには確信がある。
 帝国内で大きな内乱が起こっている。
 3月 帝国の門閥貴族がリップシュタット盟約に調印し貴族連合軍として対峙してきたのだ。
 これを機にラインハルトは貴族を完全に排除しようとしている。
 もめているこの時期、同盟が余計な策を講じてこない様ラインハルトは同盟内にクーデターを起こさせた。
 それが読めるから捕虜交換が行なわれる前からヤンはその危険性に気がつきビュコック大将に連絡を取っていた。
 しかし手は講じられること無くハイネセンは占拠された。
 これはビュコック大将ばかりを責める訳にはいかない。
 ヤンもまさかこれ程早くクーデターが勃発するとは思わなかったのだ。
 最低でも半年、10ヶ月は準備期間を要すると暢気に考えていたのだ。
 自分の甘さをヤンは痛感した。
 ラインハルトの動きは常識を逸して早い。
 それは彼の才能の豊かさと精神の柔軟さを示している。
 捕虜交換から一ヶ月後に帝国内乱は始まった。
 そして一ヵ月後には同盟のクーデター
 次から次へと策を出してくる。
 帝国も同盟も彼の掌で踊る駒の一つにしか過ぎない。
「クーデターの処理には意外と手間取るかもしれないな」
 天才が仕掛けた罠はヤンが思う以上に複雑だろう。
 しかしこの段階でヤンはクーデターを問題にはしていなかった。
 大切なのはその後だ。
 時間が勝負となってくる。
 ヤンがクーデターを鎮圧し、政府が持ち直し軍が正常に戻るまでの時間とラインハルトが帝国を制圧するまでの時間。
 どちらが早いかが鍵となる。
 これだけでは終わらない。
 ヤンは確信していた。
 かの覇者は次の、更に一歩先の手をもう用意しているのだろう。
 幾つもの策、一つ一つは重大事には至らないかもしれない。
 だがそれが幾つも続けばどうなるか?
 長引く混乱は同盟を衰退させる。
 ヤンはそれを危惧している。
 ラインハルトの不吉な予言が頭から離れない。
卿の愛する自由惑星同盟を滅ぼしてやろうと彼は言った。
「・・・今は目の前の事を片付けないといけないな」
 意識が逸れたのを戒めるかのごとくヤンは髪の毛をかき回すと報告書に没頭した。


 5月18日
 クーデターの報を受けイゼルローンを出立した第13艦隊はドーリア聖域で第11艦隊率いるルグランシュ中将と対戦した。
 同盟至上初めて同国民同士の艦隊戦が行なわれたのである。
 ヤンは敵を分断させ、攻撃を加えた。
 そして本隊を包囲して集中攻撃を仕掛ける。
 8時間に渡る消耗戦であった。
 結果はルグランジュ中将はピストル自殺。
 前方部隊も降服を拒否して全滅。
 後味の悪い結末となった。


 季節は8月に入りヤン率いる第13艦隊はハイネセンの頭上に到着した。
 首都はアルテミスの首飾りという全自動防空システムによって守られている。
 ハイネセンの軌道上に位置する12個の攻撃衛星。
 これに対する作戦にヤンはアーレハイネセンの故事を利用した。
 バーラド星系第六惑星シリューナガレから10億トンの氷塊を12個切り出し、ジェットエンジンを搭載させ光速に近い速度で首飾りに激突させたのだ。
 相対性理論の実践により膨大に膨れ上がった氷塊の前にアルテミスは砕け散る。
 12個の衛星全てを破壊された救国軍事会議は既にヤンの敵では無かった。


 クーデターは最後まで後味の悪い終幕であった。
 アルテミス爆破の後、ヤンはバクダッシュを使い声明を発表した。
 全て帝国の作戦であり罠だったのだと暴露する。
 それを信じるか信じないかは人の自由だ。
 首謀者であるグリーンヒルは自殺した。
 たとえ眉間に銃痕が残ろうとも自殺として処理された。
 そして一番不愉快な事は全てが収束すると同時に地球教徒に匿われていたトリューニヒトが姿を現したのだ。
 傷一つ負わず。厚顔無恥にも笑みを浮かべて
 尊敬するグリーンヒルの死体と腐臭漂うトリューニヒトの微笑みはヤンを鬱にするのに十分な衝撃であった。
 しかし落ち込んでもいられない。
 クーデターの処理も大切だがそれの先に来るものに備えなければならない。
 だが頼りになるクブルスキー大将は病院で治療中。
 ビュコック大将も今回の責任問題で動けない有様だ。
 当然だが政府はあてにならない。
 トリューニヒト派に牛耳られ目先の利益、主に自分の利益以外は目に入らない連中ばかりだ。
 同盟は腐敗している。
 ハイネセンに来て改めてそう思ってしまう自分をヤンは戒めた。
「ベストよりベター、それが一番だ」
 ベストを考えてはいけない。
 もしこの同盟を改善するならば、などと考えれば救国軍事会議と同じ結論に行き着いてしまう。
 もしくは・・・
 遠く離れた帝国で今行われているドラスティックな改革を思い浮かべヤンは気持ちが震えるのを抑えられなかった。
 

「アルテミスの首飾りが破壊されたか」
 萎びた老人の言葉に褐色に無髪の男は頷いた。
「救国軍事会議は失敗に終わりました。もう少し粘るかと思ったのですが」
「同盟にも中々出来る人材がいるようじゃ。名は?」
「ヤンウェンリーです。イゼルローンの」
「エルファシルの英雄か」
「さようです。アスターテの英雄。アムリッツァの功労者。そしてイゼルローンを無血で攻略した軍人です」
「資料は揃っておるのだな」
「はい、先程電子通信でお送りしました」
 褐色の男と老人、
 会話から察するに老人の方が優位なのだろう。
「あのヤンウェンリーか、興味深い男だ」
「気にする程の器では無いかと存じます。確かに軍才はあるが政治には全く興味が無い朴念仁という噂です」
「個人の興味があろうとも無かろうとも時代がヤンウェンリーを放っておかないかもしれん」
「確かに、無視するには危険な人物です」
「そうじゃな、そうじゃ」
 老人は萎びた笑い声を上げた。
「アルテミスを破壊させたか」
 なにやら含みのある言い方だ。
 こういう時、老人は褐色の男が思いも寄らない算段を考えている事が多い。
「何か気になる部分でも?」
 褐色の男は丁重に聞いてみた。
「アルテミス、貴殿は知っているか」
「何をですか?」
「古来、地球ではアルテミスを月の女神に例えたそうだ」
「月・・・ですか」
「古代神話の女神、宗教には興味が無いか?」
「・・・いえ、そんな事は」
 褐色の男が言いよどんでいる内に回線が切れた。
 目の前の老人が消える。
 光速通信で映し出されていた画像が終わると褐色の男は憎らしげに舌打ちをした。
「相変わらず何を考えているのか食えん老人だ。地球教総大主教めが」
 そう言う男の地位はフェザーン自治領主。
 フェザーンの黒狐と渾名されるルビンスキーである。
 ルビンスキーは苦々しく大主教の消えた空間を睨んでいたが気を取り直した様に呟いた。
「まあいい、地球教が何を考えようとも最後に勝つのはフェザーンだ。帝国も同盟もフェザーンの餌に過ぎない」
 もちろん地球教、地球も。
 絶対の自信を持ってルビンスキーは笑みを浮かべた。
 異相に相応しく禍々しく口元を歪めて。

 

 クーデターの終末は同盟内の権力地図を塗り替える結果となった。
 軍の発言力は大きく後退し政府の高官が大手を振って我が世を謳歌する。
 世論は問題を起こした軍の組織を糾弾し、影に隠れて何も解決策を見出さなかったトリューニヒト率いる政府は人々に支持される。
 トリューニヒトの美辞麗句に酔い物事の本質を見極めようとしない。
 ヤンから見れば異常な状態。
 しかし国民はそれに気がついていない。
 何時の世にも国家の末期に起こる現象。
 昔、銀河連邦が終焉を迎えるときにも扇動政治家が姿を現した。
 トリューニヒトという小物とは違う怪物。
 ルドルフ フォン ゴールデンバウムが。
 今の同盟を見るとヤンは危惧せずにはいられない。
 皆がルドルフの再来を待ち望んでいる。
 英雄という名の独裁者。
 全てを救ってくれる神が出現することを。
 民主主義の国家でありながら英雄崇拝が始まっている。
 憂慮すべき事態だった。
 何よりも気をつけなければいけないのは今の同盟が求めている英雄の候補者筆頭がヤンウェンリー自身だという事。
 それはヤンにとって耐え難い苦痛であった。
 ハイネセンの腐敗に、民衆の盲目さについ絶望しそうになる自分を戒める。
 絶望してはいけない。
 もし本気でそう思ってしまったら・・・・
 ヤンに残された道は二つしか無くなる。
 自分で政権を握るか。
 ローエングラム陣営に走るか。
 どちらも許される事では無い。
・・・だが・・・
ラインハルトは自分を求めている
 そして自分は今の現状に絶望しかけている
ヤンは自身の中に侵食し始めている思いから目を逸らした。
 逸らさずにはいられなかった。
 


 そんなヤンに追い討ちをかけるかのごとく政府は非公式の査問会を招集した。
 罪状はアルテミスの首飾りを全て破壊した行為。
 ようするに言いがかりのつるし上げだ。
 政府はクーデター鎮圧という功績を立てたヤンを妬んでいる。
 正確に言うと憎んでいた。
 自分達が何もしなかったのを棚に上げ、功績を独り占めしたと言いがかりを付けヤンに憎悪と嫉妬を抱いている。
 査問会はヤンを苦しめた。
 もちろん見の覚えの無い言いがかりなど右から左に流せばいい。
 だがヤンを最も苛むのは政府の腐敗、同盟の劣化、民主主義の崩壊であった。
 すでにこの国は民主主義制を掲げていても実質独裁主義よりも酷い有様になっている。
 帝国よりも賄賂と汚職が一般化している。
 何よりもヤンを追い詰めるのは彼等が民衆の選んだ政府だということだ。
 民衆は自らの意思で自らの権利を、義務を放棄しようとしている。
 美辞麗句に酔い綺麗な言葉だけを信じ現実から目を背けている。
 クーデターの後、政府はマスメディアに非難されず軍のみが槍玉に上がった。
 メディアは既にトリューニヒト派に牛耳られている。
 恐ろしいまでの腐敗のスピード
 同盟を建て直し来るべき帝国の進行に備える、というヤンの思惑は断念せざる終えない。
 今のヤンには英雄という知名度はあっても権力が無い。
 力は全てトリューニヒト派に集まっている。
 これから先、同盟は、民主主義はどうなるのだろう。
 それを考えると憂鬱になるヤンであった。
 


 予見通り帝国は次の手を打って来た。
 ガイエスブルグ要塞
 イゼルローンから緊急の報が入ると査問会は即座に撤収した。
 そして厚顔無恥にもヤンに命令した。
 今直ぐイゼルローンに戻り帝国軍を撃破しろと。
 あまりにも身勝手な命令であったがヤンはそれを受託した。
 政府のためでは無い。
 民主主義のためでも無い。
 ただイゼルローンに残る仲間のためであった。
 ガイエスブルグの猛攻に晒されていたイゼルローンはヤンの到着により九死に一生を得た。
 それはヤンの名声をますます高める結果となった。

「ケンプが死んだか」
 ラインハルト フォン ローエングラムは表情を変えずに報告を受け取った。
「ガイエスブルグは失敗した・・・という事だな」
「恐れながらイゼルローン奪回にはいたりませんでした」
 オーベルシュタインの言葉にラインハルトは冷たく答える。
「ケンプは二階級昇進。上級大将として葬儀に臨め。ミュラーは不問にする」
 その言葉にオーベルシュタインは再度確認した。
「ミュラー提督の責任は問わないと?」
「予はケンプを失っている。これ以上幕僚を無くす訳にはいかない」
「・・・・御意」
 それだけ言うとラインハルトは人払いをさせる。
 オーベルシュタイン、ロイエンタール、ミッターマイヤーは恭しく敬礼すると退出した。

「まさか閣下がミュラーを不問にするとはな」
 部屋を出た瞬間、ミッターマイヤーが安堵のため息を漏らす。
「閣下はお変わりになられた。あの事件以来」
 ロイエンタールの言葉にオーベルシュタインが同意する。
「確かに、以前ならば激昂してミュラー提督を更迭していたであろう」
 三人の脳裏に血に染まったキルヒアイス提督の姿が思い出される。
 友であり腹心の部下を失いそうになったからか、ラインハルトは思慮深くなった。
 滅多に感情を見せなくなった。
 それがキルヒアイスに怪我を負わせた残痕からか、別の意味があるのか三人には判断出来ない。
 唯、あの事件がラインハルトの何かを変えた事だけは分かっていた。

 帝国暦488年3月19日

 門閥貴族が集結し結んだリップシュタット盟約
 これが帝国に起こる嵐の前触れであった。
 手を組んだラインハルトとリヒテンラーデ侯爵に真っ向から対坑してきたのだ。
 手を組んだと言っても権力を握ったのはラインハルト フォン ローエングラム。
 リヒテンラーデ侯爵は老いぼれた飾りでしかない。
 成り上がりの金髪儒子の台等を許せない貴族はこぞってブラウンシュバイク候の元へと下った。
 3月19日 大貴族はリップシュタットで盟約し正式にラインハルトに反旗を翻した。
 貴族連合軍の拠点はガイエスブルグ要塞。
 賛同した貴族は3740名
 一般兵士は2560万
 盟主はブラウンシュバイク候
 副盟主にはリッテンハイム侯爵が立った。
 3月19日、リップシュタット盟約が公表されると同時にラインハルトは討伐命令を発した。
 戦闘は4月19日のアルテナ星域を皮きりに各地で開始され8月にはほとんどの貴族領はラインハルトによって制圧された。
 混乱した貴族、特にブラウンシュバイクの狼狽振りは酷かった。
 戦争に付随して起こった民衆の反乱により甥のシャイド男爵を殺された彼は復讐と見せしめのためヴェスターランドに核攻撃を加えたのだ。


「私は自分の言動を後悔してはいない。しかし誤りであったかもしれない」
 思い出したかの様にオーベルシュタインは空を見詰めた。
 彼の心情が分かるだけにロイエンタールとミッターマイヤーは何も言う事が出来なかった。
 あの時、ラインハルト側はヴェスターランドへの攻撃情報を掴んでいた。
 あまりにも愚かな核攻撃に誰もが憤慨する中、オーベルシュタインは冷静に進言したのだ。
「見過ごすのです。ブラウンシュバイク候の愚かな攻撃が民衆の目を覚まさせる原動力となるでしょう」
「ではヴェスターランドを見殺しにしろと言うのか」
 非常な言葉に誰もが怒りを超えた憎しみさえ感じた。
 それを真っ向から受け止め義眼の提督は言葉を続ける。
「このまま戦争が長引けば帝国は疲弊し民衆は苦しみます。ヴェスターランド200万の命と帝国全国民の命、どちらが大切かは自明の理でしょう」
 一瞬、ラインハルトの顔に迷いが生じた。
 それを傍らにいたキルヒアイスは見逃さなかった。
「なりません、ラインハルト様。後に民衆から後ろ指を指されるような愚行はしてはなりません」
 オーベルシュタインが反論した。
「非難されるのはブラウンシュバイク候だ」
「それを黙認すればラインハルト様も同罪となります」
「戦争を早く終結させるために必要な犠牲だ」
「詭弁でしょう。終結のため200万を見殺しにするというのは」
「では卿はどうやって戦争を終結させる?核攻撃を止めたら激怒し我を失った貴族が領地に次々と格弾頭を打ち込むかもしれない」
 誰もが顔色を失った。
 その危険はあまりにも大きい。
 ブラウンシュバイクならやるかもしれない。
 否、絶対にやるだろう。
 ラインハルト側へと下った貴族領へ無差別に核攻撃を開始したらどうなるか。
 もはやブラウンシュバイクに冷静な判断を求めるほうが間違っている。
「敗戦を悟り狂った貴族が道連れに一人でも多く望むとは予想出来ぬのか」
 あまりにも確立の高い予想であった。
「ヴェスターランドを救えば奴等は矛先を変えるだけの事、それが首都オーディンで無いという保証は無い」
 ミッターマイヤーの脳裏に愛しい妻の顔が浮かぶ。
 そしてラインハルトは最愛の姉を思い浮かべた。
 もちろんキルヒアイスも。
 だからこそ言わずにはいられなかった。
「アンネローゼ様に顔向け出来ない様な事はしてはなりません、ラインハルト様」
 その言葉は真実を突いていたのだろう。
 一瞬の内にラインハルトの美貌は屈辱で赤く染まった。
「言葉が過ぎるぞ、キルヒアイス提督」
 さすがにミッターマイヤーが窘めたがキルヒアイスは更に続けた。
「同盟にいるヤン提督も失望なさるでしょう」
「何を言うっキルヒアイスっ」
 ラインハルトが激昂した。
「予が姉や敵の提督に配慮して判断するとでも言いたいのか馬鹿にするな」
 怒りのあまりラインハルトの頬は白くなっている。
「では何故その様に声を荒げるのです。ラインハルト様のお心にやましい事が無ければ怒鳴る必要などありません」
「うるさいっキルヒアイスっお前は俺の何だ?」
「ラインハルト様っ」
「俺はお前の上官だっ俺に命令する権利は無い」
 予から俺に一人称が変わった事にも気がつかない。
 あまりにも感情的で素直なラインハルトの姿にオーベルシュタインは眉を押さえた。
 確かにオーベルシュタインは自分の言った方法が一番早く戦争を終結出来ると思っている。
 だがラインハルトには耐えられないだろう。
 オーベルシュタインから見れば幼さすら残るこの天才は狡猾な戦略など無理だ。
 キルヒアイスも分かっているからこそ感情論に訴えたのだ。
 見せ付けるかのごとくラインハルトの幼さを皆の前で晒したのだ。
 そうまでするキルヒアイスの手腕に脱帽しつつオーベルシュタインは次の手を考えなければならない。
 ヴェスターランドを救出することで戦局はますます困難になる。
 貴族連合は名ばかりのテロリストと化す。
 だが、ヴェスターランドを救う事で生じる困難と救わなかった事により疲弊するラインハルトの良心と。
 秤に載せればどちらを選ぶかは決まってくる。
「早急に決断せねばなりません。ヴェスターランドを救出するならばすぐに通達をしなければ」
 オーベルシュタインが言いかけた時、けたたましいサイレン音と共に通信が届いた。
「ヴァスターランドが攻撃を受けました。核攻撃です。星が・・・ヴァスターランド全土が燃えています。まるで太陽のように・・・」
 通信と同時に画像が送られてくる。
 ヴァスターランドは輝く恒星の様に最後の光を放っていた。
 打ち込まれた格弾頭が人々の命を奪っていく。
「何故だっ攻撃は3日後では無かったのか」
 オーベルシュタインの呟きに誰も答えることが出来ない。
 ラインハルトは見開いた目でヴァスターランドの終焉を激視していた。
 キルヒアイスも、ミッターマイヤーもロイエンタールも目を閉じることすら出来なかった。


