FETISH HANANOVEL


初めまして。 こんにちはHANAです
この度はへっぽこ本をお買い上げ頂きありがとうございます。
この本はフィクションです。個人的なファンブックで出版社 作者とは全く関係ありません。
ご了承ください。二冊目の本もロイヤン、本人もびっくりしています。ロイやストーカーになっています。定番の幼馴染ネタです。色々雑でおおざっぱな設定ですが 大目に見てやってください。
では、少しでも楽しんで頂けたら嬉しいです。
よろしくお願いします。
当本の無断転載禁、ネットオークションなど人目につく事は勘弁してください。腐女子のお約束ということで(笑)


LOVERS
Yang onlybook2007/10
Fetish hana novel


 子供が始めてその地に降り立ったのは6歳の初夏であった。


 戸惑う子供の傍に両親はいない。
 付き添いでついてきた男は煌びやかな空港を見渡した後、老夫婦を見つけてお辞儀をした。
 貴族らしく老夫婦は金のかかった、子供がいままで見たこともないような綺麗な服を着ていた。
 夫婦の後ろには供の者が5人も控えている。
 近づいてくると夫婦は男に金を差し出した。
「孫を無事届けてくれてありがとう。コーネフ、これはささやかだけどお礼よ」
「いやお気遣いなさらずに、親友の頼みで引き受けただけですから」
「そうおっしゃらずに受け取って。孫を連れてくるのでペリューシカ号も燃料を使っているのでしょう。骨を折ってもらったのだからお礼は当然よ」
 婦人が封筒を差し出すと男は頭を掻きながら受け取った。
「それじゃあ遠慮なく」
 厚く重みのある封筒を胸にしまうと男は腰をかがめ少年の顔を覗き込んだ。
「馴れない土地で辛い事もあるだろうががんばれよ」
 男の言葉に少年は泣き出しそうになる。
「いっちゃうの?」
「ああ、仕事があるからな、フェザーンに戻らなくちゃいけない」
少年は顔をくしゃくしゃに歪めた。
「僕も連れて行って。連れて帰って、お父さんの所へ帰りたい」
 微笑んでいた老夫婦の表情が強張る。
 コーネフは夫婦と少年の顔を見比べてため息をついた。
「それは出来ない。お前はここで勉強をして友達も作ってしっかりした大人になるんだ。お前の父親もそれを望んでいる」
 少年の頬にぽろりと涙が零れた。
「お父さんに会いたい。もう会えないの?」
「そんなことはない。お前が大人になれば幾らでもあえるようになる」
 男は涙溢れる少年の頭を力強く撫でてやった。
「いっぱい色々な事を学んで立派な大人になるんだぞ。ウェンリー坊や」
 男は少年の背中を押すと老夫婦に差し出した。
「ウェンリーの事をよろしくお願いします ルクレール公爵」
「確かに承った。そうあの男にも伝えてくれ」
 老紳士はしっかりと頷く。
 老婦人は初めて見る孫を抱きしめ頬ずりしている。
 それを見届けるとコーネフは着いたばかりの空港を後にした。
 せっかく来たこの国で観光などという気分にはなれない。
 今頃フェザーンで自分の報告を待ちわびている親友に一刻も早く伝えてやりたかった。
 タイロンの息子を無事帝国に送り届けたと。

 事の始まりはある女性の死から。
 ヤン タイロンの妻、カトリーヌ ルクレール ヤンが交通事故で無くなったのはその年の初め、まだニューイヤーの休暇も終わって間もない時であった。
 前日から降り積もっていた雪が氷点下の寒さで凍る季節。
 買い物に行こうと歩いていた親子の前にスリップした車が突っ込んできたのだ。
 カトリーヌは即死であった。
 母親に全身で庇われた子供は奇跡的にも無傷であったが、目の前で起こった出来事に訳も分からず唯母親を呼びながら泣きじゃくっていた。
 救急隊員が駆けつけた時、カトリーヌの体はもう冷たく、固くなっていたが決して子供を離すまいという力は死して尚強く隊員は死後硬直が始まった腕から子供を取り出すのに苦労した。
 子供も泣きじゃくりながら冷たい母の体にすがって泣いた。
 まだ死の意味も分かっていないのだろう。
 何故母親が動かないのか分からない。
 母親の名を呼び続ける幼子は野次馬で集まった人々の涙を誘った。
 遺体はそのままフェザーン中央にある総合病院へ運ばれた。
 父親は同盟人であったが商売のため家族でフェザーンを訪れていたのだ。
 仕事以外にクリスマスとニューイヤーをフェザーンで過ごそうという家族サービスもあったのだろうが、皮肉な結果となった。
 楽しい家族旅行は惨劇へと変わり、残されたのは愛する妻を失った男と目の前で母親が死んだ子供だけであった。
 3日後、
 葬式は身内だけで行なわれた。
 親戚は誰も参列しなかったのは仕方ない話だ。
 タイロンとカトリーヌは誰からも祝福されない結婚をして親戚一同から縁を切られていたのだから。
 と言ってもタイロンの方はほとんど問題が無かった。
 自由惑星同盟の下流家庭育ちのタイロンには金持ちの叔父も口やかましい叔母も、つまりはわずらわしい親戚は存在しなかった。
 いるのは学は無いが優しい母だけ。
 母は昔、とても愛した恋人がいてその子供、タイロンの事だが・・・を生んで育てた。
 母が言う事には恋人は戦争で死んだらしい。
 死んだのか、それとも母と子供から逃げたのか分からない。
 とにかくタイロンは私生児であり、育った環境は劣悪とまではいかないが標準とはかけ離れたものであった。
 人脈も金も何ももっていないタイロンであったが彼には夢があった。
 また幸運なことに夢を実現するだけの頭脳と野望も持っていた。
 奨学金制度を利用してタイロンはフェザーンの大学に入学する。
 生活費を稼ぐためバイトだらけの大学生活であったが常に主席を維持したのはその能力とバイタリティー溢れる行動力ゆえだろう。
 そんな時、タイロンはカトリーヌと出合った。
 初めて彼女を見た時の印象は温室育ちの令嬢
 タイロンの人物眼は間違っていなかった。
 カトリーヌは帝国でも有数の公爵家の令嬢であったのだ。
 その頃、帝国貴族の子弟の間でフェザーンへの留学が流行していたのだ。
 留学で箔を付け、グローバルな人間をアピールする。
 貴族間だけで通用するお遊びの留学であった。
 実際、大学に入ってもフェザーンの華やかな歓楽街で遊び呆けるだけの実の無い留学。
 カトリーヌもそんな一人であった。
 しかし不思議な事もあるものだ。
 生まれも育ちも接点の無い二人であったが恋が芽生えたのだ。
 タイロンは決して自分ごときに手が届かない高値の花に憧れ恋心を抱いた。
 カトリーヌは洗練されるのを良しとした帝国貴族内では見たことも無い、アクティブで野心的で粗野だが夢溢れる青年に恋をした。
 お互いの気持ちを確かめ合うとカトリーヌとタイロンは何時も寄り添うようになった。
 バイトに明け暮れるタイロンのため、カトリーヌが部屋で料理を作って待っているようになった。
 二人が一緒に暮らし始めるのは当然の成り行きであったが未来は明るくない。
 この幸せはフェザーンだからこそ、他の地では決してありえないのだ。
 カトリーヌは卒業後、帝国へ帰り相応の貴族と結婚するだろう。
 タイロンは商人になり宇宙を駆け巡る。
 商人になって稼いで、何時か自分の船を持ちたい。
 小さいがタイロンにとってとてつもなく大きい野望をカトリーヌに話した時、彼女は言った。
「私も乗せてくれるんでしょう。タイロン」
 カトリーヌの決意を知ったタイロンは詫びた。
 一時の、学生の恋愛ゲームなどと決め付けた自分を恥じ、神に誓った。
 絶対にカトリーヌを幸せにすると。


 卒業後、タイロンはカトリーヌを連れて同盟へ戻った。
 カトリーヌの実家、ルクレール家は怒り狂い絶縁を持ち出したが若い夫婦は負けなかった。
 事後承諾のような形で早々に結婚式を挙げ、翌年には可愛い子供を授かった。
 ウェンリー、愛の結晶の証である。
 子供が5歳になった年の暮れ、家族はフェザーンへ旅行に来ていた。
 仕事と家族旅行を兼ねた旅であったため、クリスマスイブと当日、大晦日と元旦しかタイロンは休めず、ウェンリーはカトリーヌにまかせっきりであった。
 だがタイロンは旅行中に大きなサプライズを用意していたのだ。
 結婚してから6年、努力して貯めた金でようやく自分の船を持つことが出来たのだ。
 大きくは無いが初めての船にしては上出来だ。
 旅行の行きは民間機であったが帰りはヤンの船
 カトリーヌはきっと驚き喜ぶだろう。
 ウェンリーもおおはしゃぎするに違いない。
 タイロンの夢は無残にも砕け散った。
 あまりにも大きすぎる苦痛であった。
 夢を追い続け情熱を燃やしていた男は手に入れた瞬間に失った物の重さに耐え切れず酒びたりの生活に溺れた。

 3ヵ月後
 フェザーンに留まったまま、小さな部屋を借りてタイロンとヤンは暮らしていた。
タイロンの船は買った時の状態のまま倉庫で眠っている。
 毎日、泣き暮らし酒の力を借りて夢に落ちる。
 ウェンリーも外に出ようとしなかった。
 事故を思い出すのか夜何度も起きて泣いていた。
 デリバリーの食事のみで日々を送っていた時、親友のコーネフが現れたのだ。
「なんだなんだっどうしたんだこの有様は?」
 タイロンとコーネフはフェザーンの大学で主席を争うライバルであり親友であった。
 もちろんカトリーヌの事も知っている。
 葬式の時は仕事で宇宙にいたため出席出来なかったが結婚式には出ている。
 ようやく仕事を片付けお見舞いに来たコーネフは部屋の惨状に絶句した。
「お前がこんな状態じゃカトリーヌが泣くぞ、しっかりしろ」
「彼女は泣かない、死んだから」
 大声で泣くタイロンには呆れたが不憫でもあった。
 命よりも大切な妻を亡くしたのだ。
 生きる気力を取り戻すにはまだ時間が必要だろう。
 だが、コーネフは部屋の隅にうずくまっている子供に眼を向けた。
 ここは子供には劣悪すぎる環境だ。
 母親の死がトラウマになっている子供
 妻の死から逃れようとアルコール中毒になっている父親。
 最悪の循環から子供だけでも脱出させなければ。


 その後コーネフはヤンを施設にいれるようにタイロンに提案した。
 だがタイロンは首を振る。
「金が無いんだ、船を買うので借金もしている、俺はもうお終いだ」
「お前はそれでいいかもしれんがウェンリーはどうする?このままだと子供まで駄目になるぞ」
 しかし酒びたりの生活を送っていたタイロンにまともな判断が下せる訳が無い。
 コーネフも骨を折って探したが良い施設は見つからない。
 もしウェンリーが優秀なら奨学金制度を利用出来るだろうが今は自閉症気味でまともに返事も出来ない。
 保護機関に預けるという案もあったがタイロンがいることがネックとなった。
 酒びたりでも父親としての責任能力は果たせると行政は判断する。
 借金まみれだとしても船を売れば済む話だ・・・と言われればそれまでだ。
 確かに船を売ればいいのだろうが、これはタイロンの夢の結晶だ。
カトリーヌの夢でもあった。
 売るには忍びないし、実際問題売ったとしても借金だけが残るだろう。
 つまりは八方塞である。
 そんな時、思い出したのだ。
 カトリーヌが帝国で有数の公爵家の令嬢だということを。
「タイロン、辛いかもしれんが聞いてくれ。ウェンリー坊やの事はカトリーヌの両親に一度任せたほうがいいと思う」
 当然タイロンは反対した。
 帝国などという愚劣な貴族世界にヤンを放りだせるわけないと怒鳴るがコーネフは慎重に説得する。
「確かに帝国も腐敗しているがそれは同盟もフェザーンも一緒だろう。どこへ居ても同じなら金のある場所で育ててやった方がいい」
「金の亡者なフェザーン人が思いつきそうなことだな」
 タイロンは酒でよどんだ眼で親友に侮蔑の視線を投げかける。
「そうじゃない、お前だって分かっているだろう。知識がどれ程大切かを。帝国の公爵家ならばウェンリーは最高の教育が保障される。少なくともこの部屋でうずくまっているよりは余程マシだ」
コーネフのいう事は尤もであった。
教育の大切さは学の無い母親の苦労を見てきたから嫌というほど分かっている。
 だからこそタイロンは無理をしてでもフェザーンの大学で学んだのだ。
「もちろんここでも教育は受けさせられるだろうが今のお前では無理だ」
「俺がアル中だからか?」
「違う、お前はカトリーヌの死に取り付かれている。ウェンリー坊やもだ。一緒にいると悲しみだけが増長される」
 コーネフの言うとおりだった。
タイロンはウェンリーを見るたびに事故を思い出す。
 ウェンリーも父親に怯えているようだった。
「ウェンリーは母親が死んだのは自分を庇ったせいだと思っ
ている。だから自分を責めている。可哀想に」
 自閉症気味のウェンリーをコーネフは医者に連れて行った
のだ。
 診断は思ったとおりであった。
「母親だけじゃない。お前にもすまないと思って自分を責め
ている。医者がそう言っていた」
 タイロンは空になった酒ビンを放りだすと子供を抱き寄せ
て泣いた。
「ウェンリー、ごめんなぁ、不甲斐ないお父さんを許してく
れ。必ず向かえにいくから。何年かかっても必ずお前を取り
戻すから。それまで待っていてくれ」
 男泣きしながらタイロンはコーネフに全てを任せた。
 コーネフは商人のつてでルクレール家と連絡を取った。
 初めは驚き戸惑っていた公爵家だが、愛娘の遺児としって
は放っておけない。
 ヤンを引き取ることを了承したがその際一つ条件があっ
た。
 ヤンタイロンは二度とルクレール家とかかわりを持たない
事。絶縁を条件に子供は祖父母の下へ引き取られることとな
ったのだ。


 ルクレール公爵家に引き取られたウェンリーはカトリーヌの兄の籍に入れられた。
 長男であるロバート フォン ルクレールは公爵家の跡取りとして敏腕とはいわないまでも手堅い統治をしている。
 ロバートには三人の子供がいたが、ウェンリーは四人目として登録された。
 しかし実際に育てるのは隠居した老夫婦である。
 突然ロバートの所に四人目の子供が来れば醜聞の的となるであろうし、既に居る三人の子供の教育にも良くないと判断したからだ。
 体の弱い四男を祖父母が引き取っている、外聞を気にしてそういう処置を取ったのはルクレール家が公爵家であるための自衛であった。
 間違ってもカトリーヌの子供、父親が自由惑星同盟の人間であることは知られてはならない。
 公爵家に引き取られたからといってもウェンリーを表に出すわけにはいかなかったのだ。
 だからと言って虐待されたのでもない。
 祖父母は貴族特有の選民意識を持った人間だったが子供の事は可愛がった。
 例え血の半分が同盟のものでも、愛娘カトリーヌの遺児なのだ。
 子供には過ぎた部屋を与えられ専用の召使も付いた。
 美味しい食事と綺麗なおもちゃが与えられた。
 しかし、何よりも子供を癒したのは優しい祖父母の態度である。
 夜、親を求めて泣きじゃくる子供を抱きしめあやしてくれた。
 駄々を捏ねる子供に辛抱強く付き合い、母の幼い時の写真を見せながら思い出話をしてくれた。
「カトリーヌは本当に可愛くて良い子だったわ、ウェンリーにそっくりよ」
 まがい物ではない愛情は自閉症だった子供の心に届く。
 秋が過ぎ、冬が訪れたとき、ウェンリーはようやく笑顔を見せるようになっていた。
 そんな様子を見て祖父は安心したのだろう。
「ウェンリーも来年から学校へ行ったほうがいい」
 幼年学校は6歳から貴族の子弟が入学する。
「もう7歳になってしまったが、入学は認められるだろう」
 ルクレール公爵家の身分ならば許される範囲だ。
「でも、ウェンリーはまだこの国には慣れていないわ」
 祖母は心配したが祖父は首を振った。
「一日も早く帝国に慣れるためには友達を作る必要がある。そう思わんか?」
「仰るとおりですわ、ウェンリーには同い年の友達が必要です。貴族の・・・行儀正しい子息の友達が」
 屋敷から外に出たことが無いウェンリーと仲が良いのはメイドの子供ばかりだ。
 悪い人間では無いが階級社会で生きてきた祖父母にとってウェンリーの友人は貴族の由緒正しい子供でなければいけなかった。
 翌年の春、子供はウェンリー フォン ルクレールとして幼年学校に入学することとなった。
 一年出遅れているが、そこはルクレール家の権力で同い年の子と同等の2年組に入ることを許可される。
 新しい制服に身を包み、ウェンリーは初めて学校に通うこととなった。

「今日から新しい友達が増えます」
 学校の先生は黒縁の眼鏡をかけた中年の女性であった。
 規律重視の堅苦しい印象を受ける、優しいとは言いがたい先生に子供達の私語が止まる。
「体が弱いために皆さんと一緒に去年入学は出来なかったけれども今日から学校に来れることとなりました」
 先生に促され黒髪の子供が現れる。
「ウェンリー フォン ルクレール君です。ルクレール公爵家のご子息です。仲良くしてやってね」
 ここで爵位など言う必要があるのだろうかと思うが、これは貴族社会の中で一番重要な事なのだ。
 先生が態々公爵家と言ったのもウェンリーがいじめられないようにという配慮からなのだろう。
 身分の高い子供はそれだけで憧れの対象となる。
 それは大人も子供も変わらない。
 いや、子供だからこそもっと露骨にそれをあらわにする。
 先生の紹介が終わり、休憩時間になると子供達はわぁっとウェンリーの机の周りに集まった。
「僕はハンス フォン リューデスバウム リューデスバウム伯爵家の者だよ、よろしくね」
「ヨハン フォン ヴァンハーゲン 僕はヴァンハーゲン男爵家の跡取りなんだ」
 次々に名前と爵位を上げて握手してくる。
 ウェンリーは戸惑いながら笑い返した。
「ウェンリーって呼んでいい?いいだろう、もう友達なんだから」
「伯爵家だなんてすごいね、君は跡取りなの?」
「この学校でルクレール公爵家よりも高い身分の人はいないよ。ウェンリーが一番だね」
 子供らしく幼い口ぶり、しかし言っている事は爵位の話ばかり。
 その意味は分からずとも小さい頃から聞かされて育ったのだろう。
 爵位が人間の上位関係を決めている学校なのだ。
 ウェンリーが曖昧に笑っていると周りの子は感心したように頷いた。
「やっぱり伯爵家の子供は違うや、すごく優しく笑う」
「洗練されてるって言うんだよ。この前教えてもらったんだ。
舞踊会でえらい人は洗練されているんだって」
「ウェンリーはとても綺麗な黒髪なんだね」
「眼も綺麗だ。夜の空みたいな色をしている」
「肌も白いし細いね」
「えらい人はそうなんだよ。重い物を持ったり仕事をする必要が無いから細いんだ」
「ウェンリーは体が弱いんだろう。僕たちが守ってあげるよ」
 口々に言いながら取り囲む。
 それに戸惑いながらウェンリーは微笑むしかなかった。

 一週間が過ぎた。
 すっかり人気者になったウェンリーは学校生活に支障が無かった。
 意地悪な子はいない。
 皆ウェンリーに仲良くしてくれる。
 それが自分に対してで無く公爵家に向かってなのは幼い子供でも分かっていたが向けられる親愛の情は悪い物ではない。
 特別に仲の良い子はいないが、周りには何時も取り巻きがいる。
 上級生の間でもルクレール公爵家の子息の事は話題になっていた。
 だがウェンリーの繊細な見た目と温和な顔立ち。なによりも公爵家といっても四男という事実のため、嫌がらせされることも無かった。
 いや、かえって一目置かれた。
 四男なら権力は無いが、公爵家としての名声だけは残っている。
 無害だが利用できる子供
 年配組で知恵の回る先輩などはそう判断してウェンリーに優しく声をかけてくる。
 それがまた、先輩にも一目おかれているといった印象を同年代に与えて尊敬の的になってしまった。  


 慌ただしい入学の儀式も終わり、ようやく周囲に溶け込んで回りを見渡す余裕も出来てきた頃、ウェンリーは彼に気が付いた。
 教室の隅にいつも一人でいる男の子。
 友達はいないのだろうか。
 誰も彼に話しかけない。
 それだけなら少し気になる程度で終わったのだが・・・
 ある日の給食の時間、事件が起きた。
「触るなよ。きたねえだろう」
 突然の罵声に驚いて顔を向けるとそこには床に散らかった給食の残骸があった。
 クラスでも一番体の大きいヨーゼフとその手下のミハエルがにやにや笑いながらあの子を小突いている。
「お前が触った給食なんて食べられないんだよ。気持ち悪い」
「そうだぞっヨーゼフに謝れ」
 何が起こったのだろうか。
 ウェンリーを含め皆の視線が集まる中、男の子ははっきりとした口調で言った。
「触れたといってもすれ違う時トレイに肘が当たっただけだ」
「それでもきたねえんだよっばい菌が移るだろうが」
「トレイに触れただけじゃ移らない」
「わからねえぞっお前が触った給食食べてヨーゼフの目がおかしくなったらどうするつもりだよっ」
 ミハエルが甲高い金切り声を上げる。
 周囲から声が上がる。
「ヨーゼフ君、可哀想」
「酷いわよね、オスカーって」
「ヨーゼフ君の給食を駄目にしたのに謝りもしないわ」
「悪いことをしたらごめんなさいって言うのが当たり前なのに」
「謝ることも出来ないんだよ。育ちが悪いから」
「そうそう、オスカーの父親は下級貴族なんですって。貴族とは名ばかりの投資家らしいわよ」
「投資家って商売する人の事でしょう。いやだわ、そんな卑しい子がクラスメイトだなんて」
 優しい女の子までも噂している。
 一向に謝らない男の子にヨーゼフは業を煮やしたのか彼が持っていた給食を取り上げた。
「これは代わりに俺が食べてやる。お前はそこの残飯でもあさってろ。オスカー フォン ロイエンタール」
 嫌みたらしくフォンのところに力を込めて言うとヨーゼフはミハエルと一緒に笑いながら席についた。
 男の子は床に散らばった食べ物を見詰めている。
 給食を取り上げるなら最初から触ったくらいでトレイを落とさなければいいのに、とウェンリーが思った時、教室のドアが開いた。
「まあ、なんて有様なの?オスカー、またあなたなのね、こんな悪戯ばかりしてなんて悪い子なのかしら」
 先生は憤慨しながら叱り付ける。
「さっさと掃除をしなさい。罰として給食は抜きです。掃除したら廊下で立っていなさい。反省文も必要ね」
 先生の怒声が響く中、教室には嫌な空気が流れていた。
 皆にやにやと笑いながら事の行く末を見守っている。
 誰も男の子の味方をしない。
 ヨーゼフに意地悪されたのだと弁護してあげない。
 男の子も言っても無駄だと諦めているのかのろのろと床を片付けると廊下へ出て行った。
 ウェンリーは何も言えなかった。
 驚いたのもあるが教室の雰囲気に逆らえなかったのだ。
 大声を上げるヨーゼフと怒る先生が怖くて男の子を助けることが出来なかった。
 その事に気が付いたウェンリーは吐き気がするほど自分の事が嫌いになった。


 
 ウェンリーの父親は自由惑星同盟の人間だ。
 5歳まで同盟で育ったから帝国の子供とは考え方が違うのかもしれない。
 目の前でいきなり起こった事件はウェンリーの常識では考えられないことだった。
 父親は何時も幼い我が子に言って聞かせた。
 弱い物を苛めてはいけない。
 体が悪い子を、他と違う子を差別してはいけない。
 まだウェンリーも幼いから意味も分からなかったが言い聞かせた。
 ウェンリーが4歳の時、近所に足の悪い老人が住んでいた。
 その歩き方がおかしくて子供達はよく真似をしたものだ。
 ウェンリーもひょこひょこと歩いて見せたら父親が激昂したのだ。
「ハンデのある人間を馬鹿にしてはいけない。それは人間として最低の行為だ」
 何時も優しい父親の怒りにびっくりして泣きじゃくるウェンリーに父親はこう諭した。
「人間は平等なんだ、みんな同じなんだ。体が丈夫だとか弱いとか、顔が綺麗だとか汚いとかで馬鹿にしてはいけない」
 そしてウェンリーを抱きしめながら教えてくれた。
「お前が大きくなったらいろいろな人に会うだろう。金のある奴、貧乏な奴。えらい奴 えらくない奴。世の中には多くの人がいる」
 だがそういう人間を見た目で判断しちゃいけない。
持っている物で決めてはいけない。
「人は同じ生き物なんだ。食べて寝て仕事をして、生まれてきて死んでいく。それはどんなにえらい人だって貧乏人だって同じだ。大切なのは中身だ。外側だけを見て差別するのは一番いけない事なんだよ」
 難しくて半分も分からなかったけれどもその言葉は子供の胸に残った。
 7歳になった今なら分かる。
 まだ全部は分からないけれどもなんとなく分かる。
 あの時男の子を助けず、皆と一緒に黙ってしまった自分は
父親が言う最低の人間なのだ。
 その晩、ウェンリーは眠れなかった。

翌日 学校に行くと真っ先に男の子を捜した。
 確か名前は・・・みんながオスカーと言っていた。
 黒に近いダークグレーの髪の子供。
 ヨーゼフよりは体が小さいがウェンリーより大きい。
 ちらちらと横目で見ているが顔を見ることは出来なかった。
 授業が始まるまでオスカーはずっと下を向いたままだった。
 給食の時間になってウェンリーはオスカーの姿を探した。
 けれども彼はどこにもいない。
 どうしたのだろう?お腹が痛くなって保健室にでもいった
のだろうか?
 考えていたら横から噂をする声が聞こえてきた。
「オスカーの奴、罰として今日も給食抜きなんだって」
「先生に言われた反省文を書かなかったらしいよ」
「生意気だよな。だから嫌われるんだ」
「あの眼を見ているだけでぞっとする。あんな目の奴がクラ
スメイトだなんて虫唾が走るよ」
 ウェンリーは黙って聞いていたが耐え切れず立ち上がった。
 パンをハンカチで包みポケットに入れると教室を出て行こ
うとする。
「どうしたんだ?ウェンリー まだ給食残っているよ」
「お腹でも痛いの?医務室についていってあげようか?」
 心配する友達に笑顔でなんでもない、と答えるとウェンリ
―は廊下へ出た。
 誰もいない廊下を歩いていく。
 教室から聞こえる騒がしいおしゃべりを後にして校舎の中
を歩き回った。
 医務室を覗いたが誰もいない。
 反省室にもいない。
 とぼとぼと歩いていき理科室に行き当たった。
 気持ちの悪い標本とか動物の剥製があるから生徒は誰も近
づかない部屋だ。
 まさかここにはいないだろう、と思ったが念のためドア
を開けると彼はそこにいた。
 窓際でぼんやりと本を読んでいる。
 ドアを開けた音で気が付いたのだろう。
 本から目を上げて突然の来訪者に視線を向ける。
 目が合った瞬間、ウェンリーは驚いて飛び上がりそうにな
った。
 左右の色が違うのだ。
 左目は空のように鮮やかな蒼
 右目は漆黒の色
 瞳の色が違う人間を見るのは初めてで、ウェンリーは驚き
のあまり立ちすくんでしまった。
「何の様だ?」 
 ウェンリーが何故驚いているか正確に理解したのだろう。
 オスカーはさっと瞳を逸らすときつい口調で問いかけた。
「あっあの・・・」
「先生に言われて探しにきたのか?」
「違う」
「ならなんの様だ?こんな所に」
 冷たい、敵意すら感じる言葉にウェンリーは怖気づきそう
になったが勇気を出してポケットの物を取り出した。
「あの、お腹が減らないかな、って思って」
 おずおずとそれを取り出す。
 ハンカチに包まれたパン。
 見た瞬間オスカーの顔色が変わった。
「なんだそれは?」
「え?給食のパンだけど、お腹減ってるんでしょう」
 ウェンリーが差し出すとオスカーは怒りのあまり真っ赤な
顔をして払いのけた。
 ぽとりっと音がしてパンが床に落ちる。
「なんのつもりだっ」
「なんのって・・・お腹が減っているだろうと思ったから」
 同じ言葉を繰り返すウェンリーに焦れたのかオスカーは苛
立たしげに立ち上がった。
「だから恵んでやるとでも言うのか、おえらいルクレール公
爵様は」
「誤解だっそんなつもりなかったんだ」
 驚いて言い訳をするウェンリーにオスカーはきつい視線を
向ける。
「俺は物乞いじゃないっ馬鹿にするな」
 それだけ言い捨てるとウェンリーを残して理科室から走り
去ってしまった。
 残されたウェンリーは呆然としながら転がったパンを拾い
上げる。
 床に落ちてしまってはもう食べられない。
 自分もお腹いっぱいではないのにわざわざ残してきたのだ。
 そう思うと悲しかった。
 好意を誤解されたこと。怒らせてしまった事。
 なによりもあの綺麗な目で憎々しげに見られたことが悲
しくてウェンリーは一人、理科室で蹲った。

 教室に戻ったウェンリーの目は赤く少し腫れていてみんな
を心配させた。
「どうしたの?誰かに苛められたの?」
「どこか痛いのか?苦しいのか?」
 代わる代わる声をかけてくる友達にウェンリーは苦笑する。
「転んだだけだよ。廊下で転んで痛かったから泣いちゃった
んだ。心配かけてごめんね」
 弱々しく笑うウェンリーに周囲はほっとする。
「廊下で転ぶなんてウェンリーは結構ドジなんだね。医務室
に連れて行ってあげようか」
「もう痛くないから大丈夫」
「一人で教室から出て行くから転ぶんだよ。今度から僕たち
が傍にいて助けてあげる」
 友人に取り囲まれながら、ウェンリーはそっと教室の端の
席へ目を向けた。
 オスカーが一人で座っている。
 こちらには興味も無いといったそぶりで本を読んでいる。
 それを見たらますます悲しくなってウェンリーは泣き笑い
の表情を浮かべた。

 酷いことを言われたからもう気にしなければいいのに。
ウェンリーは翌日も給食が終わると理科室に向かった。
 友達は校庭で遊んでいる。
 誘われたけれども転んだ足が痛いからと断った。
 理科室は静かだった。
 だけれどもドアを開けるとオスカーはそこにいた。
 昨日と同じようにぼんやり本を読んでいる。
「こんにちは、オスカー」
 おずおずと声をかけたウェンリーに驚いた様だった。
「何をしに来た?」
 昨日と同じ冷たい声で聞いてくる。
「その、昨日の事を謝ろうと思って」
「なんでお前が謝るんだ?」
「だって・・・僕がパンをあげようとしたら君が怒ったから。
怒らせるような事をしたのかと思って・・・それで」
 そう、ウェンリーはそれを言うために来たのだ。
 あんなに怒らせてしまったのは自分が彼を傷つけたからだ
と思った。
 何故パンをあげたら傷つくのか分からないけれど、傷つけ
たのなら謝らなければいけないのだ。
 ウェンリーの返答をオスカーは鼻で笑った。
「何故悪いのかも分からないのに謝るのか?お前は」
「君を傷つけたから・・・ごめん」
 オスカーはますます顔を顰め話題を変えてきた。
「友達のところへいかなくていいのか?こんな所で俺と話し
ていると苛められるぞ」
 ドキッとウェンリーの胸が鳴った。
 教室で話しかけなかったのはオスカーと話すとみんなから
自分も苛められるかもしれない。
 そういうウェンリーの打算をオスカーが見破ったからだ。
「わざわざここまで謝りにくるとはご苦労な事だ。もう謝っ
たのだから用は済んだだろう。出て行け」
 辛辣な言葉にウェンリーは意固地になる。
 勇気を振り絞ってオスカーに向き直った。
「あの、もし良かったら友達にならないか?」
 その一言は完全にオスカーの度肝を抜いたらしい。
 きつい意地悪なだけの表情が崩れる。
 ウェンリーは急いで言葉を続けた。
「オスカーは何時も一人でつまらないだろう。友達が出来れ
ば苛められないし学校も楽しいよ」
 ウェンリーとしては精一杯の気持ちを込めた言葉だったが
いかんせんまだ子供なのだ。
 拙い誘いは相手を傷つける諸刃の剣だ。
 オスカーは今度こそ本当に憎々しげにウェンリーを睨み付
けた。
「友達もいない俺を哀れんでくださるのか」
「そうじゃないっ」
「パンを恵んでくれたり友達になってやろうとか、本当にお
優しい公爵様だな」
 また自分はオスカーを傷つけてしまった。
 どうして上手くいかないんだろう。
 目の前で憤怒の表情を見せるオスカー ウェンリーは泣き
たくなった。
 我慢しなければ、と思うのにぽろりっと涙が零れ落ちる。
 突然泣き出したウェンリーを見据えオスカーは冷たい言葉
を投げつける。
「お前の様な奴の事を偽善者というんだ」
「偽善者?」
 意味が分からず問い返すウェンリーにオスカーは読んでい
た本を投げつけた。
「この本に書いてある。読んでよく勉強するんだな」
 足音高く理科室から出て行ったオスカーの後を追うことも
出来ずウェンリーは本を胸に抱えた。

 なんでオスカーと上手く話せないのだろう。
 他の友達とは仲良く出きるのに。
 おじいさまやおばあさまや、メイド達や先生とも仲良く出きるのに。
 なんでオスカーとは友達になれないのだろう。
 幼いウェンリーには分からなかった。
 分からないからこそ、子供特有の正義感で仲良くならなければいけないと思った。
 だって、一人も友達がいないオスカーは可哀想すぎるから


 オスカーの読んでいた本は帝国語の辞典だった。
 一人でこんな本を読んでいて面白いのだろうか、と不思議
に思いながら偽善者の意味を探した。


 偽善者   表面だけ善人らしくみせる者、行為


 辞典にはそう書いてあった。
 良い子ぶりっこ・・・オスカーはそう言いたいのだろう。
 酷い、と思った。
 確かに一人ぼっちのオスカーの友達になってやりたいと思
ったけれども、それがどうして偽善者なのか分からない。
 友達になりたい気持ちは本物だし、オスカーの友達になっ
た所でみんなにウェンリーは善人だとは思われないだろう。
 なのにオスカーはウェンリーを偽善者だと言った。
 どうしてそんな酷い事を言うのか。
 きっとオスカーは自分の事を誤解しているのだ。
 友達になれば誤解も解けるだろう。
 ウェンリーが偽善者じゃないということを分かってもらえ
るだろう。
 うわべだけ良い子のふりをしている、などと思われている
のは嫌だった。
 オスカーに分かってもらいたかった。
 ウェンリーは次の日も理科室に行った。
 オスカーは相変わらず窓辺で本を読んでいた。
 ドアを開けウェンリーが入ってきても今度は目を上げもし
ない。
「しつこい奴だな、何の用だ?」
 本から目を逸らさずに聞いてくるオスカーにウェンリーは
答えた。
「借りていた本を返しに来たんだ、ありがとう」
 そう言って辞書を渡す。
「それだけなら俺の机の上に置いておけばよかっただろうに、
わざわざここに来る意味なんて無い」
 ぶっきらぼうな口調で言い返されるがウェンリーは怯ま
なかった。
「何時もこんな本読んでいるの?辞典読んでいて楽しい?」
 しばらく沈黙の後、面倒くさそうにオスカーが返事する。
「面白くは無いが他に読むものが無いからな、仕方ない」
「他に無い?絵本とか童話とか、面白いのはいくらでもある
のに」
「そんな子供っぽいもの読めるか」
 お前はガキだな、言外に言われた様でウェンリーは慌てて
言葉を続ける。
「それだけじゃないよ。推理小説とかミステリーとか・・・
僕は歴史の本が好きだな」
「お前の好き嫌いなどどうでもいい」
 素っ気無く言い返されてウェンリーはまたも泣きたくなっ
たがその場を離れなかった。
 オスカーの席から少し離れた場所に座ると自分用に持って
きた本を広げる。
「何をしているんだ?」
「僕も本を読もうと思って」
「なんでここで読む?教室に戻ればいいだろう」
 意地悪なオスカーの言葉にウェンリーは意地になる。
「どこで読んだっていいだろう。理科室はオスカーだけのも
のじゃないよ」
 オスカーはぐっと息を飲み悔しそうな顔をした。
「勝手にしろっ」
 その後、本から目を離さず決してウェンリーの方を見よう
としなかった。
 ウェンリーも本を読んだがオスカーの事が気になってちっ
とも集中出来なかった。

 給食の後、理科室で本を読むのはウェンリーの日課となった。
 友達には勉強したいから図書室に行くと言っている。
 嘘はいけないから、律儀にも図書室に一度寄り、本を借りてから理科室へと向かう。
 オスカーは大抵ウェンリーよりも早く来ていた。
 会話は無い。
 お互い本に熱中しているふりをする。
 気になって仕方ないのに無視して書かれている字を目で追っている。
 そんな日が一ヶ月も続いただろうか。
 その日も歴史書を抱えてウェンリーは理科室にやってきた。
 オスカーはお気に入りの窓辺に座っていたが、現れたウェンリーにちらりと視線を向ける。
 青い目と黒い目、オスカーの瞳と視線が会ってドキドキしながらウェンリーは腰を下ろした。
 持っている本を広げると影が落ちてきた。
 顔を上げるとオスカーがすぐ近くに立っている。
 ウェンリーの本を覗き込んでいる。
「歴史書がそんなに面白いのか?」
 問いかけられてウェンリーは慌てて頷いた。
「面白いよ。オスカーも読んでみたら?」
 辞典や言語集ばかりではつまらないだろう。
 しかしオスカーは差し出された本を受け取らなかった。
 その代わりに聞いてくる。
「毎日ここに来てつまらなくないのか?友達と遊ばなくていいのか?」
「オスカーと一緒に本を読んでいるからつまらなくなんて無いよ」
 そう答えるとオスカーは初めて戸惑った顔をした。
「お前が勝手にそこで本を読んでいるだけだ、俺には関係無い」
 少し話が出来たのにまた意地悪な言葉を投げつけてくる。
「そう、そうだね」
 しょんぼりしてウェンリーは本を終うと立ち上がった。
「かっ帰るのか?」
 焦ったようにオスカーが問いかけてくる。
「うん、だって僕がここにいると邪魔なんだろう」
 するとますます焦った声がした。
「邪魔だなんて言っていないっ」
 少し怒った声。
ウェンリーは驚いてオスカーを見上げた。
 居ると怒るのに、帰ろうとしても怒るだなんて・・・なん
て我侭なんだろう。
 驚いたからマジマジとオスカーの目を見てしまう。
 途端に彼は嫌そうな顔をした。
「そんなにこの目が珍しいのか?」
 別に目を見ていた訳では無いのだが・・・ウェンリーは返
事に困って目を逸らすことが出来なくなってしまう。
「ごめん、ただ綺麗だなって思って」
 じろじろ見られて嫌だったのだろうと思い謝る。
「嘘を言うなっ」
 ウェンリーが謝った瞬間、オスカーは突然火が付いた様に
怒り出した。
 何で急に怒り出したのか分からず怯えるウエンリーに怒鳴
りつける。
「この目が綺麗なわけないだろうっ嘘つき」
 嘘つきっと言われてウェンリーにも怒りが伝染する。
「嘘じゃないよっ綺麗だと思ったから綺麗と言ったんだ」
「こんな色違いの目、気味が悪いに決まっている」
「気持ち悪く無いっ綺麗な蒼と黒の目だ」
「嘘つきっ嘘つきめっ」
 オスカーは震えながら拳を振り上げた。
「ひっ」
 殴られるっ体を竦ませるウェンリーの様子でオスカーは
我に返ったらしい。
 殴らず拳を下ろすと憎々しげに言い捨てた。
「嘘つきなんて殴っても無駄だ」
「僕は嘘つきじゃない」
 叫ぶウェンリーを鼻で笑いオスカーはぐっと顔を近づけた。
 間近に寄せられて黒と蒼の瞳がますます大きく見える。
「教えてやろうか」
 意地の悪い声でオスカーは囁いた。
「なっ何を?」
「この目には呪いがかかっているんだ。祟られているんだってみんな言っている」
「呪い?」
「俺の両親の目は蒼だ。この黒い目は呪いのせいだ。俺と目
をあわせると呪いが移るそうだ」
 初めて聞く怖い話にウェンリーの膝はがくがくと震えた。
 額に冷や汗が伝ってくる。
 真っ青になったウェンリーの様子に気を良くしたのだろう。
 ゆっくりと言い聞かせるようにオスカーは囁いた。
「お前は俺の目を見たからな。お前にも呪いが移ったかもし
れないぞ」
 ガタンッウェンリーの持っていた本が床に落ちる音が理科
室に響く。
 顔を離すとオスカーはにやにや笑いながらそれを拾い上げ
てやった。
「俺が触った本からも移るかもしれないな」
 怖い。ものすごく怖い。
 目の前の同級生が突然魔物か悪魔になってしまったようだ。
 ウェンリーはがたがた震えながら理科室を飛び出した。
 後からオスカーの笑い声が追いかけてきたが振り向くこと
は出切なかった。
  


 呪いってなんだろう?
オスカーは何か悪いことをしたから呪いをかけられたのだ
ろうか?
 違う、生まれた時から目の色が違うのだからオスカーのせ
いじゃない。
 大体目の色が違う呪いなどあるのだろうか?
 家に帰るとウェンリーはかかりつけのお医者様に聞いてみ
た。
「呪いって本当にあるんですか?」
 ルクレール家専属の医者は驚いた顔をして笑いながら答え
てくれた。
「何か怖い本を読んだのですか?それとも学校で怪談でも聞
いたのですか?」
「呪いで左右の目の色が変わるなどということはあるんで
すか?」
 医者は首を傾げて答えた。
「さあ、聞いた事がありませんね、大体呪いなどというもの
は怖がりの迷信ですよ。現代にそんなものありえない」
「目の色が違う病気ってあるんですか?」
「片方が白内障で白くにごったりすることはありますよ」
「青い目と黒い目なんです、ちゃんと見えているっぽいし本
も読めていました」
「じゃあ病気じゃありませんね 遺伝かな」
「親の目は両方蒼だって言っていました」
 医者はうーんと困った顔をした。
「そういう事例は聞いた事が無いのでちゃんと検査しないと
何が原因かは分かりません」
「・・・そうですか」
 ウェンリーは俯いてしまった。
 呪いなど無いっとお医者様は言ってくれた。
 でもお医者様でもオスカーの目が何故色違いか分からない
らしい。
 その日の晩餐、
 食卓で祖父母が問いかけてきた。
「ウェンリー、侍従医に目の事を聞いたそうね」
「はい、おばあさま」
「目が変な友達とはロイエンタール家の子供の事か?」
「はい、おじいさま」
 二人は目を合わせると妙な顔をした。
「ウェンリー、その子と友達になるのは止めなさい」
 優しい祖父が怖い声を出してくる。
「どうしてですか?」
 こほんっと咳をして祖父は話してくれた。
「ロイエンタール家の子供には呪いがかかっている。これは
貴族なら誰でも知っている話だ」
「呪いって本当にあるんですか?」
「そうよ、ウェンリーにまでロイエンタールの呪いが移って
は大変だわ」
 祖母も心配そうな顔をしている。
「なんでオスカーは呪いがかかってしまったんですか?」
 孫の問いかけに二人は言葉を濁した。
「それは子供は知らなくていい事だ。とにかくロイエンター
ルの子息と付き合うのは許さん。これは絶対だ。分かったな、
ウェンリー」
 優しい祖父の真剣な命令に逆らえず、ウェンリーは小さく
頷いた。
「良い子ね、さあデザートを頂きましょう。今日はウェンリ
―の大好きなザッハトルテよ」
 気を取りなすように明るい祖母の声が聞こえる。
 良い子のご褒美だと何時もより大きくカットされたザッハ
トルテだが何故だがちっとも美味しくなかった。


 それから3日。
 ウェンリーは理科室へいかなかった。
 教室では相変わらずオスカーは一人ぼっちだった。
 友達に囲まれながらウェンリーは切なくなった。
 呪いなんて、オスカーのせいじゃないのに。
 でもおじいさまとおばあさまと約束してしまった。
 どうしよう。
 ウェンリーは3日悩んだ。
 多分、今まで色々あった悩み事の中で一番考えただろう。
 オスカーには呪いがかかっていると言うが一ヶ月も一緒に
いて移らなかったのだ。
 呪いは移ったりするものじゃないだろう。
 オスカーに友達になろうと言った。
 今更友達を止めるといったらまた嘘つき呼ばわりされる。
 でも友達でいたらおじいさまとおばあさまに嘘をついてし
まう。
 悩んだ末、出た答えは友達だった。
以前、偽善者だと言われた。
 良い子ぶりっ子だと言われた。
 祖父母の言葉に従えば良い子でいられるが、オスカーに対
して偽善者になってしまう。
 良い子のふりをして友達になろうと言っておきながら注意
されたらすぐに止めるのか。
 そうオスカーに言われるのが嫌だった。
 父親の言葉もウェンリーの後押しをした。
 人と違う子を差別してはいけない。
 大好きだったお父さんはそう言っていた。
 おじいさまもおばあさまも大好きだけど、オスカーと友達
になってはいけないというのは差別だと思う。
 呪いがかかっているからといって差別するのはいけない事
だ。
 二人に黙ったまま友達を続けるというのは嘘を付くことと
なる。
 これはウェンリーが物心ついてから初めて、自分の意思で
行なう嘘だ。
 すごく怖いし悪いことをしている気分になる。
 それでもウェンリーはオスカーと友達になりたかった。
 偽善者と言われたままでいるのは嫌だった。

 理科室にウェンリーが現れるとオスカーは驚いた顔を隠さ
なかった。
 もう来ないと思っていた。
 ありありと浮かぶその表情にウェンリーは苦笑を返す。
「僕は呪いなんて怖くないよ」
 本当は怖いくせに虚勢を張る。
「オスカーの目は綺麗だ。綺麗だと思ったからそう言ったん
だ、オスカーが怒ってもそう思うのは止められないよ」
 ウェンリーの言葉は余程驚かせたらしい。
 オスカーは何度も瞬きをしながら強がる子供を見詰めてい
る。
「友達になろうよ、オスカー」
 ウェンリーは本を差し出した。
「これは僕のお気に入りの本なんだ。昔の歴史が書いてあっ
て面白いよ。君にあげる」
 差し出された本は長く宙に浮いたままだった。
「俺にくれるのか?」
 どれ位時間が経ったか。
 休み時間も終わろうとした時、おずおずと手が伸ばされた。
「うん、大切にしてね、僕の一番の宝物なんだ」
 その本はウェンリーの父からのプレゼントだった。
 5歳の誕生日に送られた本、
 まだ子供には読めないよな、と言いながら照れくさそうに
タイロンは分厚い歴史書をくれたのだ。
 オスカーは受け取ると中をめくった。
「字ばかりだな」
「オスカーが何時も読んでいる辞典だって字ばかりじゃない
か」
 笑いながら手を伸ばす。
「なんだっ」
 驚くオスカーの手を握り締めてウェンリーは笑った。
「僕たちは友達だよ」
「手を離せっ呪いが移るぞっ」
 払いのけようとする手を握り締める。
「移らないよ。大丈夫」
 焦ったように手を振り回したが絶対に離さない。
 根負けしたのか大人しくなった手を両手で包み込みウェン
リーは優しく断言した。
「ほら、移らなかった。もう友達だね」
 返答は無かったがそっぽを向いたオスカーは耳朶まで真っ
赤に染まっていた。

 その日から二人は秘密の友情を結んだのだった。


 夏が過ぎ、秋が去り、冬が訪れる。
 二人の友情は理科室で密かに育てられていく。
 オスカーはお気に入りの窓辺に座らなくなった。
 ウェンリーの横で貰った歴史書を読むのが日課となった。
 傍らでウェンリーも一緒にそれを読む。
 分からない字があったら二人で調べ、書いてあることに意
見を言い合ったりした。
「お前は不思議な奴だな」
 隣で楽しそうに本を読んでいるウェンリーにオスカーはよ
くそう言った。
「公爵家の子息だから友達なんて選び放題だろう。なんで俺
と友達になろうなんて思ったんだ?」
 ウェンリーは笑いながら答える。
「オスカーみたいな偏屈で意地悪な奴と友達になってやろう
なんて物好きは僕だけだからね」
「このやろう、生意気言いやがって」
「前から思っていたけどオスカーは口が悪いよね。だから乱
暴者に見えるんだ」
 くすくすと笑うウェンリーに怒ったふりをしてオスカーは
背後から抱きしめた。
「ちょっと、苦しいよ、オスカー」
「うるさい、生意気を言うからだ」
 腕を首にまわし技をかける振りをしてその黒髪に顔を埋め
る。
「いい匂いがする」
「そう?普通のシャンプーだけど」
「公爵家だから上等な物を使っているんだろう」
「そうかなぁ、変わらない気がするけど」
 小首を傾げながら答える友達が可愛くてオスカーはますま
す抱きしめる力を強くした。
「もう、オスカーは甘えん坊だな」
 呆れながらもウェンリーは好きなようにさせてくれる。
 背後から抱きしめて二人は本を読む。
 読みやすい姿勢とは言えないが不思議と安心出来る。
 この頃からオスカーの甘え癖はついてしまったらしい。
 じゃれあいながら本を読むのが習慣となってしまった。


