「SEXY BEAST」


 ガチャンッ

 グラスの割れる音に周囲の視線が集まる。
 だが今はそんな事に構っていられなかった。
 前にいる男から目を逸らせない。
 逸らしたいのにまるで引力に引き摺られるかの様に。
いけない。
このままでは引き摺られる。
あのヘテロクロミアの瞳に。
不快なガラス音に気がついた彼も自分を見ている。
気が付くな、
と叫びたいのに声が出ない。
視線が会う。
漆黒と蒼の瞳
異相と言っても過言では無いのに不思議と彼には良く似合う。
 それが恐ろしい。
 数秒、絡み合った視線を強引に引き剥がし目を逸らすと慌てて部下が駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか、提督」
「お怪我はありませんか」
「どうしたのです?何かあったのですか」
 心配そうな声に作り笑いを向けて返事をする。
「ああ、疲れのせいか酔いが回ったらしい。醜態を晒してすまないが今日は下がらせてもらうよ」
「閣下が酔っ払うとは珍しいですね」
 口の悪い要塞防御指揮官の言葉に苦笑するしかない。
「目出度い酒だから尚更酔いが回るんだろう」
「先輩が酔っ払ったところなんて始めてみました」
「グラスを割る失敗なら幾らでも見ているがな」
 士官学校時代の先輩と後輩、今は部下の2人に笑い返したところで主賓が現れた。
「どうしたのだ?気分が優れないのか」
 真摯な瞳が心配している事を伝えてくる。
「申し訳ありません。やはり疲れが堪っている様です。失礼ながら本日は退席させて頂きます」
「そうか、卿は同盟にとっても帝国にとっても大切な人間だ。ゆっくり休んで明日の条約に備えてくれ」
「ありがとうございます」
「卿とはつもる話もある。英気を養った卿と明日は語り合いたいものだ」
「私もです、皇帝閣下」
 労わりの言葉に謝辞を返しその場を離れる。
 皆の視線が自分に集中している事を感じ体が強張った、
 皆のでは無い。
 彼の視線を感じる。
 金銀妖瞳気の視線だけが体中を突き刺さる。
 それを強引に無視して敬礼すると会場を後にした。
 部下の不安な視線、元敵達の興味に満ちた視線を背に受けながら振り返ることは出来ない。
 この式典がどれ程大切な物か分かっていても振り返り笑顔を浮かべることが出来ない
 オスカー フォン ロイエンタールが自分を、
ヤンウェンリーを見詰めている限り決して笑うことなど出来なかった。


 時は 宇宙暦799年 帝国暦490年

 銀河帝国と自由惑星同盟の長きに渡る戦争は帝国の勝利で幕を閉じた。
 同盟は無条件降伏をし、最後の戦場バーミリオンでまさに帝国軍に勝利しようとしていた第13艦隊、ヤンウェンリーは政府の命令に従い敗北した。
 歴史に残る会戦の余韻も覚めやらぬまま両陣営はハイネセンへと降り立つ。
 続々と着艦する艦隊の列に同盟の国民は複雑な心境で見守るしかない。
 属領となる不安と平和が訪れる暗渠
 だが彼等には希望があった。
 ヤンウェンリーである。
 同盟最大の智将、英雄がいる限り帝国とて無慈悲な真似はするまいと心に言い聞かせる。
 テロや暴動も無く帝国軍と同盟軍の艦隊が全てハイネセンに降り立ったその晩、
 終戦を祝うささやかな式典が催された。
 本番は明日のバーラド和約だが長きに渡る戦争の終幕を慰労して開かれたのだ。
 統合作戦本部の式場は皇帝の意向で政治家は招かれなかった。
 純粋に戦場で功績を立てた上級士官のみが招待される。
 ヤンウェンリーとその幕僚 ビュコックを始めとする同盟軍の幹部。
帝国からはラインハルトとその部下達。
限られた人間しか許されない式典は正式な物では無い。
後にヤンウェンリーと話したがったラインハルトの独断によると囁かれたがそれは大部分で当たっている。
 政治家などの横槍が入らない場所で、戦争の興奮が残っている今ラインハルトはヤンと膝を付き合わせて語り合いたかったのだ。
 だがそれは叶わなかった。
 式典が始まって30分も立たない内に主役の1人であるヤンウェンリーが退席してしまったのだ。
