「さよなら同盟1」


運命の日

 銀河惑星同盟の国家主席 ヨブ トリューニヒトはいつもより一時間も早く目を覚ました。
 快適な目覚めである。
 今まで生きてきた中、一番素晴らしい朝であった。
 いつもより念入りにシャワーを浴び髭を剃る。
 髪を丁重に整えて背広に着替えた。
 ハイネセンで今一番流行りのデザイナーに注文して作らせたものだ。
 国家主席として品格を備えながらも若々しいデザインは自分によく似合っている。
 黒でありながら光の加減で微妙に色彩が変化する生地は最新鋭のテクノロジーを駆使して作られたものだ。
 このスーツだけで同盟市民の平均給料一年分は下らない。
 靴は老舗の有名ブランドのオートクチュール。
 ネクタイも同様だ。
 センスの良さをさりげなくアピールした着こなし、トリューニヒトは鏡の前で前後左右全てをチェックして満足気に笑みを浮かべた。
 同盟市民にとって自分は主席であるだけでなくファッションリーダーでなければならない。
 金のかかった着こなしを週刊誌は褒め称える。
年一度業界人から選ばれるベストスタイリング大賞でも常連だ。
強力な支持層である女性へのアピールをないがしろにしない。
爽やかな笑顔と心地良い弁説、これがトリューニヒトの最大の武器だ。
人々にとって耳障りの良い言葉のみを選び導いていく。
それの行く先などトリューニヒトには対して重要では無かった。
大切な事はトリューニヒト政権の永続的な存続。
そして自分と政府の懐を潤してくれる軍需産業の発展。
今日行なわれる発表はこの望みを確固たるものにしてくれるだろう。
それだけの威力がある。
トリューニヒトはもう一度鏡の前に立つと胸を張った。
もうすぐ行なわれる放送で人々はトリューニヒトの才幹に酔いしれる。
救国軍事会議なる愚か者達がしでかした事のつけを払うことが出来る。
クーデター勃発の後、初めから最後まで安全な場所に避難していたトリューニヒトは支持率を落としていた。
自分に言わせれば国家主席たるトリューニヒトが危険なクーデターの制圧になど乗り出してもし死亡したら大変だ。
 そちらの方が余程国家の損失になる。
だがそう考えない愚民もいたようだ。
情報統制をしたから表立ってマスコミからの批判は無いが卑怯者と陰口を叩かれる。
自分の支持率が下がるのと反対に急上昇したのがヤン ウェンリーであった。
クーデターを見事鎮圧したヤンは市民の熱狂の対象となる。
彼は同盟至上最年少の大将であり政府にとって目の上の瘤であった。
凡庸な見かけと裏腹に奇策を立て軍功を立てる。
それは同盟にとって喜ぶべき事だがトリューニヒト政権にとっては脅威となる。
ヤンが最初に功績を立てたエルファシルの際、トリューニヒトは自分の門閥へ入るように誘ったがすげなく断られた。
生意気な黒髪の小僧。
偶然に運良く成功したからといって図に乗りトリューニヒト自らの誘いを袖にしたのだ。
気を悪くしたがそこは表に見せなかった。
今は奇跡のヤンと呼ばれているが人はすぐに忘れる。
そうしたら僻地へ左遷させればいい。
しかしトリューニヒトの思惑とは裏腹にヤンは戦功を立て続けた。
アスターテ会戦、イゼルローン攻略、アムリッツァ会戦。
いずれも奇策と表現するしかない方法を用いて彼は勝利する。
無敗のヤン、ミラクルヤン、魔術師ヤン
ハイネセンに歓声が沸き起こるたびにトリューニヒトは不快になった。
少しばかり小手先の器用な小倅がいい気になっている。
何度誘ってもトリューニヒト派に属しようとしないのも腸が煮え返る。
それでもトリューニヒト政権への市民の支持は確固としていてヤンウェンリーは唯の軍人でしかなかったから我慢出来た。
しかし、クーデター後の支持率は低下している。
たかが軍人とあなどれない程、ヤンウェンリーに熱狂する市民の声は大きい。
このままでは選挙に負ける。
ヤンウェンリーは決して政治の世界に出てこないだろうが、ヤンがもし他の立候補を支持すれば有権者の関心はそちらへ流れる。
そんな時であった。
トリューニヒトに幸運が舞い込んだのは。
これを使えば全ての状況を覆せる最強の切り札を手に入れたのだ。
そこまで考え、トリューニヒトは現実に意識を戻した。
「今日は・・・最良の日だな」
美しく冴えわたる青空の下、同盟市民はトリューニヒト支持で一体となるのだ。
その甘美な想像に酔いしれる。
自分の発表により世の中がどう変わろうと知ったことではなかった。

