「ペット」 

 

自由惑星同盟の英雄、ヤンウェンリーはペットを飼っている。
 図体は飼い主より大きく態度はもっと大きく口が達者な駄犬だ。
 主人に忠実で甘えたがりでそのくせ誰よりも頼りになる忠犬でもある。
 見た目かっこよくて老若男女に好かれる愛嬌あるそばかすがチャームポイントのハンサム犬でもある。
 彼を犬と呼んだのはヤンの部下でイゼルローンの歩く風紀違反ポプラン中尉。
「ヤン提督が入ればアッテンボロー少将はご機嫌なのさ、ほら見ろよ、尻尾振りまくっているワンコみたいじゃないか」
 なんの話のついでだったのか。
 イゼルローン駐留艦隊分艦隊司令官はいつもにこにこしているけれども腹が読めない、と言うコーネフにハートのエースはのたまったのだ。
 その場にいる人間はポプランの人物評に爆笑し、そのままアッテンボロー少将のあだ名は提督のペットに納まった。
 口の悪いシェーンコップなどは「要領はいいが所詮中形犬、それに比べ将官は大型犬ですからね、愛玩犬にも番犬にもなれます。どうですか?ヤン提督、私に乗り換えませんか?」などと不埒な事を言ってくる。
 当然提督は丁重にお断りをした。
 それにしてもイゼルローン、つまりヤン艦隊には犬気質の人間が揃っている。
 人間は大雑把に分けると犬派と猫派に大別できるそうだ。
血液型や星座 生まれ月などの性格診断はヤンの尤も嫌うところだが、この動物判断はまあ当たっているかなとも思う。
 イゼルローンには捻くれているが元来素直な人間が揃っている。
 類は共を呼ぶのか犬派ばかりが大集合。
 それをまとめるヤン提督はつい苦笑してしまう。
「唯一の猫派が私一人だとはね」
 お世辞にも犬派とは言えない自分の性格を省みてため息をつく。
 臆病で意地っ張り、一人だと寂しいくせに構われるのを嫌う性質は猫そのもの。
 なのにペットは言うのだ。
「そういう先輩が好きなんです」
 初めて会った時から言われ続けている言葉。
ヤンは猫の様に大きく伸びをして書類の束を放り出した。
余計な事を考えているから仕事がちっとも進まない。
ヤン専用の執務室は誰も居ないし空調も聞いていて気持ち良い。
早々に書類を放棄してヤンは椅子の背もたれに体を預けるとベレー帽を顔の上に乗せた。
 睡魔がやってくる間に思い出したのは昔、ペットと出合った頃の事だった。