「閣下はすぐ決断すればヴァスターランドを救えたかもしれないと後悔しておられた。だからこそキルヒアイス提督を遠ざけたのだろう」
 長い回想はまだ続く。
 三人はあの惨劇へと思いを飛ばしていった。

 ヴァスターランドの衝撃はすさまじかった。
 帝国の民衆は事実を知らされるや大貴族への反乱に立ち上がった。
 貴族はもう民衆を守ってくれる相手では無い。
 自分達の都合で簡単に民を殺す敵なのだとようやく認識したのだ。
 情報操作はオーベルシュタインが行なった。
 もちろん小細工する必要は無い。
 真実を民衆に伝えただけだ。
 ヴァスターランドが燃える様は民衆を奮起させるに十分な起爆剤であった。
 民衆の後押しを得てラインハルト陣の残党貴族討伐はやりやすくなった。
 大貴族が次々と民衆の反乱によって捕らえられる。
 ブラウンシュバイクはガイエスブルグで篭城戦を行なったが敗北し部下であるアンスバッハによって自殺を強要された。
 栄華を極めた男の末路は悲惨極まりないものとなった。
 盟主の自殺により戦意を失った貴族は次々に投降した。
 長きに渡った貴族政治が終焉したのだ。
 帝国は喜びに満ち溢れラインハルトを称える民衆の声で埋め尽くされる。
 誰もが平和の到来を信じた。
 そんな中、リップシュタットの捕虜会見の場で不幸が起きたのだ。
 誰も予想しなかった恐慌が。
 


 ロイエンタール、ミッターマイヤー、オーベルシュタインが部屋を去った後、ラインハルトは疲れたかの様に顔を覆った。
 一人になれば思い出すあの場面。
 血にまみれた親友の姿
 目を覆っても忘れることは出来ない
「・・・キルヒアイス、すまない」
 思い出すのも辛いあの事件、だが目を閉じれば蘇ってくる。

 ヴァスターランドの後、ラインハルトはキルヒアイスを遠ざけていた。
 200万の命を救えなかった後悔の念がラインハルトを稚拙な行動へと駆り立てたのだ。
 あの時、キルヒアイスが止めなかったらラインハルトはヴァスターランドへの攻撃を見過ごしていたかもしれない。
 ラインハルトを諌めたのはキルヒアイスの一言。
「同盟にいるヤン提督も失望されるでしょう」
 それだけは言われたくなかった。
 そしてそれを誰にも悟られたく無かった。
 ラインハルトはヤンを幕僚へと誘い断られている。
 なのにまだ拘っている事を知られるのは屈辱であった。
 だと言うのにキルヒアイスは部下の面前で突きつけてきたのだ。
 馬鹿げた感情だと分かっていてもラインハルトにはキルヒアイスを許すことが出来ない。
 また、ヴァスターランドを止められなかった後ろめたさがラインハルトを素直にさせなかった。
 それだけでは無い。
 その後の口論がラインハルトを頑なにさせる。
 キルヒアイスのいう事は正しい。
 聡明で物事を冷静に判断する。
 ヴァスターランドの後次々と捕まる貴族を確認するとラインハルトはキルヒアイスに問い詰められた。
「これで平和が訪れるのですね、ラインハルト様」
 真摯な瞳に晒されラインハルトは言葉に詰まる。
「ようやく帝国に平和がもたらされたのです。これ以上の戦いは無意味です」
 親友が何を言いたいのか痛い程分かる。
 だが分かっていても頷けない。
 そんなラインハルトにキルヒアイスは追い討ちをかけた。
「同盟への侵攻など考えないと約束してください」
「・・・キルヒアイス、俺は・・・」
 真っ直ぐ親友の目を見返す事が出来ない。
「あえて申し上げます。ヤン提督の事はお諦めください」
 キルヒアイスは知っている。
 捕虜交換の会談でラインハルトがヤンに何をしたのかを。
 あえて今まで声に出さなかった事実を追求する。
「ラインハルト様は何故そこまでヤン提督に固執するのですか?彼の才能ですか?確かにヤン提督は稀代の天才ですが所詮同盟人です。彼に拘ることは百害あって一理無しです」
「俺がヤンに拘って同盟へ侵攻すると言いたいのか?」
「違うのですか?」
 一瞬ラインハルトは言葉に詰まった。
 それをキルヒアイスは見逃さない。
「正直に申し上げます。ラインハルト様はヤン提督とお会いになってからおかしくなっています。ヤン提督の才能は魅力的ですが敵です。そして彼は男です。ラインハルト様の相手にはなりえません」
「分かっている、そんな事は」
「ならば約束してください」
 執拗なキルヒアイスにラインハルトは首を振った。
「分かっている、だが諦める事は出来ない」
「何故?」
「奴は危険だ。もし見過ごせば将来帝国にとって脅威となるだろう。その前に手駒にしなければならない」
「ラインハルト様は自分を偽っておられる」
「ならどう言えばお前は納得する?」
「ラインハルト様のヤン提督に対する執着は常軌を逸しております。太陽教の暗示に惑わされたとしか思えません」
「俺を愚弄するのかっ」
「冷静になってください。ヒルデガルドマリーンドルフの言った事は妄想です。ヤン提督は単なる敵国の男で月などではありません、ラインハルト様も太陽などでは無い。ご自分の力で覇者となるべきお方です。予言などに惑わされてはなりません」
「分かっている、だが納得出来ない。ヤンと会った時に感じたあの感情は何だ。俺には奴が必要だと全身が訴えてくるこの気持ちは何故だ?」
「暗示にかかっているのです。ヤン提督も太陽教にかかわりがあるのかもしれません。ラインハルト様を堕落させようとしています」
「違うっ」
「あの時私には目の前の状況が信じられませんでした。ラインハルト様ともあろう方がヤン提督に無理強いを働くなどとこの目で見ても納得出来ませんでした。今でもそうです。
私は小さい頃からラインハルト様を知っています。あなたはそんな事をする人間では無かった。なのに何故?敵将に対して突然?気が狂ったとしか思えない」
「誰に向って物を言っているっキルヒアイスっ」
「ラインハルト様も分かっているのでしょう、自分がどれ程常軌を逸しているか」
「口を慎めっ」
「ラインハルト様が狂われる原因はヤンウェンリーです、彼を近づけてはいけません。あれはラインハルト様をおかしくする魔物です」
「黙れっお前にそこまで言われる覚えは無いっお前は俺のなんだ?単なる部下にしか過ぎない、幼ななじみだからと言ってそこまでの発言を許した訳では無いっ身分を弁えろっジークフリードキルヒアイスッ」
ラインハルトの怒声が空気を振るわせた。
かつてない程激昂する親友、だがキルヒアイスは一歩もひ
かなかった。
「怒鳴っても無駄です。話し合いも出来ない程惑わされてお
いでですか、ヤンウェンリーに」
「お前には関係ないっ」
「分かりました。そこまで言われるのならもう何を進言して
も無駄です。私は一介の部下として下がらせてもらいます」
「キルヒアイスッ」
ラインハルトは呼びとめようとしたが上げた手を止め拳を握り締めた。
 キルヒアイスが心配するのは分かる。
 言われた通り、確かに自分は常軌を逸している。
激情に駆られ我を忘れ敵将を犯した。
 そして彼を手に入れるため同盟を滅ぼすとまで言い切った。
 今、帝国に帰還して理性を取り戻しても彼を欲している。
 キルヒアイスが危惧するのも当然だ。
 暗示にかけられたのか、洗脳されたのか。
 自分でも理解出来ない感情の嵐。
 それがどれ程異常かは嫌と言うほど分かっている。
 だからこそ言われたくなかった。
ヤンに拘っている自分を追及されたくなかった。
 そしてヤンを手に入れるために同盟へ侵攻することを悟られたく無かった。
 キルヒアイスは必死にラインハルトが隠している事実を暴いた。
 親友だからこそ誰も言えなかった事を追及した。
 分かっている。
 だがそれを受け入れるにはラインハルトの心は頑なすぎた。


 その後、ラインハルトはキルヒアイスを一部下として扱った。
 他の幕僚と同列に並べ、彼だけに許した銃の携帯も禁じた。
 ロイエンタールやミッターマイヤーはそれをヴァスターランドに対する後悔からの行動だと誤解している。
 キルヒアイスもあえてその誤解を解こうとはしなかった。
 そして惨劇が起きた。
 貴族連合の捕虜会見の場でブラウンシュバイク候に仕えていたアイスバッハが隠し持っていた銃をラインハルトに向けたのだ。
「ラインハルト様っ」
 凶行の瞬間、キルヒアイスがラインハルトの前に躍り出た。
 身をもって主君を、親友を庇う。
 鋭い銃声と同時にキルヒアイスの体は血に染まる。
「キルヒアイスっ」
「ラインハルト様・・・ご無事で」
 自分が死にそうなときにまでラインハルトを心配する親友。
「もうすぐ医者が来る、直ったら姉上の元へ勝利の報告に行こう」
「ラインハルト様、宇宙を手にお入れください」
「もちろんだ、お前と一緒に」
 ラインハルトは冷たくなりかけている手を握り締め繰り返した。
「2人で手に入れるのだ。キルヒアイス」
「ラインハルト様と一緒に宇宙を手に入れるのは私なのでしょうか?」
「もちろんだっ」
「・・・ヤンウェンリーは?」
 ラインハルトは一瞬声に詰まった。
 その時キルヒアイスが大きく咳き込み大量の血を吐き出したので答えることは叶わない。
「医療班が到着しました」
 叫びにも似た報告と同時にキルヒアイスは白衣の集団によって担ぎ出された。
 残されたのは床に残る夥しい血と放心したラインハルト。
 そして勝利の余韻を吹き飛ばした懺劇の跡であった。

 キルヒアイスの傷は内臓深くまで達しており現場への回復は三ヶ月以上かかる怪我となった。
 あの時ラインハルトが意固地にならず何時もどおりキルヒアイスに銃の着用を許可していたらこの様な事態にならなかっただろう。
 しかし起こってしまった事は仕方が無い。
 命を取りとめただけでも幸運なのだ。
 一時は心肺停止の状態にまで陥る大怪我だったのだ。
 医療班の努力と神の采配によって幸いにもキルヒアイスは死の淵から生還出来た。
 後遺症も現在は無い。
 それを喜ばねばなるまい。
 だがこれによりラインハルトは痛い打撃をこうむった。
 腹心の部下でありナンバー2を一時的とは言え失ったのだ。
 抜けた穴を誰が埋めるのか。
 ロイエンタールやミッターマイヤーは第一線で戦う武将としての任務がある。
 オーベルシュタインは狡猾すぎてラインハルトの右腕とはなりえない。
 キルヒアイスが復帰するまでの短い期間だ。
 必要無いと考えたラインハルトに彼女を推薦したのはあろうことかキルヒアイス自身であった。
 ベットの中からキルヒアイスはこう進言した。
「マリーンドルフ伯を秘書官にしてはいかがでしょうか」
「何を馬鹿な事を。気でも違ったか?」
 見舞い客にしては横柄な態度で患者を睨み付ける。
 だがベットの主は怯まなかった。
「事故の前、私はマリーンドルフ伯から注意を受けました」
「注意?なんの事だ?」
「私の閣下に対する態度に関してです」
 キルヒアイスは睨み付けるラインハルトに語り始めた。

 あれは2人が仲たがいして3日後の事。
 光速通信を介してヒルデガルド フォン マリーンドルフはキルヒアイスに面会を求めてきた。
 本来なら顔も見たくない相手であったが受け入れたのは彼女の本心を見極めるためであった。
 応接室に現れたヒルデガルドは華奢で清楚な美貌の令嬢。
 だが見た目で判断してはいけない。
 この女は親友にあらぬ予言を吹き込んでいる狂信者だ。
 キルヒアイスは彼らしくない胡乱な目付きを隠そうともせずヒルダに話しかけた。
「何のお話ですか?フロイライン、私は忙しいのですが」
「それ程お時間は取らせません。唯警告に来たのです」
「警告?それは物騒な」
 ヒルダは真剣な瞳をキルヒアイスに向けた。
「また狂信者の戯言とおっしゃるだろう事は重々承知しています。ですがお聞きください。キルヒアイス提督の身に危険が迫っております」
「私に?ラインハルト様では無く?」
「そうです」
 大きく頷くと彼女は語り始めた。
 従兄弟のハインリッヒフォンキュンメルの託宣があったのだと。

 太陽と月の間を邪魔しようとする物は排除される。
 一番身近にいる者であろうとも
 彼は近いうちに事故にあうだろう。
 何故?原因は運命
 全ては運命の歯車によって定められる。
 それに抗う者は誰であろうとも許されない。


 覇者は不慮の事故によって大切な者を失う。
 その喪失によって太陽はますます狂うだろう。
 ルドルフの再来だよ、ヒルダ姉さん

「あなたの事です。キルヒアイス提督」
 奇妙な緊張感が2人の間に流れた。
 キルヒアイスは用心深く問いかける。
「何故それを私に伝えに来たのですか?」
「あなたは失っていい方ではありません」
 真摯な瞳でヒルダは訴える。
「あなたを失えばローエングラム候は狂気に走るでしょう。失った損失を埋めるべく更に月を求め戦いに翻弄される。それは許される事ではありません」
「フロイラインからすれば私は邪魔者では無いのですか。私はあなたを信用していない。あなたこそが不幸を運んでくる大元だと思っています。ラインハルト様に怪しげな予言を吹き込み混乱させています」
「キルヒアイス提督が私を信じないのは当然です。ですが提督が協力しなければ太陽は月を手に入れ輝く事は叶いません。キルヒアイス提督はここで死んではなりません」
「それはお告げに反しているのでは無いのですか?預言者とやらは私が死ぬと断言したのでしょう」
「託宣とは受ける側への警告です。死ぬのは確定では無く、それを回避する可能性を示唆しております」
「私にどうしろと?何時誰が私を殺すのかも判らないのに」
「知っているのと知らないのでは大きな隔たりがあります。キルヒアイス提督には備えていただかなければいけません」
「つまりこういう事ですか」
 キルヒアイスは大きくため息を付いた。
「ラインハルト様がヤンウェンリーに固執するのを私が咎めたから運命によって罰が下されると、何時どんな方法で来るか分からない罰のために備えろと」
「荒唐無稽なのは承知しています。しかしお心に止めておいてください。最近ハインリッヒの言動は常軌を逸しております。死期が近ずき最後の能力が発揮されているのか彼の予言は恐ろしい程に的確となってきました」
「的確ならば私の死は確定ですか」
 ヒルダは首を振った。
「キルヒアイス提督は強靭な運を持っております。提督を失うか否かで運命は大きく変わります」
 どうか宇宙のためにその命を落とす事だけは回避してください。
 あまりにも馬鹿げた話であったが拒否できない強さを感じた。
「では注意しましょう。せっかくの託宣だ。有効に使わなければいけません」
 声に白々しさが混じったがキルヒアイスは精一杯の妥協でそう言った。
「お時間を取らせて申し訳ありませんでした、では」
 ヒルダが立ち上がりキルヒアイスはドアまで見送る。
 その時、ふとヒルダは振り返りこう言った。

「ハインリッヒはこうも申していました。叛徒の内乱は8月中には終わる。月は己の首飾りを破壊するだろう・・・と」

 そこまで話し終わりキルヒアイスは眉を顰めた。
 縫った傷口が傷んだからである。
「私はまだ半信半疑です。だがマリーンドルフ伯の言う事は当たった。自分の事だけならば太陽教の仕組んだテロと思うでしょう。実際そう考えアイスバッハの裏関係を洗いましたが?がりは見つかりませんでした」
 アイスバッハはブラウンシュバイク候の仇を取る為に行動したとしか出てこない。
「マリーンドルフ伯がクーデターの情報を掴んでいた可能性も考えました。しかしどう推理しても彼女が、太陽教がヤンウェンリーの作戦まで知ることは不可能です」
「ヤンウェンリーが太陽教の一員だとしたら?」
「それでもです。戦闘中の敵艦と連絡を取り合いその作戦を知る事など無理です」
「元々筋書きが立ててあったとしたら?」
「ヤンウェンリーがクーデター鎮圧にアルテミスの首飾りを破壊するところまで・・・ですか。ヤンウェンリー自身がクーデターの首謀者ならば筋書きを作ることも可能でしょうが・・・同盟に内乱を起こしたのはラインハルト様ご自身です」
「まさか・・・キルヒアイスもあの荒唐無稽な予言を信じたのか?」
 複雑な表情でラインハルトは横たわる親友を見詰めた。
「正直分からないのです。だがこの世には常識では測れない事も存在し、それを否定出来ないのも理解しています。マリーンドルフの予言が真なのか、それとも詭弁を操る狂信者なのか、判断がつきかねます」
 がハインリッヒフォンキュンメルは見事予言を的中させた。   
 帝国はもちろん、同盟の誰も知らないヤンウェンリーの奇策を。
「これはほって置いて良い問題ではありません。マリーンドルフの予言が当たるのならラインハルト様の役に立てねばなりませんし、狂信者なら尚更身近で監視せねばなりません」
 彼女の言う予言は妄想で片付けるには的確すぎます。
 キルヒアイスの発言にラインハルトは迷っているようだった。
「本来なら私自身がマリーンドルフを見張るべきなのですが・・私はしばらくラインハルト様の役に立ちそうにありません」
「情けない事を言うな、キルヒアイス、お前はすぐに怪我を治して戦場へ復帰してもらわなければいけない。俺の負担を軽くするためにも」
「善処します」
 強がる親友にキルヒアイスは柔らかな微笑みを向けた。
「この事はロイエンタール、ミッターマイヤー両提督とオーベルシュタイン軍務尚書にはお伝えしました。彼等がマリーンドルフ伯の言動に注意してくれるでしょう」
 そしてキルヒアイスは言った。
「私はラインハルト様のお心に枷を強いました。それは部下として当然の役目だと思っています」
「水臭い事を言うな、キルヒアイス」
「ですがその枷によりラインハルト様のお心に負担を強いたのはお詫びせねばなりません」
 自分の叱責のためラインハルトはキルヒアイスを遠ざけた。
それが要因となり親友は怪我を負った。
 たとえアイスバッハの凶行であったとしてもラインハルトは自分を責めている。
「どうかお心のままに行動ください。私は信じております。ラインハルト様が望まれる物を手にお入れください」
 宇宙を・・・
 その宇宙の中にヤンウェンリーは含まれるだろう。
 それはいい。・・・・だが
 キルヒアイスは言葉の裏に思いを込めた。
 決してヤンウェンリーを手に入れるために宇宙を欲することにならない様にと。
 親友の真摯な言葉にラインハルトは深く頷いた。
「分かっている。俺は暴君にはならない。約束しよう」