 無作法なという声は上がらなかった。
 ヤンウェンリーがどれ程バーミリオン会戦で疲弊したかは対峙した帝国軍が一番良く分かっている。
何十倍という敵艦相手に怯まず挑み、ついには勝利を掴みかける所までいったのだ。
 ヤンウェンリーの軍才と精神力、部下を率いるカリスマ性は皇帝ラインハルトに勝るとも劣らず帝国軍兵士ですら彼を尊敬する機運が高まっていた。
 ヤンと会話を交わしたいと願っていたのは皇帝だけでは無かった。
 ミッターマイヤー、ミュラー、メックリンガー 名立たる武将が彼の戦略、戦術に興味を示している。
 あのオーベルシュタインですら好奇心を隠せない様子であった。
 だからヤンが退出すると同時にため息が漏れる。
「残念だ。ぜひ話をしたかったのだが」
「体調不良では仕方あるまい。機会はこれから幾らでもある。戦争は終わったのだから」
 ミュラーとケスラーが頷きあう。
「ヤンウェンリーか、興味深い男だ。全然軍人には見えなかったぞ」
 ビッテンフェルトが正直な感想を言うと周囲に笑いがさざめいた。
「そこがヤンウェンリーの恐ろしいところだろう。卿はどう思った?」
 ミッターマイヤーが傍らの親友に声をかける。
「さあな、敗軍の将になど興味は無い」
 辛辣な口調を返されるがミッターマイヤーは知っている。
「意地を張るなって。卿とてヤンウェンリーと対面するのを楽しみにしていただろう」
 図星を差され嫌な顔をしながらも認めるしか無い。
「奴に興味の無い帝国軍人などおらんだろう。だが期待はずれだったな」
「体調不良はしょうがないだろう。あれだけの激戦だったのだから」
「武人とは思えん」
「無理言うな、我々はカイザーを先頭に多くの艦隊と元帥、上級大将を備えていたがあちらはヤンウェンリーのみだったのだぞ」
「それにしてもだ、危機管理が成っていない」
「分かった分かった、ロイエンタールはヤンウェンリーと話せるのを楽しみにしていたのに彼が帰ってしまったのが気に食わないのだな」
 ミッターマイヤーにそう判断されロイエンタールとしては憤慨しつつも頷く。
「皇帝閣下直々の式典を退出した奴の不敬ぶりが気に触るだけだ」
「明日のバーラド和約の後なら幾らでも会えるだろう。焦るなよ」
 しつこいミッターマイヤーの態度にロイエンタールは渋々折れた。
「分かった。認めよう。俺は奴に興味があるしぜひ語り合いたいと思っている。これで満足か」
「素直が一番だぞ、ロイエンタール」
 双璧と呼ばれる親友だから叩ける軽口である。
 毒舌家のロイエンタールが唯一心を許しているのがこのウォルフガング ミッターマイヤー
 貴族出身では無いが誠実で明るい青年である。
 彼の他に認めているのは彼の主君であり皇帝であるラインハルト フォン ローエングラム
 この世でロイエンタールが膝を屈する唯1人の相手。
 以外の幕僚は実力こそ認めているが親交は深めていない。
 どちらかと言えば一匹狼で孤立しがちなロイエンタールと他人の仲を取り持ってくれるのがミッターマイヤーだ。
 彼がいなければ自分の出世はもっと遅れていただろうと柄にも無く感謝する。
 だからこの蜂蜜色の親友に問い詰められるとつい本音を吐いてしまう。
「ヤンウェンリー、見た目は凡庸だったな」
「そうだな、普通というか覇気に欠けるというか、ビッテンフェルトの言う通り確かに軍人らしくない」
「元帥よりも大学生の肩書きの方が似合いそうだ」
「それは言いすぎだろう。ロイエンタール。彼は名前の通り東洋系だから我々とは骨格が違う」
「まあ智将自らトマホークを奮うようになっては戦いは負けだからな。見た目貧弱でも頭脳が優秀なら良いのだろう」
「筋骨隆々の武人でも役立たずはいる。オフレッサーが最たる例だ」
「あれは人間では無い、原人だ」
「思い出すだけでフリカッセが食べられなくなるぞ」
 2人は笑いながらワイングラスを掲げる。
「ようやく訪れた和平に祝杯をあげよう」
 周りにいた帝国幕僚もグラスを持ち上げる。
「プロージット」
「皇帝万歳」
 賛辞と共に杯が空けられていく。
 同盟の将校も習ってグラスを傾けた。
 良い気分だ。