同盟の首都、ハイネセンにある士官学校には将来軍人を目指して様々な若者が集まってくる。
軍人の子に生まれ軍人を目指す者。
悪しき帝国と戦う理想と野望に燃える者。
同盟軍人を志し誇りを胸に集う者。
そして、軍人になどなりたくないのに親の命令で無理矢理投げ込まれた者。
金が無いから士官学校に来た者。
秘めた思いは違えども同じ年頃の若者が士官学校の門を叩く。
門戸は広く出口も広い。
大量の若者を吸い上げ軍人に育て上げる。
学校という名の養成所。
ヤンウェンリーは商人である父の死により金に困り士官学校へ入学した。
ダスティアッテンボローは親の懇願により仕方なく士官学校へ入学した。
 学生の大半が夢と理想を大声で叫ぶ愛国者の中、ヤンとアッテンボローは居心地の悪い思いをしたのは言うまでも無い。
 ダスティ アッテンボローはヤンの二年下、後輩であった。
 本来ならば逢う事の無い二人が出合ったのは深夜の出来事。
 門限を破ったアッテンボローが寄宿舎の塀を乗り越えようとした所を見回りのヤンに見つかったのだ。
 その時の事をアッテンボローは
「運命ですよ」
 と言いヤンは
「偶然だよ」
 と笑う。
とにかく二人の出会いはそういうイレギュラーな物であり、とても友好な関係が築けるとは思えなかったのだが。
 翌日アッテンボローはヤンのところへ挨拶に来た。
 見逃してくれた事に丁重な謝辞を述べるアッテンボローにヤンはこう答えた。
「通報なんかしたら厄介だからね、見逃したのは面倒に巻き込まれたくなかったから、それだけだよ」
 素っ気無い言葉にアッテンボローは驚いた顔をして、すぐに笑い声を上げた。
「いいなあ、そういうの好きですよ、気に入りました、ヤン先輩」
 なにをどう気に入ったのか、ヤンは追求するのを止めにした。
 追求するのが面倒だったからだ。
 この時のヤンは非情に怠惰な怠け者、
 如何にして楽に卒業出来るかだけを考える学生の風上にもおけない存在だった。
 全ての授業が落第すれすれ。
 興味のある戦略論概説 戦術分析演習、戦史ですら手を抜いていた。
 テストで良い点数を取る必要など無い。
 無事卒業出来たら後方の寂れた地方の閑職に回されることを切に望んでいたからだ。
同級生や教授の間でヤンは落伍者の判を押されていた。
何時落第するか噂にすらなっている。
「ヤン先輩はそれ以外でも有名人でしたよ」
 知り合ったばかりのアッテンボローはヤンの事を知っていた。
 見たのは初めてだが噂だけは耳に入っていたそうだ。
「二年先輩でえらい美人がいるって有名でしたからね」
いけしゃあしゃあと答えるアッテンボローは先輩への礼儀を知らない無礼者だ。
 ヤンが思い切り顔を顰めるがこの後輩に効果は無かった。
「成績が最低だってのも有名ですけどね、癒し系のべっぴんさんだって後輩の間じゃ憧れている奴も多いんです」
 アッテンボローのいう事は本当だった。 
 大体士官学校なんてものはある程度体が頑丈でないと勤まらない。
 肉体派を誇る連中の中で東洋系のヤンは目立った。
 作り自体が違うのではないかという華奢な肢体に小作りな顔
 中性的な面立ちを黒髪が彩っている。
 女が乏しい士官学校でヤンは擬似恋愛の的になる筈であったが、表立ってちょっかいをかける奴はいない。
何故ならヤンの友人であるジャンロベールラップが目を光らせていたからだ。
ラップはワイドホーンと並ぶ秀才で主席争いの常連者であった。
実技の訓練ではワイドホーンを抜いてトップに立っている。
 そんなラップのお守りがあるから皆指を加えてみているしかなかったのだが、アッテンボローは果敢にもチャレンジしてきたのだ。
「俺、先輩の事好きなんですよね、付き合いませんか?俺たちお似合いのカップルになれますよ」
 本来ならば怒らなければいけないのだがアッテンボローの口調は悪気が無く邪気も無いものであったからヤンは許してしまった。
 もちろん答えはNOであったが。
 ラップもヤンに近寄る人間には容赦無いのが常なのに、アッテンボローだけは見逃してくれた。
「なんかあいつって憎めないんだよな」
 ラップの言葉はアッテンボローの本質を付いている。
 世の中、何をやっても笑って許される人間がいるのだ。
 ヤンはそんなアッテンボローを羨ましく感じながら邪険に出来ず、何時の間にかアッテンボローはヤンの右となりをキープしてしまった。

 出会いは春だった。
夏が過ぎ秋が来て、冬を一緒に過ごしまた春が来た。
一年過ぎる頃にはアッテンボローはヤンの傍らにいるのが当然となっていた。
このままずっと一緒にいるのが当然のように錯覚してしまうほど自然だった。