 過去の追想が終わるとラインハルトは静かに目を開けた。
 この数ヶ月で事態は大きく変わった。
 以前は皇帝を打倒することだけが目標だった。
 そしてキルヒアイス、姉上と一緒に幸せになる。
 帝国を平常に戻す。
 それだけを目指してきたのに、道は混迷を極めている。
 迷うのは一人の存在。
 ヤンウェンリー。
 彼は危険だ。
 あれ一人で情勢が一変する可能性を秘めている。
 野放しには出来ない。
 それだけで無くラインハルトの心があれを求めている。
 心が迷走する。
 同盟に侵攻を考えるのはヤンが危険だからか、ヤンを欲しているからなのか。
 どちらも自分の中では正しいのだ。
 だがどちらを理由にするかで正当性が変わってくる。
 今こそキルヒアイスに相談したい。
 だが彼はここにはいない。
 ラインハルトが自分で結論を出すしか無いのだ。
「俺は、何を求めているのか」
 宇宙か・・・平和か・・・
 ・・・それとも。
 ラインハルトの呟きに答える親友はこの部屋にはいない。


 ラインハルトとの対談の後、廊下で立ち話をしていたロイエンタール、ミッターマイヤー、オーベルシュタインは場を移動して高級士官の倶楽部に腰を落ち着けた。
「キルヒアイス提督からの通達通りアイスバッハの身辺を探ったが太陽教との?がりは見つけられなかった」
 オーベルシュタインの報告にロイエンタールが顔を顰めた。
「気持ちの悪い女だ。胡散臭すぎる」
「卿の気持ちも分かるがな。マリーンドルフ伯の予言は的中しているぞ」
 ミッターマイヤーは複雑な表情を見せた。
「我々ですら掴めなかったヤンウェンリーの戦術を言い当てた。これは説明がつけられない」
「彼女達が言う予言とやらなのなら説明出来るがな」
 オーベルシュタインは言い捨てた。
「卿も信じ始めているのか?あの女の戯言を」
「信じてはいないが利用出来るのではないかと思っている」
 辛辣な言葉に両提督が鼻白む。
「正直私は予言などどうでも良いと思っている。本当であろうが無かろうが我らにとって真実は一つ。ローエングラム候が宇宙の覇者となり帝国の改革を行なう存在だという事だ」
「同感だな、それは」
 ミッターマイヤーが頷きロイエンタールも同意する。
「占いや予言で後押ししてもらう必要など無い。だから太陽教の予言が有効なら利用する。弊害となるなら排除する。ただそれだけだ」
「卿は合理主義だな」
 オーベルシュタインの事は嫌いでは無いがこういう考え方は虫が好かない。
 ミッターマイヤーは納得いきかねる顔でワインのグラスを飲み干した。
「では卿はどう考える?あの女が言った月とやらについて」
 ロイエンタールが皮肉な笑みを浮かべながら問いかけた。
「考える必要など無い。ヤンウェンリーがローエングラム候にとって有益ならば良し。邪魔をするなら同盟と共に滅ぼすだけ」
「その同盟への侵攻は必要だと思うか?」
 問題はそこだ。
 ようやく訪れた帝国の平和
 態々宇宙の果てまで行き叛徒共を攻略する必要はあるのか。
 ほっておけばいいのではないか。
 どうせ同盟は民主主義を気取った衆愚国家だ。
「事が同盟だけならば問題は簡単だが」
「・・・フェザーンか」
 軍務尚書の言葉を読み取りロイエンタールが続けた。
「新しい帝国に危機感を覚えフェザーンが同盟と手を組むことは予想出来る。フェザーンにとってローエングラム候よりも同盟の政治家の方が御し易いだろう」
「確かにフェザーンを野放しにはしておけない。実質帝国の経済は奴らに握られているも同然だからな」
 ミッターマイヤーが悔しげに拳を握り締めた。
「帝国と同盟の戦争で漁夫の利を得ていた連中だ。同盟に寝返る事は十分ありえる」
「と言うよりもこの戦争はフェザーンの操作によって継続されていた部分が大きい。国力比で言えば帝国48に対し同盟40、フェザーン12 これは戦争開始から変化していない。変化しないことが異常だとゴールデンバウム王朝は愚かにも気がつかなかった」
「そう考えるとフェザーンは同盟よりも厄介な相手となる。情報は時として武力にも勝るからな」
「経済力もだ」
 酒を飲みながら三人の意見は一致していた。
 同盟など捨てておいても問題は無い。
 見過ごせないのはフェザーン自治領。
 そして・・・ヤンウェンリー
「奴の軍才とフェザーンの経済力が握手した時こそが脅威だ」
 オーベルシュタインの言うとおりだった。
 フェザーンのみなら今のローエングラム陣で処理出来る。
 同盟のみなら相手にすらならない。
 同盟とフェザーンが手を組んだとしても手こずるだろうが大丈夫だ。
 経済さえ抑えてしまえばフェザーンは所詮戦争の素人。
 衆愚国家の同盟もまともに軍を機能させることが出来るとは思えない。
 だがそこにヤンウェンリーという要素が加わったらどうなるか?
 ヤンが同盟のトップに立ちフェザーンと手を組んだら。
 想像するだに恐ろしい連合軍が出来上がる。
「それには同盟の暗愚な政治家を一掃せねばなるまい」
「フェザーンが己に都合の良い政治家を選出しヤンウェンリーに命令する事もありえる」
 ヤンウェンリー自身が政治の表舞台に立つ事は無い。
 これは皆同意見だ。
 ならばヤンの才能を利用するのにフェザーンが情報操作をして自分達に都合の良い傀儡の政治家を用意したら?
「それが分からないヤンウェンリーでもあるまいが」
「分かっていても政府の命令に従うだろうさ、あの男は軍事的才能はあっても世を見通す政治力を持っていない」
 命令にさえ従っていればいいと思っているっとロイエンタールは冷笑を浮かべた。
「俺にはヤンウェンリーがそこまで暗愚には見えない。むしろ分かっていて従っているようにすら見える」
 ミッターマイヤーは複雑な表情を崩さない。
「買いかぶりすぎではないのか?」
「いや、ミッターマイヤー提督の意見には私も同感だ。あれだけの戦術を立てる男、今の同盟と帝国、フェザーンの情勢が理解できぬとも思えぬ」
 オーベルシュタインが淡々と言い切る。
「しかし理解していても動かねば何も考えていないと同然、我らがすべきことはフェザーンへの対応だろう」
「尤もだな」
「ローエングラム王朝にフェザーンの介入は不要だ」
 三人は高くグラスを掲げ中の液体を飲み干した。

 同盟のクーデターから帰還しガイエスブルグを御したヤンは歓喜を持ってイゼルローンに迎え入れられた。
「ようやく戻ってきたよ、ユリアン」
 無機質なイゼルローン司令官室を懐かしく思う。
 傍らで紅茶を用意する被保護者にヤンは柔らかい微笑を向けた。
「は、はい、そうですね、帝国のクーデターも終わったみたいだし、これで平和になればいいのですが」
 答えながら何故かユリアンの頬はうっすら赤くなっている。
「どうしたんだい、ユリアン、風邪でも引いたのか?」
 ヤンは立ち上がるとそっとユリアンの額に顔を寄せた。
「熱は無いみたいだけど、体調が悪いなら休んでいなさい。これから私もキャゼルヌ先輩達から報告を受けなければいけないからね。今晩は夕食も用意しなくていいよ。先に寝ていなさい」
「はっはい、それじゃあすいません、提督」
 昔ながらの熱の測り方をされてユリアンはますます顔を赤くして部屋を出て行った。
 挙動不審なユリアンの態度に首を捻った時、司令官室にキャゼルヌやアッテンボローが現れる。
 ガイエスブルグとの戦いでこうむった被害状況など確認事項は多い。
 フリデリカの助けを借りながら必要な書類にサインをしている時、ふと視線が気になった。
 顔を上げるとキャゼルヌとアッテンボローが奇妙な顔で自分を見詰めている。
「どうしたんですか?私の顔に何かついていますか?」
 2人は曖昧な表情で首を振った。
 フリデリカも何故か頬を赤らめている。
「あの、先輩、なんか・・・なんていうのか雰囲気が変わりましたね」
 アッテンボローが思い切って問いかけてきた。
「変わった?何か変わったかな?別に髪型も変えていないし、太ったかい?」
「いえ、そうじゃなくて・・・なんというか・・・その」
 キャゼルヌが口を挟んできた。
「正直に聞くぞっヤン、ひょっとしてお前恋人が出来たんじゃないのか?」
「ええ?どうしてそういう結論になるんですか?」
 あまりにも突拍子の無いキャゼルヌの詰問にヤンは驚いた。
「最近気になっていたんだかな。お前色気が出てきたぞ」
「色気って・・・男に使う言葉じゃないでしょう」
 苦笑するヤンにアッテンボローが畳掛けてくる。
「俺も気になっていたんです。色々忙しくて一緒に飲みに行く暇も無いから聞けなかったんですけど」
 フリデリカは横で僅かに顔を青ざめさせヤンの返答に耳をそばだてている。
「何時からかって言えば・・・クーデターが起こる前くらいからかな。妙に憂いが出てきたぞ」
「先輩、誰か好きな人でも出来たんですか?最近の先輩ってばなんか色っぽくて、俺・・・俺は・・・」
 アッテンボローが妙に興奮している。
 キャゼルヌもフリデリカも興味津々と言った顔でヤンの答えを待っている。
「ちょっと待ってくださいよ。みんなの気のせいじゃないんですか?」
「いいや、違う。相手は誰なんだ?ヤン。昔から朴念仁だったお前にそんな色気を出させる相手ってのは」
 からかっている口調だが目は真剣だ。
 ヤンは三人の顔を見比べると軽くため息を付いた。
「心当たりはありませんね。クーデターで忙しかったこの時期に恋愛などしていられる訳ないでしょう」
「いや、何時どんな状況でも恋に落ちることは出来ます。俺だって士官学校でヤン先輩と初めて会った時から」
 むにゃむにゃとアッテンボローが言葉尻を濁した。
「とにかくみんなの思い違いです。そんな相手いませんし、もし出来ていたら盛大に自慢しています」
「本当ですかっ先輩、良かったぁ、俺最近気になって夜も寝れなかったんですよ」
「そうか、もし何かあったら相談に乗るぞ。俺は恋愛の先輩だからな」
 アッテンボローが胸を撫で下ろしキャゼルヌが頷く横でフリデリカも暗渠の表情を浮かべた。
「くっくっくっうちの司令官は大もてですな」
 何時の間に入ってきたのだろう。
 笑い声の方向を見るとそこにはイゼルローン要塞防御指揮官がいた。
「人が悪いな、立ち聞きとは」
「ちゃんとノックしましたよ。提督」
 ワルター フォン シェーンコップは優雅に敬礼をして見せる。
「帝国軍から受けた被害について追加報告に参りました」
「そうか、丁度キャゼルヌ先輩達もいるし報告はそちらにしてくれ。私には結果を報告してくれればいいから」
 相変わらず危険時以外は丸投げなヤンに部下は苦笑するしかない。
「私はちょっと疲れたから紅茶でも飲んでくるよ」
 キャゼルヌ アッテンボロー シェーンコップと揃えば当面自分の出番は無いだろう。
 それよりこの三人に報告という名目でいびられるのはまっぴらごめん。
 そそくさと出て行くヤンにフリデリカは声をかける。
「提督、紅茶なら私がご用意しますが」
「いや結構、優秀な副官の手を煩わせる事じゃない」
 決してフリデリカの紅茶がまずいから断ったのでは無い。
 部屋から逃げ出すヤンだが追撃を受けた。
「では私も珈琲ブレイクといたしますか。提督、お供します」
 遠慮するよっとヤンは言ったが聞き遂げられそうにも無い。
 急ぎ足のヤンの後をシェーンコップが付いて退室した。
 残された三人はため息を付くしかない。
「ああいう所は昔のまんまなんだけどな。先輩」
 アッテンボローはソファに座り込み赤くなった頬を掻いた。
「自覚が無いところがやっかいだな」
 キャゼルヌとしてはため息も深くなる。
 先程2人が追及した様に最近のヤンはやけに色っぽい。
 目が離せないというか魅せられるというか。
 昔は冴えない男だったのに何時の間にこんな美人になってしまったのだろう。
 気が付いたらその姿に目を奪われる。
 目だけでなく心も。
 確か最初に気が付いたのはクーデターの前。
 見慣れた司令官の姿から目を離せなくなった。
 同じ顔、同じ態度、同じ言葉、同じヤンウェンリーなのに何かが違う。
 何が違うかはっきりと言葉に出せないから今まで追及出来なかった。
 ただ分かることは何か、そう・・・今まで被っていた膜を取り除かれた感じ。
 ヤンが冴えない擬態を脱ぎ捨てて自然体になったような、そんな感覚すら覚える。
「妙な表現だな」
 キャゼルヌは自分の思考に苦笑するしかない。
 アッテンボローはと言えば2人が去っていったドアをじっと見詰めていた。
「まさかとは思うがあいつじゃないよな。先輩はそんなに趣味悪くないよな」
 色事師シェーンコップは前からヤン先輩に興味津々だ。
 女専門だが今のヤン相手になら男だってその気になる。
 いや絶対どんな男だって女だって落ちる。
 ヤン先輩とシェーンコップ、その想像をしてアッテンボローはソファに突っ伏した。
 考えたくも無い。それなら自分とヤン先輩の方が百倍マシだ。哀れな後輩はその妄想につい浸ってしまうのであった。

 イゼルローンの長い廊下途中、ヤンはシェーンコップに肩を捕まれた。
「そんなに急ぐことも無いでしょう。紅茶は逃げませんよ」
 それより話をしませんかっと傲岸不遜な要塞防御指揮官は話しかけてきた。
 廊下には誰もいない。
 人に話しを聞かれる心配も無い。
「何か私に言いたい事でもあるのかい?シェーンコップ」
 相変わらずひょうひょうとした口調だ。
「皆さん提督に色気が出てきたと評していましたね。ご自分で自覚がお有りですか?」
「気のせいだろう。私は何も変わっていない」
「ご自分で気が付いていないのですね。あなたは変わりましたよ」
「百戦錬磨の君でも読み間違える事があるんだね」
 冗談で流そうとするヤンの手をシェーンコップが掴む。
「皆、あなたの変化がクーデターの前だと言いましたが正確には違う」
 捕虜交換式の後からです。
「何が言いたいんだ?シェーンコップ」
「お分かりでしょう。閣下を変えたのが何なのか」
 シェーンコップは掴んだヤンの手を持ち上げるとうやうやしく口付けた。
「やめてくれ、私は女じゃない」
 払いのけようとするが力では叶わない。
「今の閣下は女よりも余程魅力的ですよ、この私ですら虜になる」
「言っておくが要塞防御指揮官、私はあの程度の事で変わったりしないよ」
 暗に暴行の事を示す。
「暴力に屈したりしない」
「暴力・・・だったのですかな」
 好奇心というには真摯なヘイゼルの瞳がヤンの眼前に近づいてくる。
「今のあなたには人を魅了する魔力がある。そう、まるであの金髪の儒子のように」
「比較する相手が巨大すぎるよ」
「ローエングラム候は確かにカリスマ性を持っている。だが今のあなたなら対抗出来ると思いますね」
「何が言いたいのか分からないな」
「あなたの才能を花開かせたのが奴だというのは噴飯物ですがな。それには目を瞑るとしましょう。確かな事は今のヤンウェンリーは人ごみに紛れたら見失うような平凡な若者では無いという事ですよ」
「さっぱり分からない。私の何が変わったというんだ」
 ヤンはシェーンコップを睨み付けた。
「あまりにも変わりすぎて還って皆その重大性に気が付いていない。そう、例えていうなら隠れていた月が本来の姿を取り戻したという所ですかね」
「妙な表現は止めてくれ。不愉快だ」
「ローエングラム候に・・・帝国に対抗出来るだけのカリスマ性です。それを生かす気にはなりませんか」
「どういう意味だい?世迷言は止めてくれ」
「今の同盟はクーデターで壊滅寸前です。帝国が侵攻してきたらひとたまりも無い。それに対抗出来るのはあなただけです。クーデターで何の対策も取れなかった政府に変わりあなたが指揮を取れば帝国を打破出来るでしょう」
「私に再度クーデターを起こせとでも言うのかい」
「そんな必要はありません。あなたは望みどおり軍を退役し選挙に出ればいい」
「次の選挙は4年後だよ。シェーンコップ」
「別に4年後とでなくともかまわない。今の議会が解散すればいいのです。あなたが退役し政府を糾弾すれば即民衆は支持して解散総選挙となるでしょう」
「人をからかうのもいい加減にしてくれ、シェーンコップ」
 シェーンコップの熱弁をヤンの怒気が遮った。
「君の言う事は空想にしか過ぎない。それに私を巻き込むのは止めてくれ」
 不機嫌を隠さないヤンの表情、これはこれで魅力的だ。
「失礼しました。どうやらご機嫌を損ねてしまったようですね」
 シェーンコップは再度うやうやしく掌に忠誠の口付けを寄せた。
「今の話、他の誰かにしたことはあるかい?」
 シェーンコップが首を振るとヤンは捕まれた手を今度こそ払いのけた。
「なら結構。雑談でも不愉快な発言は慎んだ方がいい」
 それだけ言うとヤンは背を向けた。
「どちらへ行かれるのです。ティールームはこちらですよ」
「気分が悪くなった。悪いが自室で休ませて貰う」
 不機嫌な足取りで去るヤンの背を見詰めながらシェーンコップは面白そうに唇を上げた。
「普通はここまで部下に言わさないものなのですがね、さあ、あなたがこれからどこまで変化するのか楽しみですな」
 そう言うシェーンコップの微笑は好奇心に彩られていた。

 部屋に戻ったヤンは即効でベットに倒れ付した。
 疲れた。
 クーデター、ガイエスブルグ侵攻、ずっと戦いの連続だったのだ。
 疲労しているのも無理は無い。
 それに加えてシェーンコップとの会話が余計に疲れを増幅させていた。
 シェーンコップだけでない。
 キャゼルヌ先輩もアッテンボローも・・・
 皆にはどこが変わったか分からないと答えたがそれは嘘だ。
 ヤン自身がよく分かっている。
 自分自身の変化に。
 収まりの悪いもさつく黒髪は艶やかに、
 平凡な黒瞳は濡れたように鮮やかに。
 貧弱だった体は男を誘う体躯に変化している。
 制服で誤魔化されているが見る者には分かる。
 彼との性交によって変化したのは明らかだった。
 自分でも気持ち悪いくらいの変わりようだ。
 鏡を見れば見慣れない自分に戸惑う。
 傾国の美女もかくやという風情だ。
 髪をわざとぐしゃぐしゃにし、サングラスをかけて誤魔化していたが親しい者は騙せない。
 たかが男に一度犯されたくらいで変わる自分が恐ろしくてヤンは目を背けた。
 だが背けても湧き上がってくる思いは抑えきれない。
 今もそう。
 ベットに横たわっているだけなのに妙に下肢が疼く。
 確かにヤンも男だ。
 溜まりもするし自慰もする。
 頻繁では無いが自分で処理してきた。
 平凡な回数だったと思う。
 だが今は、気が付けばラインハルトとの行為を思い出す。
 そうするともう駄目だ。
 体中が淫らな欲望に支配される。
 ラインハルトの口付けを、指先を、逞しい熱が蘇ってくる。
 全身を愛撫され後蕾を雄で貫かれた喜び。
 暴行なのに確かに感じた事実を思い出してしまう。
「あっはあぁ」
 知らぬうちにヤンの手はズボンの中をまさぐっていた。
「あっああぁ、ラインハルト」
 指先でラインハルトにされた様になぞる。
 もう片方の手ははしたなくも後蕾に向けられる。
 右手で己をしごきながら左の指を抜き差しすると快感のあまり小さな悲鳴が出た。
「あっ欲しい、ああぁ、もっと、熱い・・・あれが」
 こんな指では足りない。
 男の、ラインハルトの男根が欲しい。
 満たされない欲望がヤンの中を駆け巡る。
 一体どうしてしまったのだろう。
 己をコントロール出来ない。
「ああぁっやあぁ」
 短い嬌声を上げてヤンは己の掌に欲望を飛散させた。