 ロイエンタールが空いたグラスに新たなワインを注ごうとした時、背後から声がかかった。
「ロイエンタール上級大将でいらっしゃいますね」
 振り返ると筋骨隆々の戦士が立っていた。
 ローゼンリッター。
 その顔には見覚えがある。
「初めまして、ではありませんな。私を覚えておいでかな」
「忘れようが無い。見事な奇襲だったからな」
「ヤンウェンリー得意のペテンでしてね。一流の名将を引っ掛けるには二流の愚策を」
「一流といって頂けるのは光栄だ。見事に騙された」
「そのお詫びという訳ではありませんが一杯いかがですか?」
 シェーンコップがボトルを取り出す。
 ブランデーのビンテージ物
「同盟産も結構いけますよ。お口にあえばいいが」
「頂こう」
 シェーンコップはミッターマイヤーとロイエンタールのグラスに琥珀色の液体を注ぎいれた。
「では、何に乾杯しますかな」
「和平に、では月並みか」
 ロイエンタールの返答にシェーンコップはにやりと笑う。
「継続させるには双方の努力が必要でしょうな」
 まあいい、とグラスを持ち上げる。
「プロージット」
 完璧な帝国公用語の発音でシェーンコップは杯を空ける。
 他の同盟将校も、帝国幕僚も後に続いた。
 その後、式場は歓談の場となる。
 ビッテンフェルトはアッテンボローと話し合いというより罵りあいの様相になっているしヒルデガルド フォン マリーンドルフとフレデリカ グリーンヒルは女同士打ち解けた様子だ。
 どちらも最高の敵として相手に敬意を払っているため大きな騒ぎは起こらない。
 傍らでミッターマイヤーがキャゼルヌという事務次官と談笑している。
 黙ってそれを見ていたロイエンタールにシェーンコップが話しかけてきた。
「失礼ですが、ロイエンタール閣下はうちの提督と顔見知りですか?」
「いや、初対面だが」
 不躾な質問だが答えるとシェーンコップの顔色が曇る。
「そうですか。ヤン提督の様子が変わっていたのでてっきり知り合いかと思ったのですが」
 それはロイエンタールも気がついていた。
 ヤンウェンリーはロイエンタールを見た瞬間顔をゆがめたのだ。
 奇妙な物を見るような目付きだった。
 不快感を隠そうとして隠し切れない表情だった。
 理由は想像付く。
「俺の瞳はご覧の通りですからね。ヤンウェンリーが嫌悪を感じたとしても当然でしょう」
 気にする事は無い。
 慣れている。
自分の瞳を見て驚かなかった者はいない。
 大概目を逸らす。
 正面切って聞いてきたのはミッターマイヤーくらいなものだ。
「その目は遺伝か?」
 聞かれてロイエンタールは答えた。
「呪いだ」・・・と
 ロイエンタール家の噂は有名で根が深い。
市民出のミッターマイヤーは知らないだろうが貴族なら誰でも聞いた事があるだろう。
 不倫の末自殺した母親。
 呪われた目を持つ子供
 しかしロイエンタールの瞳が呪いなどでは無く遺伝子の悪戯だという事は今では周知の事実だ。
 偶然の因子が重なって左右色が違う瞳が出来上がっただけ。
 呪いだの怨念だの馬鹿げている。
同盟は民主主義国家だからそう言う誤解や偏見は少ないだろうと思っていたがどうやら違うようだ。
 ヤンウェンリーが嫌悪の瞳で自分を見たのは呪いだと思ったからか。
 慣れていても落胆する。
 かの智将に会うのを楽しみにしていただけに偏見に凝り固まったただの男だと分かり残念に思った。
 だがそれだけだ。
 自分の瞳がどれだけ異質かロイエンタールは身にしみて分かっている。
 表情を歪ませたのはヤンウェンリーだけの責任でも無いだろう。
 ロイエンタールにもそうさせる素質があるのだ。
 人は異端を見ると恐怖するか嫌悪する。
 たとえ英雄でも同じ事だ。
 ロイエンタールの思いを読み取ったのかシェーンコップが話しかけてくる。
「言い訳じゃないですけどうちの大将はそういう偏見を全く一切持っていない。だがあんな顔をしたからてっきり知り合いなのかと思ったのです。失礼しました」
「いや、卿が謝る事では無い」
「本当に具合が悪かったのでしょう。だから目付きが悪くなった」
「随分過保護なのだな。部下がフォローに来るとは」