秋の終わり、士官学校は俄に騒がしくなった。
4年生はもうすぐ卒業するのだ。
ヤンの周りも例外でなく、卒業後どこの任地へ
行くのか、どういう責務に付くのかという話題
で溢れかえった。
ヤンは我関せずという態度であったがその頃
のアッテンボローは焦っていたらしい。
 しきりにヤンに将来の希望を聞いてきた。
「出来れば事務の閑職に回されたいけどね」
こればかりは自身の希望は取り上げられない。
日に日にアッテンボローの顔立ちは険しくなり、ヤンに強い視線を向けてくるようになった。
 切なそうな、苦しそうな顔は見ているヤンをも辛くする。
ギクシャクした関係がしばらく続いたある日、ヤンの自室にアッテンボローが訪れた。
「明日、戦略シュミレーションの授業があるんですよね」
 どこから情報を仕入れたのかアッテンボローはヤンの対戦相手まで知っていた。
「マルコムワイドホーン、今年の主席ですね」
「そうだね、まあ勝てはしないだろうから落第しない程度の点数は取れるようにがんばるよ」
冗談まじりに言った言葉にアッテンボローが反応した。
「ヤン先輩、お願いがあります」
奇妙に強張った声、ヤンが顔を上げるとアッテンボローの真摯な瞳が飛び込んできた。
「なに?お願いって」
アッテンボローは強張った声のまま告げた。
「今度の戦略シュミレーション、本気で戦ってほしいんです」
最初アッテンボローのいう事が判らずヤンは眉を潜めた。
「俺、知っています、知っているんです。ヤン先輩がずっと試験で手を抜いていたことを」
伊達に傍らをキープしている訳じゃない。
アッテンボローはずっとヤンのとなりにいて
だから気が付いた。
ヤンはわざと試験を間違えて低い点数を取って
いたのだ。
「ヤン先輩は高得点を取って注目されるのが嫌だったのでしょう。それは分かります、でも」
このままでいけばヤンは卒業後、確実に最前線
に送られる。
単なる駒として無駄死にをさせられる。
それが分かるから、分かってしまうからアッテ
んボローはなんとしてもヤンに良い成績を取ってもらいたかったのだ。
何か一つでも秀でたものがあれば、最前線に送られるのは阻止できるかもしれない。
最前線でも一兵卒としての無駄死にはしなくてすむかもしれない。
ワイドホーンとの一戦はまさに好機であった、
これでヤンが勝てば実績が残る。
戦略シュミレーションで主席を完敗させればその存在は無視出来なくなる。
それがヤンの望むことでなかったとしても
アッテンボローは退く気は無かった。


何時もやんちゃな後輩の真剣な態度にヤンは
苦笑を返すしかなかった。
この後輩は、アッテンボローは自分よりも自分
の事を心配してくれる、
士官学校でやけになっていて、卒業したらどこ
へ飛ばされようが一緒だ、などと思っていたヤ
ンを真剣に思ってくれているのだ。
「いいよ」
ヤンは答えた。
「アッテンボローのために、今回は本気で戦うよ」
 答えを返した時のアッテンボローの顔をヤンは一生を忘れないだろう。
嬉しそうな、泣きそうな表情でアッテンボローは大きく頷いたのだ。
「ありがとうございます、ヤン先輩」
多分この時からだ、アッテンボローがヤンの中で大切な存在になったのは
ポプラン曰く、ワンコというのは当たっている。
鉄灰色の髪を持つそばかすだらけの大きなワン
コにヤンは魅入られたのだ。
父親を亡くし、天涯孤独のヤンにとってアッテ
ンボローは唯一信じられる相手となった。
この後輩は何が会っても絶対自分を裏切らない。
そう思える存在がいることはどんなに心地いいことだろう。
結局ヤンはワイドホーンとの戦いに圧勝した。
その事で戦略研究課に転向させられ、何時の間にか最前線の真っ只中で同盟の英雄と言われるまでになってしまった。
きっかけはアッテンボローの一言。
あの時、もしワイドホーンに負けていたらヤンは最前線の一兵卒で終わっていたか僻地の閑職で椅子を暖めていただろう。