 同じ頃、自室でラインハルトは高ぶりを静めていた。
「ヤンッ俺の・・・ヤンッ」
 思い出すのは短い逢瀬と初々しい媚態。
 初めてだというのに後蕾で感じ、ラインハルトを受け止め腰を振っていたあの姿。
「いい、ヤン、俺の物だ・・・俺だけの」
 手は激しく動かされ一度だけ得た快楽を追想する。
 ヤンの内壁は妖しく蠢きラインハルトを導いた。
 反対に唇から漏れる拒絶の言葉に雄としての本能を掻き立てられた。
 嫌がるのに体は受け止めている。
 泣いているのに心はラインハルトを求めている。
 そのアンビバレンツ、強烈に魅せられる。
 何故だろう。
 こうして自慰をしているとヤンを感じる。
 ヤンも今、この時俺を求めているのだろうか。
 そんなロマンチシズムとは無縁の筈なのに何故かラインハルトは思わずにいられない。
 欲望は自分の意思とは関係なく襲ってくる。
 今もそうだ。
 ラインハルトは自室で書類を作成していた。
 欲望など感じる気配は無かった。
 昨日に自慰をしたばかりだ。
 サイクルとしては後2日はあった。
 男として溜まる周期がありラインハルトは今までそれに従ってきたのだ。
 貴婦人を見ても欲望を掻き立てられることは無かったしグラビアを見るよりも戦略を練っている方が有意義だった。
 だからこの年まで自分の体のサイクルに従って自慰でやり過ごしてきた。
 今まで一度もそのサイクルから外れたことは無い。
 女性の裸もエロチックな写真や映像もラインハルトの欲望を動かしはしなかったというのに。
 突然欲望は襲ってきた。
 猛烈に快楽を求め書類を投げ出し下肢に手を伸ばす。
 それは触ってもいないのにもう高ぶり先端から精液を流していた。
 欲望は唐突にやってくる。
 自分の意思など関係なく。
 握り締める指先が震える。
 何故かヤンが自分を求めている気がした。
 あの時から自分の体は変化している。
 ラインハルトはそれを痛感した。
 捕虜交換式の後の会談。
 己でも信じられない事だが激昂と欲望に踊らされた。
 目の前のヤンウェンリーに我慢出来ず手を出した。
 相手は同盟軍の提督。
 敵であり男であることは百も承知だ。
 なのに強姦した。
 色々言い訳を連ねて強引に体を奪った。
 何故あんな事をしたのか、帝国に戻って正気に返った今も説明がつかない。
 ただ目の前の男が欲しかった。
 彼が危険だから。
 予言だから。
 幕僚に加えるため。
 自分に逆らった制裁を与えるため。
 全て言い訳に過ぎない。
 あの時、ラインハルトはただヤンが欲しかったのだ。
 拒絶されたから傷を付けたかったのだ。
 自分の物だという証を記したかったのだ
 それの意味、答えをまだラインハルトは見つけ出すことが出来ない。
 あの時、ラインハルトは言った。
 ヤンを手に入れるために同盟を滅ぼそうと。
 本気だった。
 あの時は。
 オーディーンに帰り正気に戻った今、馬鹿げた事だと分かっている。
 キルヒアイスにも忠告された。
 分かっている。
 理解している。
 ヤンなど所詮は同盟の一兵士。
 拘るほうがどうかしている。
 なのにラインハルトは同盟侵攻をしないとは言い切れない。
 彼が欲しい。
 離れれば理性を取り戻す筈なのに、ますます囚われている。
 毎晩ヤンが夢に出てくる。
 抱いて、抱き殺してしまいたい。
 激しく腰を動かし征服する夢を見る。
「ヤン・・・俺は・・・」
 達する瞬間ラインハルトは夢想した。
 ヤンも今この時、同じ思いを抱いていてくれるだろうか。
 俺に征服されたいと、
 俺に抱かれたいと思っていてくれるだろうか。
 それはあまりにも都合の良い妄想だと分かっていてもラインハルトは欲望を抑えることが出来なかった。

 深夜、ハイネセンの統合作戦本部では人知れぬ会談が行なわれていた。
 最上階に位置する国家元首の部屋。
 そこにいるのは先の帝国侵攻作戦後暫定政権首班となりそのまま元首の座に就いたヨブトリューニヒト。
 俳優上がりのこの男は姿形は非常に整っている。
 見る者に好感を抱かせる微笑。
 洗練されたスタイル。
 しかしトリューニヒトの本当の武器は顔形では無い。
 裏づけの無い弁説の巧みさにある。
「この度はクーデター収束にお力添え頂きありがとうございます。同盟国民を代表して地球教大主教にお礼申し上げます」
 軽薄な微笑みと共に繰り出される謝礼の文句に心は篭っていない。
 だが言われた方はそれを気にしていない様だ。
「我らの力あってこそ卿は国家元首となれたのだ。その事を忘れるでないぞ」
 ホログラフに浮かび上がる黒衣の老人はしゃがれた声で釘を刺す。
「決して私は忘恩の徒とはなりません。元首となったからには大主教の、いや地球教の力となれるよう精進してまいります」
 もしトリューニヒトに尻尾があれば犬のごとく猛烈に振り媚を売っているだろう。
 彼には尻尾が無いから代わりに弁説で感謝の気持ちを伝えた。
「地球こそ我が故郷、同盟も帝国も元は地球の落とし子、支配下にあるべき存在です。帝国の愚か者はそれを分かっておりませんが同盟は、我らは違います。これからは我ら同盟を手足と思いお使いください」
「良い心がけだ、今の言葉忘れるなよ。我らの目的は地球の復興、正当な地位の復権にある。同盟もフェザーンも我らの信徒。宇宙でその真理を分かっておらぬ愚か者は帝国だけとなった」
「同盟とフェザーンが力を合わせれば帝国など恐れるに足りません」
「そうだ、帝国内での視野の狭い卑小で醜い争いは金髪の儒子の勝利で決着した」
「ローエングラム フォン ラインハルトでございますな」
「奴らは何も分かっておらん、ゴールデンバウムなど所詮400年程度の成り上がり王朝にすぎん。そんな卑小で価値の無い権力のために奴らは狭い領土で戦っておった」
「全くでございます。人類始まって以来続く地球に比べればゴールデンバウムなど、帝国など俄作りの紛い物」
「だが奴らはそれを必要だと思っておる。そこを利用するのだ」
「利用・・・と申しますと?」
「もうすぐ帝国の貴族残党がゴールデンバウムの正当な後継者エルウィン ヨーゼフ二世を連れて同盟に亡命してくる」
「そっそれは真でございますか」
「疑うな、信ずるものこそ救われる」
「失礼いたしました。それで同盟政府、私としてはどう対処したらよろしいでしょうか」
「分からぬか。同盟は帝国を滅ぼす大義名分を得るという事じゃ」
 トリューニヒトの顔が僅かに引き攣る。
「幼帝を擁し正当な帝国政府となりオーディーンに侵攻する。
帝国内でローエングラム王朝はまだ設立されていない。帝国の真の支配者はヨーゼフ二世である」
「さすが聡明な地球教大主教、そこまでお考えとは、稚拙な私では考え付きもしませんでした」
「もちろんフェザーンから経済支援はする。そして地球教も全面的に力を貸そう」
「しかし・・・帝国への侵攻は以前失敗しております。我らの力が足りぬ事とはいえまた同じ失敗になる可能性があります」
「帝国にも地球教の信者は多い。彼等は信念のためなら命を捧げるであろう」
「ですが・・・同盟国民の支持を得られるか」
「忘れるな、同盟にも地球教の信者が無数におるのを。信者は同盟の企業、メディア、軍、政府、同盟が機能する重要な地位は全て我ら地球教で抑えられておる」
「さようでございますね。いらぬ心配をおかけしました」
「民衆を扇動するのは卿の役目、元首としての役割を果たせ」
「御意にございます。しかし浅はかな私にもう一つお教えください。同盟軍は先のクーデターで痛手をおっております。帝国に対抗出来る人材がおりません」
「おるではないか。ヤンウェンリーが」
「ヤン・・・ウェンリーでございますか」
「奴こそが帝国に唯一対抗出来る珠玉。ヤンウェンリーを
使い帝国を属領とするのだ」
「あれは反政府思想の持ち主です。こちらの思うとおりに動いてくれません」
「ヤンウェンリーが派閥に入らなかったのは卿の力不足ゆえ。しかしヤンウェンリーは民主主義の信望者。政府の命令には決して逆らわん」
「確かに、おっしゃる通りですが」
「卿ではヤンウェンリーを御し得なかっただろうが地球教は違う。我らの教義に従う事によりヤンウェンリーはますます才能を開花させるであろう」
 大主教は厳かに言うとホログラフから消えた。
 残されたトリューニヒトは通信が切れたことを確認した後舌打ちをした。
「洗脳でもしようというのか、地球教は」
 サイオキシンでの洗脳で地球教の信者数は大幅に増加した。
 ヤンウェンリーに対してもそれを使うのだろう。
 下種なやり方だがトリューニヒトは否定しない。
 様は自分の利益になればいいのだ。
 地球教もフェザーンも同盟もヤンウェンリーもトリューニヒトの力となればそれでいい。
 そして私は帝国を併合し宇宙初めての国家元首となる。
「大宇宙自由同盟、国家主席ヨブトリューニヒトか、悪くない」
 寝着に着替えブランデーをくゆらせながらトリューニヒトはしばらくその妄想に酔った。
 そして思い出していた。
 最初に地球教大主教と接触した日の事を。
 自分に僥倖が訪れた時の事を。

 自由惑星同盟は銀河帝国の亡命者で構成されている民主主義国家である。
 しかし長い年月が創生当初の情熱を失わせ怠惰と惰性に満ちた国へと変貌してしまった。
 政府は汚職と賄賂に奔放し、国民は退廃に身を任せている。
 不平不満が同盟を蝕んでいる。
 そんな時代、ヨブトリューニヒトは若手で新進気鋭の政治家として活動していた。
 俳優から政界への転出、整った顔立ちと耳障りの良い美辞麗句は人々を魅了する。
 若手の中では一番注目される存在であった。
 トリューニヒトは人気を得るため主戦派として国家を賛美し戦争を奨励した。
 人間という物は共通の敵を持つことで一致団結する。
 そして戦争という麻薬にも似た高揚感を煽ることでトリューニヒトの評価は高まった。
 努力の結果、40代という若さで国防委員長にまで辿り着いたがトリューニヒトは不満だった。
 彼の最終目的は国家元首だったからだ。
 しかしトリューニヒトには元首となる絶対必要な素質に欠けていた。
 人脈と財力である。
 俳優上がりのトリューニヒトは有力な財閥や権力者と?がりが無かった。
 今の国家元首ロイヤルサンフォードなど能無しの役立たずだが家柄が代々政治家で過去元首を3人輩出しているからこそ元首になれたのだ。
 誰からも選ばれなかった揶揄されているのにも関わらずのうのうと元首の椅子に座り続けている愚か者だ。
 サンフォードは家柄だけでなく親類縁者に財閥が多いのも理由の一つだ。
 全く世の中は不公平だ。
 自分はこんなにも才能と情熱に溢れていて自由惑星同盟を正しく導ける最高の指導者なのに後援者に恵まれないばっかりでサンフォードごとき小物の下に就かなければならない。
 そんな鬱屈した時期であった。
 フェザーンの高等弁務官から連絡を貰ったのは。
 以前よりトリューニヒトはフェザーンと懇意にしたかったが中々それが叶わなかったというのに何故今頃?
 疑問に思ったが訪ねると好意的な笑みを浮かべる高等弁務官から憂国騎士団を紹介された。
「彼等は君の愛国心溢れる演説にいたく共感したのだそうだ。
君の力になりたいと申し出ている」
 怪しげな話であったが高等弁務官からの紹介の手前、断るわけにもいかない。
 最初は厄介な連中だと思った憂国騎士団であったが存外便利ですぐにトリューニヒトは彼等を頼りにするようになった。
 憂国騎士団はトリューニヒトの戦争賛美を批判する政治家やマスメディアを効率よく排除した。
 しかもそれがトリューニヒトの指示だと分からないように工作する頭の良さであった。
 すっかり彼等に頼りきった時、憂国騎士団は正体を明かした。
 彼等は地球教徒だったのだ。
 地球教についてトリューニヒトは詳しく知らない。
 ただ地球復権を求める宗教くらいにしか思っていなかった。
 その認識は大きな誤りであった。
 フェザーンと密接に?がりの有る大組織だったのだ。
「あなたの愛国心に我らは大変感銘を受けました。あなたこそ今の同盟に必要な人材だ。地球教とフェザーンは全面的にあなたをバックアップして国家元首にしてあげよう。ヨブ」
 地球教司教にそう言われトリューニヒトは舞い上がった。
 喉から手が出るほど欲しかった権力と財力が向こうから転がり込んできたのだ。
 宗教という胡散臭い物もおまけでついてきたがそんな事はどうでもいい。
 利用できる物はなんでも使うのが政治家だ。
 もし地球教がトリューニヒトにとって不利益になるなら切り捨てればいい。
 打算に満ちながら司教と握手を交わしたトリューニヒトに高等弁務官が囁いた。
「次の帝国侵攻には反対票を・・・」
 つまり彼等は同盟が負けると言いたいのだ。
 トリューニヒトはそれに従った。
 そして同盟は歴史上まれに見る大敗北を味わった。
 ロイヤルサンフォードは責任を取って辞任。
 暫定政府首班にトリューニヒトが選ばれたのは当然の結果だった。
 皆が侵攻反対を唱えた先見の明を賞賛した。
 暫定が取れるのはすぐの事だろうと思われた矢先、同盟軍のクーデターが起こった。
 もちろんトリューニヒトは地球教の助けで拘束から免れた。
 地球教の用意した隠れ家は非常に快適でトリューニヒトを満足させた。
 帝国貴族の館と遜色無い造りの建物。
 一流の料理人によるコースに舌鼓を打つ。
 何よりもトリューニヒトを満足させたのは逐一送られてくるクーデターの情報であった。
 ヤンウェンリーによりクーデターが破綻するとすぐさま表舞台に現れる。
 もちろんトリューニヒトを非常時に逃げ隠れした卑怯者と断罪する声はあったが憂国騎士団によって抑えられた。
 これは憂国騎士団の力だけでは無い。
 同盟にいる無数の地球教徒がトリューニヒトを後押ししたのだ。
 彼等が地球教徒な事を一般市民は知らない。
 過激な憂国騎士団の愛国主義に鼻白む者もいたがそれを後押しする市民の数は巨大だ。
 マスコミもこぞってトリューニヒトをバックアップした。
 だから市民は騙されたのだ。
 憂国騎士団の行動を認める民意があると誤解した。
 大きな間違いであった。
 憂国騎士団もそれを支持する民衆も元を辿れば地球教徒という同じ源泉。
 だが人々はそれに気付かず民意を得ている憂国騎士団、トリューニヒトに従えば間違いないと思い込んだのだ。
 国民の支持の元、トリューニヒトは正式な国家元首に上り詰めた。
 感無量であった。
 ようやく自分は最高位についたのだ。
 そんな時期であった。
 地球教総大主教とようやく面談出来たのは。
「きさまは今の地位で満足しているのか?」
 開口一番そう聞かれトリューニヒトは迷うことなく頷いた。
「もちろんでございます。私が国家元首になれたのも地球教大主教様のおかげでございます」
 次から次へと口から溢れ出る地球教賛美の言葉を大主教は押し留めた。
「もっと高い地位につきたくないか?人類史上初の、この宇宙全土の」
「・・・と申しますと」
 トリューニヒトの頭では意味が分からない。
「帝国だ。宇宙で唯一地球教の支配下に無い国家を滅ぼすことこそ我らが使命、帝国民を圧政から救い地球教へと導く事こそ真の目的」
「し、しかし帝国は巨大で・・・」
 主戦派でありながらトリューニヒトは帝国に勝てると本気で思った事は無かった。
「同盟とフェザーンが手を結べば可能となる。貴様はなりたくないか?この宇宙初の統一民主主義国家の元首に」
 この一言はトリューニヒトの世界を大きく開かせた。
 そうだ。私はこんなちっぽけな同盟ごときで収まって良い人材では無い。
 歴史上初の、宇宙統一同盟の元首となるべき存在なのだ。
「我らに従えば望みは叶うであろう」
 大主教はトリューニヒトに欲望を植えつけた。
 この時、すでにもうトリューニヒトは地球教の手駒となっていたのだが本人は気がつかない。
 自分は地球教を利用している、彼等はトリューニヒトの才幹に惚れこんでいるからこそ力を貸してくれるのだと信じ込んでいた。


 回想に耽りながらトリューニヒトはブランデーを飲み下した。
「大宇宙自由同盟、国家元首ヨブトリューニヒト、全くすばらしい」
 自分が地球教の傀儡となっているとは思いもしなかった。


 ハインリッヒ フォン キュンメルが新たな託宣を下したのはガイエスブルグ要塞によるイゼルローン侵攻が失敗に終わった初夏の事であった。
 前年の8月に神託を下してからハインリッヒはずっと臥せっていた。
 後半年持たないだろうと医者から宣告されたタイムリミットの時期。
 ハインリッヒはか細い声でヒルダに告げる。