「ほっておけない気分にさせられるんですよ、あの方は」
「卿もマジックにかかったという訳か」
「ペテンともいいますがね、ともかくうちの提督が失礼しました」
 一応謝りに来たのだろう。
 ご苦労な事だ。
 ロイエンタールが苦笑すると横で話を聞いていたミッターマイヤーが肩を叩いてきた。
「俺も少し気になったな。ヤンウェンリーはお前を見ていたから」
「目が気味悪かったのだろう」
「あれ程の智将が露骨に差別意識を顔に表すか?」
 ミッターマイヤーの良い所は歯に絹着せず本音で話す事だ。
 遠慮したり躊躇したり余計な気遣いをせず直球で聞いてくる。
「その程度の男だという事だ」
「本当に知らないのだな」
 ロイエンタールは苦笑するしかない。
「奴は同盟の人間、俺は帝国軍人だぞ、どこでどう知り合う機会があるというんだ」
「それもそうだな 悪い ロイエンタール」
「いい、俺は気にしていない 奴が人間的にどうであろうとも優れた智将であることは事実だ」
 この一件で評価は相当下がったがそれでもまだヤンウェンリーには興味がある。
 いずれ和約が成立した後には会話をする事も出来るだろう。
 ロイエンタールはそう考えて気持ちをまとめた。
 ミッターマイヤーも何か言いたげであったが黙ってワインを飲み干した。

 5月22日

 銀河帝国と自由惑星同盟の間で初めて条約が結ばれた。
 バーラド和約である。
 これは自由惑星同盟にとって微妙な内容であったことは言うまでもない。
 民主国家としての主権は認められたが同盟への帝国軍の在留、年間一兆五千億帝国マルクという安全保障税、ハイネセンに高等弁務官府を設置が義務付けられる。
 敗戦国にしては少ない額であったが経済の崩壊した同盟にとって大きな負担となった。
 そしてもう一つ、幾ら停戦の条件だったとしても人々を落胆させたのは政府の最高責任者 国家元首のヨブトリューニヒトが罪に問われなかった事だ。
 トリューニヒトは帝国軍兵士に守られながら和約を調印した後責任を取って辞任すると言って全てを放り投げた。
 帝国側としては彼の地位と権利を保障してしまった以上手が出せない。
 色々と不満はあるがそれでも人々の心は晴れやかであった。
 長きに渡る戦争が終わるのだ。
 明るい未来が待っていると。
自分達は確かに負けたがヤンウェンリーが付いている。
彼は帝国に負けなかった。
同盟は負けたかもしれないがヤンは勝利した。
バーミリオン会戦の状況が詳しく報道されると同盟市民は沸き立った。
 同時に情報を隠蔽せず公表したカイザーにも好感を抱く。
 紳士的な態度を示す帝国軍にも好意を感じ始める。
 情勢は平和に向けて加速度をつけ動き出していた。
 帝国は同盟に対し見下したりせず対等の交渉相手として礼を失しなかったしトリューニヒトの後を継いだレベロも帝国に敬意を見せながらも卑屈にならない。
全ては順調に進んでいく。
帝国と同盟は史上初めて協定が結ばれフェザーンも帝国の首都に選ばれながらもその自主性はある程度容認された。
 だが何もかも上手くいくわけでは無い。
 特に人の心は変化する情勢になれるまでに時間がかかる。
 分かっていたし覚悟もしていた。
 しかし誰もが思いもしなかった人物の差別意識には驚き落胆する他無かった。

「おい、聞いたか、あの噂」
 最近トリスタンは不穏な話題で盛り上がっている。
 と言うよりも憤っている。
「我らが司令官を敗軍の元帥が無視しているって話だろう、許せないよな」
 トリスタンの下士官の間で広がる噂
「魔術師がどれ程偉いか知らないけど双璧を侮辱するとは信じられない」
 乗員は全て司令官に忠誠を誓っている。
 その能力とカリスマ性はカイザーに負けずとも劣らずと自負しているだけに最近流れてくる噂には我慢出来ない。
「ヤンウェンリー、いかに同盟の英雄だとしても所詮負け犬、そんな下種にどうしてロイエンタール閣下が馬鹿にされなければならないのか」
 そう、彼等の言う通りである。
 バーラド和約の後、行なわれた式典での態度は非礼にも程がある失礼極まりない物であった。