ハイネセン中央に座する統合作戦本部。
トリューニヒトは今、その人生最大にして最高の舞台に立っている。
同盟軍事の最高峰、その大会場で彼は熱弁を振るった。
まるで何かに取り付かれているように声高々に叫ぶ。
自分の演説に酔いしれている。
「同盟諸君。非道な行為で幼い皇帝から地位を略奪し、国家
を私物化し独裁者となったラインハルト フォン ローエ
ングラムを許していいのでしょうか?危機は帝国だけでな
く同盟にも迫っています。彼の野望は同盟をも支配し全宇宙の王者として君臨することにあります。民主主義の旗の下、我らはローエングラムの蛮行を阻止しなければなりません。
帝国を排除してこそ真の平和と民主主義が訪れるのです」
トリューニヒトの数少ない才能の一つが発揮される。
聴衆を引き込み操る弁説の巧みさが扇動力となる。
皮一枚の真剣な表情に人々は騙される。
人々は自分で考えず、トリューニヒトの言葉を信じてしまう。
今回、トリューニヒトが使ったのは騎士道精神
幼い皇帝を守るという児童小説でしか見られない陳腐な設定。
しかしこれが人々の心を揺さぶる。
過酷な現実から目を背けナイトシンドロームに陥っていく。
自分達同盟は正義だ、帝国は悪だと民衆はトリューニヒトによって洗脳されていた。
その尤も具体的な例を目の前に突きつけられ嫌が追うにも愛国心は高揚する。
よく考えれば分かることだ。
保護している幼い皇帝はゴールデンバウム、同盟が長年戦ってきた相手であるということを。
だが誰も考えなかった。
考えたが考慮しなかった。
人々は自分達がナイトになる。宇宙の正義になるという夢に酔いしれた。
トリューニヒト政権の支持率は発表後、3日を置かず一気に取り戻し80%にまで回復した。

 
 
自由惑星同盟首都、ハイネセンでは国家主席から重大発表が行なわれた時、ヤンウェンリーはイゼルローンに常駐していた。
「政府からの重大発表・・・か」
 市民には事前に通達してあったため視聴率は最初から50%を超えているという。
ヤンは大きくため息を付いた。
「なんで宇宙の端まで来てトリューニヒトの顔を見なくちゃいけないんだ」
憤慨する保護者にユリアンミンツが紅茶を出してくれる。
「軍人は必ず視聴するように上からの通告が出されているんですから、仕方ないでしょう」
頭をぼりぼり掻きながら不貞腐れる保護者はとてもこのイゼルローン要塞司令官、兼、イゼルローン駐留艦隊司令官、兼、同盟軍最高幕僚会議議員とは思えない威厳の無さだ。
もっともヤンの場合は30歳という威厳も無い。
童顔で20代前半にしか見えない保護者にユリアンはお代わりの紅茶を注いでくれた時、政府の発表が始まった。
トリューニヒトの美辞麗句に満ちた演説が全宇宙に放送される。

結果から言おう。
皇帝誘拐、当事者から言わせると保護した残党貴族は同盟に亡命した。
政府は暖かく打算に満ちた温情を持って迎え入れる。
  発表後、政府への市民の支持率は最高に達した。
そしてヤンは絶望した。
「幕僚を集めてくれるかな。二時間後に緊急会議を行なう」
副官のフレデリカ グリーンヒルにそう伝えると司令官室に閉じこもる。
苦渋に満ちた表情に誰も声をかけられなかった。


二時間後、イゼルローン幕僚による会議は秘密裏に行なわれた。
中で何が議論されたのか、民衆と政府が知るのはそれから更に数日後の事となる。



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