 老いさらばえし王朝の最後の種は叛徒の土地へ向う。
 彼等は喜んで迎え入れるだろう。
 そして種を育てる地を手に入れるため侵略を開始する。

 ハインリッヒの託宣に皆息を飲んだ。
 思い当たる所が多すぎる。
「エルゥインヨーゼフ二世の警備は従来どおりで良いと思われます。同盟へ亡命したいというのなら構わないのではないでしょうか」
 オーベルシュタインが真っ先に進言した。
「どうせいても始末に困る厄介者なのです。のしを付けて同盟に渡してやりましょう」
 この意見にはロイエンタールやミッターマイヤーも賛成だった。
 この先、幼帝の進退をこちらで処理しなければならないのなら同盟へ亡命してくれた方がありがたい。
「そうだな、私も子供殺しにはなりたくは無い」
 ラインハルトも幼帝の扱いに苦慮していたのだ。
 奴らが亡命すれば正式に帝国から追放出来る。
 向こうの過失として。
 願っても無い話だ。
「気になるのは同盟ですな。今の国力と軍事力で帝国に侵攻など馬鹿げております」
 ミッターマイヤーが思慮深く発言した。
「そうだな、気が狂ったとしか思えないがフェザーンが手を貸すとしたら別だ」
 フェザーンの事を考えると皆気が重い。
「世はフェザーンを放置しておく気は無い」
 陰鬱な表情の幕僚にラインハルトはきっぱりと言い切った。
「奴らが同盟に協力するという確かな証拠を掴め。フェザーン侵攻の大義名分となる」
 その一言で幕僚の顔付きが変わった。
 ラインハルトの知略は一歩どころか数歩先へと進んでいる。
 フェザーンをどう押さえ込むかでは無くすでに統合まで考えを進めていたのだ。
 尊敬と畏怖の念を込めてオーベルシュタインは敬礼し、ミッターマイヤー ロイエンタールもそれに倣った。
 この覇者はどこまでも遠くを目指している。
 それに自分達は付いて行くだけだ。
 フェザーンであろうとも、同盟であろうとも

 予言どおりエルゥインヨーゼフ二世は残党貴族に守られて同盟へと亡命した。
 すぐさまトリューニヒトが声明を出す。
「同盟諸君。非道な行為で幼い皇帝から地位を略奪し、国家を私物化し独裁者となったラインハルト フォン ローエングラムを許していいのでしょうか?危機は帝国だけでなく同盟にも迫っています。彼の野望は同盟をも支配し全宇宙の王者として君臨することにあります。民主主義の旗の下、我らはローエングラムの蛮行を阻止しなければなりません。帝国を排除してこそ真の平和と民主主義が訪れるのです」
 トリューニヒトの数少ない才能の一つが発揮される。
聴衆を引き込み操る弁説の巧みさが扇動力となる。
皮一枚の真剣な表情に人々は騙される。
 人々は自分で考えず、トリューニヒトの言葉を信じてし
まう。
今回、トリューニヒトが使ったのは騎士道精神
幼い皇帝を守るという児童小説でしか見られない陳腐な
設定。
しかしこれが人々の心を揺さぶる。
過酷な現実から目を背けナイトシンドロームに陥っていく。
自分達同盟は正義だ、帝国は悪だと民衆はトリューニヒ
トによって洗脳されていた。
その尤も具体的な例を目の前に突きつけられ嫌が追うに
も愛国心は高揚する。
よく考えれば分かることだ。
保護している幼い皇帝はゴールデンバウム、同盟が長年
戦ってきた相手であるということを。
だが誰も考えなかった。
考えたが考慮しなかった。
人々は自分達がナイトになる。宇宙の正義になるという
夢に酔いしれた。
トリューニヒト政権の支持率は発表後、3日を置かず一
気に伸ばし80%にまで達成した。
もちろんこれはフェザーン、地球教徒の陽動があった
ことは言うまでも無い。


 オーベルシュタイン率いる情報局がフェザーンから同盟へ大量の資金が流れ込んでいるのを確認したのは声明の一ヶ
月前であった。
そして皇帝誘拐前にフェザーン自治領主ルビンスキーから
内密に連絡が入った。
「同盟侵攻への口実を与えてやるから取引をしよう」
笑止な内容であったがラインハルトはフェザーンの手に乗
った振りをした。
ルビンスキーは同盟侵攻の際フェザーン回廊を帝国軍が使
用する事を許可するから自分の地位を保証してくれと言ってきたのだ。
「これで決まった。我らは同盟へ侵攻する。フェザーンを併合して」
 同盟侵攻は建前である。
 真の目的はフェザーン制圧。
帝国内部にまで巣食う経済国家の征服である
 神々の黄昏。
 ラグナロック作戦の勅命が下されたのだ。

 政府の発表を聞いた良識ある軍人は皆驚愕した。
「今の同盟にそこまでの軍事力がある筈無いだろう、気でも狂ったか、国家元首は」
 ヤンはビュコック提督と光速通信で会談した。
「帝国はフェザーン回廊を通過してきます。早く手をうたなければなりません」
「まさか、フェザーン回廊は非戦闘地区だ。帝国とてフェ
ザーンを敵に回しはしないだろう」
「そのまさかです。同盟へ侵攻したら残るはフェザーン、巨
大な富を独占しているフェザーンをローエングラム王朝がそ
のままにしておくとは思えません。ならばこの機会にフェザ
ーンごと併合するのが効率的です」
「うーむ、議会へ提案してみるが・・・」
「一笑にふされることは分かっていますが侵攻が始まってか
らでは間に合いません。お願いします、ビュコック提督」
会談は30分にも満たなかったが内容は重要であった。
次にヤンが行なった事はイゼルローン放棄の準備を内密に
進める事だった。
 戦争は始まる。
多分帝国と同盟、最後の戦いが。
負けるのは・・・・否、今それを考えてはいけない。
自分に出来るベストを尽くすだけだ。
同盟にとってベストで無くともベターな選択が出来るよう
にしなければ。
事を進めながらヤンの脳裏には引っ掛かるものがあった。
フェザーンである。
あのフェザーンが帝国からの侵攻を黙って受け入れるだろ
うか。
まさか、それはありえない。
フェザーンは誰にも支配されないことを誇りとした自治国
家、経済集団だ。
侵攻に従うなどありえない。
そこまで考えると何時もヤンの思考は立ち止まる。
本当に?
フェザーンの目的は自国の利益にあるのか?
今回の幼帝亡命は不自然な点が多すぎる。
残党貴族の無謀な亡命。
同盟元首の無策な声明。
帝国の無意味な遠征
それを静観するフェザーン
ピースはあるのに完成されないパズルの様にヤンを苛立た
せる。
 何かが足りない。
 全てを繋げる重要なピースに欠けている。
 だが今は考えるよりも行動だ。
 ヤンはフリデリカやキャゼルヌ、ムライに指示してイゼル
ローン撤退の準備を急いだ。

「失敗するなよ、ルビンスキー」
 フェザーン自治領主の私室に暗く低い声が響き渡る。
 膝を付き部屋の主は神妙に頷いた。
「分かっております。我らを信用し金髪の儒子がフェザーン
に到着した時こそ奴の最後」
 暗殺はフェザーンの十八番だ。
「十分に兵は教育しております。ご心配無く」
 総大主教のホログラフは揺らめきながらルビンスキーを見
下ろした。
「裏切るなよ。ルビンスキー」
 心の奥まで読み取るような気味悪い声を発してホログラフ
は消えた。
 通信が終わってもルビンスキーは顔を上げることが出来な
かった。
 心を読み取られた気がしたからである。


 箍が外れたかのように、死が瀬戸際まで迫っているため
かハインリッヒ フォン キュンメルの託宣は続いた。
「大三の勢力が暗躍している。全てはそれに踊らされてい
るんだ」
「それは何?ハインリッヒ」
「分からない。同盟もフェザーンも操り人形でしかない。影
でそれを操っているものがある」
 駄々っ子の様にハインリッヒは泣き出した。
「とても力が強い敵だ。僕では分からない。読み取ろうとし
ても邪魔をされるんだ」
「どういう事なの?」
「本当の敵は同盟やフェザーンじゃないんだ。奴らの目的は
違う・・・違うんだ」
「何がどう違うというの?」
 問い詰めるヒルダにハインリッヒは泣きながら訴えた。
「フェザーンの黒狐。奴が全てを知っている。奴に気をつけ
て。奴に心を許さないで」


 ハインリッヒの言葉を伝えるとまずロイエンタールが反論
した。
「それは託宣とやらとは違うのではないか?今までとは口
調も違うだろう・・・キュンメルは病気で混乱しているのだ
ろう」
 幼帝亡命の託宣が当たってもロイエンタールは信用してい
ない。
「今までのもったいぶった言葉とは違う幼稚な発言だ。そん
なものに翻弄されて軍隊は維持出来ない」
「しかし無視していいものでは無い。キュンメル伯の託宣は
今まで当たったのだから」
 親友であるミッターマイヤーの取り成しにロイエンタール
は鼻白む。
「卿の素直さは美点であるが欠点でもある。物事を信じすぎ
ない事だ」
「俺には卿の方が意固地になって真実から目を背けている様
に見えるぞ」
 喧嘩腰になる二人に主人であるラインハルトは手を上げて
諌めた。
「ハインリッヒ フォン キュンメルの言動を鵜呑みにする
訳では無いが正鵠を射ている事も多々ある。忠告として胸に
留めておけば良いだけの話だ」
 託宣にある大三の勢力とやらが何か判らない以上不必要に
警戒する事は無い。
 だが目を開き、耳をそばだて、感覚を研ぎ澄ましあるか分
からない敵に備えよ。
「いずれにせよ黒狐に会えばはっきりするだろう。その時
が愉しみだ」
 言い切るとラインハルトは芸術的なまでに美しい覇者の笑
みを浮かべた。
 勝者の余裕を垣間見せる表情だ。
幕僚はその笑みを見るだけで安心出来るのであった。

 宇宙暦798年
 帝国暦489年8月20日
 亡命したエルウィンヨーゼフ二世を擁する亡命貴族が同
盟で銀河帝国正統政府の名乗りを上げた同日。
 銀河帝国は正統政府と同盟に対して宣戦布告を発令した。
 帝国内部の貴族粛清。同盟のクーデターからまさに一年後
である。
 同盟は蜂の巣を突いた騒ぎとなったがまだこの時点で人々
は楽観視していた。
 イゼルローン要塞が有る限り帝国がハイネセンへ来られる
訳が無い。
 イゼルローンはミラクルヤンが守っているのだ。
 決して帝国軍に負けることは無いと。
 帝国軍はまず囮としてロイエンタール提督を頭とする
ルッツとレンネンカンプ、アイゼナッハの連合艦隊
 フェザーンへの本陣はミッターマイヤー ミュラー、シ
ュタインメッツとフォーレンハイト、ビッテンフェルト
復帰してきたキルヒアイス、そしてラインハルトのブリュン
ヒルトである。
 ヒルデガルド フォン マリーンドルフ、オーベルシュタ
インはブリュンヒルトに配属された

 ヤンをイゼルローンに拘束しておくための陽動であったとしてもイゼルローン侵攻隊は気を抜く訳にはいかない。
 相手は無敗のヤンウェンリーだ。
 全力を持って戦わなければ囮としての意味が無い。
 ヤンウェンリーを決してイゼルローンから出すな、という勅命を受けたとき、ロイエンタールの心情は複雑であった。
 確かに戦術としては理にかなっているし戦略にも申し分無いのだが。
 ロイエンタールは勅命の裏にあるラインハルトの個人的な感情を邪推してしまう。
 イゼルローンにいる限りヤンは負けない。
 勝つ事は出来ないが敗北して戦死したりはしない。
その間に本当の戦いは、戦略的に意義のある侵攻は別の星
域で進められる。
 確かにヤンウェンリーが本来の戦場へ出てこられたら厄介
だが、たかが一艦隊、そこまで危惧することは無いのでは
無いか。 
大切な戦力であるロイエンタール艦隊を囮に使うのはライ
ンハルトがヤンの身を按じてイゼルローンに縛り付けておきたいための私情では無いか。
 作戦自体に不満は無いが自分が囮に使われる事に納得がいかない。
 ビッテンフェルトやミュラーで十分な筈だ。
 態々ロイエンタールを寄越す事がおかしい。
 そんな理不尽な思いに駆られてしまう。
 ラインハルトが抱くヤンへの執着は危険だ。
 出来ることならこの戦争で消えてなくなってもらいたい。
 戦死まで望むのはロイエンタール一人だろうが自分はそれを間違っているとは思わなかった。
 オーベルシュタインもミッターマイヤーもキルヒアイスも、認めないまでもヒルデガルド フォン マリーンドルフの世迷言を容認している。
 ラインハルトまでも・・・
 それが口惜しい。
自分が必要以上に占いや迷信を毛嫌いするのは出生の事情
がトラウマとなっている事は自覚しているが、それを差し引
いても認められない。
元凶はヤンウェンリー
ロイエンタールは今、彼の足止めをするため全力でイゼ
ルローンを侵攻している。
ラインハルトは遠くフェザーンランド。
今ならば自分がヤンウェンリーを殺そうとしても止めるこ
とが出来ない。
 ヤンウェンリーと一対一で対戦出来るのはこれが最初で最
後だろう。
 ヘテロクロミアに危ない光が灯る。
 今ならば、合法的に、勅命に従いながらヤンウェンリーを
排除出来る。
 来るべきローエングラム王朝のため。
 ロイエンタールは武者震いにも似た興奮を感じた。
 帝国軍がイゼルローンに大軍を向わせた。
同盟人もフェザーン人もその情報を鵜呑みにしていた時、
驚愕の事態が訪れた。
 イゼルローン侵攻軍をはるかに上回る帝国軍の大艦隊がフ
ェザーンへ侵攻してきたのだ。
 報告を受けた自治領主は喜んで迎え入れた。
 この時になってフェザーン人はようやく気が付いたのだ。
 ランデスヘルはフェザーンを帝国に売ったのだと。
 怒りと不平に満ちたフェザーン人であるが情勢を読む力は
持っている。
 ここで感情に任せてテロを行っても帝国軍には勝てない。
 世情がどう動くか見極めてから進退を決めても遅くは無い。
 帝国軍がフェザーンの頭上に現れた時、首都は不穏な程静まり返っていた。
 歓迎も無ければ反抗も無い。
 誰もが息を潜め動向を見守る中、フェザーンに降り立ったラインハルトにルビンスキーが握手を求めてきた。
「ようこそおいでくださいました。皇帝閣下」
「予はまだ皇帝では無い」
「まだ・・・でございましょう。さあこちらへ、歓迎の祝典を用意させております」
 無髪の異相がぎょろぎょろと目を動かしにんまりと笑う。
 友好の意を満面に称えているがあまりにも奇異だ。
ラインハルトは目を逸らすこと無く頷いた。
「分かった、予も卿とは話をしたいと思っていたのだ」
ルビンスキーに率いられラインハルト達はフェザーンのホワイトハウスと呼ばれる自治領主の館へと案内された。
 

 館は豪奢な造りであった。
 贅を凝らした料理、ビンテージのワイン、給仕するのは美女揃い。
 快楽主義者であるルビンスキーの嗜好が全面に出ている。
「遠路お疲れでしょう、詳しい話の前にお食事を」
だがラインハルトは一口も食しない。
「毒など無粋な真似はいたしません、ほら」
ルビンスキーが大口で血滴るステーキを食べて見せたが
誰も笑うものはいなかった。
「卿は帝国軍にフェザーン回廊通過を許した見返りを要求し
てきた。だが具体的な内容は聞いていない。今ここで明確に
教えてもらおうか」
「それは以前にも申しました。フェザーンの存続とランデス
ヘルとして地位の保証でございます」
「それが卿の本心とは思えぬ。同盟への侵攻が果たせばフェ
ザーンの地理的条件と経済的有利さが損なわれる。分かっ
ていながら帝国の回廊通過を許した本意はなんだ?」
 率直に問いただすラインハルトにルビンスキーは媚びた笑
みを浮かべた。
「閣下は聡明でいらっしゃる。だが若い、駆け引きとはなん
たるかをご存じない」
「予を愚弄するか?」
「とんでもない、羨ましいのです。私にはもう若さも情熱も
ありませんから」
「卿の望みは何だ?」
 ラインハルトの言葉と同時に給仕の美女が一斉に拳銃を構
えた。
もちろん警戒していたキルヒアイスや幕僚も銃を引き抜く。
 給仕の銃口は全てラインハルトへと向っていた。
帝国の銃口はルビンスキーへと向けられている。
 一瞬の静寂の後、ラインハルトが冷淡な笑みを浮かべた。
「予の命が望みだとは思えんな、卿はエピキュリアンで自己
愛者だ、自分の命と引き換えに世直しなど考えもつかない
だろう」
「全く閣下は聡明でいらっしゃる」
銃口が向けられているにも関わらずルビンスキーはワイン
を飲み干し大口で笑った。
「おっしゃる通り私は快楽主義者です。自分の欲望に忠実だ。
だが閣下の考えておられる快楽とは違う。私が一番楽しいの
は権謀術数を図り同盟と帝国を操ることでした」
 大胆不敵な言動にオーベルシュタインですら鼻白む。
「だが私の楽しみを閣下が奪われた。帝国貴族ならば幾らで
も術中にはまってくれたものを、閣下が作るであろう新帝
国ではそうもいかない」
「随分評価してくれているようだな」
「当然です。年老いても目は開いておりますから。起きていても都合の良い夢を見ている輩とは違います」
「卿はそれの手先ではないのか」
「おっしゃいますな、全てをご承知なのかそれとも発破をか
けられているのか、まあよいでしょう」
 もったいつけながらルビンスキーはワインを差し出した。
「ビンテージのロマネコンティです。今の世界では手に入らない一品です、ぜひ味見を」
注がれた血のごとく赤く滴るワインをラインハルトは一息
で飲み干した。
「豪胆であられる。その一杯が帝国臣民の給料何年分にな
るかご存知ですかな」
「遠くない未来、臣民の給与は倍増するだろう。計算は無意
味だ」
「よろしい、では私の望みを言いましょう、閣下が宇宙の覇
者となった暁には新たな領土と自治領を要求いたします」
「フェザーンでは無く?」
「価値の無くなったフェザーンに用はありません、私が欲し
いのは自分で一から築き上げる私だけの楽園、領土」
「国民はどうするのだ」
「フェザーンは国といっても一人一人が独立した商人で構成
された経済集団にしか過ぎません、彼等は己の裁量で生き
びるでしょう」
「なる程な、私がそれを認めると思うのか」
「これから私がもたらす情報の重大さを考慮頂ければ領土の
一つや二つ当然の報酬だと納得される筈です」
「では聞こう、その情報とやらを」
「まず契約書が先です」
ラインハルトはしばらく考えた後こう答えた。
「分かった、卿にはヴァスターランドをくれてやろう」
「あそこは先の核攻撃で壊滅的打撃を受けております」
「確かに、今は誰もいない無人の惑星だ。だが資源は豊富に
ある。眠っている鉱物は無尽蔵で帝国領土でも指折りの産地
だ」
 熟考した後ルビンスキーは頷いた。
「いいでしょう、あまり多くを望むのも欲が深いというも
のだ。ではサインを」
契約終了後、ルビンスキーはワインを燻らせながら語り
始めた。
フェザーンの誕生の意味を。
世を支配しようという第三の勢力の存在を。