 ヤンウェンリーは他の提督とは和やかに歓談していたというのにロイエンタールとは一言も口を聞かなかったのである。
 ロイエンタールが近寄ると逃げる様に場を離れる。
 何度か同じ事を繰り返し結局式典の最中ロイエンタールは一度もヤンを捕まえることが出来なかった。
 さすがにその態度は目を引く。
 副官であるベルゲングリューンが非礼に憤慨する程に。
 双璧の片割れミッターマイヤーですら眉を潜めるほどに。
 ヤンウェンリーは徹底的にロイエンタールを避けた。
 目に入れるのも不快だといわんばかりに露骨に避ける。
相手は敗軍とは言え同盟一の英雄だからこの無礼は視て見ぬ振りをされた。
 が帝国軍としては面白くない。
 式典の後、カイザーが自ら確認してきたくらいだ。
「卿はヤンウェンリーと何か因縁でもあるのか?」
「心当たりはありません、強いて言えばイゼルローン攻略くらいな物でしょうが、あの時我が軍はヤンウェンリーの詭計で痛手をこうむりました」
「では卿の方に心当たりは無いと言うのだな」
「私の外見が気に触ったのかもしれません」
「瞳は遺伝なのだろう。それは卿の責任では無い」
「しかしそう思わぬ輩もおります」
 カイザーはしばらく思案した後呟いた。
「ヤンウェンリーともあろう者が瞳の色など気にするとは思えぬが」
 それは自分も同意見だ。
 まさか勝利の席で露骨に避けられるとは思っていなかったロイエンタールは正直憤っていた。
 ヤンウェンリーは他の幕僚、ミッターマイヤーやオーベルシュタイン、メックリンガーと会話が弾んでいる。
 ミュラーとは気があった様だ。
 あのビッテンフェルトとすら親しげだ、
何故自分だけ、忸怩だる想いがロイエンタールのプライドを傷つける。
 理由を聞こうにもヤンは半径10メートル以内に近寄ってこない。
「明日、ヤンウェンリーを招き昼食会を催す。卿も出席するように」
 皇帝閣下も気にかけてくださっている。
 席次を見せられてロイエンタールは苦笑してしまった。
 自分の名の横にヤンウェンリーが連なっている。
「少々誤解があるのだろう。卿と話せば解決する話だ」
 マインカイザーにまで気遣い頂きロイエンタールは恐縮した。
「ヤンウェンリーは聡明な男だ。卿も予の治世を支える人材。協力しあって平和を築いてもらいたい」
 皇帝のありがたい言葉に敬礼を持って謝辞を表すロイエンタールであった。


「・・・・どうしても参加しなければいけませんか」
 翌日、朝一番にキャゼルヌから報告を受けたヤンは情けなさそうな顔をした。
「単なる食事会だ。堅苦しいものじゃない」
「私がそういうの苦手な事は分かっているでしょう」
「政府のお偉方が開いたパーティーは何時も仮病だったな。
あの時はそれで良かったが今回は許さん」
 きっぱりキャゼルヌに申し渡される。
「あいたた、腹痛が」
「見え透いた嘘は止せ」
 大きくため息を付くとデスクに招待状を投げ置き睨み付けてくる。
「一体どうしちまったんだ。この頃のお前はおかしいぞ」
「私は普通ですよ」
「じゃあはっきり言おう。オスカー フォン ロイエンタールに対するお前の態度だ」
「別に、変な事はしていませんが」
「絡んだり喧嘩や議論はしていないな。しかし露骨すぎる」
「何がですか」
「あれだけ避けられたら噂にもなる。ロイエンタール提督が苦手なのか」
「まあ、そうです」
「何故?名将だぞ。少し話しただけだが道理の分かる人間だ。さすが皇帝の幕僚だ」
「そうでしょうね」
「性格は多少毒舌家だが悪い人間では無いと見た」
「そうですか」
「お前は毒舌家には慣れっこだろうが」
「先輩とかアッテンボローとかシェーンコップとか」
「おまえ自身もだ」
「私は温和ですよ」
「なら何故喧嘩を売る様な態度を取る?これが双方にとって不利益な事くらい分かるだろう」
「理屈では分かっているのですがどうにも生理的に受け付けなくて」
「噂が流れている。お前が奴を避けるのは差別だと」
「すいません、ご迷惑をかけて」
「まさか本当に目の色が違うくらいの事が生理的に受け付けないのか」
「まあ、それもあります」