もの思いにふけっていたら案外時間が経ってしまった。
まだ眠っていないのにもう定刻となっている。
仕事は全然片付いていない。
どうしようっぼうっと考えているとドアを叩く音がした。
「先輩、仕事終わりましたか?今日は飲みにいくの付き合ってくれるんですよね」
見えない尻尾をふりながら覗き込んでくるペットが一匹
ヤンとしては苦笑するしかない。
「全く、君のおかげで人生設計が狂ったんだよ」
何を言われているのかわからずきょとんとするが、すぐに立ち直ったのか満面の笑みを向けてきた。
「それは光栄ですね、先輩の人生は俺の人生でもあるんですから。有意義な方向に狂ったんでしょう」
「なんで私の人生とアッテンボローのが一緒なんだ?」
「決まっているじゃないですか、俺はヤン先輩と会った時決めたんです。この人と人生を添い遂げようと」
「それは女性に言う言葉だよ」
「ヤン先輩は俺のにとって女性以上の存在ですから」
 軽薄で憎めない口調はアッテンボローの十八番だ。
でもその中に真実が隠されているから油断できない。
「何がそんなに気に入ったんだろうね、私なんてさえない唯の軍人なのに」
 少しすねた口調のヤンにアッテンボローは
笑いながら唇を寄せた。
「先輩は信じないでしょうけどね、一目ぼれだったんですよ」
 相変わらず軽い口調。
信じない。信じないけれど
「美人で綺麗でその癖ひねくれていて素直じゃなくて頭が良くて、俺の理想そのもの」
 だから士官学校時代、必死でしがみついていたんです。
過去の所業を懺悔するには明るい口調。
ヤンは大きくため息をつくとそばかすだらけの顔に笑いかけた。
「君は何時までたっても私の事を階級で呼ばないね」
提督、元帥という言葉を彼は使わない。
人前では、会議の席では使うのだが本音が出るといつも「先輩」と呼んで来る。
甘ったれた声で、自分だけの特権だというように呼んで来る。
それが心地良くて、ヤンはペットの頭をなでてやった。
「だって俺にとってはヤン先輩はヤン先輩なんですよ。提督とか元帥とか英雄とか魔術師とか、そんなの後から付いてきたおまけです」
言い切るアッテンボローの瞳は力強い。
この後輩は、ヤンが何になろうとも、もし将来独裁者になろうとも先輩としか呼ばないだろう。
それがヤンの本質なのだと
名前が、名称が幾ら変わろうともアッテンボローの中で何も変わりはしないのだと伝えてくる。
そんなペットが可愛くて愛しくてヤンは頭をなでてやりながら呟いた。
「君が好きだよ」
とたんに跳ね起きるペットの耳と盛大に振られる見えない尻尾
「もう一度、もう一度言ってください。ぼんやりしていてちゃんと聞き取れなかった」
当たり前だ、
独り言がつい口に出てしまっただけで本人に聞かせるつもりは無かったのだから。
 耳聡い後輩に赤い顔を向けながらヤンはその耳を引っ張った。
「聞き違いじゃないのか。私は何も言っていないぞ」
「いいえ、聞きましたよ。ちゃんとこの耳で、初めてヤン先輩が俺に好きだと言ってくれたんだから聞き逃すはずがありません」
ガウガウと吠えるペットは可愛いけれど扱いずらい。
ここは必殺技。とばかりにヤンはそのそばかすにキスしてやった。
「ヤン先輩っ」
そばかすまで真っ赤になる後輩はとても可愛らしい。
しかしその後がいけない。
「好きです、大好きなんです。俺の思いを受け取ってください」
のしかかってくるペットの股間は何故か固くて大きくて。
 ヤンは無言でペットの急所を蹴り上げると素早く立ち上がった。
「飲みに良くんだろう。付き合うよ」
 態度のわりに優しい口調、アッテンボローは盛大な笑みを浮かべると飼い主に尻尾を振りまくるのであった。