帝国暦373年 宇宙暦682年
フェザーンは地球出身の商人 レオナルドラープによって
創設された純粋に利益を追求する商業国家である。
これが一般的な見解だが実際は違う。
フェザーンは地球教復興のために作られた前線基地だった
である。
地球教は狡猾かつ利口であった。
軍事力や国力では叶わない相手を経済で征しようと目論ん
だのだ。
その作戦は見事に成功した。
同盟と帝国の中間点に位置するフェザーンは貿易を独占し
長引く戦争で力を蓄え仕舞に各国の政治にまで関与する様と
なった。
 ゴールデンバウム王朝の末期、帝国の経済は完全にフェザ
ーンの手中にあった。
 そして今、同盟はフェザーンによって操られている。
否、フェザーンの影にいる地球教によって。

「私はずっと不満だったのです。ランデスヘルとして帝国と
同盟の経済を支配していても所詮地球教の手駒に過ぎない。
地球教の最終目的は経済では無く全人類の地球教化。そんな
妄想に付き合うのが馬鹿らしくて仕方ありませんでした」
ランデスヘルの言葉にラインハルトは冷笑を浮かべた。
「だから裏切ったのか」
「しょうがありません。全人類を一つの宗教にまとめるなど
不可能なのですから」
「一つの国家にまとめるのも不可能では無いのかな」
「それはこれからの閣下の働きによるでしょう。私は私のや
るべきことをしたまでです」
「裏切り情報を流すことをか」
「人類にとって最良の選択だと思ったからです」
「予が単一国家を作る事に異存は無いのだな。いいだろう。
卿の情報は確かに有益であった。契約は果たそう」
「ありがとうございます」
 ルビンスキーは無髪の頭を深く下げて服従の意を見せた。


「結局危惧した通りになった・・・ヤン」
同盟侵攻を前にラインハルトは一人宇宙を見ながら呟い
た。
 ヤンは民主主義の盾となりラインハルトに対抗する。
「やはり予の道を遮ぎろうとするのはお前か」
彼を危険な存在だと言ったのはキルヒアイスだったか・・
 それともラインハルト自身か・・・
「だが遅い。イゼルローンから到着する前に勝敗は決する」
 今頃全速力でこちらへ向ってくる彼の事を思い、ラインハ
ルトは鼓動の高鳴りを感じた。
 何故彼に惹かれるのか分からない。
 そう言い続け、自分に問いかけ続けたが今なら分かる。
 ラインハルトにこの高揚感を与えてくれるのはヤンウェン
リーだけだ。
自分と同等の、それ以上の敵。
彼の戦術を、戦略を見る度に心が震えた。
強い敵に対して闘争心が湧き上がる。
ラインハルトは戦士だ。
戦場では常に前線に立ち続けた。
強い敵の存在は自分を強くする。
相手もそうだろう。
お互いに高めあい競い合う相手。
それがラインハルトにとってのヤンウェンリーだ。
そして、彼を手に入れれば・・・彼と敵対でなく協力し合
えば更に上へといける。
だからラインハルトはヤンを求めた。
ヤンがいなければ戦争も侵攻も支配も全て味気ない。
彼のみがラインハルトを高められる唯一の存在。
ヤンだからこそ屈服させようとした。
唯一認める対等の相手だからこそ欲した。
身も心も
ラインハルトは自分が狭量なことを知っている。
執着する相手には全てを求める。
他の誰にも渡したくない。
何もかも、命までも自分一人の物でないと気がすまない性
質だ。
・・・だから
「ヤンウェンリー、お前は俺の物なのだ。逃げることは許さ
ない」
 もうすぐ手に入る。
 ラインハルトは白磁の美貌にうっすらと笑みを浮かべた。

 

フェザーンで密談が行なわれる数日前、イゼルローンは
戦闘へと突入した。
 ロイエンタール率いる帝国軍はトゥールハンマー射程外で布陣を布く。
 30万を越す砲撃が要塞を襲う。
 帝国軍は主砲の範囲外で包囲網を敷いた。
 それを阻止しようと同盟が艦隊を出すと待ちかねた帝国との戦闘が始まった。
 ロイエンタールの戦術は巧妙であり時にヤンウェンリーの盲点を突く。
 味方の艦がいては主砲は使えない。
ロイエンタールはその弱点を突いてきた。
戦場は乱戦に陥る
その時である。
トリスタンのオペレーターが叫んだ。
「戦艦ヒューベリオンですっ」
皆が一斉に動揺する。
 ヒューベリオンは名高いヤンウェンリーの艦だ。
まさか司令官自ら戦場へお出ましとは考えても見なかった。
これにはロイエンタールも判断を誤った。
「全艦隊前進、最大戦速」
 今ならヤンウェンリーを仕留める絶好の機会。
 その状況がロイエンタールの判断を僅かに狂わせた。
 トリスタンがヒューベリオン目掛けて突進する。
 しかし砲撃射程内に入る前に同盟の強襲揚陸艦がトリスタンの船体にぶつかってきた。
 ヒートドリルで穴を開け酸化剤で固定するまでわずか2分
 直径2メートルの通路が2艦を繋ぐ。
 装甲服に身を包んだローゼンリッターがトリスタンに乗り込んできた。
「雑魚に構うなっ狙うは司令官ロイエンタールッ」
 シェーンコップの命令が響き渡る。
 トリスタンは血の海と化した。
 薔薇の騎士の噂は帝国にも鳴り響いている。
 亡命貴族で作られた連隊。
 艦隊と要塞の戦いはここへ来て人間同士が殺しあう、古来からの戦闘へと移行した。
 トマホークを振り下ろし帝国軍を血祭りに挙げるローゼンリッター、
 銃撃戦が始まり敵も味方も分からない乱戦に陥る。
 シェーンコップは最前線で豪腕を奮い最短距離で目的に到達した。
 彼が司令官室に入った時、ロイエンタールはまだアーマースーツを身につけていなかった。
 しかし生身で装甲兵と対峙しても狼狽もしない。
 その並外れた豪胆さとヘテロクロミアの瞳 シェーンコップは確認した。
「ロイエンタール提督ですな」
「いかにも、貴様は同盟の犬か」
 声には些かの動揺も含まれていなかった。
「私はワルター フォン シェーンコップ。死ぬまでの間憶えて頂こう」
 トマホークが襲い掛かってくる。
 ロイエンタールはこの猛攻をかわしブラスターを構える。
 頭を狙った銃弾は戦斧によって阻止される。。
 柄になったトマホークを投げつけロイエンタールのブラスターを弾き飛ばした。
 両者は素手となり、より古風な戦いに身を捧げた。
 肉弾戦である。
 シェーンコップは腰に下げたナイフを抜き取る。
 ロイエンタールは死亡した同盟兵士の屍に飛びつき血染めのナイフをもぎ取った。
 銀色の光が交錯する。
 金属音が響き渡る。
 両者の力は互角であった。
 シェーンコップが白兵戦のプロであるようにロイエンタールもまた白兵の勇者だった。
 本気と本気がぶつかり合い一歩も引かない。
 本来ならばその刃をかわしつつ後退し仲間と連絡を取るのが良策であるがその余裕をシェーンコップは与えない。
 その時 複数の足音と同時に帝国軍が雪崩れ込んできた。
「隊長っここですかっ」
「ご無事でっ司令官閣下っ」
 カスパーリンツ率いるローゼンリッターとベルゲングリューン率いる帝国軍一隊が到着したのだ。
 宇宙の戦争はトリスタンでの戦いとなり、更にミニマムなこの一室へと移行する。
 完全な混乱状態となった。
 敵も味方も分からない。
「ちっ取り逃がしたか」
 ロイエンタールの姿を見失うとローゼンリッター隊長は心底悔しそうに舌打ちをした。


 ようやく帝国軍がローゼンリッターを押し返し、人間の戦
は収束した。
「戦闘を中止して後退、俺としたことが功を焦ってヤンウェンリーのペースに乗せられてしまった。旗艦に陸戦部隊の進入を許すとは間抜けな話だ」
 副官のベルゲングリューンにそう告げると彼は全身に浴びた血を拭うためシャワールームへと向った。


 
 最初の戦闘の後は小競り合いが続いた。
 ヤンは出来る限り損害を出さない事を念頭に置いて戦う。
 勝負はここでは無い。
 別の場所で決するのだという認識があるからだ。
 兵力を温存しておく必要があった。
 だがこのままもぐらの様に引っ込んでいる訳にもいかない。
 同盟から救援信号が来た時、出陣出来る様に退路は確保しなければならないのだ。
 それには目の前の帝国軍の戦力を出来るだけ削いでおく必要がある。
 ヤンの部下はその思惑をよく理解してる。
 アッテンボローの作戦により同盟はほとんど被害を出さずレンネンカンプ艦隊の三割を仕留めた。
 ロイエンタールは12月9日 ラインハルトに援軍依頼を通信した。
 これは依頼に見せかけたフェザーン侵攻の開始要請であり、イゼルローンの陽動成功の報告であった。
 フェザーンはルビンスキーの手引きで即座に無血で占領された。
 慌てたのは同盟である。
 今までイゼルローンがあるから高枕で見物出来たのだ。
 それがフェザーン回廊侵攻の報で一気に崩れ去る。
 同盟市民はパニックに陥った。
 もちろん政府も。
 地球教徒も例外では無かった。
 フェザーンでラインハルトは暗殺される予定だったのだ。
 まさかルビンスキーが裏切るとは想像もしなかった。
 否、地球教大主教は薄々気が付いていたのだろう。
 万が一のために策は講じてあった。
「ヤンウェンリーに全権限を与え帝国軍に対峙させる」
 これを策と言うのかどうか。
「そんな無謀なっ」
 焦るトリューニヒトに大主教は言い切った。
「今、太陽の儒子に対抗出来るのは月のみ、彼をイゼルローンから呼び戻し同盟軍全艦隊の総司令官に任命するのだ」
「なっなんですかっその太陽とか月とか」
「ヤンウェンリーは月神の生まれ変わり、我ら地球を守る使命を持っておる。案ずるな、我らが月は負けはせぬ。ローエングラムごとき太陽神に地球は滅ぼされはせぬ」
 総大主教の目は血走り正気を失っている様にトリューニヒトの目には映った。
 太陽とか月とか、宗教特有の妄想まで語りだしている。
 トリューニヒトは心底悔やんだ。
 地球教に乗せられた自分の不運を嘆いた。
 だが悲観してばかりもいられない。
 現実を見なければ。
「ヤンウェンリーを呼び戻せばイゼルローンを放棄することとなります」
 トリューニヒトの発言は演説に酔っていた総大主教を白けさせた。
 どこまでも情勢が読めない国家元首に大主教は侮蔑の視線を向ける。
 この男、存外使えん。
 平時ならばまだ利用出来たが非常時では足手まといとなる。
 ルビンスキーの様に飼い犬に手をかまれる前に始末しなければ。
 総大主教は一瞬で判断するとトリューニヒトに告げた。
「卿は身を隠すが良い。まず己の安全を図れ。隠れ家はこちらで用意しよう」
「ありがたい。恩に来ます。私はあなたの僕です。総大主教」
 厚顔無恥にもトリューニヒトはすぐさま声明を出し姿をくらました。
 「遺憾に思う」とだけ発表し逃げ出した国家元首に批判は集まったが今はそれどころでは無い。
 アイランズ国防委員長が急遽元首代理として奔走することとなった。
 同盟軍はビュコック元帥を長として集結した。
 地球教の細工が無くとも聡明な老元帥はイゼルローンに通信を入れた。
「卿の信ずる方法を取れ、責任はこちらで取る」
ヤンはすぐさまイゼルローン撤収を開始した。

難航すると予想されたイゼルローン放棄であったが予想に
反してスムーズに進んだ。
 何故か帝国軍は同盟の逃走を見逃したのだ。
「追撃しなくてよろしいのですか」
トリスタンの艦艇で副官のベルゲングリューンが確認する
とロイエンタールは余裕の笑みを見せた。
「構わん、ヤンウェンリーがどれ程急ごうとも到着した時に
は勝敗は決している。奴は瓦礫の同盟軍を見ることとなるだ
ろう」
ヤンが到着する頃、同盟軍は帝国によって完膚無きまでに
叩きのめされている。 
奴が報復戦を仕掛けたくとも率いる軍隊が無ければ帝国
に対抗出来ない。
「所詮は軍人、軍隊が無ければ唯の木偶の坊だ」
 我が主君とは違う。
 ラインハルト フォン ローエングラムは戦術の天才であ
りながら戦略 政治の才能を無限に持っている。
 単なる同盟の一軍人と同列に並べていい訳が無い。
「俺の役目は終わった。無血で占領したイゼルローンへと入
場しようか。マインカイザーは近日中にハイネセンへと入場
されるだろうしな」
 本心ではヤン艦隊を背後から攻撃したいがその欲望をロイ
エンタールは押し留めた。
 先のトリスタン襲撃が痛恨となり情勢を読む理性を取り
戻させていたからだ。
 こうしてイゼルローン弟9次攻防戦は幕を閉じた。
 無血で同盟に侵略されたこの惑星はまたも無血で帝国へ
と戻されたのである。

 ヤン艦隊がどれ程急ごうとも避難民を乗せたまま戦場へ急
行するわけにはいかない。
 途中安全な惑星へ彼等を降ろし、猛突進でランテマリオ星
域に辿り着いた時、勝敗はほぼ決定していた。
 同盟軍は壊滅状態にあった。
 ビュコック元帥の旗艦リオグランテですら30隻の駆逐艦
巡航艦を残すだけの有様であった。
 敗戦の責任を取ろうとビュコック元帥は拳銃を持ち出した
ほどだ。
 それを止めたのは参謀長のチャンウーチェンであった。
「ヤンウェンリーが戻ってくるまで死んではいけない。帝国
に対して戦争責任を取るまで命を大切にしなければ」
 チャンの説得によりビュコックが自殺を思いとどまった時、
やっとヤン艦隊到着の報が届いた。


 本来なら戦いはもっと早くに収束している筈であった。
 帝国の読みが外れたのはビュコック提督の老練な手腕と同
盟兵士の自暴自棄による特攻のためである。
 だが大きな変更は無い。
 ヤン艦隊が現れたところで同盟には戦闘を維持させるだけ
の武力は残っていない。
それどころか軍を維持出来る最低数を下回っている。
ヤン艦隊はようやく辿り着いた戦場で一人でも多くの同盟
兵を逃すため最後尾に付き帝国の追撃をかわしながらハイネセンへと逃げ戻った。
 待っていたのは国家元首では無く代理のアイランズだ。     
大嫌いなトリューニヒトの顔を見なくて済む事だけは喜ばしいがヤンの前に並べられた状況は最悪だった。
 もはや同盟に軍隊は存在しない。
 帰るのが遅すぎたのだ。
 帝国軍がハイネセンの空に姿を現すのは時間の問題だ。
「今降服すれば帝国の属領となり民主主義は潰えます」
ヤンの言葉にアイランズは大きく頷いた。
「降服するにせよ少しでも有利な条件を引き出さなければな
らない」
それには軍事的劣勢を挽回するより他無い。
もう同盟には帝国に対して有利なカード、経済的取引や政
治的和平の交渉を出来るだけの国力を持っていないからだ。
「だがそれにはどうしたらいい?」
アイランズは問いかけずにはいられなかった。
しばらく沈黙した後、ヤンはゲリラ作戦を申し出た。
「もし戦略的ダメージが戦術で補えるとしたらこれしか方
法はありません」
「どういう事かね」
「ローエングラム候は独身で後継者を決めていない。彼がい
なくなれば帝国軍は崩壊します」
「おお、そうだっそうであった」
アイランズが両手を叩いて喜ぶのをヤンは憂鬱な気分で眺
めていた。
 言うのは簡単、しかしやらねばならない。
百戦錬磨の名将揃いの帝国艦隊相手に一個艦隊でゲリラ戦
とは・・・イゼルローンの時も半個艦隊で要塞侵攻と無理難
題だったが今度はそれを越えている。
どんどん酷くなっているな。
人事の様に考えながらヤンは苦笑するしかない。
やはりあそこで引退するべきだった。
今となってはもう遅いが。
ヤンはハイネセンの空遠くに広がる宇宙へと視線を向けた。
あそこに彼はいる。
宇宙は広大であるのに何故かヤンはブリュンヒルトの位置
までも分かる気がした。
彼の息遣いや鼓動まで感じられる気がする。
彼の名を思うだけで苦しくなるのは緊張感からだろうか。
今からヤンは彼の命を狙って最後の戦いを仕掛ける。
 己の命を賭けて・・・・民主主義を救おうとしている。
同盟を守ろうとしている。
腐敗しきった。元首が逃げ出し市民はひたすら政府を糾弾
し続けヤンに全ての希望を押し付ける自由惑星同盟を。
戦う相手はヤンがこの世で尤も賞賛する政治家であり軍人、
専制君主のラインハルト フォン ローエングラム
思考に迷い込むのをヤンは堪えた。
自分は民主国家の軍人だ。
政府の命令に逆らってはいけない。
シビリアンコントロールの原則により軍は政府の支配下に
なければいけない。
今一番同盟に被害を与えない最良の策が降伏であり、帝国
の属領になることだと考えてはいけない。
それは民主主義の崩壊なのだ。
たとえどんなに堕落しきった民主主義であっても。
 ヤンは矛盾を押し殺し同盟最後の艦隊に指令を発した。

「まず敵の補給路を叩け」・・・と。

 同盟と帝国、最後の戦いはライガール トリプラ両星域が皮切りとなった。
 ゾンバルト少将が護衛する補給艦を全滅させられた帝国軍はウルヴァシー恒久基地を邪魔するヤン艦隊を排除するためシュタインメッツ艦隊を出動させた。
 ライガール トリプラ両星域の中間点にはブラックホールが存在する。
 それを背後にヤン艦隊が布陣を轢いている事を確認するとレンネンカンプ艦隊が援軍で合流してくる。
 数の上では帝国が有利であった。
 しかしヤンは絶妙な艦隊運用により中央突破、背面展開戦法を取りシュタインメッツ艦隊を、その後追撃するレンネンカンプ艦隊に心理作戦にかけ先制攻撃を仕掛け二艦隊に壊滅的打撃を与えるのに成功した。
 次の戦場はタッシリ星域であった。
 補給が足りない帝国軍はワーレンの提案により同盟軍の補給基地を攻撃する戦法に出た。
 しかしこれはそこまで読んでいたヤンの罠であった。
 護衛不十分なコンテナ群をワーレン艦隊が収集しようとした時、中に仕掛けてあった自動操縦が乱射される。
 コンテナ内に兵が潜んでいると思ったワーレン艦隊がコンテナを激射した時、大爆発が起こった。
 コンテナには大量の液体ヘリウムが搭載されていたのだ。
 ここに来て帝国はヤンの思惑を悟った。
ゲリラ戦により帝国を飢えさせようとしている。
皮肉な事にそれはかつてアムリッツァで帝国が使用した策
の亜流であった。
拠点を持たないゲリラの掃討がいかに困難か、帝国はその
身で思い知る羽目となった時、ラインハルトが勅命を発した。
 自身が囮となりヤン艦隊をおびき寄せると。