ヤンの答えにキャゼルヌは絶句した。
自分の知る後輩は差別を嫌っていた、いや憎んでいた筈
生まれ持っての欠陥を指摘する事は品性下劣だと公言していたではないか。
 ルドルフの悪性遺伝子排除法を悪政の最たる物だと熱く語っていたのに。
 ヤンは父親が商人だったため15歳まで宇宙で暮らしていた。
 商船の中が彼の全てだった。
 偏見など持ちようの無い育ちだ。
 それに、15歳で父親が事故死してから彼自身も差別を受けてきた。
 事故の内容が悲惨だっただけにヤンは好奇の目に晒された。
 しばらくして周囲が事件を忘れても片親の子供、身内の無い子に対して世間は冷たい。
 保証人の無いヤンがどれ程苦労したか近くにいたキャゼルヌはよく知っている。
「そんな言い訳で誤魔化せると思うな。本音を言え。なんでロイエンタール提督を避ける?まさか知り合いだとでもいうんじゃないだろうな」
「いや、初対面です。イゼルローンで戦った事はありますけれど」
「その時彼から嫌がらせを受けたのか」
「まさか、通信文ですら話をしていませんしロイエンタール提督の戦術は見事でした」
 ヤンの答えにキャゼルヌはため息を深くする。
「なあ、ヤン、本当の事を言えよ。なんでやっこさんを嫌うんだ?お前の態度は双方に支障が出ている」
「ご迷惑をおかけします」
「帝国軍の間でお前の評判は下がりっぱなしだ。民主主義とは肉体的欠陥を差別する人間を元帥にするような思想なのかとね」
「すいません」
「同盟でもそうだ。お前を差別主義者だと非難する声も出ている。表立っていないがな」
 ふうっと息を吐くとキャゼルヌはヤンの瞳を覗き込んだ。
「俺も腑に落ちん、何故そこまで避ける?」
「その、生理的に苦手だというしかないんです」
「目の色が違うからか」
「それもあります」
 こういう時のヤンは強情だ。
 何か理由があるのだろうが自分から話す気にならなければ決して口を割らないだろう。
 分かっているからキャゼルヌは命令するしかない。
「とにかく食事会に参加するんだ、絶対欠席することは許さん」
「体調が悪くなります」
「なんだ子供の様な言い訳は」
「絶対気持ち悪くなります」
「ロイエンタール提督の横だからとでも言うのか」
「・・・すいません、そうです」
「ふざけるなよ、ヤン、俺はお前の事をよく知っているから何か理由があるのだろうと推測出来るが、他の人間からすればお前の態度は差別主義の最たるものだ」
「本当に駄目なんです。ロイエンタール提督の横なんて我慢出来ません」
「許さん、これは命令だ」
「キャゼルヌ先輩」
 泣きそうな顔で訴えてくる後輩をキャゼルヌは一刀両断にする。
「気分悪くなるんだったらぶっ倒れて来い。訳を話せないんだったらそれしか無いだろう」
 相当イラついているらしく言葉きつく言い渡されヤンは項垂れるしかなかった。

 朝食会は皇帝の側近とビュコック元帥、クブルスキー大将、そしてヤンが列席した。
 公式なものでは無いので礼服は着用しない。
 ヤンが到着すると皆はもう着席していた。
 時刻ぎりぎりセーフだが非礼だっただろうか。
 恐縮するヤンにラインハルトが声をかけた。
「待ちかねたぞ、ヤンウェンリー、さあ席に座りたまえ」
 一つだけ誰も座っていない椅子がある。
 皆の視線が自分に集まる。
 ヤンはぎくしゃぐとそちらから目を逸らしながら着席した。
本人は普通に振舞っているつもりでも不自然だ。
微妙な雰囲気の中 食事会が始まった。
「ビュコック元帥の最終決戦での手腕はお見事でしたな」
「いや、もう年寄りの出る幕では無いと思い知った。第13艦隊が駆けつけてくれねばどうなったことやら」
 軍人ばかりのため会話は自然と戦術、戦略についてとなる。
「改めて皇帝閣下の戦歴を拝見し感嘆いたしました」
 クブルスキーの本音に満ちた感想に皆笑みを浮かべる。
 尊敬に値する武将は例え敵であったとしても敬意を持って対するべきである。
 当たり前の事が出来るこの食事会に出席出来る幸運を参列者は実感した。
 だがその中で一つだけ異協和音がある。
 ヤンウェンリーだ。
 体をがちがちに強張らせ頬が引き攣っている。