 オスカーは不思議だった。
 隣にいる友達が不思議で仕方なかった。
 誰も、親さえもオスカーの事を気味悪がったのにウェンリ
―は怖がらない。
 あれだけ意地悪をしたのに友達になってくれた。
 ウェンリーが傍にいるようになってから分かった事がある。
 人と一緒にいるのはとても気持ちの良いものなのだ。
 自分に向かって笑いかけてくれる、話しかけてくれるとい
うのはとても幸せな事なのだ。
 ウェンリーに会ってそれに気が付いた。
 オスカーの父親はこの目を憎悪している。
 生まれた時から抱きしめてもらった記憶は無い。
 何時も憎々しげに顔を背けられた。
 視界に入れてももらえなかった。
 召使もそうだった。
 迷信ぶかい侍従はあからさまにオスカーを煙たがった。
 世話をするのも嫌なのだという態度を隠さない。
 オスカーの世話をしたメイドは、何時もその後手を念入り
に石鹸で洗っていた。
 呪いが移ると思っているからだ。
 生まれてこの方優しくしてもらった記憶は無い。
 美味しい食べ物、豪華な部屋は与えられたが赤ん坊の頃か
ら放置されていた。
 もし事故があってもそれは構わない、とでも思っていたの
だろう。
 赤ん坊の頃から食事と排泄以外、傍に人はいなかった。
 ナニーは目の色が違う子供を気味悪がって最低限の事しか
しない。
 家庭教師がついたが時間内、事務的に勉強を教えるだけ。
 6歳になると学校へ入れられた。
 ヘテロクロミアの子供は迷信深い貴族の子供にとって格好
の苛め対象となる。
 マールバッハ伯爵家の血筋・・・と言っても父親は下級貴
族 しかも昔事件があったため後ろ盾も無い。
 オスカーは執拗で陰険な嫌がらせの的となった。
 教科書や靴を隠されるのは日常茶飯事
 公然と無視される。
 誰も話しかけてこない。
 教室のあちこちから悪口や噂話が聞こえてくる。
 クラスは皆仲が良かった。
 他のクラスよりも団結していて扱いやすいクラスだと先生
も褒めている。
 まとまっているのはオスカーというスケープゴートがいる
から。
 一人悪者にして苛めてしまえば、他の子達は団結する。
 必要以上に仲が良くなる。
 先生も助けてくれなかったのはこの目が気味悪い呪いのせ
いだと思っていたからだ。
 そういうものなのだと思っていた。
 自分は呪いのせいで親からも友達からも相手にされない。
 だからといって卑屈になるにはオスカーはものを知らなす
ぎた。
 友達が欲しいからといって媚を売ったりしなかった。
 分かって欲しいと擦り寄ったりしなかった。
 何故なら友達や愛情の素晴らしさを一度も与えられた事が
無かったから。
 知らない物を欲しがろうとは思わない。
 周りで両親に愛されている子供や友達とはしゃぐ同級生
を見ると胸が痛んだがそれだけだった。
 そんなオスカーの前にウェンリーが現れたのだ。
 ウェンリー フォン ルクレール
 ルクレール公爵家の四男だというその子はつややかな黒髪
と宝石のような漆黒の瞳を持っていた。
 綺麗だと思うには悔しすぎて認められない。
 自分と同じ目の色なのにクラスメイトはこぞって褒め称え
るからだ。
 線の細い、女の子と間違えるくらい華奢な子だった。
 体が弱いからだと皆噂する。
 東洋系の血筋だから自分達よりも骨格が細いのだとその頃
は気がつかなかった。
 ただ、可憐で花のように可愛い子が公爵家の子息で皆に愛
されていて恵まれている事だけは分かった。
 悔しかったのだろう。
 嫉妬していたのかもしれない。
 皆から愛されて大切にされて花のように笑う彼が嫌いだっ
た。
 家に帰れば優しい両親がいるに違いない。
 メイドも彼の世話を焼きたがるだろう。
 誕生日にはいっぱいのプレゼント
 友達に囲まれたバースデーパーティー
 幸せに満ち足りているのだとオスカーは思っていた。
 だから、ウェンリーが理科室にパンを持ってきた時、自分
でも驚くくらいに怒ってしまった。
 他の苛めと同様に無視すればいいのに出来なかった。
 次の日もウェンリーはやってきて、謝ってきた。
 すごく驚いた。
 誰も自分に謝ったことなど無いからだ。
 何時も悪いのはオスカー
 いけないのはオスカー
 呪われているのはオスカー
 そう言われ続けて来たから素直になれない。
 少し意地悪を言うと彼は泣き出してしまった。
 気まずくてそこから逃げ出した。
 泣いているウェンリーを置き去りにして。
 なのにまたやってきた。
 理科室で本を読んでいる。
本が読みたいなら図書室にいけばいいのに。
イライラするけれど、この場から離れたら逃げたと思われ
るかもしれない
 それは嫌だったから我慢した。
 人の気配がするのは居心地が悪い。
 無視しようとするのにウェンリーが視界に入ってくる。
 柔らかな黒髪
 綺麗な横顔
 同い年のクラスメイトはむさ苦しいだけなのにウェンリーだけすっきりと涼しげに見える。
 真剣に本を読んでいる。
 そんなに面白いのだろうか。
 気になって少し覗いてみると驚いた顔で見上げてきた。
 視線がぶつかる。
 瞬間、ウェンリーの目に驚きと戸惑いが見えた。
 恥ずかしさと怒りで頭に血が上る。
 見られたっ
 この目をこんなに近くで見られたっ
 きっとウェンリーも気味悪がってもうここには来ないに違いない。
 教室に戻ったら他の奴と一緒に自分の悪口を言うだろう。
 あの黒い目と青い目を見たよ、気持ち悪い。
 ウェンリーの言葉にクラスメイトはここぞとばかりに悪口を吹き込む
 そうだよ、あんな奴に近づいちゃだめだ、ウェンリー
 だってあいつは呪われているんだ、あいつの母親は・・・
 想像の会話がオスカーの頭を駆け巡る。
 その時声が聞こえた。
「ごめん、ただ綺麗だったから」
 綺麗?綺麗というのはウェンリーみたいな両方黒い事を言うんだ。
 俺の目は綺麗じゃない。呪われている。
 だがウェンリーは言い続ける。
「嘘じゃないよっ綺麗だと思ったから綺麗と言ったんだ」
「こんな色違いの目、気味が悪いに決まっている」
「気持ち悪く無いっ綺麗な蒼と黒の目だ」
 全身から火が吹くかと思うくらいに訳の分からない感情が
駆け巡る。
 人から褒められたのは初めてだった。
しかもそれは呪いの目に対してなのだ。
「嘘つきっ嘘つきめ」
 オスカーは怒鳴った。
恥ずかしさを誤魔化すように大声で叫んだ。
 ウェンリーは酷く傷ついた顔をしたがオスカーにも余裕が
無い。
 褒められた事に対して嬉しくて、でも目に関してだから喜
こべなくて顔が強張る。
「嘘つきっ」
 怒鳴りながら嘘じゃないっと反論してくるウェンリーの態
度に泣きたくなって。
 ウェンリーは泣きながら出て行った。
 その晩、オスカーは後悔した。
 ひょっとしたら初めて友達になってくれるかもしれない相
手を傷つけた。
 きっともう二度とウェンリーは理科室に来ないだろう。
 自業自得だ。
 分かっているけれど悔しくて泣いた。
 ウェンリーの優しい黒髪と黒い瞳を思い出しながら涙が
止まらなかった。


 3日ウェンリーは来なかった。
 本を読みながらドアが開くのを待ったけれども現れなかっ
た。
 悲しい、どうしてあんな事を言ってしまったのだろう。
 友達になりたいと言われた時素直に喜べばよかった。
 意地悪をいってしまった。
 みんなからあんなに意地悪されていて、それがどれ程辛い
か知っていたのに。
 ウェンリーはもう来ない。
 意地悪されたら相手を嫌いになるのは当然だ。
 オスカーはクラスメイトも、召使も、親も嫌いだ。
 意地悪され続けてきたから。
 きっとウェンリーはクラスメイトと噂をしながら笑ってい
るだろう。
 オスカーはとても意地悪だ、と言っているに違いない。
 本を読む振りをしながら悶々とそんな事を考えていた時、
ドアが開いた。
 ウエンリーが立っている。
 少し怒った表情で彼は言った。
「オスカーの目は綺麗だ。綺麗だと思ったからそう言ったん
だ、オスカーが怒ってもそう思うのは止められないよ」
 ああ、どう答えたらいいのだろう。
誰からも言われた事の無い言葉を投げかけられてオスカー
は立ちすくむことしか出来なかった。
 ウェンリーはこの目を見ても友達になりたいと言ってくれ
るのだ。
 意地悪をしても傍にいてくれる。
 泣きそうで、そんな自分が悔しくて動けないオスカーの手
を握り締めてくれる。
「呪いなんて移らない」と言ってくれる。
 ずっと欲しかった言葉を惜しみも無く与えてくれる。
「友達になろう」 
 親すらも声をかけてくれなかったのに、ウェンリーは笑
いかけてくれる。
 この日、オスカーは一番大切なものを手に入れた。
ウェンリー フォン ルクレール
公爵家の子供なのに威張っていなくて優しくて綺麗な黒髪と黒い瞳を持ったオスカーにとって唯一の存在を。
   

 二人の友情は秘密であった。
クラスメイトにも親にも祖父母にも知られてはいけない。
 ルクレールの祖父母はロイエンタールの子供と友達にな
ることを禁じていたし、ロイエンタールの父親は初めから
息子の友達に興味が無い。
クラスメイトに知られたらウェンリーも苛めの対象になる
かもしれない。
 もしくは二人を引き離そうとするかもしれない。
ウェンリーは騙されていると言い出す奴がいるに違いない。
だから二人は理科室でしか言葉を交わさなかった。
ウェンリーはその事に戸惑っている。
他では他人のふりをして、二人だけの時には友達顔をする
のに罪悪感を感じている。
「気にするな、そんな事より知られてウェンリーと話せなくなるほうが嫌だからな」
オスカーはそう言うがウェンリーは納得いかないようだっ
た。
本当にオスカーはどうでも良かったのだ。
友達が一人もいないと皆に言われても、悪口や陰口を叩か
れても、呪いの目だと言われても気にならない。
前は胸が痛んだが今は平気だ。
自分には何よりも大切なウェンリーがいるのだから。
理科室だけであっても、笑いかけてくれる。
それだけで十分だった。
十分だと思っていた。
だが、人間は欲深い。
一つ手に入るともっと欲しくなる。
自分の事は何を言われても気にならないがウェンリーの事
が気に触るようになった。
教室でウェンリーは人気者だ。
優しくて可愛い黒髪の子供は何時も人に囲まれている。
ウェンリーの周りには笑い声が絶えない。
クラスメイトはウェンリーを大切に扱っている。
それはルクレール伯爵家の子供だからという理由だけでは
無いだろう。
 貴族特有の傲慢さと選民意識が蔓延っている学校は幼年と
言えど階級社会だ。
地位の高い子供はえばり散らす。
それが普通なのにウェンリーにはそれが無い。
 伯爵家という学校でも有数の爵位を持っているのにいばらない。
 爵位の低い子供にも優しくしてくれる。
 身分で人を判断しない。
 貴族社会に慣れきっていた子供達にとってウェンリーの存在は憩いであったのだ。
 それはウェンリーの長所であり美点の一つなのにオスカーは気に食わなかった。
 何故苛々するのか分からないが、同級生がウェンリーに話しかけたりその体を触るだけで殴りかかりたい気分に襲われた。
 そんなある日 事件が起きた。
 体育の時間、ヨーゼフがウェンリーと組み手をすることになったのだ。
 体の大きいヨーゼフとでは年長組と新年生くらいに体格が違う。
 貴族の子供が身につける護身術の授業。
 ヨーゼフはウェンリーと組めたことで浮かれていた。
「俺が色々教えてやるよ、ウェンリー」
 鼻高々にそう言うと早速乱捕りを始めた。
「痛いっ痛いよっヨーゼフ」
 腕を取られ覆いかぶさってくるヨーゼフ
 初めは苦笑していたウェンリーも段々本気で抗うようになった。
「ウェンリーは細いなぁ、女子みたいだ。こんなんじゃ襲わ
れた時逃げられないぞ」
ヨーゼフは笑いながら抱きしめてくる。
子供特有のじゃれあいの延長。
まだ8歳の幼さでは性的な意味合いなど分からない。
 でもヨーゼフは執拗だった。
痛がるウェンリーを抱きしめてその黒い髪に顔を埋める。
「なんかいい匂いがする」
犬みたいに頭を嗅ぐヨーゼフに周囲から苦笑が聞こえる。
 ウェンリーが本気で嫌がっているのは分かるがクラスの番
長的存在のヨーゼフに逆らったら後が怖い。
 見てみぬふりをする。
 もしくはこっそり横目で見ながら羨ましいとさえ思ってい
た。
 自分達もウェンリーと組めればあんな風に抱きつけるのに、
と思っているのがみえみえだ。
「ヨーゼフッやめてよ、くすぐったいよ」
 耳朶の裏まで匂いを嗅がれて身を捩った時、急に解放され
た。
「やめろっ嫌がっているじゃないかっ」
 驚いて顔を上げウェンリーは目を見開いた。
離れた場所にいた筈のオスカーが駆け寄ってきてヨーゼフ
を殴り飛ばしたのだ。
「何すんだよっお前には関係ないだろうっ」
 突然の奇襲、無様に殴られ転んだヨーゼフも驚いた顔をし
ている。
 今までどんなに苛めてもされるままだったオスカーが急に
殴りかかってきた事にびっくりしてとっさに動けなかった。
「ウェンリーに変な触り方をするなっ」
 その言葉が図星を突いたのか、ヨーゼフは真っ赤になって
立ち上がった。
「ヘテロクロミアの化け物のくせに生意気言うなっ」
「関係ないだろうっ目のことはっ」
「お前こそ関係ないだろうっ俺とウェンリーはちゃんと授業
をしているだけだっ」
「いやらしい触り方をしていたぞっ」
 指摘されてヨーゼフは耳まで赤くしてオスカーに飛び掛
った。
「うるさいっお前なんかこてんぱんにのしてやるっ」
 ヨーゼフが体格に任せて突進してくる。
 それをかわすとオスカーは腕を掴んで捻りあげた。
「いてっいててっ」
 ぎりぎりと捻りあげられヨーゼフが悲鳴を上げる。
「二度とウェンリーに変な事をするなっ分かったな」
「ちきしょうっ誰がお前なんかに負けるもんか」
「分かったかっ」
 ますます腕を捻られヨーゼフが泣きそうな声を出した。
「分かったっ分かったから」
 ようやくオスカーが手を離した時、騒ぎに気がついた先生
が駆けつけてきた。
「またオスカーっお前が問題を起こしたのか」
 床に転がっているヨーゼフを見て先生は怒なり声を上げる。
「こちらへ来るんだったっぷりと説教してやるっ」
 オスカーの腕を乱暴に掴むと体育館から連れ出そうとした。
「先生っ違うんですっオスカーはっ」
 ウェンリーが慌てて止めようとした。
「何が違うんだ?どちらが先に殴りかかったんだ?」
 クラスメイトは顔を見合わせると口を揃えた。
「オスカーです。オスカーが急にヨーゼフに殴りかかってき
たんです」
「ヨーゼフは殴り返したりしていません」
 先生は怪我一つ無いオスカーと床にしゃがみこんで真っ赤
な顔をしているヨーゼフを見比べた。
「お前が原因だなっオスカーっ今日はもう授業に出なくてい
いっ反省室で大人しくしていろっ」
 大人の先生に首を捕まれ引き摺られるように連れて行かれ
る。
「オスカーッ」
 叫んで追いかけようとするウェンリーは友達に止められた。
「大丈夫?ウェンリー、怪我は無かった?」
「ヨーゼフも乱暴だけどオスカーはもっと乱暴者だ」
「怖かったね、急に殴りかかってくるんだから」
 口々にオスカーの悪口を言うクラスメイトにウェンリーは
涙声で訴えた。
「違うんだ。オスカーは僕を助けようとしてくれただけなん
だ」
 それを聞いたクラスメイトは一様に頷いた。
「ウェンリーは優しいね、オスカーみたいな奴も庇ってあげ
るなんて」
 違うと言っても聞いてもらえない。
「でもあんな乱暴者にはもう関わらないほうがいいよ」
「そうだよ。オスカーなんかに構うと呪いが移っちゃうよ」
 耐え切れずウェンリーは言ってしまった。
「呪いなんて移らないよっ僕とオスカーは友達なんだ、す
ごく仲がいいけど呪いは移っていない」
 クラスメイトはうんうんと頷く。
「やっぱりウェンリーは優しいな、オスカーでも友達にして
やるんだから」
 友達の言葉にウェンリーは耐え切れず俯いてしまった。
 何時も八方美人だから、誰にでもいい顔をしていたから
信じてもらえないのだ。
「ウェンリーの優しさはすごく良いと思うけど、友達は選ん
だ方がいいよ」
 皆にそう言われとうとうウェンリーは泣き出してしまった。


 昼休み、理科室に行ったけれどもオスカーはいなかった。
 放課後、ウェンリーは下校しないで理科室で待った。
 遠くで聞こえていた部活動の声も無くなり、夕闇が落ちて
きた時ドアが開く音がした。
「オスカーッ」
 飛びついてきたウェンリーにオスカーは驚いた顔をする。
「先生に苛められなかった?いっぱい怒られた?大丈夫?ご
めんね、オスカー、僕のために」
 一気にしゃべりまくるウェンリーの肩を抱いてオスカーは
微笑んだ。
「平気だ、少ししぼられたけれどもこんなの慣れている」
 ウェンリーは顔を上げるとぶわっと涙を溢れさせた。
「頬が腫れているっ殴られたの?先生に?」
 そっと手を伸ばし赤くなっている頬に触れる。
「俺は大丈夫、それよりウェンリーはどこも痛くないか?
ヨーゼフは乱暴で意地悪だからな。思い切り技をかけていた
だろう。酷い奴だ」
 泣きじゃくるウェンリーを抱きしめてそのまま床に座り込
んだ。
 抱きしめたまま震える黒い髪に顔を寄せる。
「あいつもいい匂いがすると言っていた」
 悔しそうに言うオスカーにウェンリーは涙声で問いかけた。
「なんで突然ヨーゼフに殴りかかったの?」
「あいつがウェンリーに乱暴したからだ」
「確かにちょっと乱暴だったけど、あれは授業だよ」
 突然のオスカーの行動はウェンリーを驚かせた。
 どうして急に殴りかかったのか分からなかった。
「嫌だったからだ」
 オスカーの答えはますますウェンリーを戸惑わせた。
「何故?」
 オスカーはしばらく黙っていたが、ぽつぽつとしゃべりだ
した。
「俺以外の奴がウェンリーに触るのが嫌だった」
「・・・オスカー」
「触るのだけじゃない。みんながウェンリーに笑いかけるの
も、しゃべりかけるのも、仲良くするのも見ていて嫌だ」
 どう返事を返したらいいのか分からずウェンリーは黙っ
たままオスカーが話すのを聞いていた。
「前は全然平気だったのに最近やけに苛つく。ウェンリーに
は友達がいっぱいいる。俺にはいない」
「オスカーだっていっぱい友達を作ればいいんだ。僕も協力
するよ」
 オスカーは首を振った。
「いらない。ウェンリーだけでいい」
「・・・でも」
「俺にとってウェンリーはたった一人の大切な友達だ。でも
ウェンリーにはそうじゃない。それが苛々する」
 自分の心を話すオスカーにウェンリーは切なくなった。
「オスカーは僕にとって大切な友達だよ、他の誰よりも大切
な・・・そう・・親友だよ」
 ウェンリーの言葉にオスカーは少し笑う。
「親友か。いいな、それ」
「そうだよ、僕とオスカーは一番の友達なんだ」
 二人は黙ったまま床に座り込んでいた。
 夕暮れが深くなってきているが帰る気にはなれなかった。
 薄暗い理科室、夕闇にうかぶオスカーの顔は見ているもの
が切なくなる程寂しそうだ。
 親友と言ったら笑ってくれたけどまだ信じきっていないの
だろうか。
 何か証になるものがあれば心から笑ってくれるだろうか?
 ウェンリーはしばらく考えた後、絶対の秘密を打ち明ける
決心をした。
「オスカー、親友の印に僕の秘密の名前を教えてあげる」
「秘密の名?」
「ヤンと言うんだ。今では誰も呼ばない、でも僕にとって一
番大切な名前」
「ヤン・・・ヤン・・・それはニックネームみたいなもの
か?」
 E式だから苗字か名前か判断つかないのだろう。
 ウェンリーは密かに笑って答えなかった。
「これは誰にも知られちゃいけない名前なんだ。おじいさま
やおばあさまにも僕がこの名前を覚えている事を知られては
いけない。でもオスカーにならいいよ。ヤンって呼ばれて
も」
 オスカーは色違いの目を嬉しそうに瞬かせた。
「俺だけが呼んでいいのか?ヤンと」
「うん、オスカーには本当の名で呼ばれたい」
 オスカーはぎゅうっとウェンリーを抱きしめた。
「ヤン、ヤン・・・いい名だな、俺だけの名前」
「そうだよ、オスカーだけの名前だ」
 どれくらいそうしていただろうか。
 オスカーはぽつりと呟いた。
「ヤンは良い名だな、俺は自分の名が嫌いだ」
「何故?オスカーだって良い名前じゃないか」
 痛いくらいに力を込めて抱きしめながらオスカーは呟く。
「嫌な名前だ。目と同じくらいに呪いが篭っている」
「なぜ?」
「オスカーという名は母親がつけたそうだ。まだ俺が生まれ
てくる前、男の子が生まれたらオスカー 女だったらオリビ
アにしようと決めていたらしい」
 生まれたのがこんな目の子供だと知っていたら彼女は決し
て名前など考えなかっただろう。
「俺は母親に抱かれたことは無い。母親はこの目を呪いだと
信じ込んで生まれたばかりの俺を殺そうとした。この目を抉
り出そうとしたらしい。それに失敗すると狂って死んだ」
 初めて聞く衝撃の告白、ウェンリーは言葉を返すことも出
来ずオスカーを抱きしめた。
「皆が呪いといっているのは本当だ。俺は呪われている」
 淡々と言う声が切ない。
「じゃあ僕はもうオスカーをオスカーと呼ばないよ。そんな
呪いの名前は捨ててしまえばいいんだ」
「ウェンリー?」
「名付けておきながら呪うだなんて酷いよ。酷すぎる。これ
からはオスカーの事はロイエンタールって呼ぶからね。でも
ロイエンタールだと長くて呼びにくいから。そうだ、ロイっ
て呼んでもいい?ロイ、新しい名前だ」
 くすりっと笑い声がした。
 ウェンリーが顔を覗き込むとオスカーは口を歪めて笑って
いる。
「ヤンは子供っぽいな。そんなにムキになって」
 笑われた事が悔しいと思うより、オスカーの笑顔が嬉しく
て照れくさくてウェンリーはふくれっ面をして見せた。
「いいよ、僕の事子供っぽいっていうけどそういう子供とロ
イは親友なんだから、ロイだって十分子供だよ」
「ヤンは優しいな」
「ロイだって優しいよ、ちょっと乱暴だけど」
 二人はじゃれあいながら何度も名前を呼んだ。
 二人だけに通じる新しい秘密の名前で何度もお互いを呼び
合った。
 家に帰ると祖父母から遅くなった事で大目玉をくらったけ
れどもウェンリーは幸せだった。
 大好きな親友が出来たのだ。
 ずっと友達になりたかった綺麗な瞳の男の子と一番の友情
を結べたのだ。
「僕たちはずっと親友だ」
 これから先何があろうともずっと一緒だよ、ロイ
 心の中で何度も繰り返しながらウェンリーは幸せな眠りに
ついた。

 
 何度か季節が移り変わり二人は11歳になった。
 幼年学校の6年生。年長組の仲間入りを果たす。
 時を重ね友情はますます強くなる。
 それにあわせて周囲の状況も変わっていった。
 一番の変化はオスカーであろう。
 2年生の時は成績も下、無気力で反抗的だった彼はこの5
年で見違えるほど成長した。
 成績が悪かったのは興味が無かったからで知能が低いので
無い。
 7歳の時に辞書を読んでいた程なのだ。
 やる気になったオスカーはすぐに主席を取るようになった。
 成長期に伴い背も伸び、今ではクラスで一番になっている。
 運動で鍛えた体からはもう幼い頃の面影は見つからない。
 もともと整っていた顔立ちは精悍に成長した。
 皆が気味悪がっていた金銀妖瞳はその意思の強さを示すよ
うに輝き魅力を増している。
 もうどこにも教室の隅で俯いていた子供はいない。
 いるのは誰から見ても美丈夫な青年。
 11歳といえば少年と青年の狭間だ。
 オスカーは他の子供よりも一足早く青年の階段を駆け上が
ったかのように大人びて周囲の注目を集めた。
 それに伴い回りの反応も変化した。
 あれ程馬鹿にしていた連中が大人しくなった。
 きっかけは体育の事件だろう。
 学年で一番体の大きいヨーゼフを殴り飛ばしたのだ。
 あれでオスカーは一目置かれるようになったのだ。
 ウェンリーがオスカーに話しかけるのも一因となった。
 親友なのは秘密だが、普通のクラスメイトとして二人はよ
く会話をしている。
 それで皆、呪いなどと言っているのがくだらないと気がつ
いた。
 オスカーに話しかける人間が増えた。
 彼の成績が上がる度、体育で良い点を取る度増えていく。
 しかし彼はそんな連中を相手にしなかった。
 話しかけられれば答えるがこちらからは声もかけない。
 無視しているのでは無いが拒絶している。
 一匹狼なオスカーの姿は思春期に入ろうとしているクラス
メイトの目には格好良く映った。
 徒党を組む事が当然と思っている貴族子弟の中でオスカー
は異質な存在だった。
 昔はそれを気味悪く思いいじめの対象にしていたが、その
時期を過ぎると異質は憧れへと変わる。
 優秀な頭脳を持ち鍛えられた健康な体を持つ青年に先生の
見る目も変わった。
 意地悪だった先生方も一様にオスカーを褒めだした。
 あからさまな態度、だがオスカーは反抗しなかった。
 評価を受け止め、それを利用して更に自分の評価を高めて
いく。
完全にオスカーは幼年期を脱して大人への準備を始めた
のだ。
今やオスカーは学校で知らぬものはいない有名人となっている。

 対してウェンリーの方は東洋系の性なのか成長しても線が細く華奢な印象は変わらなかった。
 男臭さが前面に出てくる年頃なのに中性的な面立ちのまま成長してしまったようだ。
 軟弱に見えないのは彼の性格ゆえであろう。
 淡々としたもの静かで柔らかい態度は年を経ても変わらずクラスメイトの癒しであった。
 女子にとっては男臭い同級生より好ましく見えるのか人気が高い。
 男子生徒にとって貧弱な子はからかいの対象になるのが普通だがウェンリーに限ってはそれは無かった。
 2年生の時から守ってあげる存在として扱われていたのだ。
 一度刷り込まれた意識は6年生になっても変わらなかった。
 成績は中の上。
 得意な科目、特に歴史関係は学年トップを保持している。
 しかし体育などになると赤点すれすれを低空飛行している状態であった。
  

 放課後、理科室での逢瀬は5年間変わらずに続いている。
 普段は普通のクラスメイト。
 だがこの空間では別だ。
 オスカーもウェンリーも理科室でだけは素を曝け出すことが出来る。
 その日も何時もどおりウェンリーがドアを開けるとオスカーが先に来ていた。
 何か、手紙のようなものを読んでいる。
「ヤン、来たのか」
 来訪者を見るとオスカーは急いでそれを隠そうとした。
「何を読んでいるの?」
 興味からウェンリーは足早に近づく。
「何でもない。ただのゴミだ」
 素っ気無い答えに察しがついた。
「またラブレター貰ったんだね。すごいなぁ」
 オスカーは心底嫌そうな顔をする。
 読んでいた手紙は懐にしまったがテーブルの上にはまだ数通乗っていたのだ。
「すごくない。こんな物貰っても嬉しくないからな」
 そうは言うけれど女子の間でオスカーの人気はすさまじいものがある。
 毎日、下駄箱にも机にも手紙が入っているのは有名だ。
 それも一通では無い。
 時には両手で数え切れない程入っている。
「もてるのはいい事だよ」
 分かった様な顔で物を言うその態度が妙に苛々してオスカーは手紙を無造作に掴むとゴミ箱へ放り捨てた。
「ロイッ」
 咎める声がする。
「それはもう読んだぞ」
 前に封も切らず捨てた時、こっぴどく怒られたのだ。
 相手は真剣に手紙を書いているのだから読みもしないで捨てるのは良くないと言われた。
 オスカーにしてみれば付き合う気も無いのに読むだけ時間の無駄なのだが怒られては仕方が無い。
 それからは封だけ切って捨てることにしていた。
「こんな場所に捨てたら誰の目に止まるか分からないだろう。家に持って帰ってからにしたほうがいいよ」
「面倒だな、そこまでしなければいけないのか」
「最低限の礼儀だよ」
 見た目も性格もまだまだ子供なのに、大人ぶって説教してくる。
 出会いの時、呪いの事で説教したのが尾を引いているのかよくこういう態度を取る。
 友達もいなくて先生からも相手にされず引きこもっていた頃の名残だろう。
 給食はちゃんと食べなきゃ駄目だ。
 好き嫌いは良くない。牛乳を飲まなきゃ大きくなれないよ。
 勉強もちゃんとすればいい点が取れる。だってロイは辞書とか辞典とか難しい本が読めるのだから。
 構われる事が嬉しくてその通りにしたら成績も上がったし背も伸びた。
 しかしそのせいかこれだけ身長差が開いても自分は世話の焼ける弟扱いなのだ。
 まあ二人だけの時には存分に甘えまくってしまった自覚があるから彼だけを責めるわけにはいかないが。
 オスカーは面倒くさそうにゴミ箱から手紙を拾い出した。
「どうせこんなのは遊びの延長なだけだ。手紙を書いている奴だって本気じゃないだろうに」
 文句を言いながらも手紙をカバンにしまう。
「そんな事無いよ。ロイはすごく人気があるんだ。女の子はみんな言っているよ。かっこいいって」
「迷惑だ」
 一言で言い捨てる
 この話題はこれで終わり・・・のつもりだったが今日はやけにしつこかった。
「ロイはもっと自覚したほうがいい。女の子達は真剣だよ。本気でロイと付き合いたいって思っている」
「興味が無い」
「ロイが男子の事が苦手なのは分かるよ。昔嫌がらせされたからね。今更仲良くなりたいって言われても抵抗はあるだろうけど。女子は違うだろう 優しくて可愛い子もいっぱいいるよ」
 真面目な顔で話しかけてくる。
「何故そこまで気にするんだ。たかが手紙ごときで」
 オスカーは不機嫌そうに問いただした。
 少し沈黙の後 ウェンリーは口を開く。
「僕は・・・心配なんだ」
「心配?」
「もうすぐ僕達は中等学校に入る。そうしたらクラスが別々になってしまうだろうし」
 オスカーは主席だからAクラスになるだろう。
 ウェンリーは良くてB 悪ければC,もしくはDクラスになる。
「中等学校に行ったら理科室も無くなる。二人で合える時間は少なくなるよ」
「だから?」
 苛だたしい声を隠そうともせずオスカー先を促す。
「ロイはもっと友達を作ったほうがいい。友達でも彼女でも、
僕以外とも仲良くなった方がいいと思うんだ」
「ヤンだけいればいい」
 オスカーは即答した。
 立ったままだったウェンリーを抱き寄せるとその黒髪に顔を埋める。
「俺はヤン以外いらない。友達も恋人も・・・ヤンだけ傍にいてくれればそれでいい」
 実はこの話題は今日始まったことでは無い。
 事あるにつけてウェンリーは友達の大切さを説いてきた。
 だが、他の事は素直にいう事を聞くオスカーが友達の一点に関してだけは我をはる。
 どれ程促してもオスカーは友人を作ろうとしなかった。
 きっと昔のトラウマのせいだとウェンリーは思っている。
 彼女ならば問題ないのに。
 からかったり意地悪をしたりしないのに。
「このままじゃロイは恋人も出来ないよ。結婚も出来ない」
 抱きしめてくる腕が痛くて、苦しくて、真剣さを感じ取ってウェンリーは殊更明るい口調で話しかける。
「結婚などしない。ヤンとずっと一緒にいる」
 抱きしめる腕が熱い。
 耳朶を掠める吐息が荒い。
「ロイ、苦しいよ」
 何故か居心地が悪くて身動ぎすると唐突に腕が離れた。
 そのままオスカーは立ち上がり理科室を出て行こうとする。
「どこへ行くの?ロイ」
 妙な不安にウェンリーが問いかける。
「トイレに行ってくる。すぐに戻るから」
 それだけ言い残すとオスカーは足早に去っていった。

 残されたウェンリーはぺたりっと床に膝をついた。
 最近ずっとこうだ。
 オスカーに抱きしめられるのは幼い頃からの習慣なのに何故か居心地が悪い。
 嫌だというのでは無いけれどなんとなく恥ずかしい。
 きっと大人になったから子供みたいに抱きしめられるのが気恥ずかしいのだろう。
 ウェンリーはそう自己判断した。
 それよりも気がかりはオスカーの態度だ。
 最近よくトイレに行く。
 抱きしめていた腕が突然外されて慌ただしげに去っていく。
「体の具合でも良くないんじゃないかな」
 誰から見ても健康で男らしい体つきだが、内臓の病気なのかもしれない。
 でも本人に聞くと大丈夫だ。正常だと返事が来る。
 体育の授業もちゃんと出ているし給食も残さない。
だから心配する程のことは無いかもしれないけれども、オ
スカーが席を立つ度に妙に落ち着かなくなるウェンリーであ
った。

 
 冬が終わりに近づき中等学校入学への準備が始まる。
 俄に周囲が慌ただしくなってきた。
 幼年学校と違い実力社会の中等学校。
 成績の順位が露骨に反映される。
 今までの様に遊んで入られない学力社会。
 成績順にAからEまでクラスは振り分けられる。
 もちろんそれ以外にもSクラスというのがある。
貴族の中でも高位の、力を持った者の子弟のために作られ 
た選抜クラスだ。
ウェンリーの爵位ならSクラスに行くことも可能であった
が本人にはその意思は無い。
「いやだよ、そんなクラスは。僕は普通にみんなと同じクラ
スがいいよ」
爵位だけで優遇されるのは不公平だと思うから。
ルクレールの祖父母は孫をSクラスに入れたがっていたが
頑固なウェンリーの反対で最後は折れた。
「オスカーと一緒のクラスになりたいけどAクラスに入るのは無理だから、せめてBに入りたいな」
 隣のクラスなら話もしやすいだろうし。
 そう言って秋から勉強もがんばっていたが、いかんせん体育の成績が悪すぎる。
 こればかりは努力で補えない。
 ウェンリーは運動音痴なのだ。
 オスカーの方は卒業の答辞を読む事が決まっていた。
 卒業生の主席に送られる栄誉である。
 周りはますます騒がしくなった。
 女子は最後のチャンスとばかりに手紙を送ってくる。
顔に自信のある子などは無謀にも直接告白してきた。
日に何度も呼び出される姿に男子は羨望の眼差しを送る。
「俺も中等学校に入る前に彼女欲しいよな」
「中等学校には女子が少ないから、今出来なかったらしばら
くおあずけだぞ」
幼年学校では男女比は半々だったが上に行くと違う。
女子は礼儀と教養、作法を身につけるためのお嬢様学校へ
進学する。
そこには難しい計算式や論学は存在しない。
舞踊会でのダンス 貴族婦人としての嗜み、会話術、作法
貴族社会にとって必要だが実質何の約にも立たない授業のみ
の専門学校だ。
帝国で女は頭脳よりも洗練された花でいることを良しとす
る・・・ある意味究極の男女差別社会であった。
 男子は中等学校で政治と歴史、主にゴールデンバウム王朝
の輝かしい実績を刷り込まれる。
その先には軍事学校。
そこで初めて選択が与えられるのだ。
軍人になるかならないか。
ほとんどの子弟は軍事学校には入らずフェザーンなどの大
学でお遊び留学をした後、貴族社会へ入っていく。
 一部は軍事学校へ進むがそこではあからさまな贔屓が待っている。
 軍事学校は一般市民も入学出来る。
 貴族子弟は市民の学生とは違うカリキュラムを施され卒業と同時に官位を与えられる。
 卒業時点で部下を持つ地位が約束されているのだ。
 ウェンリーとオスカーは将来、軍事学校にいくかどうかはまだ決めていなかったが中等学校へ進むのは義務として当然の行き先であった。
 


「最近おかしいな、ロイはどうしちゃったんだろう」
春が近いといってもまだ寒い理科室で親友を待ちながらウ
ェンリーは呟いた。
 近頃オスカーは妙に苛々している。
 卒業が近いから不安なのだろうか?
「ロイはAクラス決定なのだから心配することなんて無いと思うんだけど」
 秋頃から感じていた不安はますます大きくなっていく。
 最近オスカーはウェンリーを見ると苦しそうに顔を背ける。
 何かに耐えるように。
 訴えたいかのように。
 目を合わせることもしなくなった。
「何か僕に言いたいことでもあるの?ロイ」
 聞いてみたけれど答えは無い。
 ただ辛そうに抱きしめるだけだ。
 抱きしめられるのは嫌いじゃない。
 いや、落ち着くから好きだと思う。
 けれども、なんだか昔とは違うような気がする。
 体に回してくるオスカーの腕が妙に熱っぽくて吐息がくすぐったくて恥ずかしくなる。
「ロイッくすぐったいよ」
 ふざけるふりをしてその手から逃れるとヘテロクロミアの瞳が悲しそうな色を宿す。
 手を振り払ったのが悪い事をした気分になる。
 拒んだのがいけない気持ちになる。
オスカーの瞳を見ているととても不安になる。
「なんでこんなに不安なんだろう」
自分の感情なのに分からない。
もやもやした何かがウェンリーの中に澱のように溜まって
いる。
それに付ける名を幼いウェンリーはまだ知らない。
 落ち着かない気持ちのまま、ウェンリーは机に突っ伏した。

「ヤン、来ているのか?」
 ドアの開く音がした。
 同時に声をかけられる。
 やっとロイが来たのだ。
 答辞の練習で先生に呼び出されていたから遅くなったのだろう。
 息が切れているのはここまで走ってきたからに違いない。
 うつらうつらしながらウェンリーは親友の気配を感じていた。
「寝てしまったのか?」
 寝ていないよ。
 返事をしようとするが声が出ない。
 夢と現実の狭間をゆらゆらしている。
 目を開けなきゃ、と思うのだが体が寝る状態に入ってしまっているため中々瞼が上がらない。
 ふと気配を身近に感じた。
「ヤン・・・」
 オスカーの声が耳元で聞こえる。
 くすぐったいよ。
 心の声は親友には届かないらしい。
 何時ものようにオスカーは黒髪に顔を埋め匂いを嗅いでいる。
 犬みたいだ、ロイ
 笑おうとしたがまだ体は動かない。
 顔を髪に摺り寄せたまま、オスカーは背後からウェンリーを抱きしめる。
 覆いかぶさるように椅子ごと抱きしめる。
 だっこしているみたいだ。
 こんなに体が大きいし賢いオスカーの甘えたそぶりが可愛い。
 頭を撫でてやりたいな、と思ったが実際なでられたのはウェンリーの方であった。
 オスカーの手が黒髪を撫でている。
 しばらくそうしていたが、段々手が下りてきた。
 首筋を撫でられる。
 ふと、耳朶を生暖かいものが掠めた。
犬みたいに舐められている。
 オスカーの指はしばらく首筋を彷徨っていたが、ためらいと共に第一ボタンへ向けられた。
 ボタンが外される。
 一つ、二つ、
 隙間から指が入り込んでくる。
 肌を撫で回している。
 胸の飾りに指が掠める。
「・・・ヤン」
 湿った声が耳元で聞こえる。
 聞こえる息は荒くて熱い。
 どうしよう。
 ウェンリーは動けず戸惑った。
 何故か分からないけれどすごく恥ずかしい。
 なのに振り払えない。
 起きていた事がばれるのが恥ずかしい。
 でも起きないのも恥ずかしい。
 どうしよう・・・どうしよう
 頭の中で何度も繰り返す。
 オスカーの手がどんどん下りてくる。
 服の上から確かめるように、体に触れてくる。
 それは気のせいかと思うほど微かであった。
 オスカーの指が服越しに股間をかすめたのだ。
 その瞬間、ウェンリーは跳ね起きた。
 理由は分からないけれども猛烈に恥ずかしかった。
 あまりにも勢いよく起き上がったから弾みでオスカーを突き飛ばしてしまう。
「ヤンッ起きていたのか?」
 オスカーはあからさまに失敗したという表情を浮かべた。
 何に対して?どうして?
 分からないけれど不安になる。
 足が震える。
 否、足だけじゃなく全身が震えていた。
「きょっ今日は・・・今日はもう遅いから帰ろうっ」
 叫ぶようにウェンリーが言う。
「ヤン、起きていたのか?」
 もう一度同じ事をオスカーが聞く。
「いっ今、今起きたところだよっもう帰ろう。今日は帰ろう」
「何を怖がっているんだ?ヤン」
「怖くなんかないよ、怖くなんか無い」
 そう言うがウェンリーの体はがくがくと震えている。
 それを見てオスカーは辛そうに顔を歪めた。
「俺が怖いのか?」
「怖くなんか無いって言っているだろうっ」
「でも震えている」
「さっ寒いからだ、ここは寒いよっ教室に戻ろう」
 言うけれども足が動かない。
 なんで震えるのか分からないけれどもオスカーを見ると動けない。
 恥ずかしくて走って逃げ出したいのに竦んでしまう。
 胸がどきどき高鳴っている。
 胸だけじゃない。
 オスカーに触られた全身が脈打っていた。
 一番酷いのはあそこ。
 かすめただけなのに妙にうずうずする。
 それを目の前にいる親友には知られたくない。
「もう帰ろうっロイ」
 気持ちが強いあまり怒った口調になってしまう。
 何時に無いウェンリーの荒げた声にオスカーは辛そうに顔を顰めた。
「俺に触られたのが気持ち悪かったのか?」
「そうじゃないったら」
「でもヤンは逃げようとしている」
「違うよっ寒いだけだよっ」
「俺も寒い」
 オスカーの腕が伸びてくる。
 逃げる間も無くウェンリーは捉えられた。
「寒いよ、ヤン」
「ロイッ苦しい」
「俺を暖めてくれ。ヤンとこうしているととても暖かい。ずっとこうしていたい」
 小さい頃から繰り返されてきた行為。
 親愛の延長、幼い触れあい。
 なのに猛烈に恥ずかしくてヤンは身を捩った。
「もう俺に触られるのは嫌なのか?」
 抵抗するウェンリーにオスカーは絶望の眼差しを向ける。
「俺が嫌いになったのか?」
「違うったらっ」
 更に身を捩った時、ふとももに何かが触れた。
 オスカーの下肢が固くなっている。
 中心が制服を持ち上げウェンリーの太股に当たっている。
 びっくりして思わず顔を上げると気まずそうなオスカーの
瞳とぶつかった。
「ごめん、ヤン」
 何に対して謝っているのか分からない。
 それよりもこの状態のほうが問題だ。
「ロイッ体の具合でも悪いんじゃないのか?」
 今まで震えていたというのに突然詰め寄ってくるウェンリーの変化にオスカーは戸惑う。
「いや、どこも悪くないが」
「でも、でも病気なんだろう、だから最近変だったんだ。今から医務室にいこうっ」
 オスカーの腕を引いて理科室を飛び出そうとする。
「ちょっちょっと待て、落ち着けヤン」
 慌ててウェンリーを引っ張り理科室の端にある準備室へと連れ込んだ。
 暗く湿った二畳ほどしかない倉庫。
 埃を被った本と標本が乱雑に置かれている準備室は二人が入ればもういっぱいになる。
 ウェンリーはじたばた暴れたが力ではオスカーが勝っている。
 押さえつけるように抱きしめてくる。
「落ち着け、俺は健康だ。病気なんかじゃない」
「でもっオスカー変だよ、形が変わって腫れてるみたいだ、どこかにぶつけたの?」
 ウェンリーは心配そうに視線を落とす。
 どこを見ているのか気がついてオスカーは盛大に苦笑を漏らした。
「これは病気じゃない、ウェンリーだって分かるだろう」
「なにが?」
 二人の動きが止まる。
 オスカーは金銀妖瞳を大きく見開いてウェンリーの幼い顔をまじまじと見詰めた。
「知らないのか?ヤンは」
「だからなにを?」
 どう説明したらいいのだろう。
 オスカーは間抜けとも言っていい表情を浮かべている。
 それを見たら先ほどの震えも、羞恥も吹っ飛んでしまったのかウェンリーはオスカーの腕を掴んだ。
「とにかく病院に行こう、そんなに腫れているなんておかしいよ」
「待てっ待てったら。ヤン」
 とにかくこれは病気じゃないんだ。
 戸惑う子供に説明しなければいけない。
 それはオスカーにとっても羞恥プレイであった。
 自分がヤンに欲情したことを説明しなければならないだなんてやっかいだ。
「ヤンは・・・その・・・ここを自分で触ったことは無いのか?」
 オスカーはウェンリーの股間に視線を向ける。
「無いよ、どうして触る必要があるの?」
 無邪気な問いかけはある意味残酷だ。
「大人は、大人になるとそうしたくなるんだ」
「どうして?」
 ウェンリーに悪意は無い。
 本当に知らないのだ。
 大体貴族社会の教育が悪い。
 性教育などの授業は設けられていない。
 ただ、ある程度の年になれば自然に耳に入ってくる。
 オスカーとて初めて夢精した時、家庭教師から性知識を教えられた。
 もっとも家庭教師の事務的な授業は聞いたからといってムラムラするものでは無かったが。
 兄弟や友人から聞いたり、そういう本やテレビ番組を見てなんとなく悟っていくものだ。
 だがウェンリーは知らないまま11歳になってしまったらしい。
 考えてみればウェンリーはクラスで深窓の存在だ。
 猥談を話しかける馬鹿者はいないだろう。
 一緒に暮らしているのは年老いた祖父母。
 教えてくれる人間がいないまま、そしてウェンリー自身の肉体の成長も未発達だったために知らずに過ごしてきたのだ。
 という事はまだ他人はおろか自分でも弄っていない。
 誰にも荒らされていない無垢な存在
 オスカーは急激に熱が上昇するのを感じた。
 ごくりっと喉が鳴る。
「俺が・・・教えてやろうか?」
カラカラに乾いた声が出る。
「何を?」
「大人になる方法」
「僕はもう大人だよ。中等学校へ入るんだから」
 無邪気な返事が返ってくる。
「そうじゃない。学年だけじゃなく体も大人になる方法だ」
途端にウェンリーはむっとした顔をする。
「そりゃあ僕はロイに比べて背も低いし筋肉もついていない
けど、成長期なんだからこれから大きくなるよ」
 話していても埒があかない。
オスカーは強引に体を密着させた。
「ロイッ?」
「分かるだろう、俺のここ、大きくなっている。ヤンを触っ
ていたらこうなった」
隙間も無いほど密着した下半身。
オスカーの下肢が固くなっているのが分かる。
意味も分からないのにウェンリーは頬を染めた。
「これが・・・大人になるって事?」
「そうだ、ヤンもいずれこうなる」
 そうなのだろうか?
自分もその内あそこが腫れあがってしまうのだろうか?
 でもそうしたら歩くのも大変だ。
大人はみんなこんな状態でよく普通に生活できるものだ。
真剣に悩んでしまっているウェンリーは無防備だ。
オスカーはそっと手を伸ばすと服越しに撫で上げた。
「うわっ」
びくんっとウェンリーの体が震える。
「ここを触るととても気持ちよくなれる。やったことが無いのなら俺が教えてやろう」
指が軽くタッチしてくる。
「いいっいいよっ自分でやるから」
 ウェンリーは慌てて下肢を両手で隠した。
ガードする様な仕草にオスカーは苦笑してしまう。
「遠慮するな、自分ではやり方もわからないだろう」
ウェンリーの手の隙間から指を這わしてくる。
突くような触り方にウェンリーは飛び上がった。
「くすぐったいよ、ロイ」
身を捩るがオスカーは逃がしてくれない。
「我慢しろ。すぐに気持ちよくなるから」
前を押さえているウェンリーの手の上に自分の手を重ねる
と小刻みに揺すりだす。
「なに?やっあっ」
初めての刺激にウェンリーの戸惑った声が漏れる。
 崩れ落ちそうになるウェンリーの体を片手で支え、もう片
手で幼いそこに刺激を与える。
「なんかへん。やっもう止めようっロイッロイッ」
この程度の稚拙な悪戯さえもウェンリーには酷らしい。
息が荒い。
吐息が乱れている。
熱い息を吐く唇に誘われてオスカーは顔を近づけた。
「あっああぁっっ」
悲鳴は全てオスカーの口内へ落ちていく。
ウェンリーは息も絶え絶えで酸素を求め唇を開く。
その隙を狙って舌が進入してきた。
「んーっんっふうぅっはあぁ」
息継ぎが出来ず苦しそうだ。
かく言うオスカーも正真正銘これが初めてのキスであった。
慣れていないのはお互い様だ。
唇を離し、息をするとまた口付ける。
何度もそれを繰り返す。
「あっああぁっなに?これ?変、変だよぉ」
鳴き声が聞こえる。
何時もよりずっと甘ったるい鼻にかかった声が。
もうウェンリーは前を隠していなかった。
両手はだらりと下げられ股間はオスカーの手の刺激で震え
ている。
服越しでも分かる。
力を得て持ち上がってきている。
オスカーは自分のあそこがズシリッと重く熱くなるのを感
じた。
 自慰もしたことが無い体がオスカーに触られて喜んでいる。
手が汗ばむのを感じながらズボンのボタンに手を伸ばした。
焦っているのか上手く動かない指先でウェンリーのズボンの前を寛げる。
「ロイッロイッ?」
何をされるのか分かっていないのだろう。
キスの名残か頬を染めぼんやりしているウェンリーの黒髪に口付けるとオスカーは下着の中へ手を差し込んだ。
「やあぁっロイッロイッやだっ」
「何が嫌なんだ?ヤン」
「そんなところ触ったら汚いっ手が汚れる」
いやいやと首を振るウェンリーが可愛い。
オスカーは目を細め震えるウェンリーの分身を扱き出した。
「あああぁっあっやっもれちゃうっ触らないで」
小さく幼いがしっかりと立ち上がっているウェンリーの証。
だがまだ皮を被ったままで辛そうだ。
 包皮を爪で掻くとウェンリーは泣きじゃくった。
「痛いっ痛いよっロイッ」
「大人になるには必要なんだ。我慢して」
ゆっくりと優しく剥いてやる。
 剥き出しになったペニスは赤く腫れあがっていることだろ
う。
「うっひっくっえっうぇっ」
子供の様なウェンリーの泣き声。
ショックのあまり退行してしまったのだろうか。
「大丈夫、怖くない」
 オスカーは己のいちもつを取り出すとウェンリーのそこへ
押し付けた。
「怖くない、同じだ」
固く立ち上がったオスカーの男根はすでに先走りが出てい
る。
それを柔らかいウェンリーのペニスに擦り付けた。
「あっロイの・・・大きい」
「大人だからだ。ヤンのは可愛い」
素面の時だったら絶対激怒するだろう台詞を口にしてオス 
カーは腰を揺すった。
「あっまたっまた変っロイッロイッ」
「一緒にイこうっヤン」
二人の荒い息が密室に児玉する。
 にちゃにちゃという淫猥な下肢の音。
合わせた唇から漏れるぴちゃぴちゃという水音が興奮を高
めていく。
 絡めあった性器は爆発寸前だ。
 先漏れのカウパー液で太股まで濡れそぼっている。
オスカーは怖がらせないようにゆっくりと腰を使った。
擦りつけ刺激を与え合う。
ぬめった感触が壮絶に気持ちいい。
キスに酔ったのか。初めての愛撫に溺れているのかウェン 
リーはとろりとした目で喘いでいる。
「ずっと、こうしたかった。ヤン」
繰り返し名前を呼びながら腰を動かしていると、おずおずとウェンリーの腰も揺れ始めた。
自分から擦りつけて来る。
「一緒に大人になろう、ヤンっ俺のヤン」
「あっああぁっあーっ」
「ヤンッヤンッうっうぅっ」
その瞬間、幼い二人は強すぎる刺激で己を手放した。
 精通の刺激でヤンは意識を飛ばしてしまったようだ。
 しばらく息が整うのを待ってからオスカーは立ち上がり、ウェンリーの下肢を清める。