同盟軍がハイネセンに逃げ込んだ時、帝国は戦争が終結し
たと確信していた。
しかしそれは誤りであり、同盟軍は無謀にも玉砕覚悟の戦
いを仕掛けてきた。
これに一番憤ったのはラインハルトであった。
何故これ以上無意味な戦闘を続ける。
態々死地へと出向いてくるのだっヤンッ
 ラインハルトは苛立った。
ここまで追い詰められてもヤンは投降してこない。
それどころか僅かな兵でラインハルトに挑んでくる。
 何ゆえそこまで同盟に拘るのだ。
瓦礫した民主主義に何の意味がある?
 そこまで予を拒むのか。
憤慨は憎悪にまで成長する。
だが心の奥底で高揚もしていた。
 それでこそヤンウェンリー
 ラインハルトが唯一対等と認めた存在。
 必ず彼を敗北させ手に入れよう。
 ヤンが抵抗すればする程ラインハルトの執着は増す。
簡単に手にはいらないから余計欲するのは人の業だ。
ラインハルトは命令を下した。
ヤン艦隊を完膚なきまでに叩きのめせと。
そしてヤンを自分の前へ連れて来いと。
ラインハルトは確信していた。
ヤンは全力を持ってラインハルトに戦いを仕掛けるだろ
うが決して自害をしたりしない。
完全に勝敗が決したら玉砕など考えず降伏するであろう事
は読み取れる。
 自分の主義主張のために部下の命を道ずれに出来ない。
それが分かっているから躊躇すること無く攻撃を命令した。
しかし補給路を絶たれ情勢は変化する。
 蟻が象を倒すような物でありながら蟻は善戦した。
象は巨大だがあり一匹を踏み潰すのは困難である。
ラインハルトの慢心を笑うかのごとくヤンは帝国の名立た
る武将に勝利した。
それはラインハルトのプライドを著しく傷つけた。
戦闘心を増幅させた。
そしてついに、ラインハルトは最後の手段を用いる決意を
した。
自ら囮となりヤンをおびき寄せる。
ヤンには罠だと分かっているだろう。
だが乗らざるおえない。
それ以外に同盟が生き残る術は無いのだから。
何故か、この戦いが始まってからヤンの事を身近に感じる
ようになった。
彼がこの宙域にいるのが分かる。
ラインハルトの動向を監視しながら隙を狙っているのを肌
身で感じる。
その息吹、鼓動まで感じ取れる。
幻覚、妄想というにはあまりにもリアルな感覚であった。
ラインハルトが感じた場所にヤン艦隊はいた。
幕僚を向わせたがことごとく返り討ちにあう。
やはり最後の決戦は自分の手で行なわなければいけない。
ラインハルトは他者を使うことを止めた。
総司令官自ら前線に赴くなど兵法に反している事は百も承
知だ。
 だがラインハルトのプライドが常識を覆させた。
 幕僚はこぞって反対したが耳を貸さなかった。
 ミッターマイヤーが青ざめた顔で諌めても、キルヒアイス
が反論しても意を変えようとはしなかった。
ヤンと最後に戦うのは自分だ。
彼を敗北させ、地面に平伏させ、ラインハルトに従わせる。
キルヒアイスに言われた。
「ヤン艦隊に拘りすぎです。ハイネセンへ直行し同盟政府を
打つべきです」
それが最良の策なのは分かっている。
だが出来ない。
自分が本当の意味で覇者となるためにはヤンウェンリーを
自らの手で降伏させる必要がある。
宇宙の支配者となるために。
ラインハルトは心の奥底で我知らず呟いていた。
「・・・ヤンウェンリーを手に入れるために」
 以前、自分に問いかけた答えはまだ出ていない。
宇宙を手に入れたいのか、ヤンを手に入れるために宇宙を
征服したいのか。
答えは手に入れた時分かるだろう。
ラインハルトは勅命を出した。

最後の決戦はバーミリオン星域。
そこで同盟軍の息の根を止める・・・と

 奇妙な事だが今、たかが一個艦隊に翻弄されているにも関
わらずラインハルトは幸せだった。
ヤンウェンリーが自分の前に立ちはだかっている。
全てを賭けて、捨て身で挑んでくる。
それはラインハルトを満足させる。
過去、ラインハルトはヤンを味方にしようとして断られた。
今、ヤンは全てを捨ててラインハルトを倒そうとしている。
最大の敵。
短い生涯の中、これを得られる人間は稀であろう。
宿敵、2人の関係は後世の歴史家にそう伝えられるに違い
ない。
例え負であれヤンはラインハルトに最大の感情を向けてき
た。
 愛してもらえないなら憎んで欲しいとは恋愛に狂った女の
常套句だが、ラインハルトにはよく分かる。
 拒まれるのなら敵として戦いたい。
誰にも彼の運命を委ねたくない。
自らの手で彼を敗北させたい。
屈服させたい。
強い欲望であった。
姉が皇帝に略奪された時よりも、親友が自分を庇い銃弾に
倒れた時よりも遙かに強い感情の嵐。
敗北したヤンは抜け殻となるだろうか。
 彼の愛する民主主義が崩壊した時、彼の精神はどう変容す
るだろうか。
 否、民主主義は既に瓦礫と化している。
 ラインハルトが、帝国が手を下さずとも腐敗仕切って汚臭
を垂れ流していた。
 その事から目を背けひたすらに民主主義を妄信していたか
ら今日の事態に陥ったのだ。
 ヤンが一個艦隊で戦いを挑まなければいけないのは自業自
得だ。
それでもなお戦おうとするヤンを哀れに思った。
 愛しく思った。
 愛しさにも増して征服欲を感じた。
「奴の命運を止めるのは俺だ」
 ラインハルトはそっと胸に手を当てる。
この星域にヤンの息吹を感じている。
緊張と高揚感に身を浸し、ようやくラインハルトと同じレ
ベルで戦える幸運に酔っている。
ラインハルトは小さく呟いた。
「お前が望んだ事だ、望みどおりにしてやったからには俺の
前に出てくるだろうな、俺のヤン」
返答すべき主は同じ星域のどこかにいる。
ラインハルトは全身でそれを感じ、つかの間の幸福感に酔
いしれた。

 帝国軍が各星に散らばった同盟領を占領するため分散し
更にラインハルトの旗艦ブリュンヒルトがハイネセンへ侵攻
開始した情報が同盟軍に入った。
 ユリアンですら分かる。
これは罠だと。
しかしヤンはあえて答えた。
「もう方法が無いんだ。これに乗る以外、ローエングラム候
を戦場に引きずり出す手段は無い」
 出来れば楽をして勝ちたいけどね。
頭を掻きながらぼやく司令官は何時もと変わらない。
それは一個艦隊で帝国軍に立ち向かわなければいけない部
下の緊張感を和らげる効果を持っていた。


4月24日14時20分
お互い奇襲に備えた結果、平凡な正面攻撃から戦闘は始ま
った。
英雄同士の対決にしては凡庸な布陣に焦れたトゥルナイゼ
ンが功を焦り帝国軍の艦列を見出しヤン艦隊に集中砲火され
たが迅速に帝国軍も建て直し反撃する。
無視出来ない犠牲が双方に出た。
時間が勝負だった。
帝国軍の援軍が来るまでに勝敗を決しなければならない。
27日、ヤンは艦隊を編成しなおし即効作戦に出た。
 これはラインハルトの読み通りであった。
帝国軍は24段による鉄壁の布陣を用いて対抗した。
一段が破れても次の艦隊が出てくる。
破れた一段は背後に下がり編成し直して新たに最後尾の一
段として加わる。
数の上で絶対的有利だからこそ出来る戦法であった。
ヤン艦隊は消耗戦を強いられた。
戦って勝利しても次の敵が出てくる。
何度もそれを繰り返し疲労が溜まり始めた時、ヤンは作
戦を変更した。
 一旦撤退して小惑星群に逃げ込み僅か一個艦隊しかないの
に二分したのだ。
囮に対して囮で返す。
どちらが囮か・・・・帝国軍内部でも揉めた。
一時、戦闘を中止しヤン艦隊の動向を見るべきだという意
見もあったがラインハルトは無視した。
傍から見れば好戦的になっていると思うだろう。
相手が退いたからといって攻撃の手を緩めることは無い。
ようやくここまでヤンをおびき出したのだ。
また隠れられては元も子も無い。
罠だと分かっていてもラインハルトはあえてそれに乗った。
ヤンを倒すのは自分だという自負と共に。


 この時、ヤンは小型船で中央に位置していた。
二つに分断した囮の丁度中間点でラインハルトの出方を見
ている。
何故こんな事をするのか皆首を傾げたがヤンは笑って言っ
た。
「今度ばかりは神だのみだからね。迷信でもまじないでも使
ってみるのさ」
 意味不明だが作戦自体に大きな支障は無い。
帝国軍の防御陣が解かれ艦隊が動いたのを見極めたらヤン
はヒューベリオンに戻る。
 十分それだけの時間はあり、距離も近いから皆黙認した。


小型船で宇宙を眺めながらヤンは呟いた。
「自分でも奇妙なまじないだと思うけどね」
 何故だろう。
 ラインハルトはこの広大な宇宙でヤンの存在を分かってい
ると感じていた。
 ヤンがラインハルトを感じるように。
 幻想だと分かっていても、今ヤンが本隊に乗っていれば悟
られる様な気がしたのだ。
 だからあえて中間点で出方を待った。
「おまじないみたいなものかな」
 ヤンは苦笑すると目の前の宇宙を見詰めた。
 ラインハルトは乗ってくるだろう。
 彼がどちらを選ぶかで勝敗が決まる。
 自分は賭けに勝てるだろうか。
「競馬も麻雀も、賭け事なんて興味ないのに人生初めての賭
けがこれだなんて」
 全く運が無い、ぼやいている時ヒューベリオンから連絡が
あった。
 帝国軍の防御艦隊が動き出した。
 左翼方向の・・・囮に向って。


 ヤンは戦場へ急行した。

 帝国軍がそれを囮だと気が付いたのは2000隻程の分艦
隊と牽引した石による擬似艦隊をスクリーンに映した時であ
った。
「しまったっ囮だ」
 急ぎ反転しブリュンヒルトの所へ戻ろうとした時、小惑星
から現れた同盟軍の本艦隊と分艦隊の包囲攻撃にあう。
 更に牽引していた石の擬似艦隊を艦列に打ち込まれ防御艦
隊は完全にラインハルトのいる本隊と引き離された。
 ここまで来てもヤンは焦らなかった。
 得意とする奇襲を用いずラインハルトの艦隊を分断し前衛
部隊を各個撃破していく。
 時間が鍵であることを分かっていたからこそ慎重になった。
 各惑星に分散した帝国艦隊が帰ってきたらタイムリミット。
 それを畏れるあまり判断を誤ってはいけない。
 5月2日
 ようやくヤンは僅かな護衛艦に守られるブリュンヒルトを
スクリーンに捕らえた。
 だがそれは一時に過ぎなかった。
 分散していた艦隊の中で逸早くミュラー艦隊が戻ってきた
のだ。
 しかしまだ情勢はヤンに有利だった。
 ミュラー艦隊はバーミリオンに急行するため付いて来れな
い艦隊を置き去りにしていたのだ。
 正規の艦隊の半分以下、8000隻という数が勝負を互角
にさせた。
 ヤンは巧妙にカルナップ艦隊とミュラー艦隊を混乱状態に
陥れ両方を撃沈させた。
 ミュラーは戦死を免れ別艦に乗り移り指揮を取ったがヤン
艦隊の猛攻に押されていく。

 5月5日 22時40分
 ヒューベリオンは再びブリュンヒルトを射程に収めた。
 勝敗を決する一瞬。
 宇宙が凍りつく。
 帝国軍も同盟軍も戦闘の手を止めた。
 ラインハルトの頭に銃口が向けられている。
 同盟軍は歓喜で、帝国軍は憤怒と屈辱でそれを見入ったの
はほんの数秒だっただろう。
 次の瞬間、各々の思惑を吹き飛ばす嵐が飛び込んできた。
 自由惑星同盟本土から緊急通信が入ったのである。
 正統な国家元首、トリューニヒトの声明であった。
「自由惑星同盟政府は銀河帝国からの講和を申し受ける。
その証として全ての軍事行動をたたちに停止する」

 もし声明が1分、否数十秒でも遅れていたら宇宙はどう変わっていたか。
 それは後世の歴史家が多いに答弁する所である。
 事実としてラインハルトは死の境から免れた。
 ヤンは最後の勝機を失い敗北した。

 停戦・・・オーベルシュタインから報を受け取ったラインハルトは激昂した。
「何故っ馬鹿げている、ヤンは勝っていたではないか。後半歩で予を殺していた。目前の勝利を放棄する正統な理由があったとでも言うのか?」
 オーベルシュタインが冷静に同盟政府の停戦命令について説明した時、ラインハルトの表情から激昂が消えた。
 変わりに自尊心を傷つけられた屈辱が現れる。
「予は・・・勝利を譲られたという訳か」
 呟きはラインハルトの物とは思えない程弱々しい。
「なさけない話だな、本来自分の物では無い勝利を譲ってもらったのか、まるで物乞いのように」
 ラインハルトは笑った。
 自嘲が篭った陰鬱な笑みは彼に相応しくない。
 だがそれを止める事は誰にも出来なかった。

 停戦・・・その命令を受け取った時同盟軍は怒りで荒れ狂った。
「政府は何を考えているんだっ俺たちは勝ちつつある。いや勝っている。ヤン提督、政府の命令など無視しましょう。無視してください」
「そうだっ政府は利敵行為に走った。もう政府に従う必要は無い」
「同盟のためにっ民主主義のため命令など聞かないでくださいっ閣下」
 幕僚の声がヒューベリオンに児玉した。
 その声は全同盟市民の代表であった。
「政府の命令など無視して全面攻撃をするのです。そうすれば閣下は三つの物を手に入れる事が出来る。ローエングラム フォン ラインハルトの命と宇宙と未来の歴史をっ決心しなさい。閣下はこのまま前進するだけで歴史の本道を歩くことになるのです」
 シェーンコップが鋭く言い放った。
 だがヤンは首を振った。
「うん、その手もあるね、だが私のサイズに合った服じゃなさそうだ。全軍に後退を連絡してくれ」
 副官はヤンの言葉に黙って従った。
 フリデリカの声が電波を通じて同盟全軍に通達される間、皆身動き一つすることが出来なかった。
 終わった。
 同盟は負けたのだ。
 だがヤンウェンリーが負けたのでは無い。
 彼はラインハルト フォン ローエングラムに勝っていた。
 否、勝ったのだ。
 後世の歴史家が誰も記さなくとも自分達は知っている。
 それだけが誇りとなって同盟軍を支えていた。

 何故同盟政府が突如停戦命令を出したのか。
答えは5月2日に遡る。
ラインハルトが負ける、その未来を予測したのは誰であろ
うヒルデガルド フォン マリーンドルフであった。
彼女は従兄弟の託宣でなく、自分の判断で答えを導き出し
たのだ。
戦況と戦力から最悪の結果を想定したヒルダは単身ミッタ
ーマイヤーの元へと向った。
エリューセラ星域にいたミッターマイヤーは突然の訪問者
に驚いた。
 ヒルダが状況を説明するとミッターマイヤーは驚愕を隠さ
なかった。
「つまり、マインカイザーが負けると言うのですね」
「今からバーミリオンに急行しても間に合いません。いかに
疾風ウォルフの艦隊であったとしても」
「それよりもハイネセンへ赴き同盟政府から停戦を勧告させ
る、もしヤンウェンリーが命令を受託しなかったらどうしま
すか」
「その可能性も考えましたが今はこれ以外閣下の窮地を救う
方法は見つかりません。ヤンウェンリーは名将ですが民主主
義を最重要に戦っております。文民統制という大原則を一個
人の独断で破る事は無いと思います」
「ヤンウェンリーの才幹に任せるという事か。しかし今、同
盟政府が停戦勧告をするというのは政府の利敵行為として拒
否する可能性もある」
「分かっております。ヤンウェンリーも分かっているでしょ
う。現同盟政府がどれ程民主主義の理念から遠ざかってい
るかという事は痛感している。それでもヤンウェンリーは
腐りきった同盟のために戦ってきた。何度も実権を握る機会
があったにも関わらず一軍人として生きてきた。きっとヤン
ウェンリーは権力や名誉以外に大切な物が存在することを肌
身で知っているのでしょう。それは人として賞賛される資質
ですが、今は利用するしかありません」
 ヒルダの熱弁に耳を傾けながら内心ミッターマイヤーは驚
いていた。
 太陽教の信者としか見られていなかった女性が幕僚も舌を
巻く才覚を示したのである。
 彼女の言い分は尤もであり現在では最良の選択であった。
「分かりました。しかしハイネセン侵攻は私一人では荷が重
い。ロイエンタールの艦隊も援軍に呼びます」
「それが最善だと私も思います」
 ヒルダは同意した後頭を下げた。
「ありがとうございます。ミッターマイヤー提督。私のいう
事を信じてくださって」
「礼には及びません。我らにとって一番大切なのはローエン
グラム候の命、勝利なのですから」
ミッターマイヤーの説得に成功したヒルダはほっと息を吐
きながら感慨に耽った。
幼い子供の頃、初めてハインリッヒ フォン キュンメル
に会った時の事を思い出していた。
「知っているよ、君が生まれていた事も、君が生まれた意味
も、君の役割も全て」
ずっと何の意味か判らなかったが今なら分かる。
自分はこの時のために存在していたのだ。
予言や託宣では無く、自分の意思で動き行動しラインハル
トを助ける。
 運命を決定付けるのは託宣では無い。
全てを賭けた行いによるものなのだと痛感した。
これをハインリッヒは幼い頃告げたのだ。
そして自分は見事役目を果たした。
感動にも似た慟哭にヒルダは目頭を押さえた。


 ミッターマイヤーは即座に隣のリオヴェルデ星域にいるロ
イエンタールに連絡を取った。
 イゼルローン制圧後、すぐさま急行し参戦していた彼は報
告に難色を示した。
「また託宣とやらか。今この状況で閣下の命令に逆らい戦線
離脱する意味を卿は分かっているのか」
「分かっている。痛い程な、下手をすれば命令違反。戦場放
棄、反逆行為として処罰されるかもしれない。だが今はこれ
以外閣下を救う手段が無い」
「何故あの女の言うことを信じる?卿も太陽教にたぶらかさ
れたのか?」
「卿はそう言うと思った。もういい、俺が一人でやる」
 憤慨するミッターマイヤーにロイエンタールは苦笑した。
「慌てるな。何も協力しないと言った訳では無い」
「では力を貸してくれるのか?」
「卿一人に大任を任せる訳にはいかないからな。あの女を
信じた訳では無い。卿の英断に付き合ってやるだけだ」
 ロイエンタールは言い放つとトリスタンの進路を変えた。
 目指すはハイネセン。自由惑星同盟の首都である。