 絶対にロイエンタールの方を見ようともしない。
 さりげなく椅子をずらし距離を取ろうとしているのが子供の様だ。
 本人はさりげなくでも露骨すぎる。
 前で食事を取っていたミッターマイヤーが非難に満ちた視線を向けてくる。
 オーベルシュタインですら眉を潜めている。
 だがヤンはそれどころでは無かった。
 気持ちが悪い
 吐き気が襲ってくる。
 しかしそれを気付かれてはいけない。
 横にいる物に悟られてはいけない。
 必死に悪寒と戦っていたヤンの顔色は悪い。
 和やかでありながら微妙な空気が漂う中、人々は横目で2人を伺っている。
 ロイエンタールの方向に顔を向けないヤンの子供じみた態度にため息と落胆が漏れる。
 ロイエンタールも何度か話しかけようとしたが全身で拒否されている雰囲気が気後れさせる。
 非公式であろうとも皇帝の御前で顔を引っつかみこちらを向けさせ自分のどこが嫌われるのかと問いただす訳にもいかない。
 一応相手は同盟一の智将なのだから。
 そんな空気を読み取ったからか助け舟を出した人物がいた。
「ヤン元帥は人見知りが激しくてな、話ベタなのじゃ。失礼を許してくだされ、ロイエンタール提督」
「いえ、こちらこそ」
「ヤンも下ばかり向いていないで挨拶くらいしたらどうだ。先程から一言も口を聞いていないだろう」
 近所のおじいちゃんみたいなビュコックに周囲が和む。
 ある意味同盟の最終兵器だ。
 尊敬するビュコックにそう言われて無視する訳にもいかずヤンは恐る恐るロイエンタールと向き直った。
「失礼いたしました。ヤンウェンリーです」
 今更も今更な挨拶だが二人が口を聞くのはこの時が始めてである。
「オスカー フォン ロイエンタールだ、お見知りおきを」
 握手するため伸ばされた手をヤンはじっと見詰めた。
 動こうとすらしない。
 数秒の沈黙、ビュコックが焦ったように取り成した。
「どうしたヤン?具合でも悪いのか」
「いえ、大丈夫です、失礼しました」
 しかし手を出そうとしない。
「どうしたのだ?ヤン提督」
 皇帝も眉を潜めて聞いてくる。
「いえ、その、私はちょっと手に水虫を持っていまして握手するとロイエンタール提督に移してしまうので、握手は辞退します」
 冷や汗を流しながら言い訳する態度にロイエンタールがキれた。
「皮膚病などかまわん」
 強引にその手を掴み握手する。
 その瞬間ヤンの顔が盛大に強張った。
「うわっすっすいません」
 全員が絶句して事の成り行きを見守る。
 なんとヤンはロイエンタールの手を思い切り振り払ってしまったのだ。
「ヤンウェンリー、卿の態度は失礼極まりないぞ」
「ヤン提督、ロイエンタール提督にお詫びを言いなさい」
 ビュコックやクブルスキーも苦い顔をしている。
 ヤンびいきな皇帝ですらきつい表情で事の成り行きに注目している。
「あの、すいません、突然だったので」
 しどろもどろで頭を下げるヤンにロイエンタールは冷たく言い放った。
「形ばかりの謝辞をしてもらっても仕方あるまい。卿はどうやら俺の事が嫌いらしい」
 ロイエンタールは相当立腹らしい。
 青筋を立ててヤンを睨み付ける。
「いえ、そういう訳では」
「卿に嫌われるような行動を何時俺がしたのか教えてもらえるか?今後のために」
「ロイエンタール提督に悪いところはありません、その、私が悪いんです」
「そうとは思えんな、卿は俺を見る時嫌悪に彩られた顔をしている。自分で気がつかないのか」
「自分で自分の顔は見れないので、いや本当にすいません」
「俺としても卿には失望した。敵ながらあっぱれな智将と思っていたが単なる差別主義者とはな」
 ロイエンタールは憎々しげに言い放った。
「そんなに俺の目が気持ち悪いか」
 あまりの剣幕にミッターマイヤーがフォローに回ろうとした。
「ロイエンタールの目は遺伝のためです、病気などではありませんので」
「それは違う、呪いだと前に言っただろう。ミッターマイヤー」
 ロイエンタールが言い捨てた瞬間、ヤンが顔を上げた。
 漆黒の瞳が真っ直ぐロイエンタールの瞳を覗き込んでくる。