自分も身支度を整えてから再度ウェンリーを抱きしめる
ずっとこのままでいたい。
二人きりでここにいたい。
でもそれは許されないことだ。
名残惜しげに抱きしめた後、ウェンリーを抱き上げて準備室を後にした。
もうあたりは暗く、学校には誰も残っていない様だった。


 ウェンリーの具合が悪くなったからといって送り届けた後、オスカーは館に戻るなり自室へ閉じこもった。
 これは何時もの事なので誰も気にしない。
 部屋に夕食が差し入れられそれで仕事が済んだとばかりに使用人は帰っていく。
 ベットに潜り込むと毛布を頭から被った。
召使の前では平静を装っていたが一人になると笑みがこみ
上げてくる。
 放課後の事を思い出すと顔が緩んで仕方なかった。
「ヤン・・・可愛かった」
初めての射精に怯えていた。
初めて感じる快感に震えていた。
そして自分の胸にすがって精通を果たした。
その姿がずっと頭から離れない。
ウェンリーのそこは自分のとは全然違った。
 大きさも形も、
触っていないから成長していない。
柔らかくて皮に覆われていたそこを思い出すと頭に血が上
る。
 理科室で出したというのにまた前が張ってくる。
傍らにあった枕を抱きしめてオスカーは熱い息を吐いた。
 柔らかかったヤンの体。
枕よりもいい匂いがして柔らかくて暖かい。
そっと下肢に手を伸ばすともう大きく育っている。
これをヤンのあそこと擦り合わせたのだ。
自分の手でやるよりも数百倍よかった。
いや、比べ物にならない。
オスカーは熱く猛ったそれを握り締め上下に動かした。
これは何時もやっている行為。
事務的な性処理なのに何時もより感じる。
ヤンの事を思い出しているからだ。
気持ちいい。
オスカーは枕を抱きしめながら片手で行為に没頭した。


オスカーが初めて芽生えたのは9歳の夏。
何時ものように理科室でウェンリーとたわむれていた時で
あった。
背後から抱きしめるのは何時もの事。
なのにその項が目に焼きついてしまった。
うっすらと汗をかいて濡れている項に胸が高鳴った。
股間が怪しくざわめいた。
変な気持ちをウェンリーに気付かれる事は無かったがその
晩夢を見た。
ウェンリーが出ていたことは覚えている。
詳しい内容は覚えていない。
夏の熱帯夜、やけに寝苦しく体がほてって眠りは浅かった。
次の日、オスカーの下着は白く汚れていた。
意味が分からず驚いた。
その晩ももやもやする気持ちを持て余しながら眠ったら夢
精をしていた。
家庭教師にそれとなく聞いてみて説明を受けた。
成長期に入り精液が精巣で生産されるようになったのだと
いう事を。
 体の仕組み、性行為の方法、避妊の仕方。
説明を聞いてオスカーは納得した。
これが大人になったということなのだろうと理解した。
夢精をすることは普通なのだと分かったから恥ずかしいと
思ったりしなかった。
しかし一ヶ月も過ぎる頃、オスカーはその行為に悩まされ
るようになった。
もやもやした夢を見る時、何時もウェンリーが出てくるの
だ。
別に何をしているわけでは無い。
理科室でじゃれあっているのと同じ、なのにオスカーは高
鳴って下着を汚す。
現実でウェンリーの顔を見ると妙に鼓動が脈打った。
一ヵ月後、初秋の夜
その晩はやけに寝苦しかった。
ウェンリーの顔を何度も思い出した。
普段なら暖かい気持ちになるのにその晩は違う。
ムラムラした何かを持て余す。
股間がやけにうずく。
気がつくと手を伸ばしていた。
触れるととても気持ちがいい。
下着に両手を入れて握り締めた。
「うっううっ」
ついうめき声が漏れてしまう。
声が漏れぬ様シーツを噛み締めオスカーは弾ける程固くなっているペニスを扱いた。
気持ちがいい、すごく
腰が揺れるのを抑えられない。
何も考えないようにしていたのに、頭にウェンリーの顔がよぎる。
抱きしめる華奢な体。
柔らかい黒髪。
汗ばんだ項。
「ヤン・・・ヤンッううっ」
開放は早かった。
初めての自慰 呆気なくオスカーは射精した。
しばらくウェンリーの顔を見ると赤面してしまい後ろめた
かったがすぐに慣れた。
ウェンリーを想像してマスターベーションをするのが日課
となった。
 ここを弄るのはとても気持ちいい。
オスカーはしこったそれを弄りながら想像した。
「ヤンも。こうした事があるのだろうか?」
 考えるだけで射精してしまった。
それから後、オスカーはする時ヤンの自慰行為を想像する
ようになった。
 昼間は幼い子供のような彼。
だが夜、ベットの中で自分と同じように火照った体を持て
余して前に手を伸ばしているのだろうか?
泣きじゃくりながら快感を追っているのだろうか?
その想像をしながらマスターベーションをするととても感
じることが出来た。
 一年以上 オスカーはウェンリーの自慰を想像しながら抜
いた。
しかし段々想像は進化していく。
初めはウェンリーが自分で慰めている姿だったのに、何時
の頃か二人で弄りあう妄想へと変わった。
 オスカーのペニスをウェンリーの指が扱く。
ウェンリーのものをオスカーが弄る。
体を密着させて二人で快感を高めあう。
妄想するオスカーにとってそれは自然な行為だった。
自分はこんなにもヤンが好きなのだ。
大人になったら女とセックスをするらしいがオスカーには
そんな気は毛頭無い。
ヤンの他触りたいと思う人間はいないしこれからもそうだ
ろう。
 家庭教師から説明を受けたとき、同性愛についても学んだ。
同性愛は禁忌であり背徳の行為だと教えられる。
聞いたときはなんとも思わなかった。
男同士など気持ちが悪いとさえ思った。
だがヤンは別だ。
オスカーの中でこれは同性愛では無い。
性など関係なくウェンリーだけが必要なのだ。
彼以外いらない。
他の男を愛したりしないのだから同性愛では無いだろうと
結論づけて悩んだりしなかった。
 今はまだ二人とも子供で抱き合えないけれども、大人にな
れば触りあうことが出来るだろうか?
想像の翼を羽ばたかせる。
今まで大人になりたいなどと思ったことが無かったがヤン
と抱き合えるのなら一足飛びに大人になりたいっとオスカー
は願うようになった。
幼年学校の卒業が近づいてくる。
ウェンリーは相変わらず子供のままだ。
オスカーは注意深くウェンリーの仕草を見守ったが昔と変
わらない。
 隠微な夜を過ごしているとは思えない明るい表情にオスカ
ーは苛立ちを感じる。
中等学校へ進学したら二人の時間は少なくなる。
 その前に確かな関係を築いておきたかった。
ヤンは自分のものなのだっという証を手に入れたかった。
しかし実際に手を出すのは躊躇われる。
自分を信頼しきっている相手が眩しくて、でも胸の奥に燻
る独占欲がとぐろを巻いている。
苛々しているのはウェンリーにも伝わったのだろう。
心配そうに見上げてくる黒い瞳
 愛しくて手が伸びそうになるのをオスカーは必死で抑えて
いた。
 だが張り詰めた糸は切れやすい。
今日、理科室で二人は触りあった。
快感で気が遠くなるかと思った。
自分での自慰など比べ物にならない程良かった。
「ヤンッああっ俺のヤン」
毛布の中でオスカーは何度も射精した。
出しても出しても止まらない。
いかに自分がヤンを手に入れるのを待ちわびていたか思い
知らされるようだ。
ヤンの痴態が頭から離れず、オスカーは何も出なくなるま
で手を動かし続けた。


 桜舞い散る季節、二人は中等学校へ入学した。
 オスカー フォン ロイエンタールはトップで合格し新入
生代表の挨拶を任された。
当然Aクラスに入る。
ウェンリー フォン ルクレールはCクラスであった。
代表を果たした事からオスカーは入学早々有名人の仲間入
りとなった。
幼年学校とは比べ物にならない程成長したオスカー
眉目秀麗な顔立ち。
筋骨隆々では無いが引き締まった男らしい体躯。
頭脳明晰でクールな彼は注目の的だ。
なによりも人を惹きつけたのがヘテロクロミア。
金銀妖瞳と呼ばれる目は美しさの中に危険な輝きを秘めて
いる。
 数少ない女子は皆虜となった。
中等学校は幼年学校とは雰囲気ががらりと変わる。
幼い頃は爵位や家柄がステイタスであった。
しかし中等学校はそれだけでは通用しない。
 もちろん爵位は人の判別に重要な意味を持っていたがそ
れ以外、本人の能力が大きく影響してくる。
才能に恵まれた者。見目麗しい者の周囲にはすぐ取り巻き
が出来る。
 反対に爵位に奢っている連中にはそれなりの取り巻きしか
出来ない。
 オスカーの周りに集まってくる人間は中等学校でもトップ
レベルばかりであった。
 Aクラスでも生抜きのエリート
 もちろんそれなりの爵位は持っているが家柄以上に自分の
能力に自信を持つ輩。
 オスカーは自分から積極的に仲間に加わろうとはしなかっ
たが話かけられたら相手をする。
 レベルの高い相手とは会話していても退屈しない。
 幼年学校の時と違いオスカーは何時も人に囲まれるように
なった。
 ウェンリーの周囲も変わった。
 幼年学校で仲良かった友達とは皆別れてしまった。
 ルクレール家の子息、と言っても4男で跡取りの可能性は
皆無の子供を相手にする者は少ない。
 名家の子息といってもそんな物はごろごろしているのだ
大体貴族とは働かなくても遊んでいられる人種の事だ。
子供を養うために仕事をするという感覚が無い。
当然養育にかかる費用などで悩む必要も無い。
貴族が子沢山なのは当たり前だった。
子供が多ければ一人くらいは名家と縁組できるだろうと
いう浅はかな考えで子供を作りまくる。
公爵家の4男レベルは中等学校には掃いて捨てる程いた。
 ウェンリーの美点である優しさや暖かさは中等学校では軟弱に見られた。
 東洋系の中性的美貌はひ弱さだけをクローズアップする。
 Cクラスという事だけでもAやBから馬鹿にされる。
 尤もCクラスは更にDやEを馬鹿にしているのだからお互い様なのだが。
 元々周囲に疎いウェンリーは気がつかないし気にならないようであったが明らかに彼の環境は変わっていた。
 本来ルクレール家レベルであったらSクラスに入るのが普通だ。
 Sクラスというのは能力は無いが爵位だけは高いおぼっちゃまのために作られたクラス。
 それはAからDのどのクラスよりも優秀だと定められている。
 学校側が決めたことだがSクラスの人間はそれを鼻にかけ威張り散らしていた。
 その反動かAクラスは家柄よりも能力重視の傾向が強い。
 他のクラスの人間はSクラスで家柄に甘え能力の無い子弟を馬鹿にしていたしSクラスは他を見下していた。
 ウェンリーはSクラスに入れるのに一般クラスに入った。
 しかし能力があるわけで無くCクラスにしか入れなかった。
 どちらつかず、中途半端
 そういう先入観が生まれてしまうのは仕方ないだろう。
 Cクラスが嫌になったら何時でもSクラスへ変更出来る地位のウェンリーには新しい友達が出来なかった。
 長く付き合えば、よく話し合えばウェンリーの良さがいくらでも判るのにまず会話のきっかけが掴めなかった。
 かといってウェンリー自身はそれを気にしている風は無い
 休み時間は一人で好きな本を読み、好きな歴史の授業の時は真剣に聞いていて嫌いな授業の時は居眠りをしている。
 何時しか周囲はウェンリーの事を変わり者扱いするようになった。

 放課後、ウェンリーは理科室へ向かった。
 そこは幼年学校の時とは違い間取りも大きく設備も揃っている。
 同じなのは閑散としていて人の気配が無いことだけだ。
 理科室に人気が無いのは帝国の教育による。
 中世貴族さながらの制度を持つ帝国は科学を重視しない。
 それよりも精神論、家柄や爵位、貴族の優位性を確かめるゴールデンバウム王朝の歴史を教育の柱としてきた。
 科学とは卑しい平民が学ぶものであって貴族は難しい算式や理論を身につける必要は無い。
 平民が発明した科学で作られた便利な機器を使えればそれでいいのだ。
 高貴なるものは下賎の科学など知らなくても良い。
 学ぶべきはゴールデンバウム王朝。ルドルフの軌跡。
 科学に限らず数学や他の勉強は雑学と見なされさげずまれていたのだ。
 ウェンリーは理科室の固い椅子に座ると本を読み始めた。
 重く厚い歴史の本。
 だが帝国のものでは無い。
 図書室の隅、一番奥の人目につかない場所に隠すように置かれていた歴史書だ。
 そこには古代、地球での歴史が記されていた。
 西暦と呼ばれてから何千年、
 人類が宇宙に飛び立つ前の記録が記されている。
 ウェンリーは瞬きもせず読みふけった。
 ドアが開いた事も気がつかぬほど真剣に。
「ヤンはまた本を読んでいるのか」
 唐突に声がして顔を上げる。
「本ばかり読んでいると目が悪くなるぞ」
「平気だよ、それよりこの本面白いよ」
 現れた主はウェンリーの持つ本を覗き込んだ。
「ほう、これは面白そうだな、どこで見つけたんだ?」
「図書室の隅、きっと誰かが隠していたんだね、こんなの見つかったらすぐ焼却処分だ」
 ウェンリーはくすくす笑いながら説明する。
「古代の地球には色々な英雄がいたんだよ。ユリウスシーザー、チンギスハン、ナポレオン」
「確かにルドルフ以外の英雄が記された本などすぐに焼却炉行きだな」
 苦笑と共に腕が伸ばされる。
「ヤン、本よりも俺に構ってくれ」
 本を取り上げられ抱きしめられる。
 ウェンリーは耳朶まで赤く染まった。
「ロイッたら・・・」
 項にキスを落とされてウェンリーは身を震わせた。
「ロイッここじゃ嫌だ」
「そうだな、誰が来るか判らないからな」
 オスカーはウェンリーを抱えるようにして準備室へ向かう。
そこは幼年学校よりも広く清潔だ。
何よりもオスカーを喜ばせたのは内側から鍵がかかること
であった。
 準備室へ入ると即効でオスカーは鍵をかける。
 強引にウェンリーを抱き寄せると黒髪に顔を埋めた。
「ロイは中等学校へ入っても甘えん坊だなぁ」
 こんな姿、Aクラスの人が見たら卒倒するよ、と笑いなが
ら言うウェンリーにオスカーは憮然とした。
「別にあいつらがなんと思おうとも構わない」
「友達がいっぱい出来たみたいじゃないか、良かったね」
「あんなのは友達じゃない。俺の友達はヤンだけだ」
「ロイったら」
頑なな親友の髪を優しく撫でてやりながらウェンリーはた
め息を付いた。
「せっかく出来た友達をそんな風に言ってはいけないよ」
 相変わらず説教口調で諭してくる。
「友達じゃない、あいつらは俺がトップだから擦り寄ってい
るだけ、利害関係だけだ」
「・・・ロイ」
「俺にはヤンさえいればそれでいいのに、クラスが離れてし
まった」
「仕方ないよ。ロイは優秀だけど僕はCだから」
「俺もCになればよかった」
「もしテストで手を抜いたら本気で怒るよ」
 ウェンリーが怒ると怖い。
何日も口を聞いてくれなくなる。
「判っている。だから我慢しているんだ」
ぎゅうぎゅうと抱きついてくるオスカーにウェンリーは苦
笑を深くした。
「ヤン・・・友達は出来たのか?」
 聞かれた瞬間、ウェンリーはどもってしまった。
「・・・うん、まあ普通にね、話す人はいるよ」
それは嘘だ。
今のウェンリーが教室で孤立とまではいかないが浮いてい
ることをオスカーが知らぬ訳が無い。
だがその事を咎めたりはしない。なぜなら・・・
「俺は嫌だな。ヤンが俺以外と友達になるのが」
わがままだという自覚はあるがこれだけは仕方ない。
クラスの輪から外れているウェンリーを不憫に思うよりも
嬉しさを感じてしまう。
 オスカーはウェンリーを独占したいのだ。
クラスが離れた事で湧き出た不安だが、ウェンリーに友達
がいない事でなんとか平静を保つことが出来る。
「友達が出来ても、親友はロイだけだよ」
ウェンリーはそう言ってくれるがそれだけでは足りない。
友達も、親友も全て欲しい。
ウェンリーの持っている愛情は全て自分に向けられるべき
だとさえ思っている。
 柔らかく暖かい親友の体を抱きしめてオスカーは囁いた。
「もうおしゃべりは止めよう。二人でいられる時間は少な
い」
抱きしめていた手が明確な意図を持って動き出す。
押し付けられたオスカーの下肢が熱く高ぶっている事を感
じウェンリーは頬を染めながらその背に手を回した。

「あっんっふぅっ」
声が漏れないように必死で抑えながらウェンリーは腰を揺
らめかした。
 二人がこの遊びを始めたのは11歳の冬。
 もう半年も前の事だ。
 オスカーは大人になるには必要な行為だと言っていたけ
れど意味は判らない。
 唯触られる事が気持ちよくて流されていく。
 何故かとても恥ずかしくて誰にも相談出来ない。
 本で調べようとしたけれど、歴史の本にもどの教科書にも
この行為については乗っていなかった。
 人に聞くことは躊躇われた。
 理由は判らないけれど恥ずかしかったのだ。
 だから今だこの行為の本当の意味を理解していないけれど
オスカ―に抱きしめられて達することがウェンリーの日常と
なってしまった。
 触るときオスカーはとても嬉しそうな顔をする。
 大切な宝物のように触れてくる。
 初めの頃、恥ずかしいから嫌だと拒絶したことがある。
 その時のオスカーは酷く落胆して悲しそうだった。
 あまりにも辛そうなのでウェンリーは許してしまった。
 自分の羞恥のためにオスカーの悲しい顔を見るのは嫌だっ
たから。


「ヤン、気持ちよかっただろう。俺に触られて腰が蕩けそう
だっただろう」
 恥ずかしいけれど本当の事なので小さく頷くとオスカーは
ぎゅうぎゅう抱きしめてくる。
「これからヤンの処理は俺がしてやる。ヤンは自分でここを
弄る必要は無いからな。俺が触ってやる」
 オスカーは強い口調で言う。
「触りたくなったら俺に言え。ヤンがしたい時は何時でも弄
ってやるから」
 初めての自慰をオスカーの手によって与えられたのだ。
 それから後、毎日の様に触ってきた。
 それこそウェンリーが自分でする必要も無いほどに。
 初めの頃、皮を爪で剥かれるのが痛くて嫌だと言った事が
ある。
「触られるのは気持ちいいけれど痛いんだ、ロイ」
 だから止めようっと言うウェンリーの膝を割ってオスカー
は顔を寄せた。
「大丈夫、痛くないようにするから」
「ちょっロイッ何しているの?」
「怖くない。気持ちいい事をしてやるだけだ」
 オスカーの綺麗な顔がウェンリーの下肢に埋められる。
 ねろりっとした感触が幼いペニスを覆う。
「ひっいやっ汚いっそんなとこ舐めたら汚いよっ」
 驚くことにオスカーはウェンリーのそこを口に咥えたのだ。
「汚くなんて無い。ヤンのここはとても綺麗だ。食べてしま
いたいくらいだ」
 咥えながらしゃべられてウェンリーは跳ね上がった。
「やっいやっこれいやぁ」
 ウェンリーはもちろんだがオスカーにとってもこれが初
めてのフェラチオ
 なのに彼はとても上手だった。
 どこをしゃぶればウェンリーがよがるか判りきっていた。 
「いやっいやぁっああぁ、んっんんっ」
 ぴちゃぴちゃと裏筋を舐める音が響く。
 ちゅうちゅうと先端に吸い付く音が聞こえる。
 舌先で割れ目を穿られ唇で皮を剥かれる。
 ぬめった唾液の感触。
 蠢く舌のいやらしさにウェンリーは腰を振った。
「あんっああぁっやあぁ」
「気持ちいいだろう。ヤン、ここを俺に舐められると気持ち
よすぎて漏らしてしまうだろう」
 しゃべると歯があたって・・・それがますます快感を煽る。
「やぁ、ロイッロイッあっもう口放してっ」
「何故?俺はずっとこうして舐めていたい」
「やだっやだぁっ出ちゃうっ出ちゃうよぉ」
 ウェンリーはもう限界だった。
 とろとろと漏れる先走りの密がオスカーの唇を濡らしてい
る。
「いいぞ、腰を振って俺の口の中に出しても。全部飲んでや
るから」
 許しの声が聞こえる。
「ロイッロイィッああぁっ」
 ウェンリーは羞恥で全身を赤く染めながらゆっくりと腰を
前後させた。
 オスカーの口に擦りつける様に腰を揺らめかす。
 数度それを行なうと呆気なくウェンリーは果てた。
「あんっああぁっあっ」
 射精をした後も快感が持続しているのか震えている。
ぴくぴくと震える萎えたそこをオスカーは丹念に嘗め回し
てやった。
「ヤンはこれが気に入ったようだな」
口元を拭いながらオスカーは嬉しそうに囁く。
「これからは俺が舐めてやる。しゃぶって溜まる暇も無い位
抜いてやる。だから自分でするなよ。ヤン」
そう言われてこくこくと頷くことしか出来なかった。
あれから半年。
ウェンリーは自分で弄った事が無い。
 3日と置かずオスカーに触られるからだ。
 指で怪しく弄られ口でしゃぶられる。
その快感を知ってしまうと自分でやる気にはなれなかった。


 ロイの事は好きだ・・・とウェンリーは思う。
この行為も、恥ずかしいけれど好きなのだと思う。
抱きしめられて安心するのは親友だから。
だけど最近、安心するだけでは無くなってきた。
妙に胸がざわめく。
ロイに触られると早鐘のように鼓動が高鳴る。
ヘテロクロミアの瞳で見詰められると落ち着かなくなる。
不安定な気持ちを持て余してウェンリーはそっとため息をつく。

 自分の胸に芽生えた気持ちの名前を幼いウェンリーはまだ知らなかった。

 若者にとって時間が過ぎるのは早い。
あっという間に季節は変わる。
学校に慣れるため一生懸命なうちに春は過ぎ、友達と遊ぶ
間に夏は去り、勉学に追われて秋も終わり冬が来る。
そしてすぐにまた春がやってくるのだ。
 二人は落第もせず3年へと進学を果たした。
オスカーは3年間トップを独走し周囲の憧れと崇拝を勝ち
取った。
 ウェンリーは相変わらずマイペースだった。
オスカーの周りにはますます取り巻きが溢れた。
限られたエリートだけの特権とでも言わんばかりに頭脳明
晰な人間が集まる。
能力だけではない。
顔も特権に入るのか眉目秀麗なものが揃っていた。
二年からオスカーは生徒会長も勤めている。
先生や周囲に脅迫のように説得されてしぶしぶ引き受けた
のだが以外な程統率力を見せた。
 オスカー率いる生徒会はSクラスとは別の意味で特権階級
と見なされ他の生徒の憧憬を集める。
これは当然Sクラスにとって面白くない事態であった。
しかし実力差がこれ程までにはっきりしている以上、表立
って逆らうのは得策では無い。
この年代のSクラスに優秀な子息がいなかったのも一因だ。
Sクラスの子弟までもがオスカーに擦り寄るようになった。
こうして学校内での勢力図も固まった頃、一年に大物が入っ
てきたのだった。
 エルフリーデ フォン コールラウシュ
今を時めくリヒテンラーデ候の姪の娘。
今を時めくと言う言い方は間違っているだろう。
昔からリヒテンラーデ候は権威を誇っていたし今は更に権
力の中心にいる。
フリードリヒ4世皇帝即位から何十年、
リヒテンラーデ候は国務尚書と帝国宰相代理を務めている。
実質政治はリヒテンラーデ候によって行なわれており彼を
無視して貴族社会で生き残れない。
 久々の大物貴族の縁故。
学校中がざわめきあう。
入学してきたエルフリーデは豪華な金髪を持つ絶世の美少
女だった。
 大貴族らしく全てを見下した態度も彼女の魅力を増幅させ
るだけだ。
 何時も威張っているSクラスの生徒も先生すらエルフリー
デに媚を売る。
彼女はそうされるのが当然という態度を見せた。
 全ての貴族はリヒテンラーデの一族にひれ伏すのは当たり
前だ。
 美しく我侭で気位の高い女王様。
しかしエルフリーデほどの美貌と地位を持つと鼻に突くど
ころか納得さえしてしまう。
 彼女はその権力と魅力を持って入学一週間も経たぬ内に有
名人となった。
 そして一週間も経たぬ内に学校に飽きてしまった。
「退屈だわ」
エルフリーデは美しい美貌を歪ませてそう言う。
これは彼女の口癖であった。
すると周囲は慌ててご機嫌取りに伺う。
「校舎を案内いたしましょう、エルフリーデ様」
「それより乗馬はいかがですか?」
「美味しいお菓子をご用意しました。エルフリーデ様」
同い年だというのにクラスメイトは敬語を使う。
先輩も休み時間ごとに一年の教室に訪れて媚を売る。
もちろん彼らも敬語だ。
先生すらエルフリーデに尊称を使っている。
「学校も家も変わらないわね。退屈ばかり」
平伏されることに慣れきっている彼女にはどれ程貢物をさ
れても美辞麗句を並べ立てられても喜びは感じない。
優越感を感じることさえ慣れてしまった。
わずか12歳にしてエルフリーデは人生に飽きていた。
欲しい物は無い。
全て与えられるから。
おもちゃもお菓子も褒め言葉も友人も
賛美も服従も・・・人を従わせる事に慣れきった貴族の娘。
「学校の中を見て回りましょう。エルフリーデ様はまだ全部
案内されていないのでしょう」
隣でアルフレッド フォン ランズベルグがが話しかけて
くる。
 地位はリヒテンラーデに遠く及ばないが由緒正しい帝国
貴族の子息だ。
ロマンチストな彼はエルフリーデの美貌を帝国の宝と褒め
称え即興で詩を作ってくれた。
その詩はお世辞にも上手とは言えず何の感慨も抱かなかっ
たが傍に置いてやっている。
「そうね、退屈しのぎに付き合ってあげてもよろしくてよ」
エルフリーデが優雅に手を差し出す。
 アルフレッドは恭しく彼女をエスコートして立ち上がった。
 その姿を見てクラスメイトは噂する。
「さすがは大貴族。格式が違う」
「なんて品のある方なのだ。エルフリーデ様はまさに帝国一の貴婦人になるだろう」
 二人は連れ立って廊下を歩いていく。
 人々は波が引く様に道を開いた。
 皆丁重に頭を垂れる。
 その様子だけ見たら誰もがここを学校とは思わないだろう。
 宮廷さながらの勢力図。
 それまで学校で培われていた力関係が吹き飛ぶように露骨な追従であった。
 アルフレッドは周囲に見せ付けるかのようにゆっくりとした歩調で校舎を案内する。
 エルフリーデに平伏する生徒達が自分の事も特別な目で見るのが心地良かった。
 そうして幾つかの教室を見て回る。
「ここが図書室?家の書庫より狭いわね」
「比べるほうが間違いでございます。リヒテンラーデ候の蔵書は帝国一と伺っておりますから」
「食堂がこんなにみすぼらしいの?嫌だわ。私はこんな場所でランチを取るのは」
「エルフリーデ様には特別室がご用意されております。態々一般貴族と同席する必要は無いでしょう」
「そうね。アルフレッドはよく私のことが分かっているようね」
 二人は会話をしながら先へ進んだ。
行き当たったのは生徒会室。
「ここは?」
「生徒会室でございます。学生が自治運営を設けるために作
られた機関です 生徒会長を初め生徒会が仕切っておりま
す」
「自治運営?それは何に必要なの?」
「さあ?」
アルフレッドは曖昧に返事をすると扉を開けた。
唐突に開かれたドアに中の人間は驚いている。
だが立っているのがエルフリーデだと判るとすぐに頭を垂
れる。
「失礼する。エルフリーデ様が生徒会の見学をしたいとおっしゃっているのだ」
 アルフレッドが少々傲慢な言い方をしたのは学校でトップの上級生たちに優越感を見せ付けるためだろう。
「見学・・・と言いますと?」
 副会長が戸惑いながら問いかける。
「別に気にすることは無い。校舎を見て回っているから立ち寄っただけだ」
 アルフレッドの言い方は気に触ったがリヒテンラーデ候の姪の前だ。
 生徒会のメンバーは大人しく部屋を歩き回るエルフリーデを見守った。
「何も面白い物は無いわね」
「そうですね、次へ参りましょう」
 アルフレッドが手を差し伸べるがそれは受け入れられなかった。
「あなたが生徒会長?」
 書記は話しかけられ盛大に首を振った。
「ではあなた?」
 副会長は慌てて否定する。
「生徒会長は今不在です」
「そうなの、せっかくだからその生徒会長とやらに挨拶してさしあげてよ」
 何がエルフリーデの関心を惹いたのか・・・
 彼女はそう言うと部屋にある一番豪華な椅子に腰掛けた。
「いっぱい歩いたから疲れてしまったわ。お茶を用意して」
 命令することに慣れた我侭な口調。
 生徒会のメンバーは苦笑しながらこのお姫様に紅茶を入れて差し上げた。
「あら、美味しいわ」
 紅茶を一口飲んだエルフリーデは意外そうに顔を綻ばせる。
「生徒会長が紅茶党なのです」
 ウェンリーの影響からかオスカーは結構な紅茶好きで生徒会室には高級茶葉を用意してあるのだ。
「こんな場所でちゃんとした紅茶が飲めるだなんて期待していなかったけれどとても美味しいわ」
 褒めているのかけなしているのか判らない。
 傲慢なお嬢様の物言いに周囲は苦笑するしかなかった。
「お菓子もいかがですか?」
 書記が秘蔵のタルトを差し出してくる。
「結構よ、ダイエットしているから」
 12歳にして完璧なプロポーションを持つ彼女だが、こういう所は普通の女の子らしい。
「でも・・・どうしてもと言うなら少しだけ食べて差し上げてもよくてよ」
 エルフリーデはレモンのタルトをつまむとまずそうにほおばる。
 その時、再度扉が開いた。
 書類を手にしたオスカー フォン ロイエンタールが帰ってきたのだ。
 先生に呼び出され余計な仕事を押し付けられた彼は少々不機嫌だった。
 足取りも荒く生徒会室へ戻ったオスカーは目の前の状態に意表を突かれた様だ。
 一瞬動きが止まりエルフリーデを見詰める。
 彼女は突然現れたヘテロクロミアの男に驚いていた。
「お帰りなさい、生徒会長」
「・・・・何故一般生徒が生徒会室に入り込んでいるのだ?」
 しかも座っているのはオスカーの椅子。
 秘蔵の紅茶まで飲んでいる。
 あれはヤンにプレゼントしようと隠し持っていたのに。
 不機嫌を隠そうともせず問いかけるオスカーに答えたのはアルフレッドであった。
「失礼でしょう。この方はエルフリード フォン コールラウシュ様、リヒテンラーデ候の姪にあたる方ですぞ」
「何が失礼なのだ?」
 オスカーは冷たい視線を投げかけた。
「大貴族の甥だか姪だか知らんが生徒会に許可無く立ち入ることは禁じられている。今直ぐ出て行け」
「しっ失敬なっ」
 アルフレッドは真っ青な顔で憤慨している。
 生徒会のメンバーもこれには慌てた。
「まずいですよ、生徒会長、相手はリヒテンラーデ候の姪ですから」
 耳打ちされるがオスカーは鼻で笑い飛ばす。
「だからなんだと言うのだ?規則を守る事は学生の義務、帝国臣民の義務だろう。そんな事も幼年学校で習わなかったのか?」
「せっ生徒会長、エルフリーデ嬢はここが一般生徒立ち入り禁止だと知らなかったのですよ。まだ1年生だから無理もありません」
 副会長が慌てて取り成すがそれもオスカーは蹴飛ばした。
「それなら今教えてやった。直ぐにここから立ち去れ」
 呆気に取られていたエルフリーデはその言葉でようやく頭が働きだしたらしい。
 美しい美貌を真っ赤に染めてオスカーを睨みつける。
「無礼なっ私を誰だと思っているのっ」
「新一年生だろう。大貴族の姪だか知らんが学校に入れば誰でも学生だ。上級生の命令には従ってもらおうか」
「私はエルフリーデ フォン コールラウシュよ」
「それはさっきも聞いた。何度名乗っても新一年生の名など覚える暇は無いから無駄だぞ」
 辛辣な言葉にエルフリーデは卒倒しそうな程赤くなった。
「早くそこをどけ、それは俺の椅子だ」
 座ったままのエルフリーデに手を貸そうともせず傲慢に言い放つ。
 会長は本気で怒っている。
 生徒会のメンバーは震え上がった。
 アルフレッドはオスカーの怒気にあてられて声も出せない。
「無礼者っ叔父様にいいつけてやるわ。私に酷い事を言ったと言えばあなたなんてすぐに生徒会長から降ろされるのよ」
 悔し紛れにそう叫ぶとオスカーは嘲笑を浮かべた。
「それはありがたい。生徒会長など押し付けられて辟易していたところだ。止めさせてくれるなら大歓迎だな」
「かっ会長っそれはっ」
「本音言わないでくださいっロイエンタール会長」
 メンバーはオスカーの本気を知っているから慌てて制止する。
「言いつけるなど虎の衣を借る狐、所詮叔父の権力を嵩に規律を破る我侭女か」
「とにかく会長っ落ち着いてください」
「ほらっ二人とも外へ出るんだ。もうここには来ない様に。ここは一般生徒が気軽に出入り出来る場所ではないのだから」
 副会長の言葉はエルフリーデの逆鱗に触れたようだ。
「私が一般生徒ですって?なんという侮辱、なんという非礼っ許せないわ」
「エッエルフリーデ様、ここはひとまず引き上げましょう」
 淑女あるまじき態度でオスカーに掴みかかろうとするエルフリーデを必死で引き止めてアルフレッドは一目散に退散した。


 この事はすぐに学校中に広まった。
一時間後には知らぬものはいなくなる。
一部生徒は生徒会長の英断を拍手で称え、一部生徒は大貴
族に逆らうなど愚かな奴だと笑った。
先生方の耳にも当然入る。
これは微妙な問題であった。
生徒とはいえ特権を与え自治を任せているのだ、
大貴族の姪をないがしろにしたからといって生徒会長を処
罰するわけにもいかない。
彼は間違ったことを言っていない。
入ってはいけない場所に潜り込んだ新一年生を追い払った
だけなのだ。
だがリヒテンラーデ候の姪を無視するわけにもいかない。
 結局先生は静観を決めこんだ。
もしエルフリーデの方から苦情が来たらその時対処しよう
と問題を先送りにしたのだ。
そして、皆が想像していたエルフリーデの抗議は無かった。
何故か彼女は先生にも叔父にも告げ口しなかったのだ。
この事件でオスカーはますます一目おかれるようになった。
そして本人がどれ程止めたがっていても生徒会長を降りる
ことは出来なくなってしまったのだった。

 

「また一騒動起こしたそうだね、ロイ」
 放課後の理科室。
二人きりで過ごせる至福の時間にウェンリーからそう言
われオスカーは顔を歪ませた。
「些細な事だ」
「噂に疎い僕の耳にも入ってくるんだ、相当な事件だよ」
 からかう口調だが心配も潜んでいる。
「リヒテンラーデ候の姪を苛めるだなんて度胸があるね」
「苛めた訳じゃない、注意しただけだ」
「お姫様は臍を曲げてすっかりロイを目の仇にしているらし
いじゃないか」
 行儀悪く床に座るウェンリー
オスカーはもっと行儀悪く寝転んでその膝に頭を預けてい
る。
 膝枕をしてやり髪を撫でながらウェンリーは今度こそ心配
そうな顔をした。
「エルフリーデ嬢といったっけ、その子は生徒会に入っているんだろう」
 オスカーは心底嫌そうに顔を歪めた。
「生徒会のメンバーだと認めていない。あれは邪魔しに来
ているんだ」
 あの事件の後、エルフリーデはオスカーの事で抗議はしな
かったが先生に要求した。
自分の学校生活をより良くするため生徒会に入りたいと。
先生達は当然賛成した。
エルフリーデはこの学校一の権力者であり逆らうことはあ
りえない。
 Sクラスでも最高位のエルフリーデがその能力の有無を問
わず生徒会入りするのは決定事項となった。
さすがのオスカーも学校側からの通達には従わざるおえな
い。
嫌々ながらも書記の地位を用意したらエルフリーデはまた
も我侭を言い出したのだ。
副会長で無ければ生徒会には入らないと。
入らないのなら結構。誰も頼んでいないのだとオスカーは
憤慨したが先生の懇願により結局は折れた。
まだ生徒会長になりたいと言わないだけマシだろう。
しかしエルフリーデは副会長になっても全く役に立たなか
った。
 そもそも生徒会という組織を理解していない。
生徒のための自主的運営という考えを持ち合わせていない。
生徒会は一般生徒のためにあるのだというのはエルフリー
デには理解出来なかった。
大貴族は人に何かしてあげるのでは無くしてもらう立場な
のだという考えに固執している。
してもらうのが当然。人が自分に平伏すのが当然。権力を
与えられるのが当然。
彼女は自分が副会長になるのは当然であり周囲は自分のた
めに生徒会を運営するのだと思い込んでいる。
 生まれてこのかた植えつけられた価値観を崩すことは生抜
きの生徒会といえど無理だった。
ならばせめて大人しくしていてくれ。
と実際の作業は前副会長が行い彼女はお飾りの豪華な椅
子に腰掛けお茶を飲んでいる。
時々理解もしていないのに運営に口を挟んできて困らせる
がそこはオスカーが一刀両断した。
つまらないからといってアルフレッドを初めとする取り巻
きを生徒会室に連れ込んだ時もオスカーは激昂したのでその
後は控えるようになった。
何が楽しいのか放課後の貴重な時間、生徒会室に入り浸り
優雅にお茶を楽しんでいる。
隣で忙しく働く生徒会を後目に・・・
「俺が失敗するのを待ち構えているんだろう。女ながら執念
深い」
 唯でさえ嫌々こなしている生徒会だがエルフリーデが入っ
た事で頭痛すら感じる今日この頃だ。
「中々気の強いフロイラインだね。ロイをここまで困らせる
のだから大物だ」
 でも心配だよ
ウェンリーは漸くその言葉を口にした。
「リヒテンラーデ候の姪に怨まれたら将来に影響するかもし
れない」
「だから媚を売れと?ヤンさえもそう言うのか?」
 怒気を含ませた口調にウェンリーは苦笑を返した。
「違うよ。頭を下げる必要は無いけどせめて目につかない様
に避けるとか、そうした方がいいんじゃないのかな」
「俺は避けている。見るのも嫌なのに向こうが寄ってくるん
だ」
 オスカーの言葉は本当だった。
何故かエルフリーデはオスカーに絡んでくる。
生徒会長不在の時は部屋に立ち寄ろうともしないのに、オ
スカーがいる時はどれだけ退屈でも席を離れない。
そしてオスカーを怒らせることばかり言うのだ。
「そんなに仕事が溜まるのは無能の証拠ね。オスカー フォン ロイエンタール」
 そう言われた時、生徒会室の空気が凍った。
「俺が無能だと言うのならお前がやればいいだろう」
嫌悪もあらわに書類を渡そうとするとエルフリーデは鼻で
せせら笑う。
「それは生徒会長の仕事でしょう。自分が無能だからといっ
て仕事を押し付けないで」
ならば副会長の仕事をさせると癇癪を起こす。
「この書類は判らないわ。私が読みやすいように翻訳してき
て頂戴」
 腹が立つのを通り越して呆れるばかりだ。
その事を思い出したのかオスカーはウェンリーの膝の上で
怒り出した。
「あんなに腹が立つ女は初めてだ。あれに比べれば幼年学校
のヨーゼフやミハエルは可愛いものだったぞ」
「ヨーゼフ達も彼女と比べては可哀想だよ」
くすくすと笑いながらウェンリーは髪を撫でてくれる。
「でも本当に用心して。ロイ。リヒテンラーデ候の姪だか
らと言うだけでなく、その・・・逆恨みされると怖いから」
「さっきからあの女のことばかりしつこいな。ヤン」
オスカーは膨れていたが何を思いついたか急ににやにや笑
い出した。
「ひょっとしてやいているのか?ヤン」
「そうじゃないよ」
 慌てて否定するがオスカーの中ではもう決定事項らしい。
「妙にあの女を気にすると思ったらそういうことか」
「違うったら」
「可愛いぞっヤン」
「違うって言っているのに」
オスカーは寝転んだまま抱きついてくる。
「安心しろ、俺の一番はヤンだけだ。他の人間に目移りなどしないと約束する」
「違うのに・・・ロイ、相変わらず人の話を聞かないんだか
ら」
 にやにやと嬉しそうに笑う顔は優秀な生徒会長とは思えな
い。
 だらしなくにやけきっている顔はウェンリーしか見れない
物だ。
「ヤン、キスしてくれ、キスだ」
子供のようにせがまれてウェンリーはとうとう笑い出して
しまった。
「全く、ロイもそのフロイライン以上に我侭だよね」
言葉と共に与えられたバードキスはエルフリーデのために
ささくれだっていたオスカーの心を癒してくれた。


エルフリーデ フォン コールラウシュ
この名を知らぬものは貴族内ではいない。
リヒテンラーデ候の姪であり絶世の美少女。
彼女は幼い頃から賛美され賞賛に満たされ過ごしてきた
 美しいエルフリーデ
花の様なエルフリーデ
賢いエルフリーデ
物心ついた時から周囲はそう持てはやした。
初めて立った時はその姿振る舞いの美しさを賛美される。
 初めて言葉を話した時はその賢さを賛美される。
幼子であった時分からエルフリーデは特別扱いされてきた。
周囲は全てエルフリーデのために存在し、彼女に尽くすの
が当たり前なのだ。
数え切れぬ召使。
親類縁者は幼い子供に賞賛の毒を吹き込む。
エルフリーデは特別な存在。
選ばれた子供
その美しさは将来皇帝の目に叶うだろう。
皇帝の眼鏡に叶えば未来永劫の繁栄は約束される。
幼い女の子は商品であった。
エルフリーデはリヒテンラーデ候の姪という地位と子供で
ありながら垣間見る美貌で将来を嘱望された。
生まれた時から言い含められた事柄は少女の基準ともなっ
た。
全ては階級で支配される。
皇帝は一番偉いお方。
その傍にはべるため、エルフリーデは美貌を磨かなければ
ならない。
12歳までずっとそれを信じてきた。
皇帝のみが全て。真実なのだと疑いもしなかった。
だがあの日何かが崩れた。
オスカー フォン ロイエンタール
美しいヘテロクロミアの男。
だがエルフリーデが興味を惹かれたのはその姿かたちだけ
では無い。
彼はエルフリーデがリヒテンラーデ候の姪であることをし
りながら特別扱いしなかった。
それはエルフリーデにとって最大の屈辱である。
大貴族の姪であることに自身の存在意義を見出してきた1
2歳の少女。
オスカーはそれを一刀両断した。
初めてだった。
自分を色眼鏡で見ない存在は。
あの日からオスカー フォン ロイエンタールはエルフリ
ーデの中で特別な存在となった。
と言っても幼い少女、恋愛感情などまだ判りはしない。
思春期特有の反発をするが鼻であしらわれた。
それがまた怒りを増幅する。
「あんな男大嫌いよ」
嫌いなら無視すればいいのに出来ない。
「気持ち悪いヘテロクロミア。見ているだけでぞっとする」
なのに目を離せない。
「生徒会に入ったのは退屈しのぎよ」
オスカー フォン ロイエンタールの傍にいたいからなど
とは絶対に認めない。
我侭でプライドの高いエルフリーデは決して己の心と向き
合おうとはしなかった。
彼が気になるのは自分を侮辱したから。
何時も彼の事ばかり考えてしまうのは彼に報復したいから。
オスカー フォン ロイエンタールが膝を屈し自分に懺悔
する様を思い描く。
今までの暴言を詫びエルフリーデの愛を乞う姿を想像する。
その空想にエルフリーデは夢中になった。
もしかしたら彼の意地悪な態度は愛情の裏返しなのかも
しれないとすら思った。
あまりにもエルフリーデが美しすぎるから心と反対の態
度を取って自分の気を惹きたいに違いない。
幼い12歳の美少女のプライドを慰めるにはそう空想する
しか手が無かった。
「もし今までの非礼を詫びて忠誠を誓うのならお友達くらいにしてやってもいいわね」
 生徒会でお茶を飲みながらエルフリーデは待った。
 貴族のお茶会に出るときよりも、どんな時よりも美しく着飾って待っていた。
 だがオスカーが彼女を見ることは無い。
 視線すら向けてこない。
 何故か悔しくて憎まれ口を叩いてしまう。
 本当は苦労を労いたいのにオスカーの冷たい目を見ると反発してしまう。
 エルフリーデが声をかけるとオスカーは軽蔑しきった視線しか返してこない。
 泣きたいくらい腹が立ってますます辛辣な言葉を吐くのをエルフリーデは止める事が出来なかった。