 ハイネセンでは幾つかの打算と誤算が入り組んで異彩を放
っていた。
 かろうじて体裁を保っていたそれが崩れ汚臭を漂わせ始め
たのは5月5日、ハイネセン頭上にミッターマイヤーロイエ
ンタール両艦隊が現れ無条件降伏を勧告した時であった。
 国民の動揺もさることながら政府も最後の瞬間に絶望した。
 だがまだ望みはある。
 戦局がヤンウェンリーに有利だという情報が逃げ出したい
政府の足を止めていた。
 今、この瞬間ミラクルヤンはラインハルトと一騎打ちに挑
んでいる。
 もはや神頼みという状況であった。
ミッターマイヤーは勧告の元、統合作戦本部に極低周波
ミサイルを直撃させた。
通告しておいたので被害者は出なかったがこの攻撃は同盟
を震え上がらせるのに十分な効果を持っている。
アイランズやビュコック、レベロやホアンルイは爆破から
免れた統合作戦本部地下の会議室でひたすらヤンの勝利を、
吉報を待った。
しかし彼等の元へ来たのは思いもよらぬ凶報であった。

「どこへ隠れていたんだ」
その姿を見た時、ビュコックは親の仇にあった様に嫌悪を
表した。
他の議員も皆憎悪、侮蔑を向けたが当の本人は爽やかとい
っていいほどの微笑を崩さない。
「結論を言おう、帝国軍の無条件降伏を受け入れる。市民を
盾にされては仕方あるまい」
国家元首 ヨブトリューニヒトが宣言するとアイランズ達
は必死に止めにかかった。
「止めてください。民主政治の制度を悪用してその精神と歴
史を貶める権利などあなたには無い、建国250年に渡る民
主国家の歴史を腐敗させるつもりですか」
「私は正式にリコールされたのかね、違うだろう。私は正統
な自由惑星同盟国家元首だ。戦争終結に対する責任と権利が
私にはある。それを行使するだけの話だ」
なおも説得を試みるアイランズにトリューニヒトは侮辱
の言葉を羅列した。
アイランズがいかに汚職と賄賂にまみれていたか。その精
神が民主主義の政治家としてどれだけ相応しくないかを演説
した。
トリューニヒトの顔は歪み仮面の下から欲望があふれ出
している。
彼が無条件降伏を受け入れるために出てきた理由は唯一つ。
ミッターマイヤーロイエンタール両艦隊の声明
 同盟政府の最高責任者の罪は問わない。その権利と財産を
保障する、というあきれ果てた条件に釣られたからである。
 それが分かっているからこそアイランズ達はトリューニヒ
トを止めなければいけなかった。
 例え命に代えてでも
 最初に行動したのは老元帥ビュコックであった。
「わしはどんな事をしてもあんたを止めてみせる」
 銃火器は会議室への持込を禁止されている。
 老人は腕力を持って厚顔無恥な男に飛び掛ろうとしたが一
歩早くトリューニヒトの加勢が部屋に乱入してきた。
 10人以上の男が銃を構えトリューニヒトを守りビュコッ
ク達を牽制する。
 正規の軍隊では無かった。
 無表情な顔で機械的に動いている。
 レベロは彼等の胸元を見て悲嘆の声を上げた。
「・・・地球教徒」
 彼等の服には刺繍が施されてあった。
 地球は我が故郷、地球を我が手に
 教義を胸に施した狂信者はトリューニヒトの命令に従いア
イランズやビュコックを監禁した。
 そしてすぐさまトリューニヒトは宇宙に向って宣言した。

「自由惑星同盟政府は銀河帝国からの講和を申し受ける。そ
の証として全ての軍事行動をたたちに停止する」


 この声明に歯軋りした者は幾多に上る。
 まさに勝とうとしていた同盟軍
 国家元首に裏切られた暫定政府と軍人
 勝利を譲られた帝国軍司令官
 そして誰にも知られない場所で一人の老人が呪いの言葉を
吐き出していた。
「おのれ、一度ならず二度も飼い犬に手をかまれるとは」
 地球教総大主教は停戦命令の画面を見ながら拳を握り締め
た。
 ヤンウェンリーは、我らが月は勝っていたのだ。
 ヤンが勝利しラインハルトを殺した後、地球教の息がかか
った政治家を選出し同盟を握る。
その政府から帝国征伐の命令を出させヤンを出陣させる。
ヤンに全ての実権を与えれば帝国侵攻は可能だろう。
ラインハルト無き後の帝国など敵では無い。
地球教の目論見は夢となって消えた。
ヨブトリューニヒトのために。
「地球教徒の監視を付けていたのが仇となったか」
役立たずだと思ったトリューニヒトの意外な反撃に大主
教は呪詛を紡ぐしか無かった。

地球教によって地下へ潜伏したトリューニヒトであったが
彼は彼なりに活動していた。
 得意の弁説と美辞麗句を持って周囲の者を洗脳していたの
だ。
「君たちも考えてみたまえ、大主教はもう年老いている。彼
に地球教の行く末を任せていいのか?フェザーンでも暗殺に
失敗している。つまりもう彼には情勢を読む力も、人を率い
るだけの統率力も失われているんだよ」
 潜伏した館。警備という名で配置された監視者達にトリューニヒトは甘い囁きを繰り返す。
「君たちは若い、君たちならば真に地球を復興出来るだろう。それだけの実力があると私は君たちを見込んでいるんだ。私が力になろう」
 トリューニヒトの言葉は麻薬であった。
 かつて同盟市民が熱狂し支持した弁説を巧みに利用する。
 トリューニヒトは決して地球教を否定しなかった。
 素晴らしい宗教だ。自分もぜひ力になりたい。
 そして彼らの自尊心を擽る。
 大主教に任せていては何時までたっても地球は復興されない。
 君達の手でやるんだ。
 老いぼれの下で駒として働く必要は無い。
 大主教は君達の若さと才能に嫉妬している。
 だから私の監視などという閑職を言いつけたのだ。
 使われるだけでいいのか?
 支配者になれ。
地球教の、否、宇宙の、
甘い戯言は人の心を狂わせる。
例え狂信者であっても同じ事だ。
トリューニヒトの声は、言葉は人の目を現実から逸らさせ
都合の良い夢を見させる魔術を持っていた。
 口だけで国家元首に上り詰めた男だ。
唯一の特技をトリューニヒトは出し惜しみすることなく披
露した。
ハイネセンに帝国軍が現れ、降伏条件として最高責任者の
地位と財産を保障された時、トリューニヒトは立ち上がった。
「さあ、皆我と共に行こう、地球教を改革し同盟を復興し帝国を打倒するために」
 洗脳された地球教徒はそれに従った。
 我こそは大主教になりかわり地球教の頂点に立つのだと信じて。


 様々な思惑が交錯していた。
 そんな中、唯一暗渠していたのは誰であろうヤンウェンリー本人、敗残の将であった。
 後退の処理が終わった後、司令官室で一人紅茶入りブランデーを飲みながらため息を漏らす。
「・・・良かった」
 これが偽らない本音である。
 皆の前では口が裂けても言えないが。
 ブリュンヒルトを砲口に捕らえた時、数秒ヤンは躊躇した。
 自分の一声で勝敗は決する。
 ラインハルトは死ぬ。
 それは耐え難い苦痛であった。
 これがベストなのだと分かっている。
 ラインハルトの命を狙う事は自分から言い出した。
 この作戦以外同盟が生き延びる術は無い。
 何時もそうだ。
 戦では大勢の人間が死ぬ。
 個人の感情は押し殺して戦略のため戦術を練り、そこに幾多の犠牲者が出ることに目を瞑る。
 そうでなければ司令官など務まらない。
 どの戦闘でもヤンはそうしてきた。
 個人の感情をシャットアウトし、公人としての義務を遂行してきた。
 今回もそう、その筈なのに命令する事に耐え難い苦痛を覚えた。
 ラインハルトを殺せば終わる。
 殺していいのか?
 戦闘中だというのに隠れていた感情が湧きあがる。
 幾多の思いが交差する。
 ラインハルトを殺す事が帝国にとってどういう意味を持つのか。
 かの国は内戦が勃発するだろう。
 平和は遠のくだろう。
 ラインハルトが死ねば同盟は立て直すに違いないが、立て直した後内戦状態の帝国に愚かにも侵攻するかもしれない。
 アムリッツァの様に。
 宇宙は混沌に逆行する。
 同盟一国家のためにラインハルトを殺していいのか?
 一度は割り切った感情が噴出してくる。
 民主主義を救うにはこれしか手段は無い。
 このままラインハルトを生き延びさせれば民主主義が破滅する。
 ルドルフの、ゴールデンバウム王朝の二の舞となり今後何百年も独裁体制が続く。
 一瞬のうちに色々な方法を考えた。
 攻撃して撃沈させる。
 降伏勧告をすればどうだ
否、ラインハルトは決してそれを受託しないだろう。
覇者は敵に膝を折ったりしない。
降伏が嫌なら逃げろっと通告してはどうか?
同じ事だ。
ラインハルトは後退した後、陣営を建て直し同盟を攻撃す
るだろう。
今、この時しかチャンスは無い。
ラインハルトを、帝国を打倒出来る唯一の機会
そして尤も奥に隠れていた個人的感情が頭を擡げる。
自分はラインハルトを殺せるのだろうか。
それで本当にいいのだろうか。
ラインハルトがいなくなる。
想像するだけで半身を?ぎ取られる様な苦痛を感じる。
絶対に、それだけはいけない事だと本能が告げる。
彼が怖い。ずっと怖かった。
あの苛烈な瞳が、堂々とした態度が、自分への執着を恐ろ
しいと思ってきた。
本能で彼を危険だと感じた。
ずっと拒否してきた。
今もこの場から逃げ出したい。
目の前にラインハルトがいるだけで駆け出して逃げそうに
なる。
ブリュンヒルトにラインハルトがいる。
存在を痛い程感じた。
彼も自分の存在を感じているのだろうか。
運命など信じていない。
予言など、占いなどで自分の人生を決められたくない。
だからラインハルトを恐れた。
彼を見た瞬間運命を感じ、予言を肌身で悟ったからこそ拒
否し続けた。。
抗えない運命の連鎖から逃れようとした。
 今、一言命令すればそれから解放される。
分かっているのに喉が焼け付いて声が出ない。
あれ程拒んでいたのに彼が消滅することに耐えられない。
あれは自分の半身、つがいの相手。
運命のリング。
全身が、本能がそう告げて来る。
彼はヤンの理想だった。
民主主義という衣を着て思うように動けない自分が思い描
く最良の指導者だ。
戦略も戦術も、人命を尊重する思想も、独裁政権を崩壊
させる方法も・・・
ヤンが歴史書を読みながら夢想していた理想そのもの。
まるでヤンの想いを読み取ったかの様に・・・
彼を殺していいのか?本当に?
ヤンが思考深く入り込んだのは一瞬であった。
 誰も気が付かなかった位の僅かな時、
それが勝敗を決した。
同盟政府から停戦勧告が届いたのだ。
激動がヒューベリオンを、同盟軍の中を吹き荒れた。
「政府は何を考えているんだっ俺たちは勝ちつつある。いや勝っている。ヤン提督、政府の命令など無視しましょう。無視してください」
「そうだっ政府は利敵行為に走った。もう政府に従う必要は無い」
「同盟のためにっ民主主義のため命令など聞かないでくだ
さいっ閣下」
「政府の命令など無視して全面攻撃をするのです。そうすれば閣下は三つの物を手に入れる事が出来る。ローエングラム フォン ラインハルトの命と宇宙と未来の歴史をっ決心しなさい。閣下はこのまま前進するだけで歴史の本道を歩くことになるのです」
 幾多の声が上がるがヤンは首を振って停戦命令を受け入れた。
 人々の声はヤンの胸に届かなかった。
 勝負は決したのだ。
 あの一瞬、躊躇し命令出来なかった時ヤンは負けたのだ。
 自分にはラインハルトを殺す事が出来ない。
 それだけが事実だった。

 長きに渡る自由惑星同盟と銀河帝国の戦争は終結した。
 長時間に渡る戦闘で疲弊しきった両艦隊は24時間の間に負傷兵を救出し、艦隊を整え仮眠を取った。
 短い時間、ヤンは早急にやるべきことをやった。
 メルカッツ提督を主とした「動くシャーウッドの森」を編成し空域外へ脱出させたのだ。
 帝国軍からヒューベリオンに通達が来たのは処理終了後。
 司令官ヤンウェンリーの出頭命令であった。
「奴らが何をするか分かったものじゃない、俺がお供します」
 アッテンボローを初め全幕僚がいきり立った。
「私を護衛にお連れください。必ず命に代えてもお守りしますから」
 珍しく真剣な表情でシェーンコップが懇願してきたがヤンは首を振った。
「我々は敗残兵だ。護衛を連れて行っては示しがつかない」
「ヤン提督にだけ責任を押し付ける気はありません」
「それでも私はこの戦闘の最高責任者だよ」
 子供を宥める様にヤンは言った。
「大丈夫、私の居場所はここだからね」
「帰って来てくださるのですね」
フリデリカの言葉にヤンは少し戸惑った顔をして頷いた。
「当然だよ、私は民主主義国家の人間なんだから」
「僕はなんだか嫌な予感がしているんです。今提督を行かせたらもう二度と会えない様な気がするんです」
「不吉な事を言わないでくれ、ユリアン、ユリアンの紅茶が飲めないのは嫌だからね、戻ってくるよ」
 柔らかい口調であったがヤンは護衛が付くのを決して認めなかった。


 5月3日23時
 銀河帝国軍総司令官ラインハルト フォン ローエングラムと自由惑星同盟軍総司令官ヤン ウェンリーの会談が行なわれた。
 ブリュンヒルトに単身降り立ったヤンは緊張に身を硬くする。
 多くの兵が敬礼しながらこちらを伺っている。
 貧弱な体、軍人とは思えぬ自分の風貌が彼等にはどの様に映っているのだろうか。
 失望されているかな、と思いながらタラップを踏むとミュラー提督が出迎えていた。
「小官はナイトハルト ミュラーと申します。同盟最大の智将たるヤン閣下にお会いできて光栄です」
 人好きする好青年の笑みでヤンを迎えると彼は言った。
「もしヤン提督がこちらに生まれていたら私は用兵を習いに馳せ参じたことでしょう」
 緊張を解そうとして雑談してくれているのが分かる。
「ミュラー提督が同盟にいたなら私は今頃家で昼寝をしていられたでしょう。そうでないことが残念です」
 ミュラーの言葉はささくれ立ったヤンの心を和ませてくれたがそれは一時であった。
 目の前に重厚なオーク材の扉が現れる。
 司令官室、かつて一度だけここに入った事がある。
 捕虜交換式の後の会談。
 思い出すと足が震える。
「ヤン提督をお連れしました」
 ミュラーはヤンを促した。
 部屋の中はあの時と変わらなかった。
 豪奢だが軽薄すぎない内装。
 主人の人柄を表す質の良い調度品
 それらを霞ませる美貌の持ち主がソファに座っていた。
 ラインハルトはヤンが来ると腰を上げる。
「待ちかねていた、ヤンウェンリー」
 彼は複雑な表情をしていた。
 歓喜と屈辱が絶妙にブレンドされている。
 ヤンは緊張を隠しながら敬礼した。
「では、御用の際にはお呼びください」
 ミュラーが部屋を辞した後、沈黙が部屋に充満した。
「ここで会うのは・・・卿に会うのは二度目だな」
 最初に口を開いたのはラインハルトであった。
「あの時言った事は真となった。予は全宇宙の覇者となった」
おめでとうございますとも言えずヤンは俯いた。
「民主主義は敗北した」
「分かっております」
 ラインハルトは悔しそうな顔を隠さなかった。
「何故負けた?卿は勝ちつつあった。否、勝っていた」
「私は一軍人です。政府の命令に従う義務があります」
「命令前、数秒タイムロスがあった。何故あの時予を殺さなかった?」
 誰も気が付かなかったヤンの迷いをラインハルトは悟っていた。
 遠く離れたブリュンヒルトの中で。
「気のせいでしょう。私は何も迷いませんでした。発射の命令より早く政府の停戦勧告がなされただけの話です」
 ヤンは本心を言うつもりは無かった。
 言っても仕方ない事だ。
 ラインハルトは自嘲で顔を歪ませた。
「では予は勝利を譲られたという事だな。自分の物でも無い勝利を・・・物乞いのように」
「それは違います。閣下は正々堂々と戦われた。戦略により見事勝利されています」
「戦術では完全に敗北している、いいだろう、それも自分の実力だからな」
 戸惑うヤンにラインハルトは苛烈な視線を向けた。
「卿はあの時の判断を後悔するだろう。卿の愛してやまない民主主義は滅亡する。自由惑星同盟は帝国の属領となる」
「・・・ラインハルト・・・閣下」
「そして卿は予の物となる。もう逃げられないぞ、ヤン」
 強引に腕を捕まれ引き寄せられた。
 前回と違うのはヤンに抵抗する手段が無い事。
「予の物だ。もう返しはせぬ。卿はこれから死ぬまで予に仕えるのだ」
 口付けは苦くヤンを侵食してくる。
 荒々しく服を剥ぎ取られる。
 脱がす手間も惜しいといった風情でラインハルトはヤンを押し倒した。
「ずっと卿を思ってきた。思うあまり眠れぬ夜が続いた」
「・・・ラインハルト・・・私は」
「何も言うな。卿の詭弁などもう聞かない」
 指が、舌がヤンを追い詰める。
「卿を欲するこれを自分で慰めてきた。それももう終わる」
 ラインハルトの高ぶりがヤンに押し当てられる。
「卿も予を欲していたのだろう」
 ヤンの下肢がもう濡れている事にラインハルトは気が付いていた。
「帝国も同盟も、民主主義も独裁体制も関係無い。予の統治下で一つの国家となる」
 性急にラインハルトが押し入ってくる。
「ああぁっひっやあぁ」
「卿はローエングラム王朝の礎となるのだ」
 労わりの無い、本能に任せた蹂躙。
 欲望のままに腰を突き入れ動かされヤンは呻いた。
 体が引き裂かれる。
 痛い、だが感じる。
 激しくされればされる程ラインハルトの情熱が伝わってくる。
 覇者の剛直がヤンを犯す。
 組み伏せられ乱暴される倒錯した快楽。
 知らずヤンは腰を振って答えた。
 快楽が苦悩を押し流す。
 民主主義の行く末、同盟の将来、
 ラインハルトが導く帝国の未来。
 そしてこの身の行き着く先に何があるのか。
 全ての悩みを忘れラインハルトの動きに酔いしれた。
「ああぁっあっああっ」
 何も考えられない。
 考えたくない。今は、今だけは。
「ヤン、もう離さない。お前は俺の物だ」
 耳元で囁かれた瞬間、ヤンは激しく達した。
 体の奥に熱い熱流が注がれるのを感じながら。