 初めて視線を合わされロイエンタールは柄にも無く動揺してしまう。
 まるで宇宙の様に澄んだ黒い瞳は不躾なまでにロイエンタールの瞳を見詰めた後、ぼそりと呟いた。
「なんだ、自分で分かっていたんですか」
「・・・何をだ」
 会話がいきなり飛んでロイエンタールは問い返した。
「だからそれですよ。分かっていたんだったらなんで処置しないんですか?」
「だから何をだ」
「だからそれですってば」
 ヤンの視線がずれる。
 僅かに横へ。
「何の話だ?」
「分かっているんでしょう」
 ヤンはロイエンタールに顔を向けている。
 だが視線は微妙にずれている。
 ロイエンタールの後ろへと。
「何を見ている?」
 この漆黒の瞳に何が映っているんだ。
 ヤンは首を振ると立ち上がった。
「わかっているなら早く処置した方がいいですよ、それ相当やっかいですから」
「・・・・だから何をだ」
 ヤンは大きく首を振るとぼそりとつぶやいた。
「あんまり口に出して言いたくないんです。危険だから」
「・・・・何を」
「こっちに興味あるみたいだから近寄りたくなかったのですが隣に座ってしまったし握手もしたからしっかりロックオンされちゃったみたいですね。ああ、でも無駄ですよ。私結構強いですから」
 ヤンはロイエンタールの後ろに向けてしゃべっている。
 皆の背筋に汗が流れた。
「誰としゃべっているのだ、ヤンウェンリー」
 皇帝の声が僅かに震えている。
 ヤンはぼそりっと呟いた。
「言ってもいいんですか」
 その瞬間、ロイエンタールの前にあったワイングラスがテーブルに倒れた。
 誰も触れていないのに。
 赤いシミが白いテーブルクロスに広がっていく。
「なんだっ何事だっ」
勇猛果敢なビッテンフェルトの声が上擦っている。
 途端にガタガタとテーブルが振動音を立てた。
「怒ってますよ」
淡々というヤンの声が不気味さを増徴させる。
「とにかくすいません。私がここにいるともっと騒ぎが大きくなってしまいそうなので失礼ですが退席します」
「どういう事だ?ヤンウェンリー」
「ロイエンタール提督のだけじゃなく他のも活性化されてしまいそうです」
 何がっ何が活性化されると言うんだ。
 ヤンはぐるりと天井を見渡した。
 そして大きくため息を付く。
「失礼をお詫びします。体調が悪くなったので退席させてください」
「どこが悪くなったんだ?ヤン」
 ビュコックの問いかけにヤンはトントンと肩を叩いた。
「ちょっと肩凝りが酷くて。頭痛も・・・」
 まるで誰かが上にいるかの様にヤンはさっさっと手で払うと敬礼を残して去っていった。
「・・・・」
 残された人々は声を出すことも出来ない。
 長い沈黙の後、メックリンガーが乾いた笑い声を上げた。
「ははっはっヤン提督は面白い方だ。ウィットに飛んでいるが怪談話には季節はずれですぞ」
 同調して笑える者はいない。
「その・・・ヤン提督はスピリチュアルな方面に傾倒しているのですかな」
 ケスラーが恐る恐るビュコックに問いかける。
「そういう話は聞いた事がありませんな。やけに独り言が多いとは思ってはいたが」
 誰と話していたんだ、とは恐くて聞けない。
「予は、予は信じていないぞっ幽霊なんていない。いないに決まっている」
 震える声で断言するラインハルトにキルヒアイスが同情の目を向ける。
「ラインハルト様、昔から大の苦手でしたよね」
「予は恐くない、恐くなど無い。ただ非現実な事が嫌いなだけだ」
 言いながらも目がロイエンタールに向かってしまうのは怖い物みたさだろうか。
 皆の視線も自然とロイエンタールへ向かう。
 正確には彼の後ろへ
「見えないな」
「見えないけど」
「いるのか?」
「しょっているのか?」
「上に乗っているのかも」
 ぼそぼそと囁かれロイエンタールが慌てて首を振る。
「これはヤンウェンリーの悪趣味な冗談なのだろう。そうだろう、そうだと言ってくれミッターマイヤー」
「いや、俺にも見えないから」
 皆の視線が集まる中、虚勢とは言え叫び出さなかったロイエンタールは立派といえるだろう。
 だがその顔色は相当青ざめていたのはいうまでも無い。