 帝国の義務教育は10年ある。
 6歳で幼年学校へ入学し11歳まで学ぶ。
 6年過ごした後は中等学校で4年間。
 16歳になると軍事学校か他の専門学校へ進学する。
 オスカーとウェンリーは4年生に進学した。
 そろそろ進路を考えなければならない時期。
オスカーはやっと生徒会から開放された。
「よかったね、お疲れ様 ロイ」
世界で一番大切な親友に労われたがオスカーは顰め面を崩
さない。
「俺は良かったが今後は最悪だな」
「まあ・・・ロイがそう言うのも無理ないけど」
オスカー フォン ロイエンタールの後、なんとエルフリ
ーデが生徒会長となったのだ。
「最悪の人選だ」
これは先生方の後押しが強かった。
先生は大物貴族に媚を売るため生徒会を利用したのだ。
当然生徒会メンバーはエルフリーデの取り巻きで固められ
る。
「お飾りの張りぼてだ。学校の歴史始まって以来の、いや未来も含めて最悪の生徒会になるに違いない」
予言じみた物言いにウェンリーは苦笑するしかない。
「そう思うのなら助けてあげればいいのに」
「冗談だろう、そんな義理は無い もうあの女に関わるのはまっぴらごめんだ」
オスカーが心底嫌がるのも無理は無い。
エルフリーデの生徒会は初日から難航した。
 生徒会長就任の挨拶すら満足に出来ない有様だったのだ。
即、新生徒会のメンバーとなったアルフレッド フォン 
ランズベルグがオスカーを呼びに教室に駆けつけた。
「生徒会長がお呼びです」
「俺に何の用だ?」
「エルフリーデ様の就任演説のお手伝いをするようにとの事です」
「それは新しい生徒会の仕事だ。俺が手伝う義務は無い」
オスカーは一刀両断した。
結局エルフリーデの就任挨拶は無様に行なわれた。
生徒会長の挨拶が何なのか理解していない彼女は就任演説
で自分の爵位、つまりはリヒテンラーデ候の姪であることを
自慢し一般生徒は自分に従うように、それが帝国臣民の義務
であるとのたまったのだ。
可哀想な事だが彼女にはそれしか言えなかった。
地位と美貌しかない美少女は自分の持っている物を盛大に 
アピールし周囲を平伏させることしか思いつかなかった。
それはある意味、尤も貴族らしい演説であった。
聞いた全生徒はこの生徒会に期待することを止めた。
一部生徒は生徒会を私物化している美少女に盛大な媚を売
った。
 もはや生徒会はエルフリーデの玩具でしかなく、まともな
運営など望めるはずも無い。
だがそれでは立ち行かないから問題が起こるとオスカーを
呼びに来るのだ。
当然オスカーは青筋を立ててお断りするのだが。
新生徒会が発足してもう3ヶ月。
季節は夏に移ろうとしているのに今だ毎日のようにお誘い
がやってくる。
「だから理科室に逃げ込んできたのかい?ロイ」
からかうようなウェンリーの口調にオスカーは含んだ笑みを返した。
「それだけじゃない。ヤンとキスするためだ」
いやらしい笑みを浮かべながらオスカーの顔が近づいてく
る。
「ロイったら」
ウェンリーは笑い返してその唇に口付けた。

 生徒会室は今日も荒れていた。
秋に行なわれる文化祭の準備が一向に進まないのだ。
生徒会主導で開催されるそれは半年前から準備が必要なの
に書類の一枚も仕上がらない。
文化祭だけでは無い。
秋には運動会、学芸祭など多くの企画が控えている。
「なんという無能っ少しは仕事が出来ないの。愚か者」
エルフリーデは癇癪を起こしていた。
自分が選んだ側近に当り散らす。
彼等が仕事を出来ないのも当然だ。
エルフリーデが側近にしたのは媚を売ることしか出来ない
貴族の子弟だったから。
アルフレッドなどは書類作成も出来ず、下手な詩ばかりを
書いてエルフリーデを激昂させた。
「どうして文化祭一つも仕切れないの?やる気が無いのでし
ょう。あなたたちは」
それは彼女に責任がある。
トップがきちんと指示を出せないから下も動けないのだ。
エルフリーデはその事に気付いていなかったし、それを注
意する側近もいなかった。
「もういいわ、オスカーフォンロイエンタールを呼びなさい。今直ぐに」
「しかし・・・前生徒会長は決してここには来ないと断言しております」
「私が命令しているのよ」
「ですが私達が何度足を運んでもロイエンタールは見向きもしませんでした」
 すぐさま側近達から声が上がる。
「なんと無礼なっエルフリーデ様がお声をかけてくださるというのに」
「ロイエンタールなど貴族とも呼べない下級の出。卑しい身分だからエルフリーデ様のお誘いという僥倖を理解出来ないのでしょう」
「あのような者、相手にすることはありません、エルフリーデ様」
 水を得た魚のごとく悪口を言う。
 会議の時は黙りこくっている口も人を批判する時だけは饒舌らしい。
「もういいわ、私が自分で行きます」
 エルフリーデは癇癪を爆発させて立ち上がった。
「いけません、エルフリーデ様が自ら会いに行かれるなど威信に関わります」
何の威信なのか?生徒会自体まともに運営されていないのに。
「私達もお供いたします、エルフリーデ様」
「私一人で行くわ。貴方達は黙ってその書類の山を片付けなさい、命令よ」
 豪奢な金髪を怒りで逆立てて彼女は生徒会室から出て行った。
「全く、エルフリーデ様の我侭にも困ったものだ」
 残された側近達はいなくなった主人のぐちを零す。
「このような書類、下賎の者にやらせたらいいのだ」
「我らがやる仕事では無い」
「そもそも仕事など貴族の行なう事では無い」
 彼等は口々にそう言いながら優雅にお茶を楽しんだ。
 当然書類などやる気は無かった。

 怒り心頭で廊下を突き進んでいたエルフリーデだが、目当ての人物は教室にはいなかった。
 授業が終わってもう大分経つ。
 人の気配も無い。
 帰ってしまったのだろうかと思ったが机にカバンが残っている。
 ならばまだ学校のどこかにいるのだろう。
 エルフリーデは学校を探し回ることにした。
 普段の彼女ならばそれは考えもしない行動だっただろう。
 一人の人間のために教室を見て回るなど大貴族のやることでは無い。
 だがどうしてもオスカーに会って一言文句を言わなければ気がすまなかった。
 生徒会が上手く運営出来ないのはオスカーが手伝ってくれないからだと思っている。
 側近が無能なのにも腹が立った。
「あんな奴ら首にしてやるわ」
 首にした後、副会長のポストはオスカーフォンロイエンタールに与えてあげよう。
 きっと彼は喜んで自分に協力するに違いない。
 自分勝手な事を思いながらエルフリーデは図書室を覗く。
 誰もいない。
 生徒はもう帰ってしまったのか静まり返っている。
 教員室や他の教室 体育館も見たがいない。
 校舎は静寂に包まれている。
 探しても探してもオスカーは見つからない。
それが自分を馬鹿にしているように思えてエルフリーデは
更に怒りを深くした。
「こうなったら絶対に見つけ出さないと気がすまないわ」
 執念深くエルフリーデは校舎中を歩き回った。

 三階の端にある理科室。
 ここは一般生徒はあまり立ち寄らない場所だ。
 授業も滅多に行なわれないから寂れている。
 エルフリーデも理科室は苦手だった。
 気味悪い標本が並べられている。
 幽霊が出るという噂も聞いたことがある。
 そこは無視して通り過ぎようとした時、中から音がした。
「ヤンっ」
 オスカー フォン ロイエンタールの声がする。
 エルフリーデは急いでドアに耳をつけた。
 貴族の子女としてははしたない振る舞いであったが今は構っていられない。
 耳をそばだてて息を殺す。
 僅かな声が扉の向こうから漏れてきた。
「ヤン、俺のヤン」
 これは確かにロイエンタールの声。
 なのに何故だろう。
 こんな声今まで聞いた事が無い
 優しくて甘ったるい、蜜を含んだような甘え声。
「幾つになっても甘えん坊だなぁ、ロイは」
 他の人の声が聞こえてくる。
 誰かがいる。
 オスカーフォンロイエンタールはこの部屋で誰かと一緒にいるのだ。
 何故か悔しくてエルフリーデは唇を噛んだ。
「ずっと一緒だ。俺達は」
「うん、ずっと一緒だよ」
 漏れ聞こえる声、甘ったるい囁き
 なんなの?これは
 これはまるで睦言ではないの。
 震えるエルフリーデの耳に容赦なく入ってくる。
「好きだ。大好きだ」
 その言葉を聞いた瞬間、エルフリーデの体に甘い痺れが走った。
 まるで自分に囁かれた様な錯覚を覚えたのだ。
 だが次の瞬間に打ちのめされる。
「ヤン、俺の親友。お前さえいれば俺は何もいらない」
「ロイ、僕も大好きだよ」
 誰?誰なの?
 扉を開けたいのだが体が動かない。
 オスカー フォン ロイエンタールの弱みを握ったと喜びたいのに心が悲鳴を上げている。
 痛い、痛い、心も体も悲鳴を上げている。 
 逃げ出したいのに足が動かない。
 聞きたくないのに耳を覆うことも出来ない。
 エルフリーデは扉から離れると窓に近寄った。
 黒いカーテンの隙間から覗き見る。
僅かな隙間、
 だが中を確認するには十分だった。
オスカー フォン ロイエンタールの後姿が見える。
 絶対に間違えない。
服の上からもわかる綺麗に筋肉のついたしなやかな背中。
彼は誰かを抱きしめていた。
うっとりした声で何か囁いている。
抱きしめられている相手の顔は見えた。
黒い髪の小柄な少年、
瞳の色は目を閉じているから判らない。
もっとよく見ようとした時オスカーの顔がかぶさった。
彼女の目から彼を隠そうとでも言うように。
エルフリーデは慌てて窓から離れる。 
接吻をしていた。
驚きのあまり声も出せない。
あれは何?今見たのはなんなの?
彼女の悲痛な質問に答えてくれる人間はいない。
ぎぐしゃぐとした足取りでエルフリーデは逃げるようにその場を立ち去った。
一分一秒たりとも理科室の前にいたくなかった。
扉の向こうの甘い世界。
それを覗き見ている自分を正視出来なかった。

生徒会室に戻った彼女は何も言わずカバンを掴むと帰って
しまった。
 残された書類には見向きもしない。
「あれはロイエンタールにコテンパンにやられたな」
「お可哀想に、エルフリーデ様」
 側近の言葉には意地悪い笑いが潜んでいる。
「まあこう言ってはなんだが彼女は少々我侭だからな」
「やりこめられるのもいい経験だろう」
「そうだな、我らをないがしろにしすぎる」
「いくらリヒテンラーデ候の姪だからといっても我らとて高位の貴族子弟。こうもぞんざいに扱っていい存在では無い」
 含み笑いを浮かべながら側近はそう噂した。

 翌日の放課後。
目の前に現れた人物にウェンリーは驚きのあまり間抜けな
顔をしてしまった。
「生徒会長がお呼びです。ウェンリーフォンルクレール候」
芝居がかった仕草で仰々しく言ってくるのはアルフレッド 
フォン ランズベルグ
エルフリーデの使い走りとして有名な貴族子弟だ。
「生徒会長が僕に何の用なのかな?」
「さあ?それは直接会ってお確かめください」
アルフレッドに促されウェンリーは渋々生徒会室へと向か
った。
一体何の用なのだろう?
彼女が拘っているのはロイに関してだけど、僕とロイが友
達だというのは秘密だからばれていない筈。
だが態々呼び出すのだ。
ロイの件以外は考え付かない。
 ウェンリーが考え込んでいるうちに目的地へたどり着いて
しまった。
「中でお待ちです」
アルフレッドはそのまま立ち去ろうとする。
「一緒に入らないんですか?」
「今日はもう生徒会の仕事は終わりです。他のメンバーも帰宅しております」
つまり中には大貴族の我侭娘一人ということだ。
まいったなぁ、こんな時ロイがいてくれたらいいのだけど。
ウェンリーは盛大にため息をついた。
今、オスカーは先生に呼ばれて教員室に行っている。
内容は判りきっている。
現生徒会に手助けするよう先生に懇願されているのだ。
もちろんオスカーは拒否するだのだが時間がかかりそうだ
から今日は先に帰っていてくれと言われている。
しかしここで一人ため息を付いていても仕方ないのでウェンリーは勇気を出すと扉をノックした。
「入りなさい」
綺麗だが高慢な声が聞こえる。
中に入ると金髪を靡かせた美少女が座っていた。
 いや、美少女というのは語弊があるだろう。
14歳になったエルフリーデは女性の美しさと色香を漂わ
せている。
 これはどんなに無能でも周りがもてはやすのは無理も無い辛辣な事を考えてしまうウェンリーに美女は憎悪の視線を
向けた。
「ウェンリー フォン ルクレール・・・公爵家の子息とい
うには貧相な顔立ちをしているわね」
開口一番そう言われウェンリーは顔を引きつらせた。
「貧乏臭い黒髪だこと。目の色も品の無い黒ね、同じ黒でも
オスカーフォンロイエンタールの漆黒とは大違いだわ」
憎々しげにウェンリーを侮蔑してくる。
「成績も調べたわ。Cクラスでも中の下。DかEの方が良か
ったのではなくて」
美女ははっきりと敵意を示してくる。
「どれをとっても平凡、いえ愚鈍と言ったほうがお似合いよ
ね」
「何がおっしゃりたいのですか?」
一応相手は生徒会長だ。ウェンリーは丁重な言葉遣いで聞
いてみた。
「私と対等な口を聞こうなど思わないで、汚らわしい」
エルフリーデは顔を歪め言い放つ。
「私の顔や成績の事は生徒会長には関係ないでしょう。その
事で態々呼び出したのですか?用が無いのなら失礼します」
 背を向けて部屋を去ろうとしたが次の言葉に動きが止まる。
「用はあるわ。オスカーフォンロイエンタールの事よ」
「ロイエンタールが何か?確かに彼とは顔なじみですがその程度の知り合いです」
「しらばっくれても無駄よ」
エルフリーデはカツカツッと足音高くウェンリーに近寄っ
てきた。
「私は知っているのよ。あなたとロイエンタールの乱れた関係を」
「なにを・・・言っているのか判りません」
「しらを切らなくてもいいわ。見たのよ。理科室での貴方達を」
 その言葉にウェンリーは顔面蒼白になった。
「男同士で汚らわしい。私にはわかっているのよ。あなたが
オスカーを誑かしたのでしょう」
 近寄ってきたエルフリーデは般若の顔をしていた。
 自分でも気付かない嫉妬に狂った醜い表情
「どういう手でオスカーを篭絡したの?顔じゃないわね、体かしら?」
「オスカーとはそんな関係じゃない」
「そんな関係じゃない?ならどんな関係なの?教えてよ、ルクレール先輩」
「僕達は友達で・・・大切な親友だから」
「親友だなんて騙してオスカーを誑かしたのね」
「ちがうっ」
「何が違うの。私は見たのよ、理科室であなたがオスカーにしがみついて無理矢理キスをねだっている姿を」
 なんて汚らわしい。
「男の癖にオスカーに色目を使うなんて許せないわ」
 エルフリーデの憎悪は体から溢れ出しウェンリーを侵食していく。
「男妾っていうのでしょう。あなたみたいな存在の事を男妾と呼ぶそうよ」
 言葉は幾千万の針を持ちウェンリーの心に突き刺さる。
「オスカーはあなたなんて相手にしない。理科室でのことは興味本位の悪ふざけに決まっているわ」
 エルフリーデは声高に言いまくる。
「オスカーが男なんて好きになる訳ないわ。彼に似合うのは私のような大貴族の娘なのよ」
 その言葉でウェンリーは気付いてしまった。
 ああ、この子はロイの事が好きなのだと
「オスカーが私に冷たいのもあなたが裏で指図しているからでしょう。影で私の悪口を吹き込んでいるのね」
 もはや彼女は妄想と現実の区別がついていないのか。
 悪し様にウェンリーを罵る。
 もっともエルフリーデとてここまで言うつもりは無かったのだ。
 だがウェンリーの顔を見たら止まらなくなってしまった。
 この顔にオスカーは微笑みかける。
 この体をオスカーが抱きしめる。
 そしてこの耳にあの甘い声で囁くのだ。
 そう思うと怒りと嫉妬を抑えられない。
 彼女は何時の間にかロイエンタールをオスカーと呼んでいた。
 実際エルフリーデが彼を名前で呼んだことは無い。
 だが箍が外れた今、ずっとそう呼びたかったのだと言わんばかりにオスカーの名を連呼した。
「あなたがオスカーを地獄へ落としたのよ」
「僕達は友達です」
「友達がセックスをする訳ないじゃい」
 貴族の淑女とは思えない言葉だ。
「ああ。判ったわ、オスカーは性欲処理のためにあなたを抱いていたのね、それなら納得出来る」
「そんなんじゃないっ」
「なら何なの?男同士で愛し合っているとでも?同性愛は大罪よ」
「同性愛?」
 呆然とするウェンリーに気がついたエルフリーデは嫌な笑いを浮かべた。
「まさか意識していなかったとでも?同性愛は摂理に反する禁忌。貴方達がしていることは神への冒涜よ」
 エルフリーデは高慢に言い放った。
「オスカーから離れて。もしこれ以上彼に付きまとうようだったらこの事を公表するわ。そうしたらあなたは死罪よ」
「・・・オスカーも死罪にするのですか?」
「彼はあなたに誘惑されただけ。リヒテンラーデ家の力を甘く見ないで。ルクレール家など何時でも潰すことは出来るのだから」
 それだけ言い捨てるとエルフリーデは去っていった。
 一人残されたウェンリーは震える体を抱きしめ蹲った。
 まだ部屋には彼女の悪意が充満している。
 逃れたくとも逃げられない女の嫉妬で満ち溢れウェンリーは窒息しそうだった。

 間抜けな話だがウェンリーはエルフリーデに指摘されるまでオスカーとの関係を深く考えていなかった。
 触られるのは気持良いから、スキンシップの延長としか思っていなかった。
 もちろん他の男となど虫唾が走るが、オスカーは親友で彼の美しい指で弄られたり逞しい体に抱きしめられると幸せな気分になれたからその先にある意味から目を逸らしてきた。
 初めて精通した時からずっとオスカーと処理をしてきたからそれが異常だと気がつかなかった。
 否、気がつかないふりをしてきたのだ。
 鈍いウェンリーでももう15歳。
 マスターベーションの意味くらいは知っている。
 友人同士で慰めあうのは普通では無いがそう特殊で無い事も判っている。
 Cクラスの中でも掻きあっている者達はいる。
 女性が極端に少ない中等学校では黙認されていることも分かっている。
 自分達もそういう関係なのだと思っていた。
 だが、本当にそうなのだろうか?
 同性愛
 エルフリーデに指摘されるまで考えなかった。
 男同士で男女の様に愛し合う禁忌
「僕達は・・・親友で・・・この気持は友情だから愛情じゃない」
 帝国で同性愛は大罪である。
発覚すれば本人は死罪。
一族も白眼視される。
同性愛者を出した家は異常者を生み出した家系として勢力 
図から追い出される。
 恐怖のあまりウェンリーは声も出せなかった。
オスカーとの関係が罪などとは思いたくなかった。
一番大切な、誰よりも大切な友達を罪になど陥れたくなか
った。
 その晩、ウェンリーは眠れなかった。
 ベットの上で何度も寝返りをうちながら、何故か疼く体を
持て余す。
オスカーの事を思い出す度に罪を自覚する。
エルフリーデに弾劾されてウェンリーは気付いてしまった
のだ。
自分が親友に欲情していることを。


 翌日、生徒会長はあまりにも無意味で我侭な命令を出し皆
を驚かせた。
彼女は使用頻度の低い教室を強制的に閉鎖したのだ。
リヒテンラーデの姪に学校側は逆らえずこの馬鹿げた指示
通りに幾つかの教室を使用禁止にした。
その中には理科室も含まれていた。

 緑が豊かに生い茂り蝉の鳴き声が聞こえる。
帝国は本格的な夏に突入した。
学生達の待ちわびていた季節。
 夏休み ロングバケーションである。
ほとんどの生徒はバカンスに出かけ首都は人が少なくなる。
ウェンリーは勉強と称して帝国図書館に通った。
そこには親友の姿もある。
人目を気にせず一緒にいられるこの時期は毎年二人にとって楽しみであった。
バカンスに出かけず帝国図書館で毎日を過ごす。
どこへ旅行に行くよりも至福な二人だけの休暇。
だが、今年は何時もと空気が違う。
「愚かだと分かっていたが本当に狂っているな。あの女は」
重厚な帝国図書館の片隅。
歴史書を読むウェンリーの横でオスカーは文句を言っている。
夏休みに入る直前エルフリーデが発した命令にまだ憤慨し
ているのだ。
それは純粋な怒りというには少々邪まなものも含まれてい
る。
二人の密会の場所、理科室を使えなくなったからだ。
オスカーは苛立ちを隠そうともしなかった。
何時もの夏休みなら、帝国図書館で過ごした後学校に潜り
込み理科室で甘い時間を過ごす。
だが今年は鍵がかけられていて忍び込むことが出来ない。閉鎖されてからウェンリーの体に触れていない。
若いオスカーは欲求不満で苛々していた。
隣のウェンリーはオスカーの不満がひしひしと伝わってき
て小さくため息をついた。
生徒会室での出来事から一週間。
ウェンリーにとって幸いだったのは直ぐに夏休みに入った
事だった。
エルフリーデへの返答を先延ばしに出来る。
だが夏休みが終われば・・・
彼女は自分達が一緒にいることを許さないだろう。
 答えは出ている。
オスカーから離れなければいけない。
彼女が付け入る隙を与えてはいけない。
分かっているのに心が痛む。
ウェンリーはエルフリーデの事をオスカーに話さなかった。
絶対に話したくなかった。
絶世の美女がオスカーを愛しているなどと言いたく無い。
オスカーは彼女を毛嫌いしているがもし彼女の憎まれ口が
愛ゆえだと知ったらどうするだろうか?
 彼女を好きになるだろうか?
 それは無いっと言い切れない自分がいる。
オスカーは人に関心が無いのに彼女にだけは拘っていた。
 それが怒りであったとしてもあそこまでオスカーの心を惹
く人間は今までいなかった。
彼女が怖い。
女の嫉妬の恐ろしさは生徒会室で思い知った。
それよりも、もし彼女が美貌と肉体を使いオスカーに迫っ
たらどうなるのか?
 ウェンリーは自分に自信が無い。
自分は男でエルフリーデは女だ。
オスカーが同性愛者で無い事は親友である自分が一番よく
知っている。
ウェンリーに固執しているのは初めての友達だから。
他に友人を作らないのは昔のトラウマからだという事は
分かっている。
 触りあう行為も子供時代与えられなかったスキンシップを
求めているだけ。
雛が親を恋しがるように、オスカーの愛情は単なる摺り込
みでしかない。
 考え込んでいるウェンリーの髪にオスカーの指が絡んでき
た。
「何を考えている?難しい顔をしていたぞ」
「何でもないよ」
ウェンリーは首を振ってその指から離れた。
さりげなく避けられた事が不満らしくオスカーの指が宙を彷徨う。
「ここでそういう事をするのは止めよう。人目に付くから」
「・・・どこでならいいんだ?理科室は閉鎖されてしまった」
「オスカー、そういう話はしないでくれ」
「ロイだろう、ヤン」
「オスカーっ」
「ロイと呼んでくれ。もう一週間もそう呼ばれていない」
「・・・ロイ」
 オスカーは再度指をウェンリーの黒髪に絡めてきた。
「もう一週間も触れていない。限界だ」
「・・・でも理科室は閉鎖されているし、無理だよ」
「俺の家に来ないか?」
「それは駄目だよ、人目があるから」
「最近ヤンはやけに人目を気にするな。そんなに俺と一緒にいるところを見られるのが嫌なのか?」
「おじいさまとおばあさまに禁止されているから」
「ロイエンタールの子供と付き合うなと?呪いが移るからか、馬鹿らしい」
「おじいさま達はそう信じているんだ」
「旧時代の化石だな」
「・・・僕の身内の悪口を言わないでくれ。ロイ」
オスカーは乱暴な動作で立ち上がった。
ガタンッと椅子が鳴り周囲が眉を潜める。
「そんなに老人の言いつけが大切か?俺よりも」
「比べる事柄じゃないよ、それより座って。立ったままだと
目立つから」
「どうしてそんなに人目を気にする?俺がヘテロクロミアだ
からか?」
「ロイ、静かにして」
「もういいっ」
癇癪を起こしてオスカーは席を離れた。
一人残されたウェンリーはため息を付くしかない。
窓の外を覗くと苛ただしげにオスカーが帰っていくのが見えた。
喧嘩などしたくないのに、
この数日、会えば口論となってしまう。
「ロイ、ごめん」
切なくてウェンリーはそっと瞼を閉じる。
一人帰っていくオスカーを見るのが辛かったから。


 家に帰るとオスカーは部屋に閉じこもった。
 召使も休暇に出ている者が多い。
 館の中は静まり返っている。
「ちくしょう、ヤンの奴」
 愛しい親友が見た目と違い強情な事はよく知っている。
 急に人目を気にするようになってオスカーとの接触を嫌が
るようになった。
 口付けを交わすどころか肩に触れるのさえ避けられる。
「ヤン、どうして・・・」
 オスカーは苦々しげに呟きながら前を寛げた。
 今日もウェンリーに触れなかったそこは熱を持って腫れて
いる。
 愛しい顔を思い出しながら前後にしごくとすぐに元気に反
り返った。
 今日はどうしてもしたかったのに。
 図書館に言った後、館に連れ込む計画を練っていた。
 だがウェンリーに拒絶され、ショックのあまり一人で帰っ
てきてしまったのだ。
 嫌がられたくらいで拗ねるなんて子供の様だ。
 自己嫌悪に陥るが手の動きは止められない。
「ヤンっふぅっヤンッ」
 頭の中でウェンリーの裸体を妄想する。
 お互いに触りあい扱きあう。
 そしてオスカーはウェンリーを組み敷く。
 大きく足を開かせ奥にある蕾に己のペニスをくっつける。
 ウェンリーは気持よさそうに腰を振っている。
 引き込むような動きに誘われ中へ推し進める。
 全部納めると激しく腰を動かす。
 ウェンリーは嫌がらない。
喜んで涙を流しながらロイっと甘い声で呼んでくる。
愛している、ロイ
ウェンリーはオスカーに愛を囁く。
「うっうぅっヤンッ俺も」
妄想の中で親友の体内に激しく射精した。
「・・・むなしい」
自慰で汚れた手をティッシュで拭いながらオスカーはため
息をついた。

 自分が限界なのは分かっていたがそれでも3日オスカー
は我慢した。
 だが夏休みに入って10日目、
とうとう己の手だけでは辛抱出来なくなりオスカーは貯め
ていたお小遣いに手を付けた。
 何時ものように図書館で過ごした後、帰り道でオスカーは
ウェンリーを誘う。
「まだ時間はあるだろう、少し寄っていかないか」
「どこに?」
「ついてくれば分かる」
オスカーは興奮する鼓動を抑えてウェンリーの手を引っ張
った。
連れて行かれたのは市民が使う安い宿
 簡素なホテルに入り一番安い部屋を取ろうとする。
「ロイッこんなところに部屋を取ってどうするつもり?」
オスカーの意図を察したウェンリーは頬を染めて抗議した。
「もう限界なんだ。頼むから一緒に来てくれ」
「でも、お金無いし」
「俺が用意した」
「でも・・・誰かに見られたら」
「こんなホテル、貴族の連中は誰も来ない」
 嫌がるウェンリーだがオスカーは強引だ。
「ほら、こんなところでもめるとフロントが変に思うぞ、と
にかく部屋に入ろう」
オスカーは2時間休憩分の金を払うとウェンリーの腕を掴
んで部屋に入った。
そこはシングルにしてはやけに大きいベットとバスルーム
があるだけの質素な部屋だった。
帝国にラブホテルは無い。
だがそれを必要とする人間はどの時代にも存在するわけで、
普通のホテルを装い存在している。
オスカーが選んだのは連れ込み宿だったのだ。
「ここなら二人きりだ。ヤン」
部屋に入るなりオスカーは抱きついてきた。
「ロイッいきなりっ」
「話は後だ、ヤンも溜まっていただろう、すぐ抜いてやる」
ベットに押し倒されて手早く服を脱がされる。
「ロイッ嫌だったら、ロイッあっ」
「ヤンの体は嫌だといっていないぞ」
股間に顔を寄せてオスカーは嬉しそうに囁いた。
そう、オスカーの言うとおりだ。
嫌がっているにも関わらずウェンリーのそれはもう立ち上
がっていたのだ。
 真っ赤になって前を隠そうとするが許されない。
隠すより早くオスカーの舌が絡み付いてくる。
「あっああぁっんっロイッ」
「可愛い、ヤン、とても可愛い」
 ぴちゃぴちゃと水音が響く。
「ああぁっんっんんっああぁーっ」
呆気なくウェンリーは弾けてしまった。
「久しぶりだったから濃いな。ヤンの味がする」
ごくりっと全て飲み干してオスカーはいそいそと服を脱ぎ
だした。
 男でも見惚れる均整な体があらわになる。
その下肢はオスカーのジレンマを表すかのごとく堂々と聳
え立っている。
「ヤン、腰を上げて、そうだ」
オスカーは背後から覆いかぶさってきた。
手を使わずそれをウェンリーの足の間に挟みこむ。
「うぅっ気持ちいいぞ、ヤン」
太股に挟み前後に腰を揺らす。
「はあぁっふぅっヤン、ヤンッ」
ほどなくしてウェンリーの腿の間でオスカーは果てた。
 だがまだ足りないらしい。
名残を惜しむかのように萎えたそれを太股や足の付け根、
尻に押し付けてくる。
 先端を蕾に押し付けて揺すったりしてくる。
「ロイッそれいや、いや」
「ここも性感帯なんだ、ここを弄るととても気持ちいいらしいぞ」
オスカーの声は興奮のため上ずっている。
「いやだよっやだってば」
「ああ、でもとても小さいし狭そうだ」
「ロイッ」
 顔を近づけ、尻を両手で掴み広げてくる。
 何時も隠れている蕾をあらわにされヤンは抗議の声を上げ
たが無視された。
「この奥に前立腺というのがあるんだ。そこを触るとどんな男でも射精してしまうと聞いた」
 言葉と同時にぬるりとした何かが入り込んできた。
「やだっちょっとロイっ汚いっそんなとこ舐めたらっ」
「汚くなんて無い。ヤンのは可愛い」
ぺちゃぺちゃと味わうように舐められる。
舌が奥をえぐってくる。
「やぁっやめてっやだぁ」
 尻を掴んでいた指が唾液で滑るそこに差し込まれる。
「いたっ痛いよっロイッ痛いっ」
「大丈夫、すぐ痛くなくなる」
はあはあっと荒い息でオスカーは答える。
指は狭い内壁を掻きまわし、ウェンリーは体を強張らせた。
体の中に異物が入っている違和感で動けない。
オスカーの長い中指は何かを探すように奥で蠢く。
その時であった。
「ああーっはあぁっあっあっ」
ある一点に指が触れた瞬間ウェンリーの体は跳ね上がる。
ぶるぶると震え病気のように戦慄いている。
先ほど射精して萎えた前が勢いよく立ち上がる。
「ここか、ヤンの良い所は」
 嬉しそうな声と共に指はそのポイントを突いてきた。
「ああっ漏れる、漏れちゃうっ」
壮絶な快感だった。
口でされるのとも手でイかされるのとも違う。
快感とは無縁の場所なのに確かにウェンリーは感じている。
「駄目、ロイッそこだめぇ」
数度指の腹で触っただけなのにウェンリーは激しく身震いして精液をほとぼらせた。
ぴしゃりっ勢いを示すかのようにミルクが毛布に染みをつ
くる。
「すごく可愛かったぞ、ヤン 中だけでイッたんだな」
はあはあと息を乱しベットに倒れこんだウェンリーを背後
から抱きしめてオスカーは囁いた。
「俺も、ヤンを見ていたらまた立ってしまった」
蕾に固いものが押し付けられる。
先ほど放ったのに今にも射精しそうな位高ぶっている。
「ここに・・・入れたい」
小さい声でオスカーは許しを請う。
「指よりも気持いいぞっヤン、いいか?いいだろう?」
「いやっやだっ絶対やだっ」
 ウェンリーは我武者羅に首を振った。
駄目だ、それだけはいけない。
それを入れたら本当にセックスになってしまう。
男同士のマスターベーション、友情の延長で無くなってし
まう。
 熱い高ぶりがウェンリーの蕾を彷徨っている。
入れたくて堪らないのがよく分かる。
押し付けたり擦り付けたりするそれは我慢汁でべとべとに
濡れている。
 でも許したらいけない。
それをしたらホモになってしまう
「絶対やだっもし入れたら絶交だよっ」
怯えを含んだ声でウェンリーは拒絶した。
「絶交・・・どうしても駄目か?」
「したら絶交する、本気だ」
「絶交・・・・ヤンは言い出したら頑固だからな」
オスカーは固まってしまったらしい。
数刻真剣に悩んでいる。
入れたい。入れて掻き回して自分の雄でヤンを啼かせたい。
男としての欲望がそう叫んでいる。
だが、ヤンが絶交を言い出したら半月は許してくれない。
夏休みを喧嘩で過ごすのは嫌だった。
「分かった・・・入れない」
苦渋の判断を下しオスカーは苦しそうに呻いた。
 良かった、と胸を撫で下ろしたが次の言葉にウェンリーは
固まってしまう。
「全部入れない、だから先端だけならいいだろう」
「ちょっロイッああぁっ」
「先っぽだけだ、ちょっとだけだから」
「ああっやだっ広がるっあそこが広がっちゃう」
「ううっヤンっヤンっ」
 二人の甘い声は部屋中に響き渡った。

疲れ眠ってしまったウェンリーを抱きしめオスカーはベッ
トでまどろんでいた。
ベットサイドにある電話が2時間過ぎた事を知らせてくる。
1時間延長を告げ電話を切った。
ウェンリーは満足しきった猫の様に眠りこけている。
その姿をずっと見ていたい。
オスカーは緩みっぱなしの顔でそっとキスをした。 
連れ込み宿でも一番安い部屋。
壁はところどころはげかかっているしベットのスプリング
も悪い。
 だがオスカーにとっては最高の部屋だった。
 理科室とは違い裸になって抱き合うことが出来る。
 ウェンリーの足を思い切り開かせることも出来るし色々なポーズを取らせる事も出来る。
 情事の後、こうして抱き合っていることも可能だ。
 どれも理科室では無理だった事ばかり。
 夢に見ていた事を一気に出来てオスカーは満足していた。
 本当ならばもっと良い部屋を取りたかった。
 だがオスカーの小遣いは少ない。
 ロイエンタールの父は子供を毛嫌いしているから小遣いなど普段は与えてくれない。
 誕生日や年初めの祝日に貰うそれをずっと貯めていたのだ。
 貯めていたというより欲しい物が無かったから自然に貯金していただけなのだが。
 15年分にしては少ないが一番安い部屋なら夏休みの間くらいは借りることが出来る。
 無理をすればもうワンランク上の部屋を取れたがそうすると今のように延長出来なくなる。
 部屋は貧しくとも少しでも長い時間を過ごせる方を選んだ。
「将来、俺が働くようになったらもっと良い部屋にしてやるから」
 今はここで我慢してくれ。
 熟睡しているウェンリーにそう囁くとオスカーは何度もキスをした。
 


 一つのホテルだけを頻繁に使うと目立つからそのつどホテルを変えた。
 ウェンリーは知らなかったが裏道に入ればいくらでもその手のホテルは存在している。
 フロントは男同士でも気にも留めなかった。
金さえ払ってくれれば男同士でも客は客。
一々気にしていられない、
これもウェンリーは知らない事だが帝国でも同性愛者は存
在している。
さすがに貴族はおおっぴらにしていないが市民で同性同士
のカップルは案外多かった。
原因は戦争にある。
同盟との長きに渡る戦争で年頃の男の絶対数が不足してい
るのだ。
残された女性達が擬似恋愛に陥るのも無理は無い。
そして駆り出された男達は戦場という異質な空間、男だけ
という閉鎖的な場所で同性に走る者も多かった。
ある意味帝国は末期的な状況だったのだ。
500年続くゴールデンバウム王朝に社会は退廃し裏では
ドラッグや犯罪も多発している。
現実を見もしないのは貴族のみ
平民はこの時代に絶望し刹那的な行動に出る者ばかり。
 その一つが同性愛でありホテルのフロントは今更男同士で
も驚いたりなどしなかった。


 今日もまた、ウェンリーは疲れきって行為の後寝入ってし
まった。
 疲れてというよりも気絶してと言うほうが正しい。
ホテルを取るようになってからオスカーの行為は激しさを
増した。
 どれだけ嫌がっても許してくれず気を失うまで抱かれる。
蕾のみを弄り何度も射精させる。
イきそうになるウェンリーのそれを指で戒め啼きよがるま
で離さない時もあった。
どうしてなのかオスカーには分かっていた。
歯止めが効かないのだ。
今までの理科室と違いここはホテルの一室。
何をしても大丈夫。
誰も入ってこない。
その安心感からか無理を強いてしまう。
特に蕾を弄ると全身で感じるからかウェンリーは体力を消
耗してしまう。
ふらふらになっているウェンリーを可哀想だと思うが反対
に喜びも感じる。
何時か、ここでウェンリーはオスカーを受け入れるのだと
思うと愛撫も念入りになってしまう。
一時間延長は二時間に増えた。
抱いても抱いても抱き足りないのは本当の意味でセック
スをしていないからだろう。
ウェンリーの全てをまだ手に入れていないから焦ってい
るのだ。
 そう分析するとオスカーは苦笑しながら眠るヤンに口付け
た。
「何時かこの悩みも笑い話になるな」
 将来、何年も後このホテルでの事は思い出になる。
あの時のロイはすごくがっついていたよね、とウェンリー
は笑ってくれるだろう。
きっとその時は身も心も結ばれて幸せに暮らしている。
二人で暮らす家を思い描きながらオスカーはウェンリーを
抱きしめた。
 今とてもオスカーは幸せだった。
この幸福は永遠に続くと信じて疑わなかった。

 正直に言うと夏休みに入った時、ウェンリーはもうオスカ
―との行為は終わらせるつもりだった。
理科室が使えなくなったのを幸いに自然に距離を置くつも
りだった。
 普通の友達に戻る。
もう触りあったりしない。
そう決めていたのに流されてしまった。
ホテルに連れ込もうとするオスカーに抗った事もある。
だがオスカーは強硬であった。
「一緒に入ってくれないならここで大声を出すからな」
子供じみた脅迫までしてくる。
「目立ちたくないんだろう、人目に付くのが嫌なんだろう、
だから早く入ろう」
入ってしまえば拒めない。
オスカーのテクニックは年々レベルを上げている。
もうウェンリーの体の隅々まで知っている。
どこを触れば感じるのか分かっている相手を拒むのは難し
かった。
それでも真剣に拒めばオスカーとて無理強いはしないだろう。
ウェンリーが本当に嫌がることをオスカーは絶対にしない。
拒めなかった理由は自分にもある。
ウェンリーは自己嫌悪に陥っていた。
オスカーの優しい愛撫を、抱きしめてくる手を、甘い睦言
を手放したくなかったのだ。
でも表面的には流されているふりをする。
オスカーに懇願されたから仕方なくというポーズを取って
いる。
 何時まで続くのだろう。
考えると恐ろしくなった。
最近オスカーはウェンリーに入れたがる。
毎回後ろを念入りにほぐす。
指は一本から三本にまで増えた。
長い指をばらばらに動かし内壁を弄られる。
それに慣れてしまった。
前の刺激だけでは物足りなくなるくらいに。
でも入れる事だけは許していない。
最後の砦とばかりにウェンリーは拒絶した。
「どうしてそんなに拒む。俺が嫌なのか?」
悲しそうな瞳で問いかけられるのが辛い。
「ヤンに入れたい。一つになりたい」
ホテルで会うようになって一ヶ月も過ぎるとオスカーはそこに何時もペニスを擦りつける様になった。
時々先端を入れられる。
 少し含ませて幹は己の手で扱きたてる。
「ヤンっ早く俺に許しをくれ、出ないと限界だ」
全部入れたいのに我慢しているオスカー。
ウェンリーのために欲望を抑えている。
それでもある日、我慢出来なくて勢い半分まで入れてしま
った事がある。
「ヤン、このままいいか?いいだろうっ」
「やっ駄目っだめだったら」
 ウェンリーは腰を振って逃れると尻を隠すようにオスカー
と向き合った。
「ヤンは酷い、残酷だ」
 後もうちょっとだったのに、しょげかえっているオスカー
が可哀想でウェンリーは口を寄せた。
「入れるのは駄目だけど・・・その・・・口でならいいよ」
 何時もしてもらっているがウェンリーからフェラチオをし
たことは無い。
 こんな小さい口に俺のは入らないからな、などと冗談めか
していたが本当はとてもしてもらいたがっていたのを知って
いる。
 だからウェンリーは後ろを許して上げられないお詫びを込
めて唇を近づけた。
「ヤッヤンッいいのか?」
 うわずった声が聞こえる。
目の前の雄はウェンリーの言葉に煽られたのかタラタラ
とカウパー液を漏らしている。
 筋が浮き出して少しグロテスクなそれ、躊躇いはあったが
ウェンリーは口に含んだ。
 苦い、それにまずい。
 でもオスカーの物だと思うと我慢出来る。
「大きい、全部は含めないね」
 先端を吸いながら舌でちろちろと割れ目を舐めた。
「うっううっヤン」
 感じ入ったオスカーの声がする。
 自分が感じさせているのだと思うと嬉しくてウェンリーは
舌を激しく使った。
 筋を丹念に舐めカリを甘噛する。
 手は袋を揉みしだき付け根を爪で弄った。
「うっ上手だな、ヤン、どこで覚えた?」
「何時もロイがしてくれていることだよ」
 ぺちゃぺちゃと猫のように滴ってきた先走りのミルクを舐める。
「いいぞっヤン、もっと、そこを舐めてくれ」
 荒い息で命令される。
 髪を捕まれ顔をそこへ押し付けられた。
「ヤンッヤンッもっとだ、舌を動かして」
オスカーはピストン運動を繰り返しウェンリーの喉を突い
て来る。
「あっはあぁっあっ」
声を出すことも出来ない。
大きく頬張った口元から唾液と精液が混じりあった雫が零
れ落ちる。
「ヤン、出すぞ、全部飲んでくれ」
腰の動きが小刻みになる。
オスカーは激しく胴奮いするとウェンリーの口内で激しく
射精した。
 飲みきれなかった蜜が口元から溢れ出る。
 はあはあっと荒い息をつきながらオスカーは優しくウェン
リーの黒髪を撫でた。
「すごく良かった。ヤン」
抱きしめられながらウェンリーは己の変化に気がついた。
下肢がべたべたに濡れている。
オスカーも当然気がついて幸せそうに微笑んだ、
「俺のを舐めてイッてしまったのか、感じてくれたんだな、
ヤン」
 口についた精液も気にせずオスカーはウェンリーに濃厚なキスを仕掛けてきた。
 触られてもいないのにイッてしまったショックで動けない
ウェンリーに長い時間キスを繰り返した。


 災いは唐突に訪れる。
予告も無しに突然に。
館に戻ったウェンリーは執事に告げられた。
「ウェンリー様宛にお客様がいらっしゃっています」
 誰だろう、館にまで訪ねてくる親しい友人などウェンリー
にはいない。
不審に思いながら応接室まで来たウェンリーは目が飛び出
るかと思うくらい驚いた。
そこに座っていたのは生徒会長。
エルフリーデ フォン コールラウシュだったのだ。
何故彼女がここにいるのか?
 そして何故祖父母とお茶を飲んでいるのか?
「おおっウェンリー、帰ったのか」
「素敵なお嬢様がお待ちかねよ」
祖父母の声は興奮でうわずっている。
当然だ。リヒテンラーデ候の姪などという高位の子女が孫
を訪ねているのだから。
「こんな美しいガールフレンドがいるなんて知らなかったわ」
「ウェンリーも隅におけんな」
はははっほほほっと笑いあう祖父母とエルフリーデが怖い。
 呆然と立ち竦んでいるウェンリーの様子に気がまわした祖
父母が立ち上がる。
「わしらがいると話も出来ないだろう。さあ、ここは若い者
に任せて失礼しよう」
「ゆっくりしていってね、もしよかったらディナーもご一緒
してね」
 祖父母はそう言うと部屋を出て行った。
残された部屋には沈黙が落ちる。
立ったまま動けないウェンリーにエルフリーデは偽物の笑
顔を向けた。
「素敵な方達ね。優しくって純朴」
「何をしに来たんですか?」
「あの人達は知っているのかしら?あなたとオスカーの乱れ
た関係を」
 エルフリーデは悪意に彩られた笑みを浮かべる。
「知る訳無いわよね。孫が男妾だなんて想像もしていない」
「それを言いにきたんですか?わざわざ」
 二人の視線が交差する。
憎悪に満ち溢れたエルフリーデの視線が真っ直ぐにウェン
リーを貫く。
耐え切れず逸らしたのはウェンリーの方であった。
「アルフレッドが見たそうよ、貴方達が帝国図書館で会って
いるのを」
「図書館も閉鎖しますか?」
 いくらリヒテンラーデの力が強大でもそれは無理だろう。
「オスカーは図書館などに入り浸っているから私の誘いも断
ったのね。あなたが仕組んだのでしょう」
エルフリーデはサマーパーティーの招待状をオスカーに送
ったのだ。
 返事は無かった。
無視されたのだ。
怒り心頭のところでサマーパーティーに出席したアルフレ
ッドから聞いたのだ。
帝国図書館でオスカーフォンロイエンタールを見かけたと。
 一人だったかと問い詰めたら黒髪の少年と一緒だったと答
えられエルフリーデは癇癪を起こした。
楽しい筈のサマーパーティーは散々なものだった。
急に不機嫌になった彼女のご機嫌をとる取り巻き。
それが更にエルフリーデの苛立ちを煽る。
結局微妙な雰囲気でサマーパーティーは終わった。
「それもこれも全部あなたのせいよ。ウェンリー フォン 
ルクレール。あなたが私の悪口を吹き込むからオスカーが
私を避けるんだわ」
「悪口など言っていません。断ったのはオスカーの意思でし
ょう」
 オスカーに招待状があったことをウェンリーは知らなかっ
たが想像はつく。
封も破らずゴミ箱に直行したのだろう。
「そんな事を言いに来たのですか?ならお引取りください」
「私にそういう態度を取っていいと思っているの?」
「確かにフロイラインは生徒会長で学校では権力を持ってい
ます。貴族社会でも影響力のある叔父様がいるらしいけれど、
ここは学校でも宮廷でもありません」
「生意気を言わないでっ」
 エルフリーデは傲慢に言い放つ。
「私ね、叔父様にお願いしたの。オスカーを取り巻きに加え
たいと。とても才能のある若者だと言ったら叔父様も了解し
てくれたわ」
 彼女は何を言っているのだろう?
「叔父様の方からロイエンタール候にお願いしてくれるそう
よ。リヒテンラーデ家で来週行なわれる舞踊会に親子で出席
してくれるわ」
 驚いて言葉も出ないウェンリーにエルフリーデは勝ち誇っ
た笑みを浮かべる。
「リヒテンラーデ家を見ればオスカーも今まで私に行なった
数々の無礼を後悔するでしょう」
 その場面を想像してエルフリーデはうっとりと微笑む。
「将来は結婚してあげてもいいわ。オスカーの卒業と同時に
婚約出来る様叔父様に頼むつもり」
「自分が・・・何をしているのか分かっているのですか?」
 ウェンリーには信じられなかった。
 自分を好きでもない男を振り向かせるため権力を利用する
など想像もつかなかった。
「分かっているわ。今はあなたみたいな男妾に惑わされてい
るけれど私の事をちゃんと知ればオスカーは私を愛する筈。
だって私はこんなに美しいしリヒテンラーデ家の一族なので
すもの」
 あなたには何が出来るの?
 エルフリーデが初めてウェンリーに問いかける。
「私は彼に全てを用意出来るわ。権力と美しい妻。あなた
は?あなたに出来ることといったらオスカーを同性愛という
大罪に巻き込むことだけ」
 絶句しているウェンリーに彼女は冷たい微笑を向ける。
 大貴族の子女らしい洗練された偽物の笑み。
「これ以上オスカーに近づかないで。あなたはオスカーの未
来を駄目にする」
 もし彼に付きまとうならルクレール家は潰してみせるわ。
 オスカーが私を愛さないならロイエンタール家も一緒に。
 彼女はそれだけ言うと帰っていった。
 祖父母は彼女を晩餐へ誘ったが丁重に断られた。

「ウェンリーにあんな綺麗な友達がいたなんて驚いたよ」
 彼女が帰ると祖父母はいそいそとウェンリーのところへや
ってきた。
「何の用事だったの?態々フロイラインが来てくださるなん
て余程の事ね」
 祖父母ははしゃいでいる。
 孫に美しいガールフレンドが出来たことが嬉しくて仕方な
いらしい。
 彼女がリヒテンラーデ候の姪というのも拍車をかけている。
 悪い人達では無いが芯まで帝国貴族の慣習で染まっている
のだ。
 返事を濁すウェンリーに祖父はうんうんと頷いた。
「ウェンリーも年頃じゃからな。わしらに話しにくいことも
あるじゃろう」
「ロバートもそうでしたわ。秘密主義でデートしたことも悟
らせない子でしたよね」
 今は遠くはなれて暮らす子の事を思い出したらしい。
 ウェンリーはもうエルフリーデの話を打ち切りたくて急い
で相槌を打った。
「ロバート叔父様はお元気なのでしょうね。今年も訪ねてい
かれるのですか?」
「ああ、例年通り今週末から一週間。留守を頼むよウェンリ
ー」
「ウェンリーも来れればいいのだけど」
 祖母の言葉にウェンリーは苦笑を返した。
 祖父母の子でありウェンリーの叔父であるロバート。
 彼は戸籍上ウェンリーの父となっている。
 だが本当はウェンリーは同盟人とカトリーヌの息子であり、
ロバートはそれを嫌っているのだ。
 首都とは離れたルクレールの領地で暮らすロバートの所へ
祖父母は頻繁に顔を出しているがウェンリーは行った事が無
い。
 それを寂しいと思う程ウェンリーは子供では無かった。
 三人のロバートの子供達は両親と過ごすことが出来て
羨ましいとは思っていたが・・・
 それよりも今はエルフリーデの事で頭がいっぱいだった。

 翌日からウェンリーは図書館にいかなかった。
 夏風邪をひいた。とオスカーには電話で伝えてある。
 受話器越しにオスカーは盛大に心配してくれたが見舞は辞
退する。
 祖父母はオスカーを嫌っているのだ。
嫌っているというより呪いを気味悪がっている。
古い人間なのだ。
オスカーはごねていたが諦めてくれた。
一日も早く回復するよう祈っていると言われた。
神など爪の先ほども信じていないくせに、とウェンリーは
笑ってしまう。
笑いながら涙がこぼれた。
嘘をついている罪悪感のためか、将来に対する不安なのか
涙は止まらなかった。
 終末、祖父母は叔父のところへ保養に出て行った。
向こうの3人の孫に会うのをとても楽しみにしていてお土
産をたくさん買いこんで旅立った。
ルクレールの館は途端に静かになる。
 執事と何人かの召使は主人の旅行に同行していった。
残されたのはウェンリーの世話を見る料理係と数人の従事。
 夏季休暇の真っ只中だから帰省している召使も多い。
静かな館で一人、ウェンリーは本を読んで過ごした。
大好きな歴史書を読み漁るがその内容はちっとも頭に入っ
てこない。
 考えてしまうのはオスカーの事。
夏風邪が長引いたといって会っていない。
この前エルフリーデに言われた事が頭を駆け巡る。
ずっと見ない振りをしてきた事を突きつけられた。
もう逃げるわけにはいかない。
真剣に考えなければ。
これからの事を。
オスカーと自分の事を。
後半年で卒業を迎える。
それからどうなるのだろう?
 自分は軍事学校になど行くつもりは無い。
彼はどうするだろう?
 その先は?
 将来オスカーはロイエンタール家を継がなければならない。
 そして妻を娶るのか?
 子供を作らなければロイエンタール家は断絶する。
 リヒテンラーデ候から縁談を持ちかけられたら断れない。
 それは恐怖にも似た想像だった。
 もし本当にエルフリーデとオスカーが結婚したら自分はど
うなるだろう?
 捨てられるのか?
 それとも愛人として囲われるのか?
 嫌な想像だった。
 自分が何も出来ない屑のような気分になる。
 男相手に男が捨てられるとか愛人とか考えてしまう事に
吐き気がする。
 もっと自分は強い人間の筈なのに彼が絡むと臆病になる。
「友達のままだったら良かったのに」
 幼い頃のまま、親友でいられたらエルフリーデの事も祝
福出来ただろう。
 彼の将来を邪魔することなく一緒にいられただろう。
 こんな辛い嫉妬に苦しむことは無かっただろう。
「戻りたい、あの頃に」
 ウェンリーの漏らした呟きは誰にも聞かれること無く闇に
落ちていった。


 その日の晩は妙に風がざわめいていた。
 空気がどんよりとしめり絡んでくる。
 帝国の気候特有の嵐がやってくるのだ。
 夏の熱い空気が上空に溜まり低気圧を呼び起こす。
 ハリケーン並みの暴風雨になることもしばしばあった。
 嵐は地域によって甚大な被害をもたらす時もある。
 遠くで落雷の音を聞きながらウェンリーは召使に戸締りの
指示をすると部屋に戻った。
 しばらくすると激しい雨音が聞こえてくる。
 窓ガラスを叩く雨粒。
 眠りを妨げる程の大音響だ。
 ドォンッというすさまじい音が聞こえる。
 どこかに雷が落ちたのだろう。
 ウェンリーは床から抜け出し確認しようと窓を覗いて悲鳴
を上げた。
 窓の外、ルクレールの中庭にオスカーが立っていたのだ。
 傘もささずびしょぬれになって立ち竦んでいる。
「ロイッ」
 ウェンリーは部屋を飛び出し階段を駆け下りた。
 サンテラスの窓から庭に出ると激しい横殴りの雨が襲って
くる。
 構わず駆け寄るとずぶぬれのオスカーに抱きしめられた。
「ヤンッヤンッ」
 まるで子供のようにしがみついてくる。
「ロイッ落ち着いて、とにかく中に入ろう。このままじゃ風
邪をひいてしまうよ」
 それを聞いた瞬間オスカーは慌ててウェンリーを離した。
「すまない、ヤンは夏風邪をひいているのに、あぁ、早く体
を拭かないと」
 自分の方がずぶぬれなのにウェンリーの心配をしてくるオ
スカーを引っ張って館に戻る。
「これタオルッそれから着替えを用意しないと、僕の服はロ
イには小さすぎるし・・・どうしよう」
 部屋に連れ込むとウェンリーはばたばたとクローゼットを
漁りだした。
「とにかく服を脱いで、ああっ体が冷え切っているよ。ベッ
トで待っていて。今着替えを探すから」
 結構物音を立ててしまったが嵐がうるさいせいか召使が誰
も起きてこないのが救いだ。
「こんな酷い晩に傘もささずに何をしているんだっ病気に
なりたいのか?」
 ぶつぶつ文句を言いながらクローゼットを引っ掻き回して
いるウェンリーだ。
 オスカーは黙って服を脱ぐと毛布に潜り込んだ。
「暖かい」
「当たり前だよ。僕がさっきまで寝ていたんだから」
「ヤンのぬくもりがする」
 枕に顔を擦り付けている。
「何変なこと言っているんだっ」
「ヤンの匂いもする」
 くんくんっと犬のように匂いを嗅いでいる。
「いい匂いだ」
「ロイッ僕の部屋で変な事言わないでくれ」
 怒った声を出すがオスカーは全然気にしない。
「ヤンの部屋に入ったのは初めてだな」
「そういえばそうだね、お互いの館を行き来しないから」
「ここでヤンは暮らしているのか」
 部屋をぐるりっと見渡されウェンリーは急に恥ずかしくな
った。 
「ここに来てくれ。ヤンの体も冷え切っているだろう」
 ベットの上でオスカーが手を広げる。
「止めてくれ。ここは僕の部屋だ。ここでそういう事は絶対
したくないよ」
 拒絶するとオスカーは寂しそうな瞳を向けてくる。
 何時ものオスカーと雰囲気が違う
 酷く疲れていて気落ちしている。
「何か・・・あったの?ロイ」
「・・・あぁ」
 力無い声で返事をしてくる。
「何が?・・・あったんだ?」
 声が震えるのを押し殺してウェンリーは訪ねた。
「昨日、リヒテンラーデ候の舞踊会に招待された」
「・・・ロイ」
「あいつと二人で出席した」
 あいつと言うのは父親の事だ。
 オスカーは親のことを父とは呼ばない。
「あいつと出かけるのは生まれて初めてだ。顔を見るのは半
年振りだった」
 どう言葉をかけたらいいのか分からない。
 ウェンリーは近づくとそっとオスカーの髪に手をあてた。
「あいつは心底嫌がっていたがリヒテンラーデ候の命令だか
ら仕方ない。俺も嫌だったがあいつの嫌がる様を見るのは痛
快だったな」 
「・・・ロイ」
 優しく髪を撫でてやるとオスカーは甘えるように顔をくっ
つけてきた。
「最悪の舞踊会だった。貴族の自慢話は反吐が出る。俺は
舞踊会など出たのは初めてだがもう二度といきたくない」
「僕も・・行った事無いよ」
「行ったら駄目だ。ヤンなど食い物にされるだけだ」
 オスカーはウェンリーの腹に顔を埋めたままその出来事を
語る。
「リヒテンラーデの姪もいた。皆あいつを取り囲んでちやほ
やしていた。最悪の性格をしているのに誰もそれを見もしな
い。ドレスや髪飾りを褒めている」
 取り巻きに囲まれていたエルフリーデはオスカーに気がつ
くと優美に近寄ってきた。
「ロイエンタール候でいらっしゃいますわね。私はエルフリ
ーデ フォン コールラウシュでございます。お見知りおき
を」
 突然美女に声をかけられて驚くロイエンタールの父にエル
フリーデは微笑んだ。
「ご子息のオスカー様には学校で良くしていただいています
の、ねえそうでしょう、オスカー」
 冗談じゃないと罵倒してやりたいが衆目の前ではそうもい
かない。
それを見越してかエルフリーデはロイエンタールの父の手
を取った。
「私の叔父、リヒテンラーデ候をご紹介いたしますわ」
 大物貴族を紹介してくれるとあってロイエンタールの父は
緊張と興奮で顔が赤らんでいる。
「ほらっ何をぼんやりしているオスカー、エルフリーデ嬢を
エスコートせんかっ」
息子にこんな口を聞いてしまうくらい父親の頭には打算と
欲が渦巻いていた。
 初めて会う大物貴族。
 クラウス フォン リヒテンラーデを見てオスカーは正直落胆しか感じなかった。
 大物らしい覇気も無い干からびた老人、
 しかし眼光は鋭い。
 覇業よりも暗躍と密某が似合いそうな風貌だ。
「ご名声はかねがね伺っております。リヒテンラーデ閣下」
父親は這い蹲らん限りの勢いでお世辞を言い追従を全身で
表している。 
 吐き気がする、最悪だ。
嫌悪を顔に出さないようにするのが精一杯だった。
「わしの姪が世話になったそうじゃな、オスカーフォンロイ
エンタール」
「いえ、礼を言われる程の事はしておりませんのでお気遣いなく」
 顔をひきつらせて答えるオスカーの耳に老人の笑い声が入
ってくる。
「若いのに殊勝なことだ。それに見目も良い。これならエル
フリーデと並んでも遜色あるまい」
老人は姪を見る時だけ優しい顔を浮かべた。
どうやら目に入れても痛くない自慢の姪らしい。
「どうじゃ、ロイエンタール候、似合いの二人だと思わん
か?」
「はっ全く閣下のおっしゃる通りでございます」
ぺこぺこと米突きバッタの様に頭を下げる父親。
「子息は今度卒業だそうじゃな。その後は決まっておるのか?」
「その後・・・と申されますと?」
「鈍い奴じゃな、子息とエルフリーデの将来じゃ」
 何を言い出すんだっこのじじいっ
 オスカーは怒りのあまり頭から火を噴きそうだった。
「この様に似合いの二人じゃ、子息の卒業と同時に婚約だけでもさせておくのが良かろう」
オスカーが反論するよりも早く周囲にざわめきが起こった。
「とは言ってもオスカー フォン ロイエンタールがリヒテ
ンラーデ家に相応しいかはわしが決める。相応しくなければ
婚約は即破棄させるがの」
「そんなっもったいないお言葉でございます。こらっオスカ
ーっエルフリーデ嬢と懇意にさせていただいているなんて聞
いていなかったぞ」
 父親は醜悪な笑みを浮かべながらオスカーを小突く。
「誤解ですっ」
オスカーの否定はリヒテンラーデ候の声に掻き消された。
「わしも姪には由緒ある家柄の子息をと思っていたのじゃが
これに泣き付かれてな。全く女子というのは困ったものだ」
「叔父様、それは言わない約束でしたのに」
エルフリーデは頬を真っ赤に染めてオスカーを見ている。
 それを見た瞬間、オスカーの体に怖気が走った。
「まさかっお前俺の事が好きなのか?」
想像もしたくない現実がそこにあった。
エルフリーデは今度こそ耳朶まで赤く染めて潤んだ瞳でオ
スカーを見詰めてきたのだ。
あまりの気持ち悪さに目を逸らせてしまったオスカーの周
りに貴族が集まってくる。
「おめでとうございます。ロイエンタール候とそのご子息」
「リヒテンラーデ候のお目に止まるとは羨ましい」
「持つべきは見目良い息子ですな。いや全く羨ましい」
会場に入った時、彼等はロイエンタール親子の事を無視し
ていた。
 下流貴族が何をしにきたっという目で見下げていた。
 なのに掌を返して媚を売ってくる。
 ちがうっこれは何かの間違いだっ
 大声で叫びたいがそれを許さない空気が会場を充満してい
る。
 もしここで本当に拒絶すればリヒテンラーデ候の顔に泥を
塗ったという事で処罰されるだろう。
貴族社会でリヒテンラーデ家はそれだけの力を持ち、ロイ
エンタール家は無力なのだ。
 はめられた、屈辱と怒りで体を震わせながらオスカーは
エルフリーデを睨みつける。
 取り巻きの祝辞で上機嫌だった彼女はオスカーの瞳に気付
くと一瞬傷ついた顔をして目を伏せた。


 話を聞き終えウェンリーは絶句してしまった。
まさかエルフリーデがこんなに早く動くとは予想していなかった。
それだけ彼女の情念が強かったのだろう。
「俺はもう終わりだ」
 オスカーは力無く項垂れる。
「あいつは狂喜乱舞していたぞ。無理も無い。下流貴族から
大出世だ」
 悔しげに呟く。
「今まで興味も無かった俺にとやかく言い出した。俺があの
女などと婚約しないと言うと殴られたぞ」
 今まで触られた事も無い父親との初めての接触が暴力。
 そのまま口論となりオスカーは家を飛び出したのだ。
「こんな夜遅くに来たら迷惑なのは分かっていた。だが会え
なくともヤンの近くに居たかったんだ」
「・・・ロイ」
「俺はもうお終いだ。卒業したらあの女と婚約させられる。
そんな事耐えられない」
 泣いているのではないかと思うほど声が震えていた。
 堪らなくなってウェンリーは冷たい体を抱きしめた。
「ヤンとも一緒にいられなくなる。それだけは嫌だ」
 導かれるままにベットに入り体を密着させる。
 トクトクと心臓の音が聞こえてきた。
 裸の体はとても冷たい。
 どれだけ長い時間嵐の中立っていたのだろうか?
「ヤンと離れるくらいなら死んだほうがましだ」
 オスカーの声音は本気が滲んでいた。
「駄目だよ、そんな事言っては」
「本当だ、離れたら俺は死ぬ、死んでしまう」
「ロイッやめて」
 冷たい指先がウェンリーの体をまさぐってくる。
 徐々に二人の体は熱を帯びてくる。
「ヤンが欲しい。俺に全部くれ」
「駄目だよ、それはいけない」
 指が蕾を突いて来る。
 頭から布団を被り暗闇の中、攻防が繰り返される。
 ウェンリーは本気で抵抗した。
 何時ものじゃれあいと違うオスカーの本気を感じ取り全身
で拒絶する。
 だがオスカーも全力で攻めてきた。
 男の欲情を顔面にみなぎらせ覆いかぶさってくる。
 怖いっ何時ものオスカーと違う。
 一瞬竦んでしまった隙をついてオスカーは蕾に指を挿入
した。
「だめっあっああぁっ」
「ヤンだって俺を欲しがっている」
「駄目っだって、それをしたら大罪だよ」
 喘ぎながらも拒絶するウェンリーにオスカーが問いかけた。
「何が罪なのだ?どうしてこれが罪なんだ?」
「だって・・・同性愛は大罪だ」
 指は三本に増やされた。
「ああんっやぁっやめて」
「それがなんだと言うんだっそんなくだらない事でヤンは俺を拒むのか?」
「帝国では・・・認められていない」
「ならばフェザーンに行こう」
「えっ?」
「ずっと考えていた。ヤンと引き離されるくらいなら、あの女と結婚するくらいなら全てを捨ててやる」
「ロイッ待ってっやあぁっ」
 グッグッと蕾に怒張した雄をあてられる。
「いやっ入っちゃうっ入っちゃうよぉ」
「ヤンのためならロイエンタールの家名も財産も惜しくない。
俺と一緒に亡命してくれ」
「やああっあっ入ってくるぅっ熱いっ痛いっいやぁ」
「もう全部入ったぞ。ああ、気持ちいい、これがヤンの中か」
「やぁっ抜いてっいたいっいたいよぉ」
 ぽろぽろと涙を零すウェンリーに口付けるとオスカーはピストン運動を開始した。
「俺が分かるか?分かるだろう。これでヤンは俺のものだっ」
 上ずった声でオスカーは何度も囁いてくる。
「俺達は今セックスをしているんだ。ヤンの言う大罪だな、もう逃げられないぞ」
 一緒に落ちよう。
 そう言いながら奥を突いて来る。
「同性愛か、結構なことだ。俺はヤンを愛している。愛しているんだ」
 これが罪というならば喜んで地獄へ落ちよう。
「ああぁっいやぁっあうっ」
 オスカーのペニスがヤンの内壁をえぐる。
 指とは比べ物にならない存在感。
 熱くて固く、大きいそれで内壁を擦られる。
「やぁっおかしくなっちゃうっ狂う、狂っちゃうよ」
 快感が激しい。
 気持がついていかない。
 初めてだというのに指で慣らされていた蕾は雄を受け入れ収縮さえして喜んでいる。
「中に出すぞ、あぁ、ずっと夢見ていたんだ。こうしてヤンの奥で達するのを」
「ひっひぃっああぁ」
 一際動きが激しくなる。
 叩きつけるように打ち付けた後、最奥でオスカーは射精した。
 どろりっと生暖かいものが体の奥に注がれる。
 その感触にすら感じてウェンリーは嬌声を上げて己も達した。


 朝の柔らかな日差しがカーテン越しに降り注いでくる。
 一睡もせずオスカーは朝を迎えた。
 傍らのウェンリーは眠っている。
 眠っているよいうより気絶していると言った方が正しい。
 オスカーの蹂躙は一度だけでは済まなかった。
 夜通し、ウェンリーが何度意識を飛ばしても貪りつくした。
 快楽のあまり気絶したウェンリーの奥を何度も何度もえぐり精液を注ぎ込んだ。
 明け方、ようやく我に返ったオスカーは丁重にウェンリーの体を清める。
 酷い有様だ。
 全身に鬱血の跡。
 蕾は充血し密かに血を流している。
 鮮血と一緒に漏れるのは白い精液。
 痛々しいその姿にすらオスカーは欲望を感じた。
 足りない。
 全然足りない。
 このまま食い殺してしまいたい。
 骨の一片も残さず自分の物にしたい。
 獰猛な想いを押し隠しオスカーはウェンリーを抱きしめた。
「あっロイッ」
 その振動で目を覚ましたのかウェンリーは瞼を上げた。
「ヤン、愛している」
 目覚めと同時に告白されウェンリーは辛そうに顔を伏せた。
「ヤンはどうなのだ?俺に犯されていやだったか?」
「・・・ロイ」
「愛していると言ってくれ」
「・・・ロイ、これはいけない事だ。してはならない事なんだよ」
 昨夜も言われた拒絶の言葉。
 それをオスカーは鼻で笑い飛ばした。
「同性愛は大罪か、くだらない」
「くだらないけれど大切な事だ。自然の摂理に反する」
「だからなんだ?ヤンを抱いたから神が怒り天が罰を与えるとでも?」
「・・・・ロイ、分かって」
「分からないな。理解しようとも思わない」
「帝国で暮らす以上、法には従わなければいけない」
 オスカーは抱きしめていた腕を放しヤンと向き合う。
「フェザーンに行こう、ヤン」
 行為の最中も言われた事だ。
「亡命するんだ。俺はヤンのためなら全てを捨てることが出来る」
「やめて、そんな恐ろしい事を言わないでくれ」
 自分のために全て捨てると言い切るオスカーが怖い。
「第一亡命するお金も無いじゃないか」
「ロイエンタール家の美術品を売ればいい」
「盗むとでも?」
「将来俺の物になるのだからかまわんだろう」
「でも、今はロイの物じゃない。盗みは罪だよ」
「罪人で結構。所詮俺は帝国で一番大罪の同性愛者だ」
「・・・ロイ、止めてくれ。僕のためにそんな事をするのは」
「もう決めた。ヤンが嫌がっても連れて行く」
 オスカーの獰猛な瞳がウェンリーを捉えて離さない。
「ヤンは俺の物だ。誰が何と言おうとも皇帝が罪だと言おうとも神が認めなくとも」
 傲慢なまでに言い切るその言葉にウェンリーは強烈な恐れを感じた。
 目の前にいるのは昔からの親友。
 優しい友達
 誰よりもウェンリーを大切にしてくれる男。
「・・・・ロイ」
 なのに別人の様だ。
 強引に愛を押し付け体を蹂躙し自由を奪う。
 ヘテロクロミアの瞳の奥に男のエゴと独占欲と支配欲が見え隠れする。
 今まで一度も感じたことの無い感情をウェンリーは感じていた。
 恐怖という名の化け物がウェンリーの胸を巣食っていく。
 青ざめて動けないウェンリーにオスカーは獰猛な笑みを浮かべた。
 猛禽を想像させる酷薄な微笑。
「心配するな、俺が全て引き受けるから ヤンはただ傍にいてくれればいい」
あの甘えたがりの親友はどこへいってしまったのか?
目の前の男が別人に見える。
「ヤン、愛しているんだ」
何時もは甘く感じる口付けも今は苦い。
舌を食われるかと思うほど強く吸われた。
その時、ドアを激しく叩く音がする。
「ウェンリー様、起きていらっしゃいますか」
 召使の声だ。
 チッとオスカーは舌打ちすると立ち上がり急いで衣服を身につけた。
「ちょっと待って、今開けるから」
 ウェンリーも慌ててガウンを着込む。
 オスカーは服を調える暇も無く窓辺へと向かった。
 ウェンリーの部屋は二階だがオスカーの運動神経なら柱を伝い下へ降りられる。
 庭に出たら誰にも見られる事なく帰れるだろう。
 オスカーは出て行こうとしたが名残惜しげに戻るとウェンリーを抱きしめキスをした。
「愛している」
 ドアを叩く音が再度聞こえる。
「ロイっ早く」
「分かっている」
 オスカーが華麗に身を翻し窓から出て行くのと同時にヤンは扉を開いた。
「おはよう、マリアンヌ」
 若い召使は何時もならだらしなくガウンを羽織っている主人をいさめるのだが今日は違った。
 美人では無いが愛嬌のある顔が引き攣り青ざめている。
「どうしたの?」
 ウェンリーが問いかけるとマリアンヌという名の召使は涙声で告げた。
「御館様と奥様がっ旅行先で事故にあわれました」
「おじいさまとおばあさまが?」
「早くお支度をっ病院に運ばれましたが・・・・意識不明の重体だそうです」
 

 それから後の事はよく覚えていない。
 ウェンリーは召使にせかされるまま病院へと向った。
 とはいっても首都の病院では無い。
 ルクレール領は首都から7時間も離れた田舎なのだ。
 電車と車を乗り継いでようやく病院についた時、祖父母は帰らぬ人となっていた。
 交通事故だった。
 嵐でぬかるんだ崖が崩れ、タイミング悪く車が巻き込まれたのだ。
 祖父母と運転手が犠牲になった。
 他にも三台が土砂の下敷きになっている。
「だから帰るのを延期しろと言ったのに」
 叔父のロバートは悔しそうに壁を叩いた。
 嵐の翌日は道が悪いから日を延ばしたほうがいいと言ったのに祖父母は聞き入れなかったそうだ。
 ウェンリーが待っているから帰るわ。
 お土産をかかえて祖母は笑っていた。
 ロバートは心配性だな、事故なんて起こらないよ。
 祖父は自信満々に言い切ったそうだ。
「こんな事で命を失うなんて酷すぎる、神は残酷だ」
 叔父の言葉がウェンリーを責めているように聞こえるのは気のせいではないだろう。
 もしウェンリーがいなければ祖父母は帰宅を延期しただろうし事故に巻き込まれなかった。
 お前は疫病神だ。
 いっそ声に出してそう責められたらいいのに。
 茫然自失の状態でウェンリーは立ち竦むことしか出来なかった。
 この事故はニュースでも流された。
 喪主はロバート フォン ルクレール
 葬儀はルクレール領で行なわれる。
 多くの人が弔問に訪れる。
 悲しみに浸る間も無くルクレール家は喧騒に包まれる。
 ウェンリーは一人、与えられた客室で過ごした。
 葬儀に参列することは許されなかった。
 3日後。

 葬儀も無事終わり屋敷には親族のみが残った。
「首都にある屋敷は売り払おう。もう住む者もいないからな」
 ロバートは弁護士にそう告げる。
「しかしウェンリー様はいかがいたしますか?」
 質問にロバートは顔を顰めた。
「これの処分はまだ決めていない。これだけのために首都の屋敷を残しておくわけにはいかないだろう」
「確かに、仰るとおりです」
「だがこちらで引き取るわけにもいかない」
 厄介者と言う音の無い声が聞こえてくる。
 ロバートがウェンリーを邪険にするのも無理は無い。
幾ら子供に罪は無いといっても同盟人の血をひいている。
もし事実が知られたらルクレール家は醜聞の的になるどこ
ろの話では無い。
下手したらスパイ容疑で逮捕されるかもしれないのだ。
 それだけでなくロバートはウェンリーを疎んじていた。
ロバートとカトリーヌは仲の良い姉弟であった
 慕っていた姉が家族を捨て同盟の男を選んだという事実は
弟の心に深い傷を残したのだ。
祖父母は急の死に配慮して遺言状など用意していない。
無一文で放り出すのはさすがに忍びないがロバートは甥に 
遺産を分け与える気は無かった。
 当主であるロバートの態度は周囲に伝染する。
親族もまたウェンリーに悪感情しか持っていなかったから
誰もかばおうとはしなかった。
ロバートの子供達はあからさまにさけずんだ視線を送って
くる。
 耐え切れずウェンリーは席を外した。
いなくなった後の部屋では自分の悪口が横行していること
だろう。
 盾になってくれた祖父母はいない。
溢れる涙を見られたくなくてウェンリーは庭へと向った。


 都市にあったルクレールの屋敷よりも庭は緑豊かで大きい。
田舎を感じさせる空気はウェンリーの傷ついた心を少しだ
け癒してくれた。
どれ位そこで過ごしただろう。
親族会議はもう終わっただろうか、とぼんやり考えていた
ウェンリーは人の気配に気がついた。
 庭に喪服を着た男が立っている。
弔問に来てくれた客だろう。
会釈をすると男は戸惑った顔をした。
「ウェンリーか?」
 ここで自分の事を知っている人間は少ない。
「はい、そうですがあなたは?」
 祖父母の知り合いだろうか。
自分よりも二周りは年上、だが祖父母よりも全然若い。
叔父と同じくらいの年齢に見える。
 男は破顔すると近づいてきた。
「大きくなったなぁ、ウェンリー、俺の事は覚えていない
か?」
「申し訳ありません」
 よく顔を見たが分からずウェンリーは素直に謝った。
 金髪に青い目、美男では無いが一度会ったら忘れないイン
パクトを持っている。
誰だろうか?昔の知り合い?
「忘れちまったのも無理は無い、お前はまだ小さくて物心つ
く前だったからなぁ」
 懐かしそうに細める目にはなんとなく見覚えがあるような
気がする。
 怪訝な顔をしていたのに気がついたのか男は改めて自己紹
介をしてきた。
「俺はコーネフ、ヤンタイロンの親友でお前さんをここに連
れてきた男だ」
 驚いて目を見開くウェンリーにコーネフは笑いかけた。
「ルクレールの御館様にお前を預けて10年だ、立派に成長
したな、可愛がってもらったんだろう」
優しく言われ堪らずウェンリーの瞳から涙が零れ落ちた。
祖父母が死んでから人前では泣いていない。
ずっと耐えてきた糸が切れウェンリーはコーネフに抱きつ
いて泣きじゃくった。
「辛かっただろう、いいんだ、思う存分泣いても誰もお前を
責めたりしないから」
 数刻の間、ウェンリーはコーネフの胸を濡らした。
散々涙を流しようやく落ち着くとコーネフはぽつぽつと話
始めた。
「せめて焼香だけでも上げたかったんだがそうもいかないら
しい。俺は招かれざる客だからな」
 コーネフの言葉にウェンリーは悟った。
 ロバートは出自不明のこの男が弔問するのを断ったのだ。
だからここで密かに・・・心の中で冥福を祈っていたに
違いない。
「ウェンリーはその、これからどうするんだ?」
 コーネフはロバートの態度で察しはついている。
ウェンリーがこれからどういう立場におかれるかを。
「分かりません」
自分の事なのに情けないが、ウェンリーはそう答えるしか
なかった。
 少し黙っていたコーネフだが意を決したように口を開く。
「こんな時に言うのはなんだが・・・お前の父親、ヤンタイ
ロンが事故にあった」
驚愕で声も出ないウェンリーにコーネフは告げる。
「事故ってのは続くもんだな。まあもっともタイロンが事故
にあったのは半年前だ」
 宇宙船の事故で父は片足と内臓の一部を失ったが生きてい
る。
「だが状態は良くない。お前に会いたがっている」
「お父さんが僕に?」
「そうだ、タイロンはずっとお前を引き取るため努力してき
た。同盟人のくせにフェザーン人に張り合うくらい名の知れ
た商人になったんだ」
 ウェンリーが成人したら会いに行く。
それはタイロンの口癖だった。
「運命ってのは皮肉なもんだ。カトリーヌを失ったタイロン
がようやく立ち直ったら今度は片足を無くしてしまう」
 船乗りとしては致命傷だ。
コーネフは辛そうに顔を顰めた。
「神なんてこの世にはいないんだな、つくづくそう思うよ」
 そう呟くと真顔でウェンリーに向かい合った。
「ウェンリー、俺と一緒に来ないか?」
「コーネフさん?」
「俺は決めていた。もしウェンリーが帝国で幸せに過ごしていたのなら何も言わずに帰ろうと」
「僕は幸せでした。おじいさまとおばあさまはとても優しか
った」
「でも二人はもういない。これ以上帝国にいても苦しむばか
りだ」
 同盟も似たようなもんだがここよりはましだ。
新天地でやり直そう。
コーネフはそう誘ってくる。
「答えは今で無くていい。重大な問題だからな。じっくり考
えろ。俺は明日の昼帰る。もし来る気があるのなら空港へ来
てくれ」
コーネフはそれだけ言うと去っていった。


 

 翌日、空港には小さなカバンを一つだけ持った黒髪の少
年の姿があった。
 金髪蒼目の男に連れられて少年はゲートをくぐる。
どこにでもある空港でのワンシーン
 それを気に留める人間は誰もいなかった。

 夏休みが終わり新学期を迎える。
ウェンリー フォン ルクレールが退学したとの連絡はさ
ほど生徒の興味を引かなかった。
それよりももっと重大なニュースで学校中が賑わっていた。
 エルフリーデ フォン コールラウシュとオスカー フォ
ン ロイエンタールの婚約。
 想像もしなかった組み合わせに皆驚き、一部は悔しがった。
ロイエンタールの奴、上手くやったなと騒ぎ立てる。
そしてもう一つのニュースも生徒の好奇心を掻き立てた。
ロイエンタールの様子がおかしいのだ。
血走った目をして何かを探している。
学校も頻繁に休む。
日に日にやつれていく姿は笑う事さえ躊躇われた。
 その日もオスカーは教員室で騒動を起こした。
「ウェンリー フォン ルクレールの行方を教えてくださ
い」
先生に詰め寄る姿は常軌を逸している。
「だから何度も言ったでしょう。個人のプライバシーに関す
るので教えられません」
 それでもしつこく食い下がるので先生も辟易した。
「何故ですか?何故隠すのですか?」
「隠している訳じゃなく、本当に知らないんです」
「退学したのならどこかの学区へ転校したのでしょう」
「ルクレール候から退学の連絡が入っただけで、それ以上の
報告は受けていません」
 何度も同じやりとりを繰り返す。
 ようやくオスカーはここで得る物が無いと察し出て行った。
先生に対してお辞儀も無かった。
 廊下を突き進むオスカーに生徒達の視線が集まる。
奇異な者を見る目だ。
だがオスカーは気にも留めない。
ぶつぶつ独り言を言いながら歩いているオスカーは狂った
のではないかと周囲を心配させる。
「ヤン、どこにいるんだ?俺のヤン」
繰り返し口の中で唱えるが答えてくれる者は誰もいなかっ
た。


ルクレール家の不幸がニュースで流れたその日。
オスカーは驚き連絡を取ろうとしたが叶わなかった。
屋敷を訪ねるとウェンリーはルクレール領に行っていると召使に言われた。
葬式の間は忙しいからウェンリーも自分に連絡できないのだろうと思った。
一週間が過ぎてもウェンリーから連絡が来ない。
不審に思い屋敷を訪ねるとそこはもぬけの空だった。
主人が死んだから閉鎖されたのだ、と近所の人に教えられ
る。
 召使も全員解雇されたそうだ。
 オスカーは慌てて電車に飛び乗りルクレール領へ向った。
 屋敷でオスカーは門前払いを食らう。
「ウェンリーはどこにいるんですか?」
「そんな子供はここにいない。ウェンリーなどという子供はルクレール家には存在しない」
「あなたの子供でしょうがっ」
 オスカーが叫ぶとルクレール家の当主ロバートは心底嫌そ
うに顔を歪めた。
「私の子供はここにいる三人だけだ。嘘だと思うなら戸籍を
調べてみろ」
オスカーはその足で役所へ向った。
当然役所は教えてくれないが、貴族である特権を使いオス
カーは書類を見せてもらえた。
・・・無い。
記されている筈のウェンリーの名は見つからなかった。
ロバートはウェンリーが失踪した直後に戸籍から名を抜い
ていたのだ。 
 そのうち、学校の態度も変わった。
初めは転校したと言っていたのに何時の間にかウェンリー
の記録が消去されていたのだ。
「ルクレール家に確認したところ、ウェンリーという人間は
存在しませんでした」
 先生の説明にオスカーは激昂した。
「馬鹿なっウェンリーは確かにいた。ここで俺達と一緒に授
業を受けていただろう」
「それは多分、ルクレールの名を語った偽物でしょう。学校
側はそこまで関知しませんから」
 そんないい加減な説明で終わらせるのか?
「結構多いのですよ、有名貴族の名を語る不届き者が これもそのケースでしょう」
「じゃあウェンリーはどこへ行ったんだ?」
 答えは返ってこなかった。

 3年が過ぎた。
季節は毎年変わらず春を運んでくる。
例年通り桜満開の中、新一年生が門戸を叩く。
ウオルフガングミッターマイヤーは感無量だった。
平民出だが難関の試験を見事合格し帝国軍事学校へ入学す
る栄誉を勝ち得たのだ。
 父親が庭師の彼にとって軍事学校は将来への切符であった。
 農民の子は農民に、商人の子は商人に、
 帝国では親の職業を子が継ぐのが常識だ。
 だがミッターマイヤーは嫌だった。
 庭師の父は尊敬しているが自分にはもっと向いている職が
ある筈だ。
 それが軍人なのか分からないが、とにかく庭師よりは出世
の約束がされている。
 ミッターマイヤーは格別欲がある訳では無いが人に指図さ
れ生きるのは御免だった。
 軍人となり出世すれば命令する立場になれる。
 平民として育ち、貴族の命令に左右されてきたミッターマ
イヤーにとって軍人であろうとも他の職業であろうとも、と
にかく貴族と同等の立場に立てる事に意義があった。
 軍事学校は寄宿舎がついており生徒は全員寮生活を体験す
ることとなる。
家族と離れるのは寂しかったがミッターマイヤーはすぐに
集団生活にも慣れた。
 生徒は平民と貴族が半々。
貴族は最初から特別な授業を受ける。
 スタート地点から違う事に少々落胆したが前向きなミッタ
ーマイヤーは努力をし、力量を発揮した。
新一年生の中では一番星と言われるまでに時間はかからな
い。
 特に艦隊運用のシュミレーションは抜群だった。
他の生徒の二倍も三倍も早いスピードで陣形を組み立てる。
疾風ウォルフ。
 彼についた渾名は後々まで名を残すこととなる。
ミッターマイヤーは人気者だった。
入学して一ヶ月も経たないうちに才覚を表す。
しかし彼の人気は別にあった。
 明るい蜂蜜色の髪を持つ彼は髪の色同様に性格も明るく大
らかだ。
 成績をひけらかしたりせず、貴族に媚びず成績の悪い者に
も態度を変えない。
誰もが彼を好きになったし彼も嫌いな人間がいなかった。
そんな時期である。
 ミッターマイヤーがその人物に気がついたのは。


 えらく人目を引く容貌をしていた。
顔は多分学校一整っているだろう。
しかし何より目を惹くのは彼の瞳。
ヘテロクロミア。左右違う色の瞳を持つ人間をミッターマ
イヤーは初めて見た。
それだけならすぐに忘れていただろう。
すれ違っただけなのに強烈な印象を残したのは彼から流
れ出る退廃であった。
生きることに疲れた老人のように空ろな目をしている。
なまじ美しい顔と瞳を持っていただけにそれは奇異に移っ
た。
 さりげなく友人に問いかけると直ぐに答えは帰ってくる。
「ああ、オスカー フォン ロイエンタールだろう、二年上
の先輩だ、知っているよ」
友人曰くロイエンタールは有名人だった。
「リヒテンラーデ候の縁故と婚約寸前までいっていたのに振
られたって噂だ。そのせいで無気力になってしまったらしい
ぜ」
 リヒテンラーデ候の名ならミッターマイヤーも知っている。
貴族の中でも特別の大貴族。
その親戚と結婚すれば帝国では将来の安泰は保障される。
オスカーフォンロイエンタールは何が理由か知らないが婚
約を破棄され自暴自棄になったらしい。
無理も無い事だ、とミッターマイヤーは思った。
 妙に気になったが日々の雑務に終われ何時しかミッターマ
イヤーはロイエンタールの事を忘れていた。
思い出したのはそれから三ヵ月後。
夏休みに入り実家に戻った時であった。
ミッターマイヤーの実家は貴族の庭で仕事もしている。
腕の良い職人の父はある公爵家の庭を整備することとなっ
た。
代々使えていた庭師が病気のためミッターマイヤーの父に
白羽の矢が当たった。
帰省していたミッターマイヤーも当然助手として駆り出さ
れることとなった。
その館の庭は美しかった。
緑溢れ美しく花が咲き誇る。
俄ガーデナーを楽しみながらミッターマイヤーが仕事をし
ていた時、一人の男が公爵家を訪れた。
「帰れ、何度来ても知らんものは知らんっいい加減にせんと
訴えるぞ」
当主の声は庭にまで聞こえてきた。
興味本位で覗きミッターマイヤーは驚いた。
そこには2つ上の先輩、オスカーフォンロイエンタールの
姿があったのだ。
「どうか教えてください。ウェンリーから連絡は無かったで
すか?あれから三年以上経つんです、手紙の一通もありませ
んでしたか?」
「ウェンリーなど知らんと言っているだろう。三年もしつこ
くつきまといおって。幾らロイエンタール家の子息だから
といっても目に余る。今度来たら警察に通報するからな」
当主は嫌悪もあらわにロイエンタールを追い返した。
肩を落とし憔悴した後ろ姿を見てミッターマイヤーは思わず声をかけてしまう。
「オスカー フォン ロイエンタールだろう?」
「誰だ?」
ロイエンタールは振り返ると怪訝な顔をした。
「俺はウオルフガング ミッターマイヤー 軍事学校の二年
後輩だ」
名を明かすがロイエンタールは何の反応も示さなかった。
 くるりと背を向けて歩き出そうとするロイエンタールに慌
ててミッターマイヤーは問いかける。
「何か公爵家とトラブルでもあったのか?良かったら相談に
乗るぞ」
「卿は何故ここにいる?」
「俺の親父がここの庭を整備しているんだ」
その瞬間ロイエンタールのうつろな瞳に力がよぎった。
「ならウェンリーの事を知らないか?ウェンリー フォン ルクレール、三年前にここに居た黒髪の少年だ」
いきなり肩を鷲掴みにされ問い詰められる。
「ちょっとっ落ち着けって、親父は今年初めてここの庭の仕
事をし始めたんだ。三年前の事は分からない」
「・・・・そうか」
ロイエンタールの瞳はまた無気力な色を宿す。
その変化が極端でミッターマイヤーはついおせっかい心を
出した。
「だが親父の友人なら分かるかもしれん。今病気で入院して
いるんだがそれまでここの庭師をしていたそうだ」
 ヘテロクロミアに再度輝きが蘇る。
「紹介してくれっぜひっ」
今直ぐに病院へ飛んでいきそうなロイエンタールを宥めて
ミッターマイヤーは父親に事情を説明しにいった。


 病院は公爵家から2時間も離れた小さい町にある。
 父親から車を借りると二人はそこへ向かった。
 車内でミッターマイヤーは説明を求める。
「そのウェンリー フォン ルクレールというのは何者だ?
卿は何故そんなに探しているんだ?」
「・・・ウェンリーは俺の親友だ。三年前突然いなくなった。
俺に何も言わず姿を消した」
「一通の置手紙も無しにか?」
 親友というのにえらく薄情だなと思ったのが顔に出たのだろう。
 ロイエンタールは憤った表情をする。
「きっと何かの陰謀に巻き込まれたんだ 出なければヤンが俺から離れる筈が無い」
「ヤン?ウェンリーじゃないのか?」
 一瞬しまったという顔をしたがロイエンタールは教えた。
「ヤンはニックネームだ。俺達だけに通じる秘密の名だ」
「・・・そうか」
 ロイエンタールがヤンの名を呼んだ時、甘い色が混じる事にミッターマイヤーは気がついていた。
 きっと大切な友達なのだろう。
 三年以上連絡が無くても探し続ける程に。
 この時からミッターマイヤーはヤン探しを全面的に協力する事に決めた。
「確かにいたのに皆ヤンを知らないと言う。ウェンリー フォン ルクレールなどという子供は存在しない事になっている、おかしいと思わないか?」
「そうだな、先程の公爵の態度も変だった」
「ヤンはルクレールの4男だった。でも家族と一緒に暮らさず祖父母と首都でくらしていた。その祖父母が死んだ直後に
行方が分からなくなった」
「確かに陰謀めいているな。跡取り問題とか遺産でもめたとかあるかもしれん」
「もしっあの公爵がヤンに危害を加えていたら許さん、殺してやる」
 物騒な事を言い出したロイエンタールにミッターマイヤーはぎょっとした。
「おいおいっまだそうと決まった訳じゃないだろう、とにかく庭師の話を聞こう」
 離している内に二人の乗った車は病院に到着した。
 ミッターマイヤーが名を告げるとすぐに面会が許される。
「こんにちは、おじさん、お体の具合はいかがですか?」
「おおっミッターマイヤーとこの坊やか。大きくなったな。
わざわざ見舞に来てくれてありがとうよ」
庭師だった男はベットの上で表情を崩した。
「これお見舞です。親父も心配していましたよ、早く元気に
なってください」
「なあに、腹の出来物がちょっと大きく育ちすぎただけだ。
手術で取っ払ったから今年中には退院出来るよ」
「ルクレール家の庭はその間親父が守っていますから」
「あのお屋敷の庭は見事だろう、わしが何十年も丹精込めて
育てたもんだからな。首都にある大貴族の庭にも負けはせん
ぞ」
 豪快に言うと手術跡が痛むのか庭師は腹を押さえて笑った。
「実はそのルクレール家の事で相談があるのですが」
 ずっと横で話を聞いていたロイエンタールが前へ出る。
「ウオルフガングのお友達かい?」
「オスカー フォン ロイエンタールと申します。実は教えていただきたい事がありましてお邪魔しました」
「わしに分かることであればいいが」
「ウェンリー フォン ルクレールの事です」
 その名を聞いた途端、庭師は難しい顔をした。
「ご存知なのですね、彼のことを」
「いや・・・それは」
「教えてください。ウェンリーは今どこにいるのですか?
どうして突然いなくなったのですか?」
「わしは知らん、何も知らん」
 庭師は急に口が堅くなったようだ。
「お願いです」
「知らん、言う訳にはいかん」
 次の瞬間、庭師とミッターマイヤーは目を見開いた。
 ロイエンタールは膝を折り、庭師に土下座したのだ。
「この通りです、教えてください。俺はウェンリーの事を三年も探してきました。これからも見つかるまで探し続けます。
それにはどんな小さい情報でもいいっ彼に?がる事を知っているなら教えて欲しいのです」
 庭師とミッターマイヤーは平民だ。
 比べてロイエンタールは名前のフォンからも分かるとおり貴族の家柄。
 その貴族が平民に膝をつくなど常識では考えられない。
 そこまでしてもロイエンタールはウェンリーの手がかりが欲しいのだ。
「おじさん、俺からもお願いします、知っている事があったら教えてください」
「・・・しかし・・・困ったな」
 庭師はしばらく迷っていたが意思を固めたらしい。
 開いていた窓を閉め、廊下に誰もいないことを確認するとドアを閉じる。
 そして小声で話し出した。
「この事をしゃべったとルクレール様に知られたらわしの首が飛ぶからな、他言無用。この部屋だけの話と思ってくれ」
 庭師は大きくため息をつく。
「これはルクレール家最大の秘密で雇い人も口にはしない。だがロイエンタールとか言ったかな。お前さんに誠意を評して話すことにしよう」
 と言ってもわしは一介の庭師、細かいお家事情までは分からんが、と前置きするとしゃべりだした。
「ウェンリー フォン ルクレールという子供がいたのは事実だ。と言っても三年前の3日だけ。ご隠居様と奥様の葬儀の時だけだ」
 彼の出現に召使は皆驚いた。
 今までルクレール家に4男がいたなどと聞いた事も無いし見たことも無い。
 それに子供は黒髪と黒い瞳を持っていた。
 ルクレール当主と婦人は金髪に青い目。
 三人いる子供も皆同じ様相をしている。
「初め妾腹の子かと思った。ルクレール様がよその女に手をつけた私生児だとわしらは噂したもんだ」
 子供が葬式にも出席出来なかったことで噂は真実味を増す。
「だがいくら妾腹の子でも我が子に対してルクレール様の態度はあまりにも厳しかった。憎んでいると言ってもいい目で子供の事を見ていたのを覚えているよ だから妾の子というのは違うのかもしれない」
 ウェンリーの事はトップシークレットだった。
 召使にさえ真実を悟られぬようルクレールは用心していた。
「わしは庭師だからな、庭を綺麗にするのが仕事だ。葬式の後も何時もと同じように仕事をしていた。その時に見てしまった」
 三年前のあの日の事を庭師は正確に覚えている。
 庭をいじっていたらウェンリーがやってきたのだ。
 丁度位置的に庭師の姿はウェンリーから見えなかった。
 一人だと安心したのか子供は泣き出した。
「見ていて可哀想だったよ。ルクレール様や親戚は大人気なく彼に意地悪を言っていたからね。一人にならないと泣くことも出来なかったんだろう」
 ロイエンタールとミッターマイヤーは沈黙して聞いている。
「その時、背の高い金髪の男が現れた。喪服を着ていたから焼香にでも来た客だろう。一度も見たことが無い顔だった」
 男は子供に話しかけると抱きしめた。
「どれ位二人は抱き合っていたかな?それから少し話をしていた。遠くてほとんど聞き取れなかったがどこかへ行くとか連れて行くとかいう単語が聞こえた」
 次の日、ウェンリー フォン ルクレールはいなくなった。
 小さいカバン一つだけ持って姿を消してしまった。
「いなくなったと聞いてわしは直ぐに思ったよ。ああ、あの金髪の男が子供を連れて行ったのだと」
 庭師は話し終えて疲れたのか肩の力を落とす。
「もちろんルクレール様には報告した。すると恐ろしい表情でこの事は誰にもしゃべってはいけないと念を押された。わしは当然しゃべる気は無かったがその年からわしの給料は二倍になった」
「口封じ・・・という事ですか」
 ミッターマイヤーの言葉に庭師は頷く。
「知っている事はそれだけだ。ウェンリーという子供がルクレール家の何だったのか、あの金髪の男が誰だったのか、今子供がどこにいるのかは知らない」
 時間にすれば数分の話
 だが内容の重さが室内の空気を暗くする。
「話はそれだけだ。さあ、知っている事はもうしゃべった。窓を開けてくれ。新鮮な空気を吸いたいんだ」
 秘密を打ち明けた開放感からか罪悪感からか庭師は殊更大きい声を出した。
 ロイエンタールとミッターマイヤーは礼を言うと部屋を後にする。
 昼下がりの午後病院の床に二人の足音だけが響いた。


 帰りの車内は暗かった。
 外は緑豊かで明るいのに車の中だけ空気が重い。
「よかったじゃないか、ヤンの情報が分かって」
 ミッターマイヤーは勤めて明るく話しかけるとロイエンタールは苦しそうに返事を返した。
「ヤンは出て行った。誘拐じゃない。自分からいなくなったんだ」
「まあそうだが、何か事情があったんだろう」
「自分の意思で俺から逃げたんだ」
「その考え方はどうかと思うぞ」
「ヤンは・・・俺を捨てたんだ」
 ロイエンタールの声は震えていた。
 ミッターマイヤーはそちらを見ないよう気をつけながら運転に集中したのだった。
 
この事があってからロイエンタールとミッターマイヤーは急速に仲良くなった。
 仲良くというのは違うかもしれない。
 ロイエンタールの苦悩を知ったミッターマイヤーが生来のおせっかい根性を発揮させたのだ。
 ロイエンタールはあれから変わった。
 以前はよく授業をさぼっていたが学業に本腰を入れ始めた。
 そうすれば直ぐに成績はトップになる。
 もともと中等学校でも主席を独占していたのだ。
 軍事学校の特殊な勉強もロイエンタールはなんなくクリアする。
 三年のロイエンタールと一年のミッターマイヤーは学年トップを保持し続けた。
 だがロイエンタールの退廃的な雰囲気は変わらなかった。
 いや、別の方向へ進路を変えた。
 今までの潔癖さは擬態だったのか女遊びを急に始めた。
 遊びといってもロイエンタールが声をかけるわけでは無い。
 女がその美貌に寄ってくるのだ。
 それまで一瞥もしなかったのに最近では来る者拒まず、相手を選びもしない。
 すぐにロイエンタールは漁色家としても有名人になった。
 群がってくる女は後を絶たず騒動になることも多い。
 ロイエンタールはその点に関して徹底していた。
 一夜だけの快楽の相手
 遊びなのだという態度を崩さない。
 どれ程の美女が泣いて懇願しても恋人の地位は与えなかった。
 それどころか一度抱くとすぐに捨てた。
 捨てられた女の後ろでは別の女達が列をなして待っている。
 我こそはロイエンタールの心を射止めてみせると息巻く淑女達は全て惨敗していく。
「女性には優しくしろよ、ロイエンタール」
 ミッターマイヤーが注意すると彼は笑い飛ばした。
「勝手に足を開く女に優しくしろと?」
 露骨な表現に顔を染めるミッターマイヤーにロイエンタールは教えてやる。
「俺の母親は散々浮気をした挙句、生まれてきた俺の目をえぐりとろうとした」
「・・・何故?」
「浮気相手が黒い目だったからだ。呪いでヘテロクロミアになったと思い込んだんだろう 失敗すると気狂いになって死んだ」
「・・・・」
「だがDNA鑑定で俺は真実ロイエンタールの血筋だと証明された。俺の父親は母が死んだ原因の俺を憎んでいるが廃嫡する訳にもいかない。俺は唯一の跡取りだからな」
 絶句しているミッターマイヤーにロイエンタールは皮肉な笑みを見せた。
「女などそういう生き物だ」
「だが、卿は昔愛した女性がいたのだろう。リヒテンラーデ候の姪と婚約をしていたと聞いたが」
 エルフリーデ フォン コールラウシュの名が出るとロイエンタールは心底うんざりした顔をする。
「あの女は最悪だった。勝手に婚約を強要して関係を迫る。俺が会った女の中でも一番たちが悪い女狐だ」
「・・・・婚約解消って、卿の方から言い出したのか?」
「違う、三年前俺は忙しかったからな、学校もよく休んだし成績も落ちた、それが気に食わなかったんだろう。リヒテンラーデ候の怒りに触れ婚約は即解消された」
 三年前、ロイエンタールが忙しかったのはヤンを探していたからだ。
 だが今その名を口にするのは躊躇われる。
庭師から話を聞いた後、ロイエンタールはヤンの事を話さ
なくなった。
 探さなくなった。
「勝手に出て行ったのなら勝手に帰ってくるだろう、帰って
こないのは俺に会いたくないからだ」
 車の中でロイエンタールが呟いた一言をミッターマイヤー
は忘れられない。
 ヤンという親友の失踪はロイエンタールの心に酷い傷を負
わせたのだ。
 それが分かるから、女遊びを止めないロイエンタールに苦
言を吐くことしか出来なかった。
 二人が会って半年後、
寒い冬の晩、訃報が寄宿舎に届いた。
ロイエンタールの父親が亡くなったのだ。
長年の不養生がたたり肝硬変であった。
 ロイエンタールはすぐ屋敷へと帰省した。

その終末。ミッターマイヤーはロイエンタール家に訪れた。
「大変だったな、もし俺に出来ることがあればなんなりと言
ってくれ」
 わざわざ駆けつけてくれたミッターマイヤーにロイエン
タールは礼を言う。
「なに、大した事も無い。遺産処理は弁護士に任せてあるか
らな」
 父親との確執を以前聞いていたミッターマイヤーは言葉を
濁す。
「だが、気持の整理も必要だろう、しばらく学校は休むの
か?」
「気持の整理もなにもいなくなって清々した。卿が案ずる事は何もない」
「仮にも父親なんだから・・・」
「あいつなど父親と認めない」
 激烈な言葉を吐いた後、思いついた様に皮肉な笑みを浮か
べた。
「ああ、だが便利になったこともある。それは感謝しないといけないな」
「なにがだ?」
「あいつが死んだから金を自由に使えるようになった」
「・・・ロイエンタール」
どう答えていいか分からないミッターマイヤーにロイエンタールは誘いかけてくる。
「俺は小遣いなどほとんど貰ったことが無いから金で苦労を
していた。これで思う存分使うことが出来る」
漁色家名高いロイエンタールは放蕩家としても名を馳せる
のだろうか?
 心配するミッターマイヤーの視線に気がついたのか苦笑を
返してきた。
「案ずるな。金の使い道は考えてある。心配なら卿もついて
くるか?」
「どこへ行こうというんだ?」
「卿も関わった事だからな。結末を知るのも悪くないだろ
う」
意味深な言葉を残しロイエンタールは立ち上がる。
「出かけるぞ、実はもう相手と連絡は取ってある。待ち合わ
せ場所には今出ないと間に合わないからな」
 訳の分からないミッターマイヤーを連れて街に繰り出す。
 ロイエンタールは街角の小さいパブに入った。
店内は猥雑で喧騒に満ちている。
ミッターマイヤーはこんな場所に来たことが無かったので
気後れしてしまう。
ロイエンタールは慣れたもので黒ビールを二杯注文すると
端の席に座った。
「誰と待ち合わせているんだ?女性じゃないよな」
きょろきょろと見渡すがそれらしい人物はいない。
「慌てるな、まあビールでも飲め、俺のおごりだ」
 二人がビールを半分ほど飲み干した時、待ち合わせの相手が現れた。
黒いコートの襟は顔をかくすように立てられている。
 帽子を目深に被りあたりを伺いながら老人は近づいてきた。
「お待たせしました」
 白髪に白い髭は丁寧に整っている。
 腰を落ち着けると老人はエスプレッソを注文した。
「それで、例のものは?」
「ああ、約束どおり用意した、帝国マルクで10万、平民が
一生かかっても稼げない金だ」
 ロイエンタールは足元にあるカバンを男に渡す。
「中を確認しろ、その間俺達はビールを飲んでいる」
「お隣の方は?」
 老人はちらりとミッターマイヤーに視線を向けた。
「知人だ、心配ない、信用出来る奴だから」
老人は頷くとかばんを抱えトイレへと消えた。
「なんだったんだ?今のは、まるで麻薬の密売みたいじゃな
いか」
 もしそうなら体を張ってでも止めなければ。
「慌てるな、卿の考えている様な事じゃない、あの男に見覚
えは無いか?卿も会ったことがある筈だが」
「さあ・・・覚えていないな」
「あれはルクレール家の執事だ」
「あっそういえばっ」
ミッターマイヤーは慌ててトイレの方に視線を向ける。
「そのルクレールのバトラーと何の取引だ?しかも大金を積
んで」
「ヤンの情報を金で買った」
ロイエンタールはビールを飲み干すと嘲笑を浮かべる。
「貴族の秘密など金をちらつかせればすぐに手に入る。あの
執事も初めはごねていたが10万用意したら口を割ったぞ」
 所詮職業倫理などこんなものだ。
ロイエンタールは笑いミッターマイヤーは苦い顔をした。
「情報を手に入れてどうする?ヤンは自分で出て行ったと卿
は言っただろう。諦めたのでは無いのか?」
「諦めたさ。もう興味無い。だが全てを知っておかないと寝
覚めが悪いだろう。だから卿も連れてきた」
「ヤンがどうなったのかその後を・・・か」
「知ってどうなるものでも無いがな。知らないよりはマシ
さ」
 ロイエンタールがそう言った時、老人が帰ってきた。
 カバンを抱え席に座る。
「ここでの話は内密にお願いします。もし主人にばれたら私
は殺される」
「分かっている。他言はしない。卿も早くしゃべって家に帰
ればいい。病気の奥方が待っているんだろう」
金は手術代に必要な額揃えてある。
老人は悔しそうな顔をした。
「妻が入院した時、御館様にお願いしたのです。どうか入
院費を貸してほしいと。一生かかっても返すからと、なの
にあの方は一銭も用意してくださらなかった。40年も勤
めてきたのに・・・・」
だからと言って主人の秘密を売り飛ばすなど使用人として
言語道断だが、ミッターマイヤーはこの老人を責める気には
なれなかった。
 貴族とは召使の苦しみなど何も分かってくれない事を彼自
身がよくしっていたからだ。
 老人はぽつぽつと語り始めた。

それは十何年に渡るルクレール家の秘密であった。

 話が終わり老人が去った後、二人は黒ビールを頼みなおし
た。
「驚いたな、ヤンが同盟人とルクレールの娘との間に出来た
子だったとは」
ミッターマイヤーがため息を漏らす。
これはルクレール家が証拠隠滅に奔走する訳だ。
同盟と帝国は長きに渡り戦争を続けている。
今は硬直状態にあるが、年に数度会戦は起こり何十万とい
う死傷者が出る。
 死傷者の99%は平民で残りの1%は運の悪い貴族だ。
 やってきたビールをロイエンタールは一気に飲み干した。
 更に数杯立て続けに飲み干す。
 荒れた飲み方だった。
「ヤンは俺に正体を明かさなかった。結局はそういう事だ。
俺は信用されていなかった。愛されていなかった」
「普通なら親友にも言えないだろう。自分が同盟人とのハー
フだなんて」
 ため息が降り積もる。
黒ビールは普段より苦い味がした。
「ヤンを連れて行ったのは同盟人か。ならば今あいつは同盟
にいる」
 その言葉にミッターマイヤーは不審の目を向けた。
「まさか、ヤンを追って亡命する気じゃないだろうな」
 ロイエンタールならやりかねない。
 狂気を孕んでヤンを探していた事を知っているからミッタ
ーマイヤーはロイエンタールに問いかける。
「亡命?まさか」
「だがヤンは同盟にいるんだろう」
「そうだ、俺を捨ててのうのうと同盟で生きている」
 ロイエンタールは憎悪の篭った視線でビールを見詰めてい
る。
その黒い泡の向こうに何を見ているのだろうか。
「ミッターマイヤー、正直に言おう、俺は同盟が憎い、俺からヤンを奪い去った同盟が心底憎い」
「・・・・」
「同時にヤンも憎い。俺をゴミのように捨てたヤンが生きている同盟を憎んでいる」
「ロイエンタール」
「だからここで誓おう。俺は将来軍人になり同盟を滅ぼして
みせる。必ず・・・命をかけてあの敵国を滅亡させてみせ
る」
 それは予言だったのか単なる一学生の願望なのか。
ミッターマイヤーもビールを飲み干すとしばらく悩んだ末
目を向けた。
「なあロイエンタール、俺は思うんだが」
話しかけた相手は机に突っ伏して眠っていた。
宙に浮いた台詞はそのままミッターマイヤーの胸の中で消
えてしまった。

 


 宇宙暦796年 帝国暦487年
 年が変わってすぐの2月
 帝国と同盟の間で大きな戦いが起こった。
 アスターテ会戦と呼ばれる戦争である。


 帝国軍が245万あまりの兵で同盟領へ侵攻。
 迎え撃つ同盟は406万
 数の上では同盟の圧勝であった。
 しかしいざ蓋を開けてみると帝国軍を包囲しようとした同
盟軍は各個撃破戦法を取られ窮地に立たされた。
 数の上では敵の倍、その油断が致命傷となる。
 いや、油断だけでは無いだろう。
 帝国の指揮官がラインハルト フォン ローエングラムで
無ければ同盟の勝利は決定的であった。
 ラインハルト フォン ローエングラムはその年わずか2
0歳、だがその知略は従来の戦法を覆す・・・常識に囚われ
ない戦術を取る。
 若さゆえの軽率な判断と帝国軍人は噂した。
 戦略戦術が何たるかを知らない若造の独断専行だと揶揄す
る者も多い。
しかしラインハルトは着実に実績を挙げ、アスターテでは
自軍の窮地を救ったどころか同盟に10倍の損失を与えた。
 アスターテでの帝国死亡者は15万、かえす同盟の死亡兵は150万を超えた。
 否。本来ならば全滅してもおかしくなかった。
 帝国軍に追われ逃げ惑う同盟は秩序と規律を完全に手放していた。
 追い詰められた鼠のごとく逃げ惑う同盟の艦隊に帝国の猛撃が襲いかかる。
 従来ならば同盟艦隊は全滅していた。
 それを免れたのは一人の同盟士官のおかげである。
 帝国軍にラインハルト フォン ローエングラムという天才がいたように同盟にも鬼才の持ち主が存在していたのだ。
 神の采配か、悪魔の悪戯か。
 長年硬直していた戦争が俄に急転する。
 もしもっと早くにヤンウェンリーだけ存在したら戦争は呆気なく決着していただろう。
 もしもっと遅くにヤンウェンリーが生まれていたらラインハルトが統治した世界を生きることとなった。
 しかし皮肉な事に天才は同じ時期、同じタイミングで戦場に現れ頭角を示した。
 この運命の悪戯により戦争は泥沼化していく。
 後十年、どちらかが遅く生まれていたら歴史は変わっていただろうと後世の歴史家は言う。
 帝国にはローエングラム候ラインハルト
 そして同盟にはヤンウェンリー
 両者の存在がこれから宇宙の未来を大きく変えていくこと本人達はまだ知らない。


 ヤンウェンリー 29歳 准将
 この年で准将とは随分出世が早いがそれには訳がある。
 彼は8年前、エルファシルで起こった民間人大救出劇の立役者なのだ。
 エルファシルに攻めて来た帝国軍を恐れ上官達が逃げ出した後、まだ中尉であった彼が混乱をまとめ民間人を全員危険地帯から脱出させたのはあまりにも有名だ。
 これは軍の美談として語られ彼は英雄として褒め称えられた。
 正確に言うと上官が一般市民を放り出して逃亡した醜聞を隠すためにエルファシルの英雄として祭り上げられたのだ。
 その功績は8年経ち大分薄れ掛けていた。
 アスターテ会戦でヤンの上官は彼の意見を全く取り入れなかった。
 ヤンが参謀であったにも関わらずだ。
 不貞腐れてというよりはやることが無くヤンは静観を決
め込んでいた。
艦隊の自室に引きこもっていた彼に電話が入る。
「ラップか、そちらはどうだ?」
「相変わらずの状態だ。そちらは?」
「変わらないよ。このまま大した被害も無く終わればいいの
だけど」
 ヤンはこの時、ラインハルトの存在を知らなかった。
楽観視するヤンにラップは明るい笑いを向けた。
「そうだな、大きな被害が無ければいいけど」
「そういえばラップはこの戦いが終わったら結婚式が待って
いるんだよな、おめでとう」
 祝辞の言葉にラップは頭を掻いた。
「あらたまって言われると恥ずかしいな。ぜひヤンも式には
参列してくれ、ジェシカも喜ぶ」
 ジェシカ エドワーズ
 この名は二人にとって特別な響きを持つ。
「婚約者を悲しませないためにも死ぬなよ、ラップ」
 本気で友の身を案じるヤンにラップは苦笑を返した。
「ヤンにそれを言われるとはな、ジェシカを泣かせたのはヤンの方だろうが」
「それは・・・・すまないと思っているよ」
「いいんだ、おかげで俺はジェシカを手に入れる事が出来たからな」
 ラップは冗談で流そうと笑った。
「ヤンも失恋の傷から立ち直って早く新しい恋を見つけろよ」
「・・・努力するよ」
 その後、幾つか軽口を言い合って回線を閉じる。
 ヤンはベットに転がると昔の事を思い出していた。


同盟の軍務学校。
ヤンがそこに入学したのは16歳の春であった。
本来ならば歴史家になりたかった。
だが状況が許してくれない。
ヤンの父は事故の傷が元で半年前に亡くなってしまった
父タイロンは有能な商人であったが息子に遺産は残してく
れなかった。
 タイロンはいくばくかの借金を持っていた。
 それは資産を売ればどうにかなるレベルであったがその財産はほとんど価値が無かった。
 タイロンが趣味にあかせて買い集めた美術品骨董品は全て偽物だったのだ。
 ヤンは父の遺産と借金を処分するとすっからかんになり、     行き場に困りタダで歴史を勉強させてくれる軍事学校に入学したのだ。
そこでラップとジェシカに出会った。
ラップは気のいい男ですぐにヤンと打ち解けた。
ジェシカは校長の娘で学校中の憧れだ。
金髪の美しい美女。
彼女の演奏するピアノの音色をまだ覚えている。
引く手あまたのジェシカであったが、何故か彼女はヤン
に好意を抱いた。
「好きです」
 呼び出されたヤンはジェシカに告白された。
「あなたが好きです、ヤンは私をどう思っているの?」
 率直な告白にヤンは戸惑った。
 ジェシカは美人だ。
性格も好ましい。
恋人として最高の存在。
 ここで頷けばジェシカと恋人同士になれる。
 男女として誰からも謗られない幸せな関係を築ける。
 ヤンはジェシカが好きだった。
 美貌も性格も全て言う事が無かった。
 恋人にするには最高の相手。
 なのに、どうしてもヤンは頷く事が出来ない。
「ごめん、ジェシカ」
 辛そうに断るヤンにジェシカは涙ながらに問いかけた。
「断った理由を聞いていいでしょう、ヤン」
 しばらく考えた後答えた。
「前に好きだった人がいる、その人をとても傷つけた」
「恋人?」
「いや、友達だった。でもとても大切だった。なのに私は一
番傷つける方法を取ってしまった」
「忘れられないのね、ヤン」
 ジェシカは深くため息をついた。
「後悔しているのね、だから新しい恋を始められない」
「恋じゃない、友情だった」
「でも忘れられない」
 辛そうな笑みを浮かべジェシカは言った。
「いいわ、諦めてあげる。でも忘れないで。あなたを好きな女がいたことを。傷ついたあなたを癒したいと願った女を」 
ジェシカは笑ってそう言ってくれた・
恋に破れたジェシカを慰めたのはラップ。
二人は卒業と同時に婚約した
「幸せになってほしい、ラップも、ジェシカも」
ヤンの願いはアスターテ会戦で果敢なく消える。
ラップのいる第六艦隊は全員殉死したのだ。
 嘆く余裕も無かった。
ラインハルトの仕掛ける戦術にヤンは抵抗する。
中央突破を図る艦隊にヤン率いる同盟軍は奇策を持って応
戦した。
お互い譲らず消耗戦になる前に戦いは終わる。
双方、絶妙なタイミングで艦を納める時、同盟に一通の
報が届いた。
 貴官の勇戦に敬意を表す、再戦の日まで壮健あれ
 帝国軍上級大将ラインハルトフォンローエングラムからの電文にヤンは返信をしなかった。


 帝国本土、オーディーンのガンルーム。
そこでオスカーフォンロイエンタールとウオルフガングミ
ッターマイヤーは酒を飲んでいた。
アスターテ会戦に参加出来なかった彼等は面白くなかった。
 軍上層部の思惑があからさまだったからだ。
ラインハルトの部下である自分達を戦場に出さないことで
彼の能力を削ごうとしているのだ。
「妬まれているからな、うちの大将は」
「門閥貴族から見れば鼻持ちならない金髪の小僧なのだろ
う」
 二人が杯を重ねた時、勝利の第一報が入った。
「さすがだ、俺達無しでも立派にやってのけた」
ロイエンタールが感嘆する。
「ああ、大勝利だ、俺は心配していなかったがな」
グラスを鳴らし上司の勝利を祝う。
「しかし敵は倍の艦隊を用意してきたのだろう。どういう戦
術を使ったか興味あるな」
「詳しいデーターが情報部に届いているだろう」
ミッターマイヤーは携帯で部下に連絡を取るとすでにアス
ターテ会戦の資料が通信されているとの事だった。
ファックスでガンルームに電信してもらい二人は驚いた。
「包囲されたのを逆手にとっての各個撃破か、発想の転換だ
な。見事だ」
「しかし敵も中々やる。中央を分断されたと見せかけて帝国
軍の背後をついている」
 最終的にリング状になった陣形は二人ですら始めて見るも
のであった。
「ラインハルト候相手にここまでやるとは、敵の司令官は誰
なんだ?」
「途中で総司令官が交代しているな、それからだ。目を見張る動きをするのは」
 書類を読み進んでいたロイエンタールの手が止まる。
「誰なんだ?敵の大将は?」
 ミッターマイヤーは横から覗き込んで絶句した。
 そこにはロイエンタールにとって重要な意味を持つ二つの
名が記されていたのだ。
 ヤン・・・・ウェンリー
「・・・・今まで聞いた事の無い士官名だな。代理だろう」
 ロイエンタールは冷たい声を発する。
「もしかしたら、ヤンウェンリーとはウェンリー フォン ルクレールの事じゃないのか?」
 ミッターマイヤーは慌てて推論する。
「ヤンというのはニックネームだと思っていたけれど苗字だったのなら?彼は東洋系だったのだろう。ならヤンという姓でもおかしくない」
 興奮するミッターマイヤーにロイエンタールは冷たい一瞥を向けた。
「だからなんだと言うのだ?」
「なんだだと?ずっと探していたヤンが見つかったかもしれないんだ。もっと喜ばないのか?」
「敵として会ったとしてもか?」
「・・・それはそうだが」
「もしヤンウェンリーが本人だとしたら・・・確かに俺は喜んでいる」
 ロイエンタールはヘテロクロミアに憎悪を漲らせた。
「戦場でなら合法的に奴を殺せるからな」
「ロイエンタールッ」
「ヤンウェンリーは俺が殺す。それが俺を裏切った奴への復讐だ」
 冷たく言い放つロイエンタールの指先が僅かに震えていることにミッターマイヤーは気がつかなかった。

 アスターテ会戦の後 ヤンは少将へ昇進した。
 喜べない昇進であった。
ラップが死に、多くの同盟兵士が犠牲となった。
戦没者の慰霊墓地へいくとそこには先客がいた。
「・・・ジェシカ」
 会うのは軍事学校を卒業して以来。
8年ぶりに会う彼女は相変わらず美しく、悲しい事に喪服
が似合っていた。
「お元気そうね、ヤン」
 涙の跡が残る顔で微笑まれる。
 少し話をした。
ラップとの思い出。
軍事学校での思い出。
過ぎ去りし日々の事を。
ジェシカは最後に問いかけてきた。
「恋人は出来た?」
「いや・・・」
「まだ忘れられないの?」
「そうじゃないけれど、私は無精者だから恋愛とは縁が無く
てね」
 ジェシカは小さく微笑した。
「そんな筈ないわ、エルファシルの英雄さんはとてももてる
とラップから聞いていたわよ」
 気まずくて頭を掻くヤンだ。
「これからはアスターテの英雄、女性はもっとあなたに夢
中になるでしょうね」
なんと返答したらいいのか分からないヤンにジェシカは優
しい微笑みを向ける。
「でもあなたは一人なのね、昔傷つけた人の事を忘れられな
いから」
「・・・ジェシカ」
「ヤン、私は友達?」
「当然だ」
「告白して8年、私の事を思い出してくれた?」
 一瞬ヤンは言葉に詰まった。
 日々の忙しさに忙殺されほとんど思い出さなかったから。
 ヤンの表情で答えが分かったのだろう。
 ジェシカは切なそうに笑った。
「昔あなたは言ったわね、忘れられない人は恋人で無く友人
だと、あの時は納得したけれど今はそう思わないわ」
「・・・・ジェシカ」
「あなたは恋をしていたのよ。その友達に、だから忘れられ
ないんだわ」
「そうじゃない」
「私は振られたけどあなたの中に傷を残せなかった」
「その人の事を友達だと思いこんでいたのね、恋だと気がつ
かなかった。だから相手を傷つけてしまったの?」
「・・・そうかもしれない」
 今、ジェシカを前にしてヤンは嘘を付く気になれなかった。
「私は子供だったから恋愛が怖かった。相手の思いに答えられなくて逃げてしまったんだ」
「大人になっても恋愛に臆病でしょう、少将さん」
「そうだね、幾つになっても成長しない」
少し笑いあった後、ジェシカはぽつりと呟いた。
「私は羨ましいわ、その人はどんな形であれヤンの心に傷を
付けたのだから」
 ジェシカの言葉にヤンは返事を返せなかった。


 別れた後、ヤンには忙しい日常が待っていた。
英雄として式典に引き回される。
 これもお役所づとめの悲しさか、と我が身を嘆いていたら
次の任務が決まった。
 イゼルローン要塞攻略、
 過去6回、同盟は攻略に失敗している。
 それを第13艦隊と名ばかりはいいが寄せ集めの半個艦隊
で落として来いというのだ。
 無茶も無茶、到底出来っこない代物なのにヤンが引き受け
たのには理由がある。
イゼルローンを落とせば帝国からの侵略は無くなる。
 後は同盟からの逆侵攻などという馬鹿な事さえなければ一
時でも平和が訪れるだろう。
 ヤンはそれに賭けたのだ。
 俄作りの第13艦隊はイゼルローンへ向けて出立する。
 それは誰もが先を危ぶむ旅立ちであった。

 見る者が見たら危険な爆弾を第13艦隊は抱え持っている。
 それは押し付けられたのでは無く司令官自ら欲した物だ。
ローゼンリッター 薔薇の騎士
帝国からの亡命貴族の子弟のみで作られた白兵戦専用部隊。
 豪胆する能力でトマホークを降りまわす実戦部隊だ。
しかし、人々がローゼンリッターを危険視するのは別の原
因があった。
 薔薇の騎士歴代の隊長は12名。
 4名は帝国との戦いで殉死、2名は将官に昇進して退役、そして6名は帝国へ逆亡命した。
 現在の隊長はワルター フォン シェーンコップ
 グレーがかったブラウンの髪に褐色の瞳、癖のある美丈夫
である。
 女性方面でも歴戦の勇者だと名高い彼は上官に対する皮肉
な態度と辛辣な嘲笑で軍部から毛嫌いされていた。
 そんなローゼンリッターをヤンが拾ったのには訳がある。
彼等をこの第7次イゼルローン攻略の要にする計画だった
のだ。

 司令官室に呼び出されたシェーンコップは初めて見る上官
に形ばかりの敬礼をした。
(これがアスターテの英雄か)
 白兵戦の猛者であるローゼンリッターから見れば随分と細
い。いや軍人としても細すぎる。
一般人の中でも華奢な部類に入るだろう。
年は若く見える。
公式では29歳と聞いているが32歳のシェーンコップの
3つ下とは思えない。
 どう見ても20歳前半。
 へたすれば未成年で通るくらいだ。
これはヤンのせいでなく東洋系は欧米人に比べ骨格が細い
のだ。
比べるほうが間違っているのだが軍人としてあまりにも貧
弱な上官をシェーンコップは内心あなどっていた。
 だが、会話をして意識は百八十度変わった。
 奇抜とも言える戦略はシェーンコップの度肝を抜く。
「先回りして言うとね、これはまともな作戦じゃない。詭計・・・小細工というものだ」
 これ以外にイゼルローンを占領させる手段は無いだろう
とヤンは言う。
「確かに・・他に方法は無いでしょう」
急に目の前の上官に興味が湧いてきた。
 シェーンコップは長年上司に嫌われてきた意地の悪い瞳
をヤンに向ける。
「もし私が噂どおり7人目の裏切り者になったらどうします
か?」
 試すように問いかけると淡々とした返事が返ってきた。
「こまる」
 真剣な表情で童顔の上官は言う。
「そりゃあお困りでしょうな、何か対処法は用意していないのですか?困っているだけですかな?」
「考えたけどね、思いつかないから止めた」
あっけらかんとヤンは言い切った。
「ということは私を全面的に信用されると?」
「実はあまり自信が無い」
ヤンはそう言って頭を掻いた。
「だが貴官を信用しない限りイゼルローン攻略はありえない、
だから信用する。これは大前提だ」
 シェーンコップは片眉を器用に吊り上げた。
「ではもう一つ質問を、何故このイゼルローン攻略を引き受
けたのですか?どだい無理な注文だった。断って当然のこの
計画に何故乗ったんですか?名誉欲ですか?出世欲です
か?」
「出世欲じゃないね、29歳で閣下呼ばわりされれば十分だしこの作戦後私は退役するから」
「退役?この戦況下でですか?」
「イゼルローンが同盟のものになれば帝国軍の侵略は無くな
る。同盟から逆侵攻さえしなければ停戦、もしくは休戦にな
るだろう」
「だがそれは一時的なものでしょう」
「一時で十分さ、恒久的な平和なんて人類が始まって以来存
在しなかったんだから。それよりもここ何年か、何十年かの
平和のほうが大切だ。私には被保護者がいる。まだ14歳の
少年だ。彼が戦場にいき人を殺すのを私は見たくない。
ただそれだけだよ」
 与えられた答えにシェーンコップは満足した。
 そして彼の悪い癖も同時に這い出してきた。
「わかりました、ではローゼンリッターも微細ながら全力で
作戦にあたりましょう。ところで話は変わるのですが」
 デスクを挟んで二人の距離が一気に縮まる。
「私は閣下の事が大変気に入りました。一目惚れってやつですかね。今の返答は私のハートを打ち抜いたようです」
「何を言っているんだい?大尉」
「大尉では無くシェーンコップとお呼びください」
「ではシェーンコップ、言っている意味が分からないのだ
が」
 本気で戸惑っているヤンにシェーンコップは甘い眼差しを
向けた。
 女性ならば即効で落ちる流し目だ。
もちろん女性だけでなく男性にもシェーンコップのフェ
ロモンは有効だった。
「あなたを好きになってしまったと言っているんです。愛
の告白をしているのですよ」
「君は男だろう」
「そうですよ」
「私も男なんだが」
「閣下ほど魅力的なら関係ありませんな」
 頭痛がするほど爽やかに答えてくる。
「帝国で同性愛は死罪なんだろう」
「確かに私は帝国の出ですが亡命しているのですから罪には
問われませんよ。同盟で同性愛は認められている」
「だが軍規では禁じられている」
「軍規よりも国家の法律に従うのは同盟国民の義務ですよ」
「頭が痛くなってきた」
シェーンコップが楽しそうにヤンのチーフを解いて来る。
「閣下は面白い方ですね。普通こういう場面では嫌悪するか
身を寄せてくるかなんですが」
 同性から愛を囁かれているというのにヤンに焦りは無い。
淡々と状況を分析している。
 ますます興味が湧いてきてシェーンコップは楽しかった。
 ここしばらくは退屈しないですみそうだ、と不謹慎なこと
を考える。
 ヤンは何やら悩んでいるらしかった。
「その・・・私はよく知らないんだが世間では同性愛者は多
いのかい?」
 ヤンからは嫌悪は漂ってこない。
 同性愛を侮蔑しているのでは無く本当にただ質問している
のだと分かりシェーンコップは苦笑してしまった。
「何と比較するかによりますな、異性との恋愛に比べれば少
ないでしょうし その恋愛の結婚数に比べれば多いかもしれ
ません」
「曖昧な統計だね、失礼な言い方だったら悪いが君は同性愛
者なのか?」
「いえ違います、普段は女性のみですね、しかし好みの美青
年がいたら食指を動かします」
「私は美青年では無いけれど」
「閣下は私にとって最高の美青年ですよ」
ヤンの質問は見当違いで面白い。
シェーンコップはにやにやしながら次の問いを待っていた。
「同性同士だけじゃなく異性もOK?じゃあ苦手な性別は無
いんだね」
「言っておきますが私は誰彼構わず口説いたりしませんよ」
「でも私を口説いている」
「閣下は別です。私も男を誘うのは初めてです」
 ヤンは真剣な顔で聞いてきた。
「私は・・・その・・・女っぽいのだろうか?何か男を誘う
雰囲気でもあるのかな?」
 爆笑しそうになるのをシェーンコップは必死で耐えた。
「いえ、閣下は男らしいとは言いかねますが女々しくはありませんよ」
「しかし・・・君も男を誘ったことが無いのに私なんかに声をかけてきたし・・・自分でも気がつかない内に愁派を送っているのかも」
「閣下は男に迫られた経験でもあるのですか?」
 笑いを堪えながら聞いてみる。
 ヤンはしばらく迷っていたようだが勇気を出して告白してきた。
「その・・・この事は他言してもらいたくないんだけど」
「信用してください、秘密は漏らしません」
「私の話しじゃなくて知人の話しなのだが・・・全然同性愛者じゃなくて、どちらかと言えば人嫌いの気がある知り合いが親友の男を好きだって言ってきて」
「はいはい、知り合いの話ですね」
「知り合いはかっこよくて女性にとてももてる。頭もいいし
スポーツも万能だ。よりどりみどりだしいい家柄の娘と婚約
していた」
「婚約者がいるのに親友に手を出すとは不謹慎ですな」
「その婚約っていうのも女性の方が一方的に入れあげて無理
矢理だったんだ。でもその女性は絶世の美女でお金持ちの名
家の出だ」
 ヤンはシェーンコップに問いかけた。
「なのに知り合いは友人の方がいいと言う。同性愛者で無い
のに何故?」
「そんな事決まっているじゃないですか」
呆れたような声でシェーンコップは答えた。
「その知り合いとやらが友達の事を愛しているからですよ」
「男同士なのに?」
「何故閣下はそこに拘るのですかな?」
 シェーンコップはため息をつくと真剣な顔をした。
「同性であろうとも異性であろうとも愛してしまえば関係無
いんですよ。性別なんて単なる体の構造の差に過ぎません」
「極論だね」
「大切なのは精神、心の結びつきです。愛しいという気持が
あれば同性でも異性でも恋愛は成立するんです」
「・・・そうなのか、ところでシェーンコップは私に愛を囁
いていたけれどそれは精神的な結びつきを求めてかい?」
「+肉体も含めてですね、私は聖人君子では無いので肉体で
愛を確かめるタイプなのですよ」
「そうか。あいにく私は恋愛音痴でね、君の期待には答えられそうに無い」
「本当に閣下は面白い方ですね、ちなみに振られたのは初めてですよ」
「そうかい、それは悪かった」
「男に告白したのも振られたのも閣下が最初です。ますます興味が湧いてきました」
「好奇心で人を振り回さないでくれよ」
「努力します、では」
 シェーンコップは敬礼し部屋を出て行く、
「そういえば、知り合いと友人はその後どうなったのですか?」
 出て行く際に問いかけると、別れたらしいよ、という答えが返ってきた。

 ワルターフォンシェーンコップ率いるローゼンリッターは見事作戦を完遂させた。
 傷ついた帝国軍を装いイゼルローンに進入し内部から要塞を占拠したのだ。
 同盟軍の血が一滴も流れない無血占領であった。
この戦果が本土に流れるや大変な興奮と歓喜に包まれた。
「ミラクルヤン、魔術師ヤン」
「エルファシルの英雄 アスターテの英雄、そしてイゼルロ
―ンの英雄っ」
「同盟最大の智将っ彼がいれば帝国に負けることは無いっ」
「否っ負けるのでは無いっ勝てるのだっ彼こそ帝国500年
の悪しき専制政治を打倒することが出来る英雄っ」
「ヤンウェンリー万歳、自由惑星同盟万歳っ」
「民主主義に栄光あれっ」
民衆はイゼルローン占領という奇跡に酔いしれた。
しかも無血占領という魔術に驚喜した。
そして勘違いしてしまった。
同盟は強い。
帝国に勝てるほど強いのだと。


 尤も民衆ばかりを責められまい。
 イゼルローン要塞はそれ程強い影響力を持っていたのだ。
帝国は全てイゼルローンから侵略してくる。
同盟の戦いは全てイゼルローン海域で行なわれる。
要塞が建設して幾年月。
 何時の間にか帝国とイゼルローンは同義語になっていたの
である。
 難攻不落の要塞を落とした事で人々は誤解してしまった。
 全ての勝利を手に入れた気になってしまった。
本当はその先にこそ帝国があり、イゼルローンは玄関に過
ぎない事を忘れてしまった。
忘れたのは民衆だけでない。
軍部すらこの奇跡の勝利に我を忘れた。
 アスターテの無様な大敗北を補い支持率の落ちている政権
を維持するにはもっと大規模な勝利が必要なのだ。
アムリッツァ会戦は打算と政治的配慮によって作戦を立て
られる。
イゼルローンを落とした事でヤンウェンリーの読み、と
いうよりはささやかな願望は見事に打ち砕かれる。
 政府は帝国への逆侵攻を決断した。
 


 イゼルローン要塞を落とした事をヤンが後悔したのは言う
までもない。
 要塞を占領した事で同盟が停戦を申し込むなどと夢を見た
ばかりに酷い結果になってしまった。
ヤンは理想主義者では無いが民主政治に過ぎた希望を抱い
た事が更に事態を悪化させたのだ。
 政府が私利私欲の権化と化しているのは十分承知している。
しかし民衆は、一般市民は、マスメディアはまだ民主主義
の理念を持っていると思いたかったのだ。
政府が逆侵攻を示してもそれを支持しないと信じたかった。
 ヤンの願望は無残に敗れ去った。
しかし悪い事ばかりでは無い。
ヤンはイゼルローン攻略で得がたい部下を手に入れた。
 ワルターフォンシェーンコップ率いるローゼンリッターと
副官、フリデリカ グリーンヒルである。
グリーンヒル大将の娘であるフリデリカは軍事学校次席と
いう上官よりも極めて優秀な成績で卒業し、抜群の記憶力と冷静な判断力を兼ね備えていた。
 加え若さと利発な美貌を持っている。
 女性の部下を持つことは初めてで戸惑っていたヤンだがすぐ彼女の優秀な能力を信頼するようになった。
 ヤンとフリデリカはエルファシルで会っているらしい。
 すっかり忘れていた逃亡劇の準備で忙しいヤンにコーヒーの差し入れをしてくれたそうだ。
 その頃からフリデリカはヤンの信望者であったがヤンは彼女を覚えていなかった。


 アムリッツア会戦の戦略は愚かで粗雑な物だった。
 戦術は話にもならない愚作。
 この作戦を立案したエドワード フォーク准将は自身の才能を現すのに実戦では無く詭弁を用いる。
 作戦会議はフォークの演説場と化し、そこにいる全ての軍人を辟易させた。
 同盟が大群を持って帝国へ侵攻する。
途中訪れる帝国領の惑星を解放しながら。
荒唐無稽な絵空事。
物の分かる人間ならすぐに計画の落ち度に気が付く。
補給の重要性が抜けている。
帝国の分断戦術の危険性を考慮していない。
解放という名で占領した惑星への支援が欠けている。
誰でも分かる事実に政府は目を背けた。
自身の政権を守るためだけに絵に描いた大攻勢の大勝利に酔いしれる。
トリューニヒト政権の支持率は帝国侵攻と発表後70%にまで跳ね上がった。
 民衆が支持している。
 そう言われては反論しても封じ込まれる。
 その危険性をどれだけ指摘しても臆病者と罵られる。
 ヤンを初め数人の見識ある軍人は暗い未来を予見して肩を
落とした。
アムリッツァは必ず負ける。
 しかもそれはかつて無いほど同盟に傷を与えるだろう。
 ひょっとしたら致命傷になるかもしれない。
 分かっているのに政府には逆らえない。
 どれほど愚行だと分かっていても、政府は民衆が選んだ
組織なのだから。
 ヤンは民主主義の限界を感じ脱力した。
同盟は自ら死地に迎い大行進を始めた。

 
イゼルローン陥落
 この報は帝国を震撼させた。
 多くの疑惑と陰謀が渦巻く。
 崩壊しかかっている専制政治に爆弾を投げ込んだ。
イゼルローンという存在は同盟だけでなく帝国にも重要な
意味を持っていた。
叛徒への制裁の拠点。
そこを握っている限り帝国は優位に立っていられた。
そのバランスが崩れる。
同盟がイゼルローンを通過し、帝国へ逆侵攻するという情
報はフェザーンを介して伝えられる。
 報告を受けたラインハルトは一笑にふした。
「態々死地へ出向いてくるのか、愚かな同盟は」
作戦の簡略を聞いただけで粗雑さに笑いが込み上げてくる。
 せっかくイゼルローンを手に入れたのに有効に使わず自ら
火中に飛び込んでくるとは。
「所詮同盟はこのレベル、恐るるに足らず」
 ラインハルトは言い放ったが一つだけ気がかりがあった。
 ヤンウェンリー
 イゼルローンを無血で占領した同盟の智将だ。
 何故彼がいながらアムリッツァなどという愚かな侵攻を行
なうのか。
「帝国だけでなく同盟も大変なのだな」
そう言うしかない。
 ヤンウェンリー。
 この名はイゼルローン陥落の後一気に知れ渡った。
 帝国軍人なら知らぬものはいない。
誰も考え付かなかった奇策を用いてあの強固な無敵要塞を
手に入れた男。
 ヤンは知らぬことだが帝国で知名度は跳ね上がった。
 ロボス元帥やビュコック元帥、グリーンヒル大将など重要
人物よりもはるかに有名になる。
ヨブトリューニヒトの名は知らなくともヤンウェンリー
は知っている。
 名立たる軍人や将校にとってヤンは標的となった。
 あのイゼルローンを陥落した同盟軍人と戦い勝利したい。
 彼を打ち砕けば己の名声は格段に跳ね上がる。
 ヤンは帝国にとって唯の大将では無い。
 あのイゼルローンを陥落したヤンウェンリーなのだ。
 ビッテンフェルト、ケンプ、メックリンガー、そして当然
ラインハルトの標的となった。
 ミッターマイヤーとロイエンタールも他者と同様ヤンに焦点を合わせた。

 アムリッツァ会戦は同盟にとって残酷な、帝国にとって当
然な結果で終わった。 
 ヤンの危惧した通り、補給ルートを絶たれた同盟軍は解放
地で略奪を開始する。
船団は分裂され、同盟軍は戦うよりもまず飢えに苦しんだ。
占領地は抵抗を開始する、
 事態はヤンの想像をはるかに上回る残酷さであった。
元々成功する可能性は0の作戦だったのだ。
だが失敗の大きさに誰もが絶句した。
同盟軍は逃げ惑い帝国軍の砲火にさらされる。
 戦争の損失と言うだけでは済まされない人命と艦隊が失わ
れる。
 ヤンの率いる第13艦隊も例外では無かった。
 孤立無援の戦いを余儀なくされた。
 その後残った艦隊を率いて戦地を脱出する。
 酷い話だがヤンで無ければ不可能だっただろう。
 作戦に反対したヤンのみが同盟軍の全滅を阻止出来たのだ。
 アムリッツァでヤンの知名度は更に上がった。
 同盟はもちろん、帝国でも。
 帝国の中でヤンという存在は無視出来ない程大きくなって
いく。
 帝国軍が叛徒と戦うのでは無くヤンウェンリーと戦うとい
う間違った・・・ある意味正しい認識を持つのはこの会戦か
らであった。
 イゼルローン占領で舞い上がっていた同盟は失意に陥った。
 アムリッツァの大敗はそれまでの戦績を覆すほど大きく
人々を悲嘆させた。
 もう戦争などしたくない。
 平和が欲しい。
 そう願う人々の言葉は政府によって無視される。
 マスメディアは完全に政府の宣伝機関に成り下がる。
 憂慮すべき事態だった。
アーレハイネセンが示した建国の意思はすでに失われて
いる。
 腐敗しているハイネセンでクーデターが起こったのは4
月。捕虜交換式も終わりようやく一息ついた所の知らせに
周囲は驚愕したがヤンは驚かなかった。
このクーデターは以前から予期していた。
帝国のラインハルトが自国の内戦中、同盟を押さえつけるための罠だと見抜いている。
しかしその首謀者がドワイド グリーンヒル大将だとは想像もしていなかった。


 同じ頃、帝国でも内戦が勃発していた。
 ラインハルトと門閥貴族の争いはすでに表面化している。
 後は機会を待つのみ。
 時代は急速に加速してそれまでの流れを変えていく。
 気が付かないのは貴族のみだろう。
 否、同盟の政府達も時代を読んでいなかった。
 同時期、同盟の民主主義と帝国のゴールデンバウム王朝が滅びようとしている。
まさに運命の悪戯。
それとも時代の欲する結果なのか。
 二つの政治体制は吸引力を失い暴走していく。
 それはフェザーンというもう一つの政治形態をも巻き込ん
でいく。
 利用するつもりでも所詮は寄生虫。
 銀河を制する3つの国が存亡の危機の淵にいることを責任
者は気付かなかった。


 アムリッツァの後、ヤンは自己否定と後悔に苛まれた。
 負けることが分かっていながら強固に反対しなかった自分
を悔やんでも悔やみきれない。
多くの、あまりにも多すぎる犠牲があった。
 兵士の大半はこの会戦の意味も判らず死んだ。
 もし、あの時もっと反対していたらどうなっていただろう?
 考えても意味は無い。
 きっとヤンが言葉を尽くしても戦争は行なわれただろう。
 しかし本当にそうだろうか?
 ヤンは途中で諦めてしまった。
 自分ごときが何を言っても無駄なのだと放り出してしまった。
 結果がこれだ。
 考えてみれば自分は何時もこの調子だった。
エルファシルの時も、逃げ出す上官を止めはしなかった。
 アスターテの時も耳を塞ぐ上官を説得しなかった。
 アムリッツァでは負けると分かっていながら出陣した。
 説得しても無駄だから。
 政府の決定を支持しているのは民衆だから。
 自分ごときが何を言っても聞き入れられないから。
 その結果がどうだ?
 どんどん悪い方向へ向かっている。
 ヤンは自分を責めた。
 命をかけて反対しない自分こそが一番の加害者なのだと
思った。
 考えてみれば自分は昔からこうだった。
 都合のいい方へ流され将来を見据えない。
 分かっているのに抵抗するのを諦めてしまう。
 昔からこうだった。
 もしあの時、彼女の弾劾に反論していたら?
 彼が好きだと言っていたら?
 彼に抱かれるのを拒否していたら?
 同性愛は大罪だとはっきり拒絶していたら?
 愛していると囁かれた時、愛していないと答えていたら?
 もしくは自分も愛していると答えたら?
 運命は変わっていた。
 ヤンは思い知らされる。
 自分がいかに優柔不断なのかを見せ付けられた。
 今回もそうだ。
 クーデターが起こる危険性を十分分かっていながら具体的
な対策を怠った。
 ビュコック提督に万が一の時は兵を動かす許可を貰ってい
ただけだ。
 ただそれだけ。
 何時も命令されてからしか動かない。
 自己嫌悪にまみれながらもヤン艦隊は着実に成果を上げる。
 アルテミスの首飾りを全て破壊し、救国軍事会議は崩壊し
た。首謀者のグリーンヒル大将は自害と伝えられた。


 帝国ではブラウンシュバイク候率いる貴族連合とラインハ
ルトが争っていた。
 否、争っていたというのは違う。
 ラインハルトが隠していた牙を剥き、貴族という獲物を仕
留めにかかったのだ。
 そもそも戦術も戦略も分かっていない貴族に戦争など出来
る訳が無い。
戦争だけで無い。
政治も経済も統治も、指導者とは何たるかを全く理解して
いない貴族にこの国を支配する権利は無かったのだ。
なのにルドルフという異常者がその制度を造り、能力の無
い人間に特権を与えた。
それが500年も続いた事が間違いだったのだ。
 ラインハルトと彼に従う幕僚は続々と貴族を捕らえる。
その中にロイエンタールとミッターマイヤーの姿があっ
たのは言うまでも無い。
 現在ラインハルトの右腕はジークフリードキルヒアイス。
 彼はブラウンシュバイク候の部下アンスバッハの凶弾か
ら身を挺してラインハルトを守った忠臣である。
肩に酷い怪我を負い、一時オーディーンで療養していたが
命には別状無い。
 ナンバー2であるキルヒアイスに一歩引いてロイエンター
ルとミッターマイヤー、そしてオーベルシュタインが並ぶ。
 彼等の背後にはメックリンガーやミュラー、ビッテンフェ
ルトなど有能な幕僚が揃っている。
ラインハルトは貪欲なまでに人材を集めた。
 そして有能な人間は英雄の下へ集まるのであった。
 貴族連合との戦いはラインハルトの圧勝で幕を閉じた。
 敗北した大貴族は名誉有る自害を強要されるか、または不
名誉な命乞いの挙句拘禁された。
「まさか貴族社会がこうも呆気なく終焉を迎えるとはな」
 ミッターマイヤーは感慨深げだった。
「そうだな、何時かはと思っていたがここまで早いとは思わ
なかった。全てはローエングラム候のお力だろう」
 ラインハルト無くして改革はありえなかった。
 それは幕僚のみならず帝国に生きる者全ての感想だろう。
(そう、あの天才ならばきっと同盟も滅ぼすに違いない)
 ロイエンタールは心の中でそう付け加える。
 彼はこれだけでは終わらない。
 貴族を倒し、帝国を手に入れた後は同盟という新たな獲物
が待っている。
 自由惑星同盟・・・ヤンウェンリーが。
 ラインハルトがヤンに固執しているのは傍から見てもあき
らかであった。
 元々一本気な主君は自分の感情を隠そうとしない。
(だがヤンウェンリーを殺すのは俺だ)
 それだけを誓い生きている。
 貴族の敗北、ローエングラム王朝の確立などロイエンター
ルには関係なかった。
 それは足がかりにすぎない。
 同盟を滅ぼすための。
 心の中で呪詛を唱えながらおくびにも出さずミッターマイ
ヤーの言葉に相槌を打った。
 もうすぐこの長年の憎しみから解放される。
 同盟の滅亡、
 ヤンウェンリーの死によって。
 ロイエンタールはそっと口元に微笑を寄せた。

 クーデター軍を全て逮捕した後、ヤンは大いなる災難に見
舞われた。
 同盟のトップ、最高権力者であるヨブトリューニヒトが
のうのうと姿を現したのだ。
 クーデターが起きた自身の責任を問わず厚顔無恥にもヤ
ンに握手を強要しそれをマスメディアで放送する。
 一般市民にとってヤンウェンリーは軍の象徴であった。
 救国軍事会議とは違う真の同盟軍のシンボル。
 そのヤンと握手したことでトリューニヒトは軍に認められ
ている自身をアピールした。
 最悪だった。
 握手の後、ヤンは赤く腫れあがるまで手を洗う。
 洗っても洗っても見えない汚れはこびりついている。
 民主主義が選んだ最悪の独裁者と手を繋いだ感触にヤン
は鳥肌を立てた。
 どれ程洗ってもその感触は消えることは無かった。
 イゼルローンに帰りようやく一心地ついたヤンに査問会か
ら召集令状が届く。
 なんら法的根拠の無いヤンをつるし上げるための査問会。
 同盟軍人であるヤンは拒否することが出来なかった。
 査問会はハイネセンで行なわれヤンはマシュンゴとフリデ
リカグリーンヒルを同行した。
 まず最初にアルテミスの首飾りを全破壊したことを追及さ
れる。
 答えると因縁としか言い様の無い中傷を浴びせてくる。
 ヤンの我慢は限界であった。
 そして考える。
 こうなったのには自分にも責任があるのでは無いか?
 逆説的ではあるがヤンが同盟軍の全滅を回避したから彼等
は権力者の座に収まってヤンを弾劾してくる。
 もし帝国に負けていたら今頃彼等はここにいない。
 ヨブトリューニヒトは政権を追われ帝国の支配が待ってい
る。
 今自分を憤慨させている査問会。
 それは全てヤン本人が呼び寄せた災難では無いのか?
 全てそうだ。
 ヤンが嫌々ながらも艦隊を動かし戦局が変わる。
 負けるはずだった同盟軍は勝利せずとも敗北せず生き残り
大嫌いなトリューニヒト政権は継続する。
 一番嫌悪しているトリューニヒトを支えているのは実はヤ
ンウェンリー自身なのだ。
 査問会を仕組んだのは最高評議会議長。
 彼の政権を存続させるためにヤンは戦地で人殺しをする。
 利用されていると叫ぶ訳にはいかない。
 ヨブトリューニヒトは国民が選んだ正真正銘の最高責任者
なのだから。
 これが民主主義、
 ヤンは叫びたくなるのを必死で堪えた。
 しかし頭の中に一度浮かんだ思考は消せない。
 手元に一通の辞表を用意した。
 タイミング良く出してそれで終わり。
 ずっと除隊しなかったのは仲間への愛情、同盟への義理。
 だがヤンが留まることで戦局は悪化する。
 被害は拡大する。
 ならば一時は非難されても退役するべきでは無いか?
 ヤンのいなくなった同盟は帝国に負けるだろう。
 奢っている訳では無いがこれは事実だ。
 ヤン一人ががんばって戦局を長引かせるよりは効果がある。
 考えた末の結論だった。
ネグロポンティのいじめが最高潮に達した瞬間、ヤンは辞
表を叩きつけた。
「なっ何を考えている?ヤンウェンリー」
「気でも狂ったか?」
 まさかヤンがここまで潔いとは誰も考えていなかったのだ
ろう。
 慌てふためく査問会にヤンは一瞥をくれる。
「私の行なった軍事活動は今この場で査問の対象となってお
ります。言われも無い査問会で不服ですが疑いを持たれたの
も事実。この際潔く退役し現在の任務から離れます。そうす
ることで疑惑も晴れるでしょう」
 ネグロポンティ率いる査問会は顔を見合わせた。
「と、とりあえず辞表は保留にして一時閉会する、ヤンウェ
ンリーは別室で待機するように」
 大人しく出て行った後、部屋中は怒気で満ち溢れた。
「なんだあの態度はっあれではまるで脅迫ではないか」
「自分のみがイゼルローンを支えていると勘違いしているっ
まさに危険思想、最重要危険人物だ」
「所詮運だけでエルファシル、アスターテ、アムリッツァ
そしてクーデターを御しただけでは無いか」
「他人の失敗なくしては成功出来ぬ男だ、ヤンウェンリーと
は」
「その通り、他者の失敗の上に胡坐をかいている。勝利を掠
め取る鼠にすぎない」
 コホンッとエンリケ・マルチノ・ボルジェス・デ・アラン
テス・エ・オリベイラが口を挟んだ。
 この長い長い名前の男は国立中央自治大学の学長である。
 今回の件でオブザーバーとして出席していた。
 もちろん彼もトリューニヒト派の重鎮である。
「まあ、ヤンウェンリーが辞職するならば仕方ありません、
好きにさせたらいいじゃないですか」
 何を馬鹿なっと絶句する他の議員に向かいオリベイラは告
げる。
「ヤンウェンリー無くしてはイゼルローンが成り立たないと
いうのは間違った認識ですよ、皆さん」
「どういう事ですか?」
「確かにイゼルローンを手に入れるまではヤンウェンリーの
ペテンともいえる奇策は必要でした。しかしもう手に入れた
ので魔術もペテンも必要ない」
「そうでしたな、既にイゼルローンは優秀な士官の下正常
な運営を果たしている」
「手に入れるために奇策が必要でも実際運営するのに必要
なのは実直な手腕と手堅い統率力です」
「ヤンウェンリーには両方欠けているなっ」
「あれは負け戦のマジックは得意でも軍人としての規律、模
範には欠けている。もうイゼルローンは手に入ったのだから
確実な軍人に任せたほうがより効率的に運営できる」
 確実な・・・の裏にはトリューニヒト派という言葉が隠さ
れている。
「なにも同盟領になったイゼルローンの管理まで彼に任せて
おくことは無い。イゼルローンがこちらの手にある以上、帝
国ももう侵攻出来ませんしな、本人もああ言っているんです。
止めさせてやるのが人の情というものでしょう」
 賛同の声が沸きあがる。
 一人声を発しないのはホアンルイだけであった。
 しかし彼はこの査問会での発言権は無きに等しく声を上げ
ないことだけが彼の唯一の抵抗であった。
 ヤンの辞表は速やかに迅速に行なわれる筈であった。
 しかし、ここで異を唱える人物が現れたのだ。
 意外なことにそれは黒幕、ヨブトリューニヒトであった。


 辞表を提出し、ベイ少将によって車に押し込まれる。
「ホテルへ帰る道筋とは違うんじゃないのか?」
 ヤンの問いかけにベイは答えなかった。
 ハイネセンのハイウェイを車で走ること30分、着いた場
所は市民の水準からかけ離れた館であった。
 帝国貴族の館程あからさまでは無いがいたるところに金を
使った豪邸である。
 見た瞬間嫌な予感がした。
 そしてこういう時のヤンの予想は確実に当たる。
「待っていたよ、ヤンウェンリー大将」
 同盟の最高評議会議長は甘いマスクに酷薄な笑みを浮かべ
彼を受け入れた。
 無駄に広い応接室に通されベイは廊下で控える。
 二人きりになると息苦しさに喉元を押さえた。
 この男から腐臭が漂ってきてそれがヤンを苦しめる。
 ヤン以外は嗅ぎ取ることの無い、戦争という人殺しを私利
私欲の道具にする獣の死臭。
「ネグロポンティ君に辞表を提出したそうだね」
「同盟軍に辞表を出したのです」
 トリューニヒトは笑みを張り付かせてヤンにワインを勧め
た。
「ヤン大将は紅茶入りのブランデーがお好みのようだがこの
ワインも悪くないよ、年代物で私のコレクションだ」
「ワインは嫌いです」
 本当は好きだがトリューニヒトのワインというだけで絶対
に口にしたくない。
 失礼な口調を受け流して彼は議長は本題に入った。
「この時期に辞表とは軽慮では無いかな?君は同盟軍の大
将なんだよ」
「査問会でいじめられる程度の地位ですがね」
「あの査問会は私も納得していない。ネグロポンティ君や他
の良識派が君の行動の真意を明らかにした方がいいと言うの
でしぶしぶ許可しただけだ」
 嘘を付け。お前がやらせたくせに。
 心の中で唱えるがヤンは大人なので口に出さなかった。
「独裁政治を打倒し自由民主主義を宇宙全土の政治体制にす
るこの時期に辞表とは無責任では無いのかな?」
「逆侵攻をしたアムリッツァでは大敗しましたね」
 トリューニヒトはわざとらしくため息を付いた。
「私もあの逆侵攻は反対だった。それは明記している」
 しかし止めなかった。
 喉元まで出かかった言葉をヤンは飲み込む。
「君が総指揮を取っていたらもちろん私は賛成したよ」
「おだてても無駄です」
 君なら出来る。
 君にしか出来ない。
 言葉の魔術で幾多の人が道を誤っただろうか。
「事実だ。今の帝国に対抗出来るのはヤンウェンリー以外い
ない」
 私は君を評価しているのだよ。
「私にローエングラム候と戦えと?」
 そのための指揮権も与えないで何を言うか?
「君が望めばその地位は用意しよう」
 私的行為で地位に付かせるのは帝国貴族社会よりももっと
醜悪な犯罪だ。
 トリューニヒト派に入れと言うのか
「何が目的で帝国と戦うのですか?」
「おかしな事を言うね、我が同盟軍大将閣下は、もちろん民
主主義のためだ、独裁政治を打倒するために決まっている」
「ゴールデンバウム王朝は実質ローエングラム候ラインハル
トによって解体されようとしています。ローエングラム候は
独裁政治への抵抗勢力です、自由惑星同盟はゴールデンバウ
ム王朝へのアンチテーゼとして生まれた。両者の目的は一つ
でしょう」
 初めてトリューニヒトの顔から嘘くさい笑みが消えた。
「君は勘違いしているようだね、帝国を打倒するのは自由惑
星同盟の使命なのだ。今彼等と和平などという妥協をしたら
戦争で死んだ者が浮かばれまい」
「これからも死者を出し続けるよりはましでしょう」
 浮かばれなくても死者は何も言わない。
 生きていないのだから。
「どうやら君は非情に危険思想の持ち主らしいね」
 トリューニヒトがゆっくりと立ち上がった。
「ネグロポンティ君が査問会を開いたのも分かる。君は同盟
にとって諸刃の剣だ」
「ならば止めさせればいいでしょう、辞表はもう提出して
あります」
「そうはいかない。君には戦ってもらう。同盟を勝利に導く
義務が君にはある」
 何故そこまで打倒帝国に拘るのか?
 ヤンは裏にあるトリューニヒトの考えを見抜いていた。
 彼は手に入れたいのだ。
 最高権力を。
 同盟史上初めて帝国を倒した最高評議会議長。
 帝国を統合し宇宙唯一の国家となった自由惑星同盟の最高
責任者として君臨したいのだ。
 血筋で継承されていく独裁者と民衆を操りその支持で生ま
れた独裁者。
 どちらがより酷いだろうか。
 己の考えにぞっとした時、ヤンに隙が出来た。
「私は君の才能を評価しているのだよ」
 声は間近から聞こえた。
 腕を取られ引き寄せられる。
「何をするんですっ」
「最初から君には注目していた。エルファシルの英雄、アス
ターテの智将、イゼルローンの魔術師、そしてアムリッツァ
の功労者」
 トリューニヒトの目は異様に輝いている。
「クーデターすらなんなく沈めてしまう。救国軍事会議の連
中は今頃墓場で君を呪っているだろうな、ヤンウェンリーさ
えいなければ成功した。君が邪魔をしたと」
 政治家だというのにトリューニヒトの力は強かった。
 スーツに隠れて見えない鍛え上げられた体で襲い掛かる。
「やめろっ人を呼ぶぞっ」
 抵抗したヤンは絨毯の上に押さえつけられた。
「ベイ少将なら絶対にこの部屋に入ってこない」
「下種がっ」
 唾を吐きかけると平手が飛んできた。
「生意気な英雄だ。そう、君は昔から生意気だった。私が幾
ら手を差し伸べても振り向きもしない。君さえ望めばどんな
地位も権力も用意したのに」
 代償はトリューニヒトへの忠誠。
 トリューニヒトの野望をかなえるための道具になど絶対に
ならない。
 エルファシルの頃からヤンはトリューニヒトに誘われてい
た。
 公的な賛辞、口だけの賞賛、そして個人的なプレゼント、
 当然受け取らなかったし会談や食事の誘いも病気や任務を
理由に断り続けた。
 トリューニヒトはこの若い英雄をなんとしても自分の派閥
に取り込みたかった。
 それが無理だと知れば有形無形で圧力をかけてきた。
 しかしヤンは政府の圧力に屈せず功績を上げていく。
 人々が無視出来ない程巨大な実績を積み重ねる。
 トリューニヒトにとってヤンウェンリーは唯一の脅威だ。
 自分の味方にならない英雄など必要無い。
 だが彼無くして真の目的、全宇宙の民主主義化、統一され
た国家の最高責任者という野望は達成出来ない。
 今までトリューニヒトは政治的手腕を持ってヤンを屈服さ
せようとしてきた。
だがとうとう彼は辞表を提出してきた。
 最後の切り札。ジョーカーを出してくる。
「軍を除隊することは最高責任者である私が許可しない。
君は戦うんだ、私のために」
 ねっとりとした舌がヤンの首筋を舐める。
「いっ嫌だっやめろぉっ」
「聞き分けの無い人間にはそれなりの罰を与えよう」
「この程度の暴力で私が屈するとでもっ」
 トリューニヒトはいやらしい笑いを浮かべた。
「証拠写真を撮らせてもらう。イゼルローンにいる君の部下
や被保護者には見せられないような濃厚な写真を」
「卑怯者っ」
「軍人なのに華奢だな、肌も白くて触り心地がいい」
「ひぃっやめろっ」
 トリューニヒトの手がヤンの軍服に差し入れられる。
「私は男色家では無いが君相手なら楽しめそうだ」
 好色な動きで胸の飾りを弄ってくる。
「やっ絶対に嫌だっ」
「嫌でも逃げられないぞ。いままで私の手を拒み続けてきた
つけが今回ってきたのだ」
 トリューニヒトの荒い息が顔にかかる。
 ヤンは吐き気と悪寒で死にそうだった。
 胸を弄られても下肢を触られても快感は微塵も起こらない。
 それよりも恐怖がヤンを支配している。
「いやだっ絶対にいやだっ触るなっ私に障るなっ」
「まるで子供だな、同じ言葉を繰り返す」
 全身に鳥肌を立てヤンは拒んだ。
 どうしてもこの男にだけは触られたくない。
 否、こいつだけじゃない。
 誰にも触られたくない。
 男はもちろん女にも、誰にも・・・
 彼以外には触られたくないっ
 この体に触れていいのは、抱きしめてもいいのは彼だけだ。
 理性など無かった。
 この世で一番嫌いな男に犯されようとしている嫌悪でも無
かった。
 本能だけでヤンは叫んでいた。
ロイッ
 心の中で名を呼ぶ。
 あの日から決して口にしないと決めていた名前を胸の内
で叫んでしまう。
 ヤンは覚悟を決めトリューニヒトを睨み付けた。
「もしこれ以上の行為を強要するなら私は舌を噛んで死に
ます」
「陳腐な脅し文句だな、ヤンウェンリー」
「あなたに犯されるくらいなら死んだ方がましです」
 ヤンの瞳の奥に本気を見たのだろう。
 トリューニヒトは体を起こし憎々しげに呟いた。
「全く嫌な存在だな、君は」
「お互い様でしょう」
 衣服の乱れを直すとヤンは立ち上がる。
「辞表は認めない、君は同盟軍大将として任務を遂行したま
え」
 それだけ言うと外のベイに声をかける。
「英雄殿がお帰りだ、送ってさしあげろ」
 ホテルに帰ると急報がヤンを出迎えた。
 イゼルローンに帝国が侵攻してきたのだ。
 今度はガイエスブルグ要塞を引き連れて。
 辞表はうやむやになりヤンは即イゼルローンへ引き返した


 巨大要塞イゼルローン、その前に立ちはだかるは同じ要塞
ガイエスブルグ
 主砲の打ち合いの後、戦局は硬直状態に入った。
「ヤンさえ帰ってくれば助かるっ持ちこたえるんだっ」
 キャゼルヌの激励が司令室に響き渡る。
 その言葉は正しかった。
 イゼルローン全員が待ちわびた司令官は戻るとこちらへ突
進してきたガイエスブルグのエンジンに攻撃をかける。
 狙いは的中しガイエスブルグは爆発した。
 帝国軍はこの戦いで9割の死者を出した。
 イゼルローン攻略失敗、ガイエスブルグ撃沈、
 ケンプ大将は殉死。
 ミュラー大将は全治三ヶ月の重症を追った。

「また、ヤンウェンリーか」
 貴族を討伐しラインハルト率いる新体制へ移行しようとし
ていた帝国軍はこの訃報に肩を落とす。
 ガイエスブルグは成功すると思っていただけに落胆の色を
隠せない。
 帝国がラインハルトによって統一されようとしている今、
喉に引っかかる小骨は同盟だけであった。
 否、同盟で無くヤンウェンリーである。
 ラインハルトはフェザーンと通じ、邪魔になるものを一
気に処分する策を立てた。
 同盟とゴールデンバウム最後の幼皇帝エルウィンヨーゼ
フ二世。
 フェザーンが残党貴族を唆し幼い皇帝を同盟に亡命させる。
 同盟はどう動くか?
 今ラインハルトはフェザーンの情報網を使い同盟の内情
を全て知っている。
 ヨブトリューニヒト政権の実態を
 ヤンウェンリーの置かれた状態を。
 同盟は間違いなく皇帝を擁護し帝国を批判するだろう。
 人気取りの手段として利用する。
 その結果がどうなるか想像もしないで。
 彼等はイゼルローンを抑えているから大丈夫だろうと勘
違いしている。
「多分、ヤンウェンリーは看破しているだろうな」
 ラインハルトは密かに笑った。
「余がフェザーン回廊を抜けて同盟へ侵攻することを見抜い
ているだろう、しかし何も出来まい」
 魔術師の千里眼があろうとも、彼は事態を止めるだけの政
治権力を持っていない。
 ヤンが政府にうとまれていることがラインハルトを手助け
するのだ。
「皮肉だがこれも運命、余は次こそヤンウェンリーに勝利す
る」
 皇帝が同盟支配に拘るのはヤンが一因であった。
 正直、現在の衆愚政治など興味は無い。
 ラインハルトが皇帝について何年も経たぬ内に内政破綻で
自滅することは見えている。
 放って置けば良いのに態々出向くのはヤンウェンリーのた
めだ。
 同盟政府だけでなく帝国もヤンを最重要危険人物と見なし
ていた。
 もし現同盟政府が倒れた後、ヤン政権が発足したら?
 それはいらぬ心配では無く予見であった。
 今の同盟政府は崩壊へのダンスを踊っている。
 崩壊後、同盟を背負って立つ政治家はいない。
 だとすれば人々が最後に頼るのは英雄ヤンウェンリーのみ。
 ヤンの政治的手腕は分からない。
 分からないからこそ未知数の危険を考慮しなければいけな
い。
 ヤンが政権を握り大きく育ってからでは被害は大きくなる。
 今、同盟が尤も弱体化しているこの時期に芽を摘み取る事
が必要だ。
 ラインハルト個人の感情としてもう一度ヤンと戦いたかっ
た。
 武人としての誇りがヤンとの再戦を願う。
 公の侵攻目的と個人の希望が一致した結果、見事な侵攻
作戦の計画が出来上がった。
 神々の黄昏。
 ラグナロック作戦である。
 


 皇帝誘拐、当事者から言わせると保護した残党貴族は同
盟に亡命した。
 政府は暖かく打算に満ちた温情を持って迎え入れる。
 トリューニヒトの美辞麗句に満ちた演説が全宇宙に放送さ
れた。
「同盟諸君。非道な行為で幼い皇帝から地位を略奪し、国家
を私物化し独裁者となったラインハルト フォン ローエ
ングラムを許していいのでしょうか?危機は帝国だけでな
く同盟にも迫っています。彼の野望は同盟をも支配し全宇宙の王者として君臨することにあります。民主主義の旗の下、我らはローエングラムの蛮行を阻止しなければなりません。
帝国を排除してこそ真の平和と民主主義が訪れるのです」
自分の演説に酔いしれるトリューニヒト。
 彼は今、その人生最大にして最高の舞台に立っている。。
 自由惑星同盟に壊滅的打撃を与える死の演説
 振付師はラインハルト フォン ローエングラム。
 主演はトリューニヒト、脇役は呼応する民衆
 振付師の思惑通り、舞台は順調に幕を上げた。
 演目は自由惑星同盟の終末である。


 分かりきっていたことだがその報告を受け、ヤンはため息をついた。
「一応ハイネセンにはイゼルローンに侵攻してくる軍は陽動
であり本体はフェザーンを介して同盟に侵攻してくると伝え
たけど一笑にふされたよ」
 ヤンはユリアンにだけは打ち明ける。
「同盟はもう駄目だ。だが間違えてはいけない。自由惑星同
盟が滅亡するだけであって民主主義が途絶える訳では無いか
ら」
「でも、宇宙で唯一の民主主義国家が滅びるかもしれないん
ですよ」
「民主主義というのは思想であって国家では無い。その思想
さえ忘れなければいいんだ」
 ヤンは寂しそうに言うとお茶を頼んだ。
 ユリアンもその時ばかりはたっぷりとブランデーを入れて
紅茶を差し出した。

 イゼルローン攻略の陽動部隊はオスカー フォン ロイエ
ンタール率いる3個艦隊であった。
この規模ならとても陽動とは考えられない。
 つまりラインハルトはこの作戦に全軍隊を動かしている
という事だ。
 ヤンの予想通り、想像を超えた艦隊がフェザーン回廊を
通過して同盟へ侵攻を開始した。
 もう止められない。
 同盟の滅亡の秒読みが始まった。
 恐ろしい勢いでカウントが刻まれる。
 帝国貴族の滅亡も同じ状態だったのだろう。
 皮肉だった。
 同盟とゴールデンバウム王朝。
 敵対する二国は同じ速度で破滅へ突き進んでいく。
 ロイエンタール軍は陽動だと分かっていても無視出来ない。
 目の前の急事を処理しなければ前へは進めない。
 ヤンはイゼルローンに縛られ動けなくなる。
 その間に帝国軍は着々と同盟を料理していく。
 同盟滅亡の演目第二幕が開催される。
 振付師と主演はラインハルト フォン ローエングラム
 重厚な脇役は帝国の名立たる提督達。
 そして端役は同盟軍とその国家。
 題名は神々の黄昏
 

イゼルローンへの陽動作戦にロイエンタールは自ら名乗り
出た。
 初めミュラー辺りを当てようと考えていたカイザーだがロ
イエンタールの熱意に折れた。
「卿も武人、智将と呼ばれるヤンと一騎打ちしてみたい気持
は分からないでもないからな」
 ロイエンタールの熱意をそう解釈し、ラインハルトはその
要望を聞き入れた。
 ミッターマイヤーは複雑な気持を隠せなかった。
あれは何年前になるだろう。
 酒場でロイエンタールはヤンを殺すと断言した。
 酔った上での戯言と笑い飛ばせない真剣さであった。
 あれから数え切れない年が経った。
 しかし時はロイエンタールの憎しみを癒してくれなかった
のだろう。
 強すぎる憎悪は相手のみならず己をも破滅させる。
 ロイエンタールは憎しみのあまり私怨にかられ陽動の枠か
ら外れた動きをするかもしれない。
 智将、魔術師、ペテン師と呼ばれるヤンの策に引っかかっ
てしまうかもしれない。
 その不安をミッターマイヤーは押し殺した。
 ロイエンタールは俺と並ぶ帝国の双璧。
 その実力は戦友である俺が一番よく知っている。
 信じるんだ、ロイエンタールを。
 ミッターマイヤーは一滴の不安に目を瞑り、ラグナロックに出陣した。

 ロイエンタールの中でヤンへの憎悪は膨れ上がり破烈しそ
うになっている。
 それは出陣前のある出来事も拍車をかけていた。
ミッターマイヤーですら知らない更なる憎悪の原因。
 思い出すのも忌々しい一夜の悪夢。
 忘れようとしてもふとした弾みで頭を過ぎり、ロイエンタ
ールはイゼルローンへ向うトリスタンの中で拳を握り締め
た。
 

 ラグナロック作戦も詳細が決まり、出陣まで日まで後数日。
 その晩は酷い豪雨がオーディーンを襲っていた。
 会議が長引きロイエンタールが家路についたのは日付を越
えてから。
 車を降りた彼は眉を顰めた。
 家の前に女が立っている。
 傘もささずずぶぬれのまま女はロイエンタールの屋敷を見
上げている。
 昔捨てた女が恨み言でも言いに来たか?
 放っておく訳にもいかず声をかけた。
「おい女、この屋敷に何か用か?」
 声をかけられて女が振り向く。
「お前は?リヒテンラーデの姪か」
 抱いた女の顔など忘れたがこいつだけは覚えている。
 エルフリーデ フォン コールラウシュ
 ロイエンタールが出会った中で一番最悪の女。
 彼女は相手がロイエンタールだと分かると突進してきた。
「なにをするっ気でも狂ったか?」
 女の突撃を華麗に交わし手に持っていたナイフを叩き落す。
「殺してやるっオスカー フォン ロイエンタール」
「復讐か?くだらん」
「成り上がりの金髪の小僧と手を組み我ら門閥貴族を滅亡に
追い込んだ悪魔っ殺してやるわっ」
 昔、帝国一と呼ばれた美貌は見る影も無くやつれている。
「そんなくだらん理由でわざわざ俺を訪ねてきたのか、ご苦
労な事だ」
 ロイエンタールはそのまま見捨てて屋敷へ入ろうとした。
「殺してやるっ私にこんな汚辱を与えた貴方を許しはしな
い」
 彼女の持っていたナイフは一本では無かった。
 震える手でそれを構える彼女に嘲笑を向ける。
「武人である俺にナイフ一本で勝てると思っているのか?愚
かな、理性すらも捨てたか」
 エルフリーデはさけずみの眼差しに笑い返した。
「そうね、でもこうすることなら出来る」
ナイフを持ち帰ると自分の胸にあてた。
「演技臭いな」
「この場で死んでやるっリヒテンラーデの姪が屋敷の前で
自害っ人々は噂するでしょうっ屋敷の前で自害などよほどの
事だと。二人の間に何かあったのかと、疑惑が持ち上がり
あなたは閑職へ左遷させられるわ」
「狂人の戯言だな」
 今更門閥貴族の残りかすが自宅前で勝手に死んでも痛くも
かゆくも無い。
 だが今は時期が時期だ。
 ラグナロック前に余計な事で振り回されたくない。
エルフリーデの言う事は妄想に過ぎなくとも、万が一にも
イゼルローン陽動作戦から外される訳にはいかない。
 仕方なくロイエンタールは彼女を屋敷に連れ込んだ。
 屋敷は静かだった。
 2日後、ロイエンタールは戦場へ出る。
 何ヶ月も戻ってこないので使用人は暇を出したのだ。
 彼女を応接室のソファに座らせ警察局へ連絡を入れる。
 憲兵に来てもらい引き渡すつもりであった。
 しかし、電話が通じない。
 この嵐で回線が混乱しているのか時間が時間なだけに警察
局が誰もいないのか。
 仕方ない、緊急用の回線を使うか。
 本来ならこんな馬鹿げた事で緊急回線を使いたくないのだ
が、ロイエンタールが番号を押そうとしたその時。
 大人しく座っていたエルフリーデが背後から飛び掛ってき
たのだ。
 ちくりっと掌に何かが刺さる。
 ロイエンタールは彼女を払いのけた。
 女に暴力を振るうのは初めてだが今はそんな事を言ってい
られない。
 掌を見ると小さな傷跡に血が滲んでいる。
「貴様っ何をしたっ」
 猛毒の針や毒薬を隠し持っていて自害の時に使うのは貴族
の悪習である。
 ロイエンタールは急ぎ掌に口をあて吸いだした。
「そんな事をしても無駄よ、即効性で最高純度だからすぐに
体全体に周るわ」
「毒かっおのれ女め」
「すぐにわかるわ、すぐに」
 彼女はヒステリックな笑いを浮かべている。
 一分も経たない内に眩暈がした。
 立っていられない程の強烈な揺れ。
 片肘をついたロイエンタールにエルフリーデが近寄ってき
た。
「どう?混じり物の無いサイオキシンの味は」
 地球教が広めた麻薬。
 それは貴族内にも蔓延っていた。
 自分を傷つけた針には毒でなく麻薬が塗られていたのだ。
 毒では無いということでひとまず安心したが事態はそう
甘くない。
 この女は先程自分を殺そうとしたでは無いか。
 殺される前に相手を倒さなければ、
 誰かに連絡を取らなければ、
 そう思うのだが指一本動かすことが出来ない。
 支えていた片肘も力を無くし、ロイエンタールは床に転が
った。
「無様ね、オスカー」
 勝ち誇った顔でエルフリーデが見下ろしてくる。
「オスカーなどと呼ぶな、気色悪い」
 声だけはまだしっかりしている。
 だがそれも時間の問題だろう。
 頭に霞がかかり朦朧としてくる。
「強がりを言っていられるのも今のうちだけよ、もうすぐサ
イオキシンがあなたを地獄へ連れて行ってくれるわ」
 何故この麻薬が全宇宙で爆発的に広まったのか?
 それはサイオキシンの特徴にあった。
 麻薬は夢を見させてくれる。
 本人が望む最高の天国を。
 他の麻薬には悪夢や不快感が付物であったがサイオキシンは全くそれが無かった。
人が心に描く願望だけを与えてくれる。
 サイオキシンを吸うと希望だけしか見えなくなる。
 甘い夢だけを感じる事が出来る。
 脳内神経伝達物質に働きかけドーパミンのみ分泌させる。
 サイオキシンが蔓延したのは常用性もあるがその性質こそ
問題があったのだ。
 戦争に疲れ、社会を憂う人々の間で急速に広まってしまっ
たのは現実に希望を持てなくなってしまったから。
 今、ロイエンタールの脳内はサイオキシンで侵されようと
している。
 目を開けていられなくて瞼を閉じる。
 自分は麻薬で何を夢見るのだろうか?
 今の自分は現状に満足している。
 もうすぐイゼルローンに出向きヤンウェンリーと戦う。
 カイザー率いる帝国軍は同盟を滅ぼす。
 何も言う事は無い。
 夢も希望も現実にこそある。
 サイオキシンなど必要無い。


「ロイッ目を開けて。ロイ」
 柔らかな声が聞こえる。
 誘われて瞼を開けるとそこに彼がいた。
「・・・ヤン」
 どうして彼がここにいるのかなどという疑問は考えられなかった。
「どうしたの?変な顔をして」
 くすくすと笑いながらヤンが訪ねてくる。
「・・・本当にヤンなのか?」
「そうだよ、決まっているじゃないか」
 おかしなロイっと言って微笑んでくる。
「帰ってきたのか?」
「帰ってきた?僕はどこにも行っていないよ、ずっとロイの傍にいたじゃないか」
「だがヤンは・・・同盟に亡命して・・・くそっ」
 頭が混沌として思考出来ない。
「夢でも見たんじゃないの?僕が亡命?ありえないよ」
 ヤンは震えるロイエンタールの唇に己を重ねてくる。
「僕がロイから離れるなんてありえない、夢を見たんだね、長い夢を」
 柔らかな唇、甘い香。
 これは違う、何かが違う。
 覚えているヤンの匂いでは無い。
 ヤンの唇では無い。
 違和感があるのにその意味を考えられない。
 目に映るのはヤンの姿。
 聞こえるのはヤンの声。
「そうだな、嫌な夢だった。ヤンが俺を捨てるんだ、捨てて遠くへ行ってしまう、二度と会えない」
 くすくすと笑い声が聞こえる。
「悲しい夢だね、でも大丈夫、もう起きたから、現実の僕はここにいるよ、確かめてごらん、ほら」
 手を取り胸にあてられる。
 柔らかい胸、ヤンと違う、
 でもヤンだ、ここにいるのはヤンだ。
「抱いて、ロイ」
 逆らえない声が聞こえる。
 肉体の違和感をもおかしいと感じられなくなる、
 サイオキシンの毒が全て都合の良いように記憶を作り変えていく。
「ヤンっヤンッ確かにここにいるんだな、俺のヤン」
「そうだよ、ロイ、早く確かめて」
 柔らかい体、香水の匂い、
 長い金髪、女の体。
 全てが違うのにロイエンタールは目の前の体をヤンだと信じた。
「ああぁっロイッ」
違う場所に挿入することにも違和感を感じない。
「愛している、ヤンっ愛しているんだ」
激しい行為の最中、かすれた声が聞こえる。
「愛しているわ、オスカー」
 その告白はロイエンタールの脳内には届かなかった。
 都合のいい声しか聞こえなくなっていた。


 行為が終わるとロイエンタールは気を失った。
 彼女は衣服を整えるとそっと屋敷を抜け出した。
 体が熱い。
 まだ抱かれた感触が残っている。
 心が寒い。
 あの男は最後まで一度も自分の名を呼んでくれなかった。
 そう考えて自嘲の笑みを漏らす。
「今更だわ、初めて会った時から今まで、オスカーは一度も私の名を呼ばなかった」
 リヒテンラーデの姪、女、お前。
 エルフリーデと呼ばれた記憶は無い。
「馬鹿ね、それなのに愛しているだなんて」
 一度も自分を見てくれなかった男。
 自分をさけずんでいた男。
 彼が初恋だった。
 オスカーだけがリヒテンラーデの姪では無く単なる女とし
て扱ってくれた。
 婚約が破棄された時エルフリーデは何も言えなかった。
リヒテンラーデ候に命令され従う他無かった。
 リヒテンラーデは彼女の地位、名誉の源。
 その叔父に婚約を無理矢理破棄された。
 逆らうことは許されない。
 しかしその後、エルフリーデは決して他の男と結婚しなか
った。
どれだけリヒテンラーデ候に進められても拒否し続けた。
自分の持つ権力は叔父あってこそ。
 分かっていたから婚約破棄を受け入れざるおえなかった。
 幼かったから権力者に従うほか無かった。
その事をエルフリーデはずっと後悔してきた。
 どうしてあの時もっと反対しなかったのだろう。
 命をかけてオスカーが欲しいと言えば叔父も折れたかもし
れないのに。
 あまりにも後悔が深かったため、その後婚約すら出来なか
った。
 叔父に逆らうことになっても、エルフリーデは他の男と結
婚しなかった。
 オスカーが忘れられない。
 結婚したかった。
 愛して欲しかった。
 それが叶わないなら憎んで欲しかった。
 そして自分を忘れないで欲しかった。
「愚かな私」
 エルフリーデは腹をそっと撫でた。
 日にちは計算してある。
 念のため妊娠誘発剤も飲んだ。
 きっと自分の中には新たな命が芽生えようとしている。
 この事を知ったらロイエンタールは自分を殺そうとするかもしれない。
 もしくは興味ないと無視されるかもしれない。
「それでもいいわ」
 何もくれなかった男。
 愛してくれなかった男、
 でもエルフリーデは最後に手に入れた。
 自分がオスカー フォン ロイエンタールを愛した証を。
 合意で無くともようやく欲した物が手に入ったのだ。
 エルフリーデは微笑みながら泣いた。
 その顔は今までの中で一番綺麗な、人間らしい顔であった。
 彼女は消えた。愛した証と共に。


 翌朝、目を覚ましたロイエンタールは惨状に憮然とした。
 まだサイオキシンが残っているのか眩暈がする。
 行為が行なわれたのは現実。
では自分は誰を抱いた?
ヤンがいた。
確かに昨日ここにいた。
だが今はいない。
どこへ行った?
一瞬混乱に陥りかけロイエンタールは呼吸を整える。
あれはヤンじゃない。
ヤンウェンリーは今遠いイゼルローンにいる。
同盟にいる。
では昨日のあれは?
ふと床を見ると血が付いていた。
漁色家にはすぐ判る純潔の印。
最悪の気分に襲われる。
自分があの女を抱いたなど考えたくも無い。
まさに呪われている。
ロイエンタールは低く笑った。
あの女は確かに成功した。
俺を地獄に落としてくれた。
ずっと憎んで忘れたと思っていた感情を引きずり出してくれた。
だが、それが何だと言うのだ。
自分の進む道はもう決まっている。
「ヤン・・・俺から離れたお前を俺は許さない」
ロイエンタールの嘲笑はずっと部屋に児玉していた。
 忌々しい記憶を振り払うとロイエンタールは目前に迫った巨大要塞に集中した。
 今回の目的は同盟の目をこちらに向けさせる事。
 陥落させる必要は無いが手を抜いては見破られる可能性が
ある。
 被害は最小限に抑えつつ全力で戦っていると見せかける高度な戦術が要求される。
 もちろんロイエンタールは手を抜く気など無かった。
 本気で仕掛け、要塞からヤンを引きずり出す気である。
 ロイエンタールがヤンェウェンリーと対峙出来る唯一の会戦。
 この機会を逃すつもりは無い。


 大軍がイゼルローンへ侵攻してきた。
 トゥールハンマー射程外で布陣を布く。
 30万を越す砲撃が要塞を襲う。
 帝国軍は主砲の範囲外で包囲網を敷く。
 それを阻止しようと同盟が艦隊を出すと待ちかねた帝国との戦闘が始まった。
 ロイエンタールの戦術は巧妙であり時にヤンウェンリーの盲点を突く。
 味方の艦がいては主砲は使えない。
ロイエンタールはその弱点を突いてきた。
戦場は乱戦に陥る
その時である。
トリスタンのオペレーターが叫んだ。
「戦艦ヒューベリオンですっ」
皆が一斉に動揺する。
 ヒューベリオンは名高いヤンウェンリーの艦だ。
まさか司令官自ら戦場へお出ましとは考えても見なかった。
だから、ロイエンタールは判断を誤ったのだ。
「全艦隊前進、最大戦速」
 今ならヤンウェンリーを殺せる絶好の機会。
 その状況がロイエンタールの判断を僅かに狂わせた。
 トリスタンがヒューベリオン目掛けて突進する。
 しかし砲撃射程内に入る前に同盟の強襲揚陸艦がトリスタンの船体にぶつかってきた。
 ヒートドリルで穴を開け酸化剤で固定するまでわずか2分
 直径2メートルの通路が2艦を繋ぐ。
 装甲服に身を包んだローゼンリッターがトリスタンに乗り込んできた。
「雑魚に構うなっ狙うは司令官ロイエンタールッ」
 シェーンコップの命令が響き渡る。
 トリスタンは血の海と化した。
 薔薇の騎士の噂は帝国にも鳴り響いている。
 亡命貴族で作られた連隊。
 艦隊と要塞の戦いはここへ来て人間同士が殺しあう、古来からの戦闘へと移行した。
 トマホークを振り下ろし帝国軍を血祭りに挙げるローゼンリッター、
 銃撃戦が始まり敵も味方も分からない乱戦に陥る。
 シェーンコップは最前線で豪腕を奮い最短距離で目的に到達した。
 彼が司令官室に入った時、ロイエンタールはまだアーマースーツを身につけていなかった。
 しかし生身で装甲兵と対峙しても狼狽もしない。
 その並外れた豪胆さとヘテロクロミアの瞳 シェーンコップは確認した。
「ロイエンタール提督ですな」
「いかにも、貴様はヤンウェンリーの犬か」
 声には些かの動揺も含まれていなかった。
 唯一滲み出るのは憎しみ。
 それが奇襲を仕掛けてきた自分達に対してなのか、同盟に対してなのか、ヤンェウェンリーに向けられているのかシェーンコップには判断が付かなかった。
「私はワルター フォン シェーンコップ。死ぬまでの間憶えて頂こう」
 トマホークが襲い掛かってくる。
 ロイエンタールはこの猛攻をかわしブラスターを構える。
 頭を狙った銃弾は戦斧によって阻止される。。
 柄になったトマホークを投げつけロイエンタールのブラスターを弾き飛ばした。
 両者は素手となり、より古風な戦いに身を捧げた。
 肉弾戦である。
 シェーンコップは腰に下げたナイフを抜き取る。
 ロイエンタールは死亡した同盟兵士の屍に飛びつき血染めのナイフをもぎ取った。
 銀色の光が交錯する。
 金属音が響き渡る。
 両者の力は互角であった。
 シェーンコップが白兵戦のプロであるようにロイエンタールもまた白兵の勇者だった。
 本気と本気がぶつかり合い一歩も引かない。
 ヘテロクロミアの瞳には憎悪が刻まれている。
 それは目の前の敵、同盟に対してと言うには些か色が濃すぎる。
 まるで親の仇に対峙したかのようにロイエンタールは率先してシェーンコップに挑みかかってくる。
 本来ならばその刃をかわしつつ後退し仲間と連絡を取るのが良策であるにも関わらずだ。
 その敵意は同盟一の戦士シェーンコップをも怯ませる。
 複数の足音と同時に帝国軍が雪崩れ込んできた。
「隊長っここですかっ」
「ご無事でっ司令官閣下っ」
 カスパーリンツ率いるローゼンリッターとベルゲングリューン率いる帝国軍一隊が到着したのだ。
 宇宙の戦争はトリスタンでの戦いとなり、更にミニマムなこの一室へと移行する。
 完全な混乱状態となった。
 敵も味方も分からない。
「ちっ取り逃がしたか」
 ロイエンタールの姿を見失うとローゼンリッター隊長は心底悔しそうに舌打ちをした。


 ようやく帝国軍がローゼンリッターを押し返し、人間の戦は収束した。
「戦闘を中止して後退、俺としたことが功を焦ってヤンウェンリーのペースに乗せられてしまった。旗艦に陸戦部隊の進入を許すとは間抜けな話だ」
 副官のベルゲングリューンにそう告げると彼は全身に浴びた血を拭うためシャワールームへと向った。
 シャアァッ冷たい水が心地良い。
 痺れて焼ききれた頭の神経を癒してくれる。
 しかしどれ程シャワーを浴びてもささくれ立った心は癒してくれなかった。
 ヒューベリオンが前に出てきた時、ロイエンタールはヤンが戦場に出てきたと確信した。
 自分との一騎打ちを望んでいる。
 そう疑いもしなかった。
 だが、それはトリックであり揚陸艦という二流の手段への誘い水であった。
 二重の屈辱がロイエンタールを襲う。
 二流の小細工を仕掛けられ傷ついたプライドが軋みを上げる。
 そして、挑発に乗ってくるだろうと計算してヒューベリオンを囮に使ったヤンへの憎悪。
「そうまでして俺を愚弄したいか」
 自分の想いをヤンは利用したのだ。
 何時ものロイエンタールならば司令官の艦が出てきても前進するような愚は犯さない。
 ヒューベリオンだからこそ先走った。
 ヤンウェンリーがいるからこそ前へ出た。
 相手もそれを望んでいると勘違いした。
 ペテン師は全て見通して策を練ってきたのだ。
 二流の・・・愚策を。
ロイエンタールはそれに引っかかりトリスタンは大きな損害をこうむった。
「許さない、ヤン、絶対に」
 シャワーの水音が止んでもロイエンタールが紡ぐ呪いの声
は尽きなかった。


「唯今帰還しました。大将は取り逃がしましたが司令艦に進入を果たしたということでまあ0点ではありませんな」
「ご苦労だったね、シェーンコップ」
 血まみれの装甲服で敬礼をするローゼンリッターをヤンは
労った。
「敵・・・とは会ったのかい?」
「ロイエンタール上級大将ですか、私よりは劣るがいい腕をしていますな。もし帝国軍で無ければローゼンリッターにスカウトしていましたよ」
「それは残念だったね」
 ヤンは感情を見せない顔でそう答えた。


 シェーンコップが退室した後、ヤンは息を吐いた。
「良かった・・・生きていてくれた」
 矛盾した呟きはヤンの本音だった。
 自分で指示したにも関わらず彼の無事を願っていた。
 この策しか無かった。
 一流のロイエンタールに対抗するには彼の隙をついた二流の策しか手は無い。
 分かっていても心が張り裂けそうになる。
 この時だけでなくヤンは何時もどんな戦争の時でも二つの感情に苦しんできた。
 戦術家としてのヤンウェンリーは冷静かつ客観的に戦況を判断する。
 その時ベストだと思った戦術で同盟を勝利に導く。
 だが私人としてのヤンは自分が命令することで多くの同盟軍兵士が死に、多くの帝国軍兵士を殺すことに苦悩してきた。
 吐き気がする程嫌なのに戦術を指揮する時は心が高揚する。
 まるで兵士をゲームの駒のように扱い戦争を計算してしまう。そして成功すれば満足する。
 今回もそう、
 相手がオスカー フォン ロイエンタールだというのに戦術家としてのヤンは微塵も動揺しなかった。
 否、何時もより高揚していた。
 名高い歴戦の上級大将とのウォーゲームに心躍らせた。
 私人のヤンがどれだけ心の中で悲鳴を上げようとも。
「生きていてくれた。それだけでいい。ロイ」
 自分の中に潜む二律背反から目を背けヤンは小さく呟く事しか出来なかった。

 ロイエンタールは非凡な手腕を発揮して帝国軍を後退させると隊列を組みなおした。
 しかもヤン艦隊と互角に戦いながら。
「優秀な敵というのはいるものだね」
ヤンは感嘆の息をついた。
「やはり帝国の双璧と呼ばれる男は違う」
 その声音に潜む色に気が付きシェーンコップが声をかけた。
「彼と戦いたいですか?閣下」
その言葉でヤンはさっと表情を固くした。
「いや、私は楽して勝てるほうがいい、優秀な敵なんてまっ
ぴらごめんさ」
 ベレー帽を目深に被ってヤンは次の指示を出した。

 
 その後 帝国軍と同盟軍は戦術の応酬となった。
 お互いが相手の出方を読み、艦隊を動かす。
 ヤン艦隊は帝国の襲撃に全て対処してくる。
 ロイエンタールは二度とヤンの扇動に乗る愚を冒さない
 そしてお互いが致命傷では無いが幾つかの痛手を受けた頃
帝国軍は後退する。
 一見帝国軍のイゼルローン攻略は失敗したかに見えた。
 しかし失敗は未来の大成功の足がかりに過ぎなかった。


 宇宙暦798年 帝国暦489年
 暮れも押し迫った12月
 イゼルローンへ向うと見せかけた帝国軍はフェザーンへ方向を変え回廊を占拠した。
 帝国軍がフェザーンを通り同盟へ大侵攻を開始したのだ。


 寝耳に水の同盟政府は大混乱に陥った。
 ビュコックやヤンから再三進言されていたのに耳を貸そうとしなかったつけが回ってきたのだ。
 しかしそのつけは今の政府にとってあまりにも大きかった。
 最高責任者のトリューニヒトは逃げた。
「遺憾に思う、責任の重さを痛感している」
 声明だけを残し人々の前に姿を見せなくなる。
 彼がどこにいるのか政府高官、トリューニヒト派ですら分からなかった。
 民衆が政府を糾弾する声が日増しに高鳴る。
 何故ここまで来なければ分からなかったのか?
 政府が愚行を犯しつづけたように民衆もまた時期を誤った。
 声を上げるなら半年前、ゴールデンバウム王朝が厚顔無恥にも同盟に逃げ込んできた時であった。
 それを擁護しローエングラム候を非難した政府を弾劾しなければいけなかった。
 安っぽいヒロイズムに囚われマキャベリズムの本質を忘れたのはトリューニヒトに扇動されたためと人のせいにする訳にはいかない。
 つまり同盟は随分前から破滅へのダンスを踊っていた。
 ロンドでもタンゴでもなんでもいい。
 ラインハルトという振付師に踊らされトリューニヒトという主演男優に惑わされ民主主義の意義すら考えなかった。
 今 喉元にナイフをあてられようやく民衆は気付いたのだ。
 しかし目覚めはあまりにも遅すぎた。

 混乱する政府をまとめたのはアイランズ委員長。
 トリューニヒト派の小物だがいきなり民主主義に目覚めたらしくこの急時に敏腕を発揮した。
 同盟軍はビュコックが仕切る。
 窮地に追い詰められた同盟軍は最後の決戦を覚悟した。
 そしてイゼルローンにいるヤンへ司令を出した。
「全責任は宇宙艦隊司令部が取る、貴官の判断によって最善と信ずる行動を取られたし」
 ヤンはすぐさまイゼルローンを放棄する命令を下した。


「どうでるか?ヤンウェンリー」
イゼルローン海域でロイエンタールは相手の出方を見定めている。
 何度か攻防の末、ロイエンタール率いる帝国軍はトゥールハンマーの射程外に待機し膠着状態に入っている。
「奴は出てくる、イゼルローンを放棄し同盟軍と合流するために」
穴倉から這い出てきたところを一気に潰すか?
「しかしそれではこちらの被害も大きい」
 先だってもヤンの扇動に煽られたレンネンカンプが独断専行し同盟軍の餌食になったばかりだ。
 今出てきたヤンと戦って勝敗は五分五分。
 否、こちらが悪い。
「勝てばいいが、もし負けたら」
 絶対勝てるのならロイエンタールは命を亡くそうともヤンとの一騎打ちを望む。
 だが今の戦力では帝国軍の分が悪い。
 向こうが民間人をかかえてイゼルローン脱出するにしてもだ。
 ロイエンタールは二度と愚行を冒す気は無かった。
 一騎打ちを切望する己の心を押さえ込み、帝国軍上級大将として判断を下す。
「ヤンウェンリーが逃走するのを静観する、奴が同盟軍と合流したところで我らも帝国軍と合流し一気に叩く」
 より安全にヤンウェンリーを殺せる方法を選択する。
 もう二度と感情に任せて先行したりしないと自分を戒める。
 胸の奥は目の前の獲物を食い殺したくて牙を鳴らしている。
 その音をロイエンタールは必死で押し殺した。
 ヤンはイゼルローン脱出後、民間人を途中惑星で降ろし戦場へ急行した。
 


宇宙暦799年 帝国暦490年 2月
同盟軍と帝国軍最後の戦争はランテマリオから始まった。
 侵攻する帝国軍は15万隻、
 迎え撃つ同盟は3万隻、
 初めから勝負にならない戦である。
 帝国軍は双頭の蛇戦法を取り同盟軍を追い詰める。
 死を前にして最後の狂乱とでも言おうか同盟軍の戦意は極限まで高まり、それが帝国軍を苦戦させたが圧倒的な軍力の差を覆すことは不可能だった。
 じりじりと追い詰められ同盟が全滅を覚悟した時、オペレーターが叫んだ。
「第13艦隊です、ヤン艦隊が到着しましたっ」
 同盟軍にどよめきが走る。
 ヤン艦隊はわずか一個艦隊。
 焼け石に水だと帝国は笑うだろう。
 しかしその水は同盟にとって最後の命綱であった。
 魔術師ヤン、ミラクルヤン。
 彼は多くの魔法を使い我らを勝利に導いてくれた。
 絶対困難な局面でも奇跡を起こしてくれた。
 彼ならばこの絶望の中でも・・・ひょっとしたら・・・
 人が戦うのには希望が必要である。
 生きていくには夢が欠かせない。
 ヤンウェンリー率いる第13艦隊は同盟にとって最後の希望、唯一の灯火となった。
 全滅寸前の同盟は体勢を立て直す。
 ヤンは帝国軍の背後から突いて来た。
 フェザーン回廊への道を塞ぎ相手に心理的プレッシャーを与える。
 動揺した帝国軍を後目にヤンは僅かに残った同盟軍と合流しその場を退却した。


 ハイネセンに戻ったヤンは状況を確認した。
ヨブトリューニヒトは逃走。
それでも国家はアイランズの元かろうじて機能を果たしている。
幼皇帝を拝した銀河帝国正当政府は沈没寸全の同盟から夜逃げしていた。
ヤンはすぐさま艦隊を立て直し出動した。
 立て直したといっても残っているのは第13艦隊のみであった。
 蟻が象を倒しに行くような物だ。
 分かっていてもいかなければならない。
 唯一の勝機、ラインハルトが陣頭指揮を取っている戦場へ。


 ここに来て帝国軍は同盟の最後のあがきに苦しめられる事となった。
 帝国本土との距離、
 それがヤンに味方してくれる。
 補給線を叩き小さい戦闘を繰り返す。
 ヤンが出てくる事は分かっていた。
 彼が補給路を狙うだろうことも。
 名立たる将官が我こそはと戦闘に立ち、無様に敗れた。
 ゾンハルトを筆頭にシュタインメッツ、ワーレン、次々と用兵巧者が敗北する。
 帝国軍の補給は完全に絶たれた。
 本来ならばこの時点でラインハルトはハイネセン侵攻を決断するべきであった。
 たかが1艦隊など無視して本土を占領すればよかったのだ。
 しかしラインハルトは同盟軍との交戦を選んだ。
 同盟軍、否ヤンウェンリーとの一騎打ちを。
 ヤンは見事ラインハルトの心理を突き彼を振付師から舞台へ登場させたのだ。
 自らを囮として。

 対するラインハルトも自分を囮にしてヤンを誘い込む策を立てた。
 ブリュンヒルトが孤立していると見せ掛け13艦隊をおびき寄せる。
 二者を挟む航路には左右24艦隊の防御壁が待ち受けている。
 ヤンは進むと一艦隊が現れる。
 戦い勝つとそれは退きまた新たな艦隊が現れる。
 繰り返される戦闘 帝国軍は第13艦隊に消耗戦を仕掛けたのだ。
 消耗といっても数に圧倒的な差があるからこそ成り立つ戦法であった。
 たった一艦隊で24の帝国艦隊を破らなければならない。
 しかもそれは唯の艦隊では無い。
 勇猛で知られたローエングラム候の幕僚なのだ。
 ヤン艦隊は泥沼の消耗戦に引きずり込まれた。

 帝国軍幕僚はこの作戦に心を奮い立たせた。
 彼等の中ではすでに同盟との戦いで無くなっている。
 ヤンウェンリー、稀代の名将。
 同盟最高の智将。魔術師ヤン
 不敗で鳴らしラインハルトですら一度も勝てなかった男。
 強大な敵を我こそは仕留めん、と鼻息荒くする。
 もちろんミッターマイヤーもその一人である。
彼は友人ロイエンタールがイゼルローンから無事に帰還し
た姿を見て胸を撫で下ろした。
 ひょっとしたら彼はヤンと供に玉砕するつもりでは、と気
を病んでいたからだ。
 私欲に走らず状況を冷静に判断し任務を全うしたロイエン
タールにほっとする。
 友は何時もどこか危うい物を抱えていた。
 何時か帝国を、カイザーをも裏切るのではないかという些
細な疑惑。
 その原因はヤンウェンリー。
 ヤンに対する執着がロイエンタールを狂わせる。
 だがその心配も杞憂であった。
 ミッターマイヤーは安心すると同時に気を引き締めた。
 ロイエンタールは自分でヤンを殺すっと言っていたがそれ
は帝国軍人なら誰でも同じ気持だ。
 あの英雄と戦い自分の力を試したい。
 奴を倒し名を上げたい。
 それはロイエンタール一人だけのものでは無い。
 ミッターマイヤーもまたヤンとの対戦を心待ちにしながらエリューセラ星域の同盟補給基地を叩き、バーミリオン星域へ戻ろうとした時、彼の元へ一人の客が現れた。
 ヒルデガルド フォン マリーンドルフである。
 

 同盟と帝国の決戦の場、バーミリオン星域
 際限の無い小競り合いが続いていた。
 消耗戦と分かっていてもヤン艦隊は進まなければならない。
 敵は自分達が止まるのを待っている。
 足を止めたらその場で帝国軍に包囲され嬲り殺しに会うだろう。
 死への行進。
 ヤンは最後の賭けにでた。
 勝算は無きに等しい賭けであったがこれ以外方法が無い。
 4月30日、同盟軍は前進を止めた。
 80万キロ後退し小惑星へ逃げ込む。
「罠か?ヤンウェンリーお得意のトリックか?」
 カイザーを始めとする幕僚は息を飲んだ。
 すぐに続報がもたらされる。
 かなりの数の艦隊が帝国軍の左翼へ移動しているのだ。
「囮か?」
「囮と見せかけた本隊か?」
 今の同盟軍に分散する戦力は無い。
 ダミーか本物か?
 二者択一である。
 今までのヤンの手法から見るとどちらも可能性があった。
 ラインハルトは決断を強いられた。
 まさに、これが本当の意味でラインハルトとヤンの知略の
決戦なのだ。
「全軍左翼に振り向けろ。左翼にいるのは囮とみせかけた本
隊である、ヤンを討ち取って名を上げろっ」
 カイザーの命令で全艦隊が一斉に左翼へ集結した。
 しかし、それはヤンの仕掛けた罠。
 左翼に移動した艦隊は囮だった。
 ヤンはその名に恥じず帝国全員をペテンにかけたのだ。

 今、まさにヤン艦隊はカイザーの喉下に食らいつかんとしていた。
ミュラー艦隊が慌てて駆け戻ってきたがそれは時間を僅かに稼いだだけである。
全艦隊を左翼へ向けた今、ブリュンヒルドは丸裸である。
ヒューベリオンの砲台がブリュンヒルトを捉えた。
後数秒で全てが終わる。
ラインハルトは死を覚悟しヤンが勝利を確信したその時、
同盟政府から一報が入った。
「自由惑星同盟政府は銀河帝国からの講和を受け入れる。その証として全ての軍事行動を停止する」
 声の主はトリューニヒトであった。
 彼は振付師の手の届かぬところで一人ダンスを踊り続けていたのだ。
 地球教徒と一緒に同盟を裏切る醜悪なワルツを。

 一瞬艦内は静寂に包まれた。
 誰もが皆戦場であることを忘れた。
 数秒後、怒りが爆発しヒューベリオン中に吹き荒れる。
 ヒューベリオンだけでなく第13艦隊全体が、いや同盟軍全体が、同盟全てが巻き込まれた。
「どういうつもりだっハイネセンの奴等はっ」
「お偉方は気でも狂っているのか?我等は勝ちつつある、いや勝っているっなんだって今戦闘を中止しなければいけないんだっ」
 アッテンボローはベレーを床に叩き付けた。
 誰もが同じ思いだった。
 この命令は間違っている。
 僅か一個艦隊で巨大な帝国軍にゲリラ戦を仕掛け、ついに敵大将の喉笛にたどり着いたのだ。
 後数秒で歴史が変わる。
 運命の悪戯としか思えないタイミングでの停戦命令。
 人々の目がヤンへと向った。
 司令官は呆然としていた。
 先程まで嬉々として戦術を練り帝国軍と互角に戦ってきた覇気は無い。
 顔色は青ざめ、絶望の色が浮かんでいる。
 ここで民主主義は途絶えるのか。
 司令官の音にならない声が聞こえてくる。
「司令官っお話があります」
 シェーンコップが鋭く声をかける。
「・・・シェーンコップ」
「今あなたのするべき事は一つです。政府の命令など無視して全面攻撃を命令なさい」
 シェーンコップの声は同盟全体の代弁であった。
 その声の激烈さにヤンは顔色を無くす。
「そうすればあなたは3つの物を手に入れることが出来る、ラインハルト フォン ローエングラムの命と宇宙と歴史の未来をっ」
 シェーンコップの言葉がヤンの心を切り裂いていく。
 悪魔の囁きでヤンを誘惑してくる。
「あなたは前進するだけで歴史の本道を歩むことになるんだ、
決断をっ閣下」
 艦内は静まり返っていた。
 皆耳をそばだてヤンを激視している。
 期待に満ちた幾十もの瞳が一挙一動を見守っている。
 彼等の声にならない声が聞こえてくる。
 決断してくださいっ提督っ
 政府の命令など無視して帝国軍を倒しましょうっ
 カイザーを殺すんですっそしてあなたがトップに立ってください。
 我等は皆あなたを必要としているんですっあなたが同盟を救い立て直すっ
 あなたしかいない、あなたしか出来ない
 ヤン閣下っお願いですっ
 有形無形の熱情がヤンに襲い掛かってくる。
「駄目だ、政府の命令を無視する訳にはいかない」
 声は弱々しかった。
 シェーンコップの弾劾は続く。
「自己保身で同盟を帝国に売るような輩は見捨てればいいんです。そしてあなたがトップに立てばいい」
「・・・・独裁者になれと言うのか」
 耳を澄ませなければ聞き取れないほど小さい声だった。
「ヤン提督は独裁者になどなりませんっ」
 大声で答えたのはユリアンだった。
「提督は権力を握っても独裁者になどなったりしないっ私利私欲のために権力を使わないっ僕が一番よく知っています」
 ユリアンの声はヤンを追い詰めるだけであった。
 震える体を抱きしめ、ヤンは呟く。
「そんな事は分からない、私だって人間だ」
「私もユリアン君の意見に賛成ですな。閣下は独裁者にはならないでしょう、そして最良の最高権力者になれると信じています」
 ムライ、パトリチェフが声を揃える。
「閣下っこれは救国軍事会議の時とは違います。閣下は軍人だから政権を握るのに躊躇っていらっしゃるかもしれませんが政府は民衆を裏切りました。彼等の命令を無視するのは民主主義の理に反していません 私達は軍人である前に民主主義国家の人民です。政府が愚行を侵した時処断する権利があります」
 フリデリカグリーンヒルの声に皆頷く。
「いやだ・・・やめてくれ」
 ヤンの拒絶は皆の耳に届かない。
 聞こえていても脳に入ってこない。
「決断してくださいっ閣下」
「政府が滅びてもカイザーさえ倒せばまた同盟は再興出来ます。閣下の下で」
「ヤン元帥っご決断をっ」
 人々の目がヤンに迫ってくる。
 権力を握れと、
 宇宙を手に入れろと
「いやだ・・・それだけは・・・」
 立っていられずヤンはデスクに手を付いた。
 長期間の消耗戦と激烈なカイザーとの一騎打ち。
 ヤンの精神状態は極限だった。
 その糸を切ったのは停戦命令。
 追い討ちをかけるように部下が、仲間が彼に要求してくる。
 脳内はパニックを起こし眩暈がする。
 いやだいやだとその事しか考えられなくなる。
「どうして嫌がるんですか?あなたには才能がある。似合ってもいない軍人だってあなたは立派にやってのけた。最高権力者だってこなしてみせるでしょう」
「かいかぶりすぎだ、シェーンコップ・・・私は独裁者になりたくない」
「独裁者結構っ独裁者ヤン、それでいいではありませんか、閣下なら権力に溺れたりはしないでしょう。欲望に負けたりしない、権力が一点に集中するだけです。あなたは変わりはしない」
「私がルドルフにならないとどうして分かるんだ?」
 反論というよりは悲鳴だった。
「僕には分かりますっ提督は軍でどれだけ偉くなってもそれに溺れたりしなかったじゃないですか。私欲で艦隊を動かしたり戦功を競ったりしなかった。みんな知っています。だからこそ言っているんです」
 ユリアンがそう言った瞬間、ヤンは皮肉な笑みを浮かべた。
「君が私の何を知っているというんだ?」
 凍りつくような冷たい声であった。
 ヤンウェンリーがこんな声を出すのは初めてである。
 他人を拒絶する態度を取るのを始めてみた。
「ヤン提督?」
 シャーンコップはヤンの瞳を覗き込み息を飲んだ。
 暗い暗い、闇をも覆い隠す漆黒の瞳
 その奥には絶望と狂気が潜んでいる。
 精神が限界を超えたのか、どこか空ろな視線でヤンは笑い出した。
「君達が何を知っているんだ?何も知らない癖に」
 誰も動くことが出来なかった。
 嘲笑を浮かべる司令官を激視することしか出来ない。
 今、一歩でも動いたらこの司令官は本当に狂ってしまうかもしれない。
 その危機感で身動き一つ出来ない。
「みんな私を誤解しているよ。公正名大な軍人、欲に駆られず利己主義に落ちいず、民主主義のために戦う正義の味方。そんな人間いるはずが無い」
 ヒステリックとも言える笑い声を上げヤンは罵った。
「幻想だ、全て幻想なんだよ」
「何を言いたいんだっヤンっ」
 キャゼルヌが恐る恐る問いかける。
「私はずっと自分のために戦ってきた。生きるため、極力被害を最小限にとどめるため、民主主義のため、そんなの言い訳に過ぎない」
「・・・ヤン?」
「先輩、私はね、戦争を楽しんでいたんです、帝国軍と戦い勝利することに喜びを見出していた。戦略を練り戦術を駆使する。相手が負け自分が勝つことに酔っていた」
「そんなの当たり前じゃないですかっ軍人なら誰でもそうですよ、ヤン閣下だけじゃありません」
 シェーンコップの反論をヤンは笑い飛ばした。
「そこに多大な死者が出ても?何万という味方が死に同数の敵が死ぬとしても?」
「戦争なのだから仕方ありません」
「そう、戦争だから、でもね、シェーンコップ、私はそれを楽しんでいた。ゲームの様に自分の掌で操れる事を喜んでいた。人の死を駒としか見ていない自分を知っている」
「だからなんだと言うのです?そんなの誰だって同じでしょうが」
「私は自分がどれ程欲深いか知っている。自分の欲望のためなら人の命を遣い捨てられる自分を知っている」
「だから独裁者にならないとっそれは逃げです」
「そう、逃げているんだ、私は、昔から、ずっと遠い昔から。自分の本質に気付いてしまったあの時から私は逃げ続けた」
 ヤンの視線はもうその場には無かった。
 空ろな瞳は遠い昔の頃に焦点を合わせている。

 思い出したくない事実。
 認めたくないあの出来事。
 信じたくなかった気持。

 全てはあの時気付いてしまったのだ。
 あの晩、遠い昔の嵐の夜。
 ヤンとロイの初めての夜。
 彼はヤンに言った。
「愛している、お前のためなら全てを捨てよう」
 地位も権力も名誉も、生まれた故郷も、
 そしてその命さえも。
 狂気に彩られたロイの執着。
 ヤンはそれに恐怖した。
 いや違う。
 ヤンが怯えたのはロイに対してでは無い。
 ロイの言葉に歓喜した自分の心に対してであった。
 
 自分のために破滅していく男。
 自分以外何もいらないと叫ぶ男。
 
 彼は地獄に落ちようとしている。
 なのに、分かっているのにヤンは喜びの涙を流した。
 彼の全てを自分が握っている幸せに酔いしれた。
 不幸になるのが分かっていながら彼の執着を喜んだのだ。
 歓喜はヤンに恐怖をも与えてくる。
 ロイを不幸にすることにでは無い。
 彼の運命を手に入れた事に狂喜する自分に対してだ。
 人一人の人生を操る快感に酔いしれる己に恐怖したのだ。
 愛する者が堕落していくのを望んでいる自分が例えようもなく怖かった。
 親友だから、恋愛に臆病だから。優柔不断だから。
同性愛は禁忌だから。
 相手の幸せのために。
 全ては言い訳に過ぎない。
 あの時、ヤンが亡命を決意したのは自分から逃げるためであった。
 ロイを不幸にすることで喜びを見出してしまう己から目を背けたのだ。
 独裁者の萌芽を己の中に見つけ出してしまったから。


「私は自己の欲望のためなら誰でも平気で傷つけられる人間だ。私は私自身を知っている。そんな自分が権力を握ったらどうなる?戦争の快楽をしった私が自己満足のために戦を続けたら?自分の欲のために政権を操ったら?私はルドルフになるだろう」
 誰も何も言う事は出来なかった。
 ヤンは静かに瞳を閉じると命令を下す。
「全艦隊停止。これから停戦協定に入る」
 戦いは終わった。
 同盟は敗北したのだ


 戦場の誰も知らない場所で勝敗が決まった理由はヒルデガルド フォン マリーンドルフにあった。
 彼女は帝国軍の劣勢を察知すると即ミッターマイヤーに連絡を取ったのだ。
 エリューセラ星域で同盟の補給基地を壊滅させたミッターマイヤーは即効で戻るつもりであったがヒルダの来訪に驚愕した。
 ハイネセンを占領し政府から停戦を命令させるべきだ。
 ヒルダの提案にミッターマイヤーは戦慄した。
 これだけの戦力差がありながらヤンウェンリーは皇帝を追い詰めている。
 帝国軍の幕僚の能力は最高水準だ。
 軍力の差は何十倍、
 同盟は崩壊しかかっている老人でカイザー率いる帝国は産声を上げたばかり。
 戦力も能力も精神力も、全て凌駕しているのにヤンウェンリー一人に適わないのか。
どういう人間なんだ?
全ての劣勢を覆す男。
もはやヤンウェンリーは個人では無く信仰にまで到達している。
帝国には恐怖を、同盟には希望を。
それまでミッターマイヤーは天才とはラインハルトの事だと信じてきた。
しかしそれに勝るカリスマがいるとしたら?
 恐れにも似た感情をミッターマイヤーは押し殺した。
即盟友に連絡を取る。
同じ頃隣の星域にいたオスカーフォンロイエンタールに。
これはミッターマイヤーにとっても賭けであった。
ロイエンタールはヤンウェンリーに固執している。
もしかしたら断るかもしれない。
カイザーの危機でありながらヤンとの対戦を望みバーミリオンに帰るかもしれない。
危機といっても言っているのはヒルダだけ。
カイザーから命令は受けていない。
ロイエンタールが拒否しても当然であった。
だが彼はミッターマイヤーとヒルデガルドの申し出に了解した。
受け入れられた時、ヒルダはもちろんだがミッターマイヤーは心底暗渠した。
やはりもうロイエンタールはヤンに固執していない。
友人の唯一危うい部分が無くなったのだと信じた。
ミッターマイヤーは知らなかったがこの時、ロイエンタールが賛同したのはより確実にヤンを、同盟を滅ぼすための判断だった。
イゼルローン以来、ロイエンタールは拘りを捨てた。
一騎打ちで、自分の手で、などともう考えない。
ヤンを殺す。
同盟を滅ぼす。
そのためならばカイザーの命令なくともハイネセンに侵攻する。
もしそれで処罰されても構わない。
ロイエンタールが望むのは唯一つ。
 そのためならどんな手段でも使ってみせる。


 二艦隊はハイネセンへ進路を取った。
 無防備な首都は呆気なく陥落。
 隠れていたトリューニヒトがのこのこ這い出てくる。
 自由惑星同盟の最高責任者はまさに今勝とうとしているヤン艦隊に命令した。
 停戦しろと。
 ヒルダの読み通り、ヤン艦隊は動きを止めた。
 どれ程ラインハルトが決戦を望んでも、ヤン艦隊が慟哭にくれても決定は翻らない。
 同盟の敗北は戦術でなく薄汚い政治家の自己保身で終結したのだった。

 ヒューベリオンは静かだった。
 皆戦闘の疲労で倒れている。
 ヤンは司令室で最後の報告書を仕上げ部屋へ戻ろうとした時、一人の来客があった。
「今・・・よろしいでしょうか?」
 ドアの前に立っていたのはフリデリカ グリーンヒル。
 ヤンの副官として長年仕えてきてくれた女性だ。
「いいよ、入ってくれ」
 ヤンが断る理由は無かった。
 部屋に入ったフリデリカは何故か戸惑っているようだった。
 頭脳明晰で優秀な彼女にしてはめずらしい。
「何かあったのかい?グリーンヒル少佐」
 フリデリカは頬を真っ赤にさせて俯いた。
 指先が、いや全身が震えている。
 こんな彼女を見るのは初めてだ。
「こんな時に、こんな事を言うのは不謹慎だと分かっているんです」
「どうしたんだ?」
 彼女は泣きそうだった。
 冷静沈着な少佐が今にも泣き出しそうだ。
 父親が死んだ時にも己を崩さなかった彼女に何があったのだろう?
 ヤンは眉を潜め次の言葉を待った。
「申し訳ありません、でも、でも、今言わなければ一生言えない気がして、予感がして、」
「グリーンヒル少佐?」
「自分勝手だと判っています、非常識だと思います、でもどうしても伝えたくて」
 何度か同じ言葉を繰り返した後、彼女は告白した。
「好きです。ヤン閣下」
 驚きのあまりヤンは声も出せない。
「ずっと好きでした。初めて会った時から、あなたの傍にいるために軍人になりました。あなたの役に立ちたくて副官になりました」
「・・・・グリーンヒル少佐」
「誤解しないでください、恩に着せようというのではありません、唯、どうしてもこの気持を知ってもらいたかった。ずっと好きでした。あなたが元帥だからでも英雄だからでもありません。あなたがヤンウェンリーだから好きになったんです」
 彼女の本気が伝わってくる。
 どれだけ真剣か、どれだけこの告白に勇気を必要としたか伝わってくる。
「ありがとう、グリーンヒル少佐」
 ヤンは素直に感謝の意を口にした。
「閣下、それは肯定ですか?否定ですか」
 震える声で彼女は訪ねてくる。
 ヤンは静かな声で答えた。
「君の気持には答えられない」
 瞬間フリデリカは絶望を表情で示した。
 可哀想だと思う。
 彼女は美人だし自分の事を分かってくれる。
 生涯の伴侶としては申し分ない相手だ。
 だがヤンは告白した。
「愛している人がいるんだ」
 一言だけであった。
 たった数文字、これを口にするのにどれだけかかっただろうか?
 幾多の人間に告白されるたびに偽りの返事をしてきただろうか?
 しかし今心は平穏だ。
 ようやく己と向き合い自分の醜さを、欲望を、独占欲を、愛する心を認めることが出来る。
「そんな?嘘でしょう、提督にそんな方がいるなんて聞いていません。ずっと傍に御使えしていたけど気がつきませんでした」
 狼狽するフリデリカにヤンは穏やかな返事を返す。
「ずっと好きな人がいる、愛しているんだ、その人以外は愛することが出来ない」
「・・・閣下」
「ごめん、私は不器用なんだ」
 ヤンの言葉にフリデリカは泣いた。
 泣きながら笑った。
「申し訳ありません。閣下はそういう方なのはよく判っていましたのに」
 ずっと傍にいたから気が付いていた。
 ヤンは最初から自分を恋愛対象として見ていないと。
 判っていても告白せずにはおれなかった。
 ひょっとしたらと期待しなかった訳では無い。
 一縷の望みを託したが玉砕した。
 仕方ない。
 この人は不器用なのだ。
 だから自分は好きになったのだ。
 英雄だから、元帥だからじゃない。
 フリデリカはいっそ清清しい笑みを見せると敬礼した。
「ありがとうございます。ヤン提督」
 ヤンも敬礼を返す。
「こちらこそありがとう、明日から忙しくなる。また補佐を頼むよ」
 恋愛は成就しなかったがフリデリカは清々していた。
 これでやっと初恋から卒業出来る。
 だから今夜だけ。
 自室に戻ると思い切り泣いた。
 失恋の涙は苦くてどこか切なかった。


 停戦後、ラインハルトはヤンと会談を申し出ようとしたが軍務尚書に反対された。
「今、お二人での会談は認められません」
「何故だ?俺が勝利を譲られたからか?本来なら負ける筈だたのに乞食のようにめぐまれたからか?」
「そうです、マインカイザー」
 オーベルシュタインは言葉を濁さなかった。
「閣下が公正明大に勝利していれば会談も可能でした。しかし結果は違う、戦略面で勝利しても戦術面ではヤンに敗北していました」
「だからと言って何故ヤンと会えない?」
 オーベルシュタインの義眼が光る。
「今ここで閣下がヤンと会えば密談と称されるでしょう、後世で暗躍が合ったのではないかと評されます」
「そうでは無い。俺は純粋にヤンに会いたいのだ、かの英雄と話がしたいのだ」
「ならば調印が終わってからにしてください。同盟政府との調停が終わってからなら幾らでも会談してくださって結構」
 オーベルシュタインの言葉は臣下としての範疇を超えていた。
 だが正論でもある。
「もし二人で会談した時、閣下の身になにかあったならどうします?例えそれが病死であったとしても事故死であったとしてもヤンの責任は追及されます」
「なに?」
「反対にヤンウェンリーの身に何かあったとしたら?帝国はヤンを謀殺したと謗られるでしょう」
 それはローエングラム王朝に亀裂を起こす。
 もし本当にそんな事が起きたら同盟は決して帝国を許さない。
「卿の言う事は詭弁だ。もしもを気にしていては何も始まらない」
「閣下やヤンウェンリーはそうでしょう、だが部下は?同盟政府は?」
 オーベルシュタインは言い続ける。
「当事者が望まなくとも卑劣な手段を仕掛けてくる者は多いのです。ご理解ください」
 もはや若き皇帝を止められる者は誰もいない。
 ヤンウェンリー以外には
 もしヤンが今死んだら?
 誰もがラインハルトの仕業だと思うだろう。
 戦術面で負けた腹いせに、混乱に紛れて彼を謀殺したと推測する。
 もしそこまで見通した者がいたら?
 この段階でラインハルトを殺すことは不可能だ。
 だがヤンなら事は簡単だ。
 現状彼は無防備だ。
 敗軍の将で隙も山ほどある。
 彼を殺すにしても一番効率的な方法はカイザーとの謁見中。
 カイザーに罪をなすりつけ、帝国を瓦解させる又とない手段だ、
「私も軍務尚書の意見に賛成です」
 副心であるキルヒアイスが賛同してきた。
「辛いでしょうが堪えてください。ラインハルト様、ヤンウェンリーと会談するのは同盟で調停が行なわれてからでも遅くありません」
「しかし・・・キルヒアイス」
「一時でも早くヤンウェンリーに会いたいお気持は判ります、しかしここは偲んでください。もし勝利を譲られた事に引け目を感じているのであれば尚更、これは譲られた事に対する代償なのですから」
 キルヒアイスの言う事は尤もだった。
 ラインハルトは怒りの矛先を納める。
「わかった、全速力でハイネセンへ向う。即効で調印を済ませ同盟を支配下に置くぞ」
「御意にございます」
 キルヒアイスとオーベルシュタインは恭しく頭を垂れた。
 

 
 同盟は蜂の巣を突いた騒ぎとなった。
 政府は完全に瓦解している。
 軍も同様であった。
 民衆は自分を売り渡した政府を糾弾し見限った。
 憎しみはトリューニヒトに向けられる。
 その事が返って帝国を受け入れる要素となった。
 熱狂と興奮
 絶望と希望。
 滅亡と再生。
 混沌が嵐となり同盟全土を覆う。
 帝国軍がハイネセンの空を埋め尽くすと人々は歓声を持って迎え入れた。
 ロイエンタールとミッターマイヤー、双璧とヒルデガルドが出迎える。
 三名は叱責と更迭を覚悟していたが皇帝は彼等を処罰しなかった。
「卿等の功績は間違えよう筈が無い、危機に際して的確な判断を下し帝国を崩壊から救った。その行為は賞賛に値する」
 ロイエンタールとミッターマイヤーは元帥への昇進が約束された。
 二人は他の幕僚との出世レースから一歩前へ進み出たのだ

 ハイネセンの統合作戦本部、
 かつて様々な式典が行なわれた大会場
 帝国出兵の出陣式。犠牲者の慰霊式、最近は美辞麗句を並べたトリューニヒトの独壇場となっていた。
 その大会場は今帝国軍人で埋め尽くされている。
 祭壇には簡易で誂えられた玉座
 玄関までの通路には赤い絨毯が布かれ、両脇を帝国軍幕僚が並ぶ。
 何も知らぬ者が見たらここを帝国だと誤解するような華麗な会場。
 もちろん装飾は同盟の時のまま。
 器が同じでも中身が違うとこれだけ印象が変わるのか?
 規律正しくストイックなまでに整列を乱さない帝国軍は一見の価値がある。
 反対に同盟政府は無様であった。
 トリューニヒトは己の仲間では無く帝国軍に周囲を守られ同盟が属領となった証の文書、バーラード条約に調印した。
 そしてすぐ敗北の責任を取り辞任すると言い捨ててその場を去る。
 あまりにも無責任な最高権力者の態度に帝国軍から嘲笑が沸き起こった。
 

 
 その時、正面の扉が開いた。
 第13艦隊が到着したのだ。
 彼等が最初から式典に出席しなかったのは帝国軍が全てハイネセンに到着した後、最後に降り立ったからだ。
 本音を言えばヤンがトリューニヒトの顔を二度と見たくなくて調印が終わった後を狙っただけなのだが。
 嘲笑は一瞬にして感嘆へと変わる。
 整然と列を成していた帝国軍が瞬時乱れる。
「あれがヤンウェンリーか」
「同盟の智将」
「英雄、魔術師ヤン」
「たった一人で我等を追い詰めたペテン師」
 帝国軍は賞賛と畏怖の目でヤンの一挙一動を見守っている。
「おおっ待ちかねたぞ、ヤンウェンリー元帥。さあ、こちらへ」
 カイザーラインハルトは立ち上がり両手を広げ満面の笑みさえ浮かべ仇敵を迎え入れた。
 ヤンは恐縮したように頭をかきながら赤い絨毯の上を進む。
 他の幕僚はその場に留まりこの世紀の瞬間を見逃すまいと瞬きもせず見守る。
 カイザーのいる玉座へ10メートル。
 ヤンが両脇を固める幕僚の横を通る、彼の横を通り過ぎた時それは起こった。
「ヤンウェンリーっ」
 ロイエンタールは呼びかけると同時に一歩前へ出た。
 玉座までの赤い絨毯の直線上に歩み出ると腰に下げていたブラスターを構える。
 背後から銃口は真っ直ぐヤンへ向けられていた。
「何をするっロイエンタールっ」
 最初に声を上げたのはミッターマイヤーであった。
「気でも狂ったのかっやめろっ」
 盟友の声を無視してロイエンタールは銃口を構える
 驚愕の出来事に誰も動くことが出来ない。
「銃を収めろっロイエンタール上級大将、これは命令である」
 皇帝の命令に従うことをロイエンタールは拒絶した。
「マインカイザー、ヤンウェンリーは帝国の敵、この男を生かしておいては災いの種となるでしょう」
「なにを言うかっ和平は成立したのだぞ」
「偽りの条約です。いつかまた必ずヤンウェンリーは帝国に反旗を翻し皇帝の前に立ちはだかるっ災いは芽を出す前に摘み取らねばなりません」
「今ヤンを殺せば帝国軍は汚名を浴びる事となるぞっ」
 ラインハルトの怒声もロイエンタールの決意を崩さない。
「皇帝が命令されたのではありません、私が錯乱し勝手にヤンウェンリーを暗殺する。帝国軍は止めようとした事はここにいる同盟人が証明してくれる。ヤンウェンリーを殺害するのは私一人の暴走です」
 人々は息を飲んだ、
 ロイエンタールの殺気が会場を支配する。
 彼はこの稀代の英雄を抹殺しようとしている。
 自分の命を持って。
 それを後世の歴史家は何と評するだろうか?
 将来を見据え自分が死してもローエングラム王朝を守った忠臣と呼ぶか、和平を犠牲にしてまでも英雄暗殺という名声に執着した逆臣と呼ばれるか。
 やはり猛禽であったか。
 帝国軍務尚書オーベルシュタインは声にならない呟きを漏らした。
「ヤンウェンリーを殺せば卿も死罪だ、わかっているのか?」
「覚悟しております」
 ロイエンタールは憎悪の瞳をヤンに向けた。
「ヤンウェンリー、お前はここで死ぬ」
 ヘテロクロミアの瞳がヤンを貫いてくる。


 100人は超える大会場は静まり返っていた。
 息を飲む音さえ憚られる静寂。
 極度の緊張が会場を包み込んでいる。
 どれだけ時間が経っただろう。
 いや、正確には数秒しか経っていなかったに違いない。
 ヤンは静かに振り返った。
 そして穏やかに答える。
「いいよ、ロイになら殺されても」
 瞬間、ユリアンの悲鳴が聞こえた。
「提督っそんなに呆気なく自分を捨てないでください」
 静寂は破られヤンの幕僚が次々と声を上げる。
「そうですよっ先輩っあなたはこんな所で死んではいけない」
「もっとあがいてくださいっヤン提督」
 幕僚の言葉に帝国軍で動揺が走る。
 その隙を突いてシェーンコップが素早くブラスターを抜いた。
 照準はカイザーに合わせてある。
「銃を納めろっオスカー フォン ロイエンタール」
 ロイエンタールは片眉を吊り上げた。
「卿とは一度会ったことがあるな」
「ワルターフォンシェーンコップ、覚えていて頂けたとは光栄だな、ヤン提督を解放しろ、でないとカイザーを殺す」
「俺がヤンを殺すほうが早い」
「どうかな?試してみるか?」
 空気は一本の糸のように張り詰めている。
 息をすることすら躊躇われる極度の緊張。
 ヤンはゆっくり首を左右に振ると部下に命令した。
「銃を降ろすんだ、シェーンコップ、カイザーを暗殺することは私が許さない」
「自分が殺されても?」
「そう、私が死んでも・・・今私は一介の敗軍兵士だ、私が消えても歴史には影響しない、だがカイザーは違う、彼はこれから達成しなければいけないことが山ほど控えている。こんな事で煩わせてはいけない」
「閣下が死んだら同盟はどうなるのですか?民主主義は?」
 シェーンコップは怒りにも似た感情に突き動かされ声を上げる。
 ヤンは静かに答えた。
「私は民主主義のために生き続けることは出来ない」
 ヤンの告白に誰が耳を疑った。
 帝国軍も同盟軍も皆ヤンウェンリーこそが民主主義の具現者だと信じていたからだ。
「ではオスカー フォン ロイエンタールにならその命をくれてやるとでも?」 
 辛辣な部下の追及に頷く。
「ああ、だって私はロイのものだから」
「詭弁を言うなっヤンウェンリーっ」
 それまで黙っていたロイエンタールが叫ぶ。
 憎悪と嫌悪に彩られた声で。
「お前はペテン師だ、嘘つきだっまた言葉を使い俺を騙し欺こうというのかっ」
「そう言われても仕方ないね、私はそれだけの事をしてきたのだから」
 ヤンは落ち着いた動作でロイエンタールと向かい合いその両手を広げた。
「だからいいよ、ロイ、君には私を殺す権利がある」
 漆黒の瞳に恐怖は映っていない。
 ただ深閑と自愛が見えるだけ。
「ペテン師がっ俺は騙されない、二度とお前になど惑わされない、お前が憎いっヤンッお前を殺すことだけが俺の生きがいだった」
 トリガーに指がかけられる。
 ヤンはヘテロクロミアの瞳から目を逸らさず呟いた。
「ごめん、ロイ、苦しめて」
 そして唇の動きだけで伝えてくる。
 愛していると
 その言葉はロイエンタールに衝撃を与える。
 震える指はトリガーを引くことが出来ない。
 どうしても出来ない。
 長年、この場面だけを思い描いてきたのに。
 ヤンを殺すことだけを切望してきたのに。
 この機会を逃せば一生チャンスは巡ってこないのに。
「俺には・・・出来ない」
 ガツッという硬質な音と供にブラスターが床に落ちた。
 ロイエンタールが崩れ落ちる。
「何故だっ何故殺せないっお前を殺すことだけが俺の目標だったのに、それだけのために生きてきたのに」
 床を叩き慟哭する。
 ヤンは床に足を付くとダークグレーの髪に手を寄せた。
「ごめん、ロイ、本当にごめん」
 誰も動くことが出来ず、謝罪の声だけが繰り返された。

バーラード条約は調印された。
自由惑星同盟と銀河帝国は和平を果たしたのであった。

そして新たな時代が始まる。
 

 後日談


「つまり痴話喧嘩だった訳ですね」
 ここはハイネセンの統合作戦本部。
 その一室で重要な密談が繰り広げられていた。
 メンバーは同盟軍第13艦隊幕僚と帝国軍の上級大将以上、
そして同盟政府から数名。議長はラインハルトフォンローエングラム。
 的確な言葉を吐いたのはヤンの被保護者、ユリアンミンツである。
「痴話喧嘩って・・・・ユリアン、その言い方は・・・」
「全く人騒がせですな、我等が提督は」
 シェーンコップが追い討ちをかける。
「ペテン師だって事は知っていたけど俺達までペテンにかけることは無いじゃないですかっ先輩」
 アッテンボローが怨み事を言ってくる。
「ペテンだなんて人聞きが悪い」
「提督が同盟人と帝国人とのハーフだなんて知りませんでした」
 フリデリカの言葉にヤンは頭をかいた。
「いや、騙していた訳じゃなくて、同盟なんて所詮帝国からの亡命者で構成されているんだし、今更言わなくてもいいかなぁ・・・なんて」
「貴族だったんですね、ヤン提督」
 コーネフの突っ込み
「おぼっちゃまだったんだ」
 ポプランの追い討ち。
「もうみんなして苛めないでくれ、悪かったよ、私が」
「当たり前です。もっと反省してもらわなければ困ります」
 全員の声が見事なハーモニーを作った。
 実際あの時、死んでもいいと言ったヤンにイレギュラーズは全員生きた心地もしなかったのだ。
 ヤンの本気もロイエンタールの本気も伝わってきたから。
 ヤンが死んだらどうなるのか?その恐怖をまだ皆覚えている。
 多少辛辣になっても自業自得というものだ。


 上司を上司とも思わない第13艦隊の態度に帝国軍は戸惑いながらも自軍から出た反逆者(未遂)を追求した。
「だから謝っておるだろうが、ミッターマイヤーもしつこいな」
「卿の態度は全然反省の色が見えないぞ、ヤンウェンリーを殺して自分も死ぬだなんて何時からそんな考えに取り付かれていたんだっ」
「始めからだ、ヤンを殺したら俺の生きている意味が無いからな、この世に未練は無い」
 がっくりと脱力するミッターマイヤーに悪びれずロイエンタールが謝ってくる。
「だから悪かった、今度年代物のワインを送ろう」
「酒一本で誤魔化されてたまるかっ」
 その時、黙っていたカイザーが口を開いた。
 同盟と帝国双方が口を噤む。
「最初から説明してもらいたい、オスカーフォンロイエンタール、卿とヤンウェンリーはどういう関係なのか?」
「幼馴染なんです」
 ヤンがぽりぽりと頭をかいた。
「実は15歳まで帝国で暮らしていまして、その頃ロイ、いやロイエンタール元帥とクラスメイトでした」
「・・・・それは分かっている、余が疑問に思うのは何故ロイエンタールがヤンを憎み殺そうとしたのかだ。友達なのだろう、卿達は」
 その瞬間、狭くない会議室に天使が通った。
(鈍すぎる・・・カイザーラインハルト)
(皇帝って天然だったんだ)
(どうしてこの状況で二人が恋人同士だと気が付かないんだ?)
 異口同音で皆脱力する。
 しかしどう説明したものか・・・・
 戸惑う人々の中、当事者であるロイエンタールが立ち上がるとツカツカと足音高くヤンの席へ歩み寄る。
 周囲の同盟幕僚が緊張する。
 ユリアンとシェーンコップはブラスターに手をかけている。
 ロイエンタールはヤンを席から立たせるとカイザーの方に向き直った。
「つまりはこういう事です、マインカイザー」
 二人の唇がくっついた瞬間、会議室に悲鳴が轟いた。
「やめろーっロイエンタールっ閣下の御前ではしたないっ」
 と叫んだのはミッターマイヤーを始めとする帝国幕僚っ
「ヤン提督から離れろっ今直ぐブラスターの餌食にしてやる」
 物騒なことを言うのはシェーンコップとユリアンミンツ。
「うちの提督もやるなぁ、敵の元帥を手玉にとるだなんてまさにペテン師」
「お前さんより手が早いんじゃないのかね」
 と評するのはコーネフとポプラン漫才コンビ。
 アッテンボローは長年胸に温めてきた初恋の先輩に失恋したショックで茫然自失。
 フリデリカは涙をハンカチで押さえながら
「提督、お幸せに」
 などと感動している。
 しかし一番ショックを受けているのは誰であろうカイザーラインハルトであった。
「キルヒアイスっロイエンタールがヤンにキッスをしているぞっ」
「さようでございますね、ラインハルト様」
「彼等は男同士ではないか」
「性別は関係ありません、愛し合う者同士ならば男でもキッスはいたします」
 キルヒアイスの正確な助言にカイザーは震えながら立ち上がった。
「しっ知らなかった、男同士でも恋は出来るのか」
「また一つ経験を詰まれましたね、ラインハルト様」
「キルヒアイスっ余は今気が付いた、ずっとヤンと一騎打ちを望んでいたのは、彼に執着していたこの心は恋だっ愛だっ
初恋だったんだ」
「自分で気が付いていなかったんですか?ラインハルト様」
 知っていたなら教えてくれてもよさそうなものを、キルヒアイスは結構意地悪だ。
「ヤンから離れろロイエンタールっこれは命令だ」
 ラインハルトの絶叫にロイエンタールはキスを止めるとにやりと笑みを浮かべた。
「幾らマインカイザーのお言葉でも聞けませんな、ヤンは私の物なのですから」
「ヤンは物などではないっ」
 ロイエンタールはにんまりと微笑み丁重に言いなおした。
「失礼いたしました、ヤンウェンリーはこのオスカーフォンロイエンタールの生涯の伴侶なのですから」
「本当かい、ロイ」
「ああ、もう二度とお前を離さない」
「ロイっ私も」
 ああ、もう見ていられない。
 15年ぶりに再会したバカップルの熱々ぶりに当てられて全員が空を仰いだ。


 さて、こうして幸せを得た二人が帝国と同盟、どちらに新居を構えるかでまたひと悶着あるのだがそれは次回のお話。


ここまで読んでいただきありがとうございます。
前回よりもへっぽこぶりに磨きがかかっております。
ロイエンタールファンの皆様、ごめんなさい。うちのロイはツンデレのデレデレのへたれです。
コーネフもキルヒアイスも死なないのはこの二人が好きだからです、原作無視ですいません、
書いている本人はえらく楽しかったのですが受け入れられるか相当心配です、そしてシリアスのつもりが最後はギャグで終わる・・・パターンですいません。
では、本当にありがとうございました。
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FETISH
2007/10